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『アメリカン・スナイパー』ネタバレ映画感想/評価/考察


■あらすじ『アメリカの特殊部隊「ネイビー・シールズ」に所属していたクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、2001年のアメリ同時多発テロをテレビで見て衝撃を受ける。そして、戦地へ派遣されたカイルは狙撃兵として優れた才能を発揮し、いつしか「伝説(レジェンド)」と称賛されるようになっていった。その後、無事に帰国し、ようやく愛する妻タヤと生まれたばかりの長男と共に、平穏な日常を送れるかに思われたが、凄惨な戦いは徐々にカイルの心を蝕み、家族との溝が広がっていく…。ネイビー・シールズの兵士としてイラク戦線で活躍した実在の狙撃手クリス・カイルの壮絶な実話を、巨匠クリント・イーストウッド監督が映画化した大ヒット戦争ドラマ!』



クリント・イーストウッド監督の最新作アメリカン・スナイパーは、アメリカでは公開第1週の週末だけで1億ドル近くを稼ぎ出し、興行収入ランキング初登場1位を獲得。2週目にはスクリーン数が全米3705館まで拡大され、R指定の映画としては過去最大規模の凄まじい大ヒットを記録した。

そして現時点では3億9000万ドルという驚異的な数値を叩き出し、イーストウッド監督史上最高の成績を樹立。さらに、これまで17年間誰にも破られなかった戦争映画ナンバーワン作『プライベート・ライアン』をも抜き去り、歴代戦争映画の中でも最大の興行記録を達成!製作費が5800万ドルであることを考えると、コストパフォーマンス的にも大成功と言えるだろう。


●保守派とリベラル派の対立
そんな『アメリカン・スナイパー』だが、面白いことに、観た人の意見は真っ二つに分かれているらしい。保守派の人々は主人公を英雄視し、その行動は愛国的だと称賛。保守系のサイト「Breitbart.com」では本作を「戦争を支持する傑作」と好意的に評価し、副大統領候補だったサラ・ペイリン氏も「この映画を批判する人は非国民だ!」と本作の愛国性を強調した。

一方、リベラル派は「この映画はイラク戦争を肯定している。けしからん!」と猛烈に批判。そして、「160人も殺した狙撃手をヒーローとして扱っていいのか?」「スナイパーの活躍を美化している!」「好戦的だ!」などと保守派の意見に真っ向から対立しているようだ。

また、映画監督のマイケル・ムーアは「僕の叔父は第二次世界大戦中、スナイパーに殺された。彼らは後ろから打ってくるから臆病者だと教えられて育った。スナイパーはヒーローなんかじゃない。侵略者はさらにタチが悪い」とツイッターでつぶやいたためにネットで大炎上。右翼からも非難が殺到したらしい。


しかし、これらの騒ぎで最も奇妙なポイントは、保守派もリベラル派も『アメリカン・スナイパー』を「それぞれ異なった視点で見ている」という点だろう。具体的に言うと、保守派はクリス・カイルを「正義」、イラク人を「悪」と見なしているのに対し、リベラル派は主人公側を「侵略者」、イラク側を「被害者」と決め付けているのだ。


●なぜ同じ映画で印象が異なるのか?
全員同じ映画を見ているはずなのに、どうしてここまで認識がズレてしまうのだろう?それは、クリント・イーストウッド監督がどちらの側にも肩入れせず、意図的にバランスをとっているからだと思われる。

例えば、主人公のクリス・カイルを「アメリカのために戦った凄腕スナイパー」として英雄的に描く一方、小さな子供と母親を撃ち殺さなければならない罪悪感に悩み、トラウマを発症して苦しむ姿も同時に描いている。さらに、彼は退役してからもPTSDに苦しみ続け、やがて回復して他の帰還兵たちを救うために活動するものの、最後は救おうとした元兵士に射殺されてしまう。つまり、一人の主人公を二つの異なる視点から描写しているのだ。

そして、イラク側を描く際も同様に、凄まじい勢いで米兵に攻撃を仕掛け、小さな子供の頭にドリルで穴を開けるなど、まさに”野蛮人”、”アメリカの敵”としか思えないような描写を入れている反面、敵のスナイパーにも家族がいて、「母親が赤ちゃんをあやしている場面」を入れたり、意図的に「彼らも我々と同じ人間なんですよ」という印象を与えている。


