ひたすら映画を観まくるブログ

映画やアニメについて書いています

映画『亡国のイージス』ネタバレ感想

亡国のイージス
亡国のイージス』より
■あらすじ『東京湾沖で訓練中の海上自衛隊イージス護衛艦「いそがぜ」で、艦長が何者かに殺害されるという事件が発生。宮津副艦長(寺尾聡)は、先任伍長の仙石(真田広之)に犯人が如月一等海士であると告げ、乗務員を艦から退去させる。しかし宮津は、某国の対日工作員ヨンファ(中井貴一)と共謀し、特殊兵器「GUSOH(グソー)」の照準を東京首都圏に合わせていた。日本政府に突きつけられた途方も無い要求。その頃陸では、防衛庁情報局:DAISの渥美(佐藤浩市)たちが対策に乗り出す。だが、なす術を失った政府は米軍の新型爆弾テルミット・プラスを使い、「いそかぜ」を上空から爆撃することを検討し始めた。進むべき道を見失った国家に、守るべき未来は存在するのか?残された時間は10時間!国家最大の危機に今、たった一人の男が敢然と立ち上がる!日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞の、まさに頂点を極めた俳優たちが一堂に集結!防衛庁海上自衛隊航空自衛隊の全面協力の下、実物の最新鋭イージス艦や戦闘機などが続々登場!反逆の牙を剥いた「無敵の盾(イージス)」を舞台に、男たちの壮絶なる魂がついに激突する!!!』



今やすっかり人気作家となった福井晴敏原作の、ローレライ』『戦国自衛隊1549に続いて3本目となる映画化であるが、とうとう3本とも観てしまった(ちなみに小説は未読なので、映画のみの評価とさせていただきたい)。さて福井晴敏自身は原作を「『ダイ・ハード』をイメージして書いた」と言っているが、実際に観た印象はマイケル・ベイ監督のザ・ロックにそっくりである。

ちなみに『ザ・ロック』のストーリーは、「アメリカ海軍の准将(エド・ハリス)が反乱を起こし、自分の部下と共に難攻不落のアルカトラズ島を占拠。特殊兵器の照準をサンフランシスコに合わせ、アメリカ政府を脅迫する。なす術を失った大統領は、米軍の新型プラズマ爆弾を使い、アルカトラズを爆撃する事を検討。エド・ハリスの計画を阻止する為に、ショーン・コネリーニコラス・ケイジが立ち向かう!」と、こんな感じだ。最終的に、ニコラス・ケイジの活躍によって危機は回避されるという、クライマックスの展開に至るまで全く同じだったのには驚いた。

しかし、「『ザ・ロック』をパクっている」と言えば聞こえは悪いが、結果的に面白い映画が出来れば何の問題も無いと個人的には思う。そういう意味では、『亡国のイージス』は「なかなか良く出来たポリティカル・サスペンスに仕上がっている」と感じた。フィクションとしてストーリー的に大きな破綻も無く、最後まで緊張感が持続しているし、総工費3億円をかけて作られた実物大のイージス艦のオープンセットは、本物と見紛うばかりの物凄いリアリティである。

静岡県相良町に作られたこの巨大なセットは、実物大といっても艦首と後部甲板を除いた全体の3分の2ほどの大きさらしい。だが、それでも全長77メートル、高さ27メートルにもなり、セットとしては破格のデカさ!しかし、せっかく作ったセットも撮影に使用したのはわずか一週間程度だったそうだ。阪本監督曰く、「掛かった金額をカット数で割ったら、1カットあたり1000万円になりました」とのこと。なんて贅沢な使い方だ!

ちなみに、実際にセットを作った美術監督の苦労もハンパではなかったようで、撮影中に3度も台風に直撃されてセットが吹き飛ばされた時には「本気で泣きそうになった」らしい。

また、「いそかぜ」と「うらかぜ」の戦闘シーンは、短いながらも海洋アクション映画の真髄を存分に感じさせるド迫力映像が満載!この場面は、自他共に認める軍艦マニアのアニメーション監督庵野秀明が、そのミリタリー知識をフル活用して画コンテを切っているのだ。