●『ハート・ロッカー』との違い
このようなクリント・イーストウッド監督の”バランス感覚”は、同じイラク戦争を描いたキャスリン・ビグロー監督の『ハート・ロッカー』と比較すれば、より明確に理解できるかもしれない。『ハート・ロッカー』の主人公はスナイパーではなく爆弾処理の専門家だが、イラクに派遣されて連日命懸けの任務をこなすうちに徐々に心が疲弊し、やがて帰国して妻と子供に会えたものの、既に普通の精神状態ではなくなっていた…という物語で、基本構造は『アメリカン・スナイパー』と良く似ている。

だが、『ハート・ロッカー』は常に主人公の目線から、つまりアメリカ側の視点から戦場を描いている点において、『アメリカン・スナイパー』とは決定的に異なっているのだ。つまり、『ハート・ロッカー』の場合は「主人公が見ている範囲のものしか見えない」状況だから、イラク人が何を考えてどんな行動に出ようとしているか分からないし、それを観ている観客も同様に「イラク人は得体の知れない恐ろしい敵だ」という認識しか持ちようがない。

それに対して『アメリカン・スナイパー』は、主人公が本来は知ることが出来ないはずの情報(イラク人側の視点)をわざわざ画面に入れ込んで、偏った印象を与えないようにしている(もちろん原作には無い)。これを「素晴らしいバランス感覚だ」と見るか、「事実でないことを捏造している」と見るかで評価は分かれるだろう。ただ、アメリカ側の視点で描かれた『ハート・ロッカー』がアカデミー作品賞を獲って、『アメリカン・スナイパー』が受賞できなかった(音響編集賞のみ)のは、色んな意味で興味深い出来事だったなあ。


●結局、『アメリカン・スナイパー』とは何だったのか?
では、結局のところ『アメリカン・スナイパー』はどういう映画なのだろう?保守派の言う通り「愛国的な映画」なのか?それとも、リベラル派の言う通り「戦争を賛美している映画」なのか?いや、どちらも違う。これはアメリカによって殺人を強要され、最終的には国家が生み出した病巣に殺されてしまう男の物語」であり、イラク戦争に対して問題提起しているのだ。

しかも、イーストウッドは本作に敢えて政治的な倫理観を持ち込まず、2人のスナイパーが互いに相手を狙い撃ちする「西部劇的な対決要素」で”男の物語”を表現している点が凄い。そもそも、原作には敵のスナイパーなんか出て来ないし、ラストの決闘場面も存在しないのである(RPGを持ったイラク人を遠距離から撃つだけ)。にもかかわらず、映画版ではわざわざ活劇場面を付け加え、大幅な脚色を施しているのだ。そこが非常に面白い点ではあるものの、いったいなぜ、イーストウッド監督はこのような変更を加えたのだろう?

実はここにも、イーストウッドの見事なバランス感覚が発揮されていると考えられる。もし原作の通りに、主人公が160人のイラク人を撃ち殺していくだけの映画にしていたらどうなるか?間違いなくリベラル派から総攻撃を食らい、おそらく保守派からも賛同はされなかっただろう。相手から見えない位置で銃を構え、一方的に標的を狙い撃ちできるスナイパーは、戦場において圧倒的な強さを誇る。そんな奴が主人公では、あまりにも優劣の差がありすぎるからだ。

そこでイーストウッド監督は、敵側にも同じく”凄腕のスナイパー”を配置することで、双方の力関係を拮抗させたのである(文字通りの”パワーバランス調整”)。これにより、主人公の圧倒的な優位性は無くなり、倒すか?それとも倒されるか?という緊張感が生まれ、長い距離を隔てた屋上と屋上で互いの銃口を向け合うクライマックスへとなだれ込む。まさに、由緒正しい「西部劇的な対決シーン」の出来上がり、というわけだ。


●クリスとムスタファの関係性
そして同時に、敵のスナイパー:ムスタファの存在にも重要な意味が与えられている。”シリア出身の元オリンピック選手”という設定のムスタファは、ネイビーシールズから「凄腕のスナイパー」と恐れられつつ、自分の奥さんや生まれたばかりの赤ん坊を守るためにアメリカ兵と戦っているのだ。ん?これって誰かに似てないか?そう、彼はイラク兵から「マラディの悪魔」と恐れられたクリス・カイルと全く同じ立場なのだ!もちろん、クリス自身は知るはずもないが、物語上の意味合いとしては、二人は”同一人物”なのである。

つまり、クリスとムスタファは”ネガとポジ”のような関係性で、彼らの生死は表裏一体。そう考えてクライマックスの長距離射撃の場面を観てみると、奇妙なことに気付く。クリスが除き込んだスコープにはムスタファの姿が映っていたらしい(観客には見えない)のだが、当時彼が使用していたスコープの倍率では、2キロ近くも離れた場所に立つ標的の顔など見えるはずがないのだ(原作でも”輪郭しか分からない”となっている)。

にもかかわらず、どうしてクリスは判別できたのだろう?いや、それはもしかしたら、ムスタファではなく自分自身だったのではないだろうか?そして、1920メートル先の標的を撃ち抜いた弾丸は、廻り廻ってクリス自身の命をも奪ってしまったのでは?原作ではほとんど触れられていなかったムスタファというキャラクターを、ここまで主人公と呼応させたのは、そういう意図があったのかもしれない。「彼は運命に捕まったんだよ」というクリント・イーストウッド監督のコメントを聞いて、色々と考えさせられた次第である。

なお、イーストウッド本人は、「これは戦争を賛美する映画ではない。むしろ、終わりのない戦争に多くの人々が従事し、命すら失う姿を描いているという意味では、反戦映画とも言えるだろう」とインタビューで答えたそうだ。共和党支持者として知られるイーストウッド監督だが、イラク戦争に関しては”反対”の意思を表明しているらしい。それら諸々の事情も含めて、非常にイーストウッドらしい映画であったと思う。


●余談
ちなみに、クリント・イーストウッドは”早撮り監督”としても有名で、どんな撮影でも本番一発のワンテイクしか撮らない「"One-take" director」と呼ばれているらしい。まあ実際は、毎回一発でOKになるわけではないと思うが、「撮り直しの回数が極端に少ない」という点においては業界屈指の存在だそうだ。

イーストウッド以外にもスティーブン・スピルバーグなどが”早撮り監督”として知られているものの、多くの監督は自分の映像にこだわりがちで、スタンリー・キューブリックみたいに「納得するまで何度でも撮り直す」という監督がいる中、イーストウッドのような”滅多に撮り直しをしない監督”は映画会社からも高く評価されているらしい。

なぜなら、撮り直しが少なければそれだけ撮影スケジュールを短縮でき、必然的に製作コストも下げられるからだ。実際、過去に監督した作品はどれも短期間・低予算で作られており、自身も主演した『グラン・トリノ』に至っては、撮影期間わずか33日、製作費たったの3300万ドルで、興行収入は2億7000万ドルという凄まじさ!まさに「早い・安い・面白い」を地でいく見事な職人技に脱帽せざるを得ない。

そんなイーストウッド監督だが、今回の『アメリカン・スナイパー』を観てちょっと気になった場面がある。それは、クリス・カイルが生まれたばかりの赤ん坊を抱き抱えながら、奥さんと会話するシーン。ここで彼が抱いている赤ちゃんが、どう見ても人形なのだ。それも撮影用に作られた精巧なフィギュアなんかじゃなくて、「トイザらス」とかに売ってそうな普通のオモチャの人形である(店で買ってきた人形をそのまま使ってるのかもしれない)。

こういう場合、通常は本物の赤ちゃんを用意するものだが、どうやらキャスティングしていた赤ちゃんが急に熱を出して撮影できなくなったらしい。ただ、そういうトラブルがあったとしても、別の日に撮り直しをするとか、もうちょっと人形だとバレないような撮り方をするとか、色々方法はあったと思うんだが…。ここまで一目瞭然でバレバレなのも逆に珍しい。

しかもこのシーン、主人公と奥さんが真剣な会話を交わしている結構シリアスな場面なのだ。それなのに、主人公が抱いている赤ちゃんが人形丸出しというマヌケぶり。もう、コントのワンシーンにしか見えなくて、会話が全然頭に入って来なかったよ(苦笑)。いくら”早撮りの名人”とはいえ、ここだけは撮り直しをするべきだったんじゃないかなあ。

さすがのイーストウッドも撮った後に「こりゃ、いくらなんでもバレるかな?」と思ったらしく、CGで人形の腕をちょっとだけ動かしてるんだけど、余計に不自然で気持ち悪い。もはや必死に演技しているブラッドリー・クーパーが気の毒に思えてくるほどの珍場面である。せっかくいい映画なのにもったいない!早撮りし過ぎるのも善し悪しだよねえ(^_^;)



アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
クリス・カイル スコット・マキューエン ジム・デフェリス
早川書房

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