ハープーンミサイルや短SAMシースパローが次々と発射される緊迫感溢れるシークエンスは、庵野監督のミリヲタ魂が炸裂した問答無用の名場面!だが、16ページにも及ぶ渾身の画コンテは、あまりにもマニアックにこだわり過ぎたためにかなりカットされたらしい。「うらかぜ」がチャフ・ロケット弾や20ミリCIWSを発射する場面もコンテにあったようだが、残念ながら本編には出てこない。う〜ん、観たかったなあ。

さらに、役者たちの熱演も「さすがアカデミー賞受賞者!」と納得の素晴らしさ。そして何よりも、「日本でもスケールの大きなエンターテイメント作品を作ってやるぜ!」という製作者側の“心意気”が伝わってくるのが嬉しいではないか。もちろん不満な部分は多々あるものの、個人的には戦国自衛隊1549』の250倍ぐらいは面白かったです(笑)。

とはいえ、手放しで誉めることが出来ないのもまた事実。問題点は物語よりも、キャラクターの掘り下げ不足にあると思う。これはもう「原作付き」の宿命なのかもしれないが、膨大な小説を2時間前後の映画に納めるためには、色々なものを捨てるしか方法はない。

それは登場人物の背景であったり、個々のエピソードであったり、いずれにしても取捨選択を迫られ”断腸の思い”で決断することとなる。それによって物語が分かりにくくなったり、ヒドイ時には全然違う話になったりしてしまうのも、まあ不本意ながら良くある話だ。要は「どこをどのように切り取るか」という判断が非常に重要なのである。

本作の場合、最初に出来たシナリオは300ページを超え、「これを映画化したら5時間になる」ということで大幅なカットを余儀なくされた。だが、大胆にハサミを入れたのは、脚本家でもプロデューサーでもなく、なんと福井晴敏本人だったというのだから驚きだ。普通、原作者にしてみれば自分が苦労して書いた小説に”削除していい箇所”などあるはずもなく、思い入れの強いエピソードならなおさら切りたがらないものだろう。

ところが福井は、「必要無い」と判断したら躊躇無くどんどん切り捨てていったらしい。その姿は「あんなに割り切りのいい原作者は初めて見た!」とプロデューサーを呆れさせるほど凄まじかったそうだ。それどころか、最も気に入っていた”阿久津徹男のエピソード”をあっさりカットされたプロデューサーの方が逆に、「ええっ!福井さん、そ、そこを切るんですか!?」と慌てて原作者に詰め寄ったという逸話まで残っている。まるっきり立場があべこべじゃん(笑)。

そんなわけで、原作を読んでいない僕の目から映画を観てみると、キャラクターの心理状態や行動原理や人間関係が「ちょっと分かりにくいかなあ」と感じた。息子を失った宮津副長の苦悩や反乱に至る動機、あるいはテロを企てたヨンファの思想などが、映画を観ていて十分に伝わってこない。

恐らく、原作ではしっかりとした人物描写によってそれぞれの思惑や関係性が理解出来るようになっているのだろう。だが、残念ながら映画ではキャラクター描写がおざなりにされている事によって、説得力や感情移入が著しく妨げられているように思う。

特に問題なのは、唯一の女性工作員ジョンヒの扱いである。いったい彼女は何者なのか?一言もセリフが無いので情報量が極端に少ないのだが、映画を観終わった後で「しゃべれない」設定であることが判明。しかし、劇中でそれを判断するのは非常に困難であると言わざるを得ない。ヨンファとの関係はもちろん、何の為に出ているのかさえ良く分からない。

挙句の果てに、突然水中でのキスシーンまで飛び出す始末。「サービス・カットか?」と思ったが、どうもそうではないようだ。少なくとも映画を観る限りにおいては必然性が全く感じられず、「原作に出ているから取りあえず出しとけ」みたいな安易な感じは否めない。

彼女がいなくても(映画の)ストーリーに支障は無さそうなので、思い切ってカットすべきエピソードだったのではないだろうか?脚本家の長谷川康夫によると、「彼女をはずすと男ばかりになってしまい、画面に”華”が無くなるのでどうしてもはずせなかった」とのことだが、これでは完全に”お色気要員”ではないか。そもそも、このテの映画を2時間7分に納める事自体に無理がある。もう30分延長してでも、登場人物を丁寧に描写して欲しかったなあ。

また、クライマックスの仙石の「ある行動」も非常に気になったポイントである。要するに「主人公が爆撃を停止させるために必死でサインを出し、間一髪で助かる」という、自分の存在をアピールしてジェット戦闘機からの爆撃を停止させるための「最後の行動」だ。

ザ・ロック』のクライマックスにもほぼ同じシーンが出て来るし、本作の中でも非常に重要なシーンとして描かれているんだけど、はっきり言って『ザ・ロック』の方が136倍ぐらいかっこ良かったぞ(笑)。

偵察衛星が仙石の姿を映し出すと総理大臣が一言、「……あいつは何をやっとるんだ?」。まさに「何をやっとるんだ?」としか言いようがない衝撃映像が炸裂!その瞬間、僕が観に行っていた映画館では、なんと劇場中が爆笑の渦に包まれたのである。

これは「行動」自体に問題があるのではない。見せ方が悪いのだ。やっていることは決して間違っていないし、もちろん真田広之が悪いわけでもない。ただどう考えても、バラエティ番組の「手旗信号ゲーム」にしか見えないのである。

なぜ、もう少しかっこいい見せ方が出来なかったのか?あるいは、これもまた原作のエピソードが削られたために、「必要な伏線を張ることが出来なかったから」こんなマヌケなヴィジュアルになってしまったのかもしれない。いずれにしても、一番大事な最後の”あの場面”で観客に笑われてしまうのは致命的と言えるだろう。ここだけは何とかして欲しかったなあ(話の流れ上「ああなってしまう」のは仕方が無いとは思うけど…)。

この他、「CGがショボい」等の問題も挙げられるが、個人的には「まあ、こんなもんでしょ」という程度でそれほど気にはならなかった。実は、本作のCG合成のカットは意外に少なく、たったの98カットしかない。『ローレライ』のCGが300カットを超えている事に比べれば異常な少なさだ。

これは、阪本監督が「ドキュメンタリー的な本物っぽさにこだわったから」であり、最後の「いそかぜ」沈没シーンも8メートルのミニチュアを使用して実際に撮影している。CGを投入した場面はほんのわずかで、その一つが前半の「いそかぜ」対「うらかぜ」の戦闘シーンだ。

当初は、自衛隊が本物のミサイルを撃っている所を撮影しようとしたらしいが、不可能ということが判明。観艦式では、5インチ砲(祝砲)とボフォース砲(対潜ロケットランチャー)の発射を見ることは出来るが、ハープーンミサイルやシースパローの発射は演目に無いからだ。特にハープーンは射程が100キロメートルを超えるため、日本近海では訓練が行えないらしい。このため、ミサイル発射シーンは全面的にCGを使用することになったのである。

そして、米海軍の記録映像など、集められるだけの資料をかき集めて、可能な限りリアリティを追求した結果、実に素晴らしい映像が完成した。あまりにもCGがリアル過ぎるために、一緒に観た友人はこのシーンを自衛隊の演習ライブラリー”と勘違いしていたぐらいである。

というワケで、色々不満点を書き出してみたが実は「あれ?意外と少ないじゃん!」ということに気付いてちょっと驚いた。『戦国自衛隊1549』の20項目以上にも及ぶ膨大な“突っ込みどころ”とはえらい違いだ(笑)。3本観た結果、僕の中ではローレライ』>『亡国のイージス』>『戦国自衛隊1549という感じである。

ローレライ』も決して大絶賛できるような映画じゃないんだけど、原作者が企画段階から関わっているということもあり、3本の中では一番まとまりがある映画だと思う。『亡国のイージス』も原作者が自らシナリオにハサミを入れたからには、オリジナルのテイストが色濃く反映されていると考えて間違いないだろう。

…と思ったんだけど、映画批評サイトをいくつか覗いてみると、どうもあまり評判がよろしくない。理由は概ね上記の通りだが、一番多いのは「原作と違い過ぎる」というものだ。大ベストセラー小説なので、原作を読んでから映画を観る人が多いのは当然であり、原作に思い入れがあれば尚更腹が立つのも理解できる。そして『亡国のイージス』は原作ファンの目から見れば、まさに”噴飯モノ”の内容であるらしい(そんな内容にしたのは原作者本人なんだがw)。

本作に関しては「これじゃ、単なるアクション映画じゃないか!」と多くのファンが嘆いている様子。だが、良く考えてみると福井晴敏自身は「ダイ・ハード』のようなアクション映画の実現を目指してこの小説を書いた」と様々なインタビューで語っているのだ。その結果完成したのが映画『亡国のイージス』なのである。

つまり、受け手の反応はどうであれ、「単なるアクション映画」になってしまったのは、ある意味「ほぼ原作者の意向通りに仕上がった」ということではないのだろうか?実際、この映画に関する福井氏の発言からは、満足そうな反応が見て取れる。

逆に原作を読んでない人には(上記の問題点を除けば)なかなか好評のようだ。すなわち本作は、「原作を読んでいるかいないか」で大きく面白さが違ってくる映画と言えるだろう。僕も今後原作を読んだら、「なんだあの映画は!?」と評価がコロっと変わるかもしれないが、まあそれはそれとして(笑)。

現時点での総合評価としては、『亡国のイージス』は「割と面白い映画」だと思う。それは、「これなら日本でもハリウッドみたいなエンターテイメント大作が作れるかも!?」と思わせてくれるような期待感があるからだ。

「軍の最新鋭戦艦がテロリストに制圧されるストーリー」といえば、スティーブン・セガールの『沈黙の戦艦』などが有名だが、日本でこういうスケールの大きなアクション映画はあまり例が無く、ほぼ「実現不可能」と思われていた。それを、こういう形で実現してくれたのは素直に嬉しい。

最大の快挙は、海上自衛隊がこんな内容の映画に全面協力したことだろう。当初、映画化の話を海上自衛隊に持っていったら、あっさり門前払いをくらったらしい。なんせ「現職の自衛隊員がクーデターを企て、日本政府を脅迫する」というとんでもない内容なのだから当たり前だろう。

ところが伊藤海幕広報室長が原作のファンで、当時の海幕長だった古庄幸一氏にこの話を伝えると、「誰が勝手に断ったんだ!海上自衛隊として全面的に支援するに決まってるだろ!」といきなり対応が逆転。実は古庄前海幕長も原作の大ファンで、しかも大の映画ファンでもあったのだ。

そればかりか、石破前防衛庁長官までもが「本がボロボロになるまで読み込んだ」ほどの、熱狂的な『亡国』ファンだったことが判明。この奇跡的な偶然を小滝プロデューサーは”惑星直列”と呼んでいるらしいが、数年前では考えられないような凄い状況だよねえ。

実は、本作の映画化を一番信じていなかったのは、何を隠そう福井晴敏自身だったそうだ。小滝プロデューサーが「豪華オールスターキャストで、製作費は10何億円で、海上自衛隊にも全面協力してもらって…」などと映画化の話をもちかけてきた時も、「何を夢みたいな事を言ってるんだ、この人は。とんだハッタリプロデューサーだなあ」と、全く本気にしていなかったらしい(笑)。

さらに阪本順治が監督に決まった時にもまだ信じられず、「何で引き受けたんですか?」と初対面の監督にいきなり聞いて、周囲のスタッフを慌てさせたそうだ。この勢いで、押井守監督の機動警察パトレイバー2』を実写映画化してもらいたい。本広克行監督なら喜んで撮ってくれると思うぞ(笑)。

ちなみに福井晴敏は小説を執筆する際に、デビューから一貫してワープロを使い続けているそうだ。樋口真嗣から「メールが出来ないと不便でしょう?」と言われても、「そうだなあ」と言って買ってきたのはなんと“インターネット接続機能付きのワープロだったという。そんなモノがあったのか!?つーかなぜパソコンを買わんのだ!?


●関連記事
樋口真嗣監督『ローレライ』映画感想
『戦国自衛隊1549』映画感想

●人気記事一覧
これはひどい!苦情が殺到した日本語吹替え版映画ワースト10
まさに修羅場!『かぐや姫の物語』の壮絶な舞台裏をスタッフが激白!
日本映画のレベルが低くなったのはテレビ局のせい?
町山智浩が語る「宮崎アニメの衝撃の真実」
「映像化不可能」と言われている小説は本当に不可能なのか?


このブログについて(初めての方はこちらをどうぞ)
トップページへ