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福井晴敏版『戦国自衛隊1549』ネタバレ映画感想

戦国自衛隊1549
映画『戦国自衛隊1549
■あらすじ『陸上自衛隊東富士駐屯地で、人工磁場発生器の極秘実験中に暴走事故が発生。的場一佐(鹿賀丈史)率いる実験中隊が、460年前の戦国時代へタイムスリップしてしまう。数年後、日本各地にあらゆる物質を飲み込む謎のホールが出現。原因は的場たちの過去への過干渉と思われた。かつて的場率いる特殊部隊の精鋭だった鹿島(江口洋介)は、女性自衛官・神崎(鈴木京香)から事の真相を聞かされ、的場の救出作戦に同行する事となる。だが、鹿島たちが1549年の地で見たものは、織田信長を名乗り、そこから先の歴史を変えようとしている的場の姿だった!半村良原作、千葉真一主演による79年のヒット作『戦国自衛隊』を、人気作家・福井晴敏が21世紀ヴァージョンとして新たに書き下ろしたSF巨編。平成の世に甦った名作を、陸上自衛隊始まって以来の全面協力と邦画平均の3.5倍に当たる15億円の製作費を投じて映画化した、史上空前のスケールで贈るSFアクション娯楽超大作!』



僕はオリジナル版の『戦国自衛隊』の大ファンというではない。しかし日本のSF映画としては比較的良く出来た作品ではないかと思っている。本作はそのリメイクという事だが、ストーリーは大幅に変更されており、自衛隊が戦国時代にタイムスリップする」という基本設定以外は全くの別物と言っていい。

したがって、オリジナル版と比較して「ああだこうだ」言っても意味が無いとは思うのだが、前作を観た者としては言わずにはいられないので一応「二つの作品を比較した場合の感想」も書いておきます(例え前作を観ていないとしても、この映画に対する僕の評価は変わらないと思う)。なお、今回は結構ネタバレを含んでいますので、映画を観ていない方はご注意下さい。

まず、本作の最大のウリは陸上自衛隊の全面協力」だ。なんせ前作では自衛隊の協力が得られなかったせいで、ブルドーザーを改造して61式戦車を作ったり、民間のヘリコプターを自衛隊色に塗ったり、かなりの苦労を強いられたらしい。

しかし、今回は戦車やヘリコプターや特殊車両など25種類以上もの主要装備を使用。全て本物を使って撮影されたために、迫力満点の戦闘シーンを実現している。

そして闘いの舞台となる天母城も、総工費2億円以上をかけて巨大なオープンセットを建設。さらに自衛隊と騎馬武者との合戦シーンでは約3000人のエキストラを動員し、自衛隊の最新装備と騎馬隊とが激しいバトルを展開、全編にわたってハードなアクションに挑戦しているのだ。

このように『戦国自衛隊1549』は、ひたすら”本物”にこだわる事によってリアリティ溢れる娯楽映画の実現を目指していたと思われる。しかし、残念ながら”見た目のリアリティ”が向上している代わりに、”物語のリアリティ”が大きく後退していると言わざるを得ない。はっきり言って”説得力が無い”のである。

まず、「タイムスリップ」という荒唐無稽な話を、説得力を持って真面目に描くということは非常に難しい。前作の『戦国自衛隊』では、あえて細かい説明を省き、”単なる自然災害に巻き込まれた自衛隊という形で数々の問題点を強引にクリアーしていた。

しかし、今回は「タイムスリップ」に科学的な理屈をつけようとして、ことごとく墓穴を掘っている様に思える。そもそも、冒頭シーンから既にマズい。「自衛隊が人工磁場発生器の実験をしている途中に事故が起こってタイムスリップした」って、そりゃフィラデルフィア・エクスペリメントじゃないの?

また、「過去に取り残された仲間を救出する為にチームを組んでタイムスリップする」という設定はトンデモSFアドベンチャー『タイムライン』と酷似している。さらに、鹿島が「戦略ミッションD3」という作戦をクリアーした唯一の隊員であるというエピソードは、スター・トレックのパクりであることが明白だ(原作者の福井晴敏自身も認めている)。そして、肝心のタイムトラベルの根拠となる説明も中途半端。なぜ、必ず1549年に行けると確信しているのか?なぜ、再び現代に戻って来られると断言できるのか?物語の大前提となる部分があまりにもいいかげんな説明だけで済まされており、到底納得できるようなレベルではない。プラズマとか磁場とか科学考証を考える前に、この辺の問題を上手くクリアーしてくれなければ物語に入り込めないと思うのだが。

しかも、戦国時代に行ったら行ったでヘンテコなシーンが続出する。いくら現代の知識があるからと言っても、戦国時代にたった2年であれだけの製油施設を造れるものなのか?城の中でパソコンが使われていたけど、電源はどうやって供給しているのか?斉藤道三は美濃(岐阜県)、織田信長尾張(名古屋)のはずだが、なぜ今川の領土である富士山麓にいるのか?

最新兵器で武装した自衛隊が簡単にやられ過ぎではないか?戦国時代の子供がどうして装甲機動車の運転方法を知っていたのか?精密機械に機能障害が起こるような状況の中で、なぜヘリは飛んでいられるのか?など、次から次へと疑問点・矛盾点が噴出してとてもドラマに集中できない。正直、あまり細かい事にいちいち突っ込みたくないんだけど、どうにも気になってしかたがないのである。

また、仮にこれらの「ストーリー上・設定上の不備」には目をつぶるとしても、さらに大きな問題が待ち構えている。それは”キャラクター”だ。簡単に言ってしまえば本作は、「江口洋介扮する鹿島が鹿賀丈史扮する的場の野望を阻止する」という話である。

的場の野望とは何か?それは、「関東一円を吹き飛ばし、歴史を一から作り直す」、という大胆なものだが、正直「仮面ライダー」に出てくる”悪の秘密結社”の発想と大して変わらんぞ。本当に自衛官が考えるような作戦か?この”野望”に至るまでの的場の心理描写が不足しているために、あまりにも突拍子も無い行動に映ってしまうのだ。

また、鹿島のキャラクターも十分作り込まれているとは言い難い。居酒屋の店長として生活していた彼を、戦国の世へ向かわせたものは結局何だったのか?”守るべきもの”とは”平和な今の暮らし”なのか?「未来に責任を持って生きる」というセリフも取って付けたようで重みが全く感じられない。

キャラが立っているという意味では生瀬勝久演じる自衛官が良かったが、キャラが立ち過ぎて全然自衛官に見えないのは困った問題だろう。名乗りを上げながら壮絶に討ち死にする最期の姿も不可解極まりない(アレって、カッコいいの?)。

伊武雅刀はオーバーアクトが激しくてなかなか面白かったけど、ちょっとやり過ぎのような気がする。おかげで真面目なシーンと笑うシーンの区別がつかない。「やれやれ、命拾いしたワイ」と言って着物の下の防弾チョッキを見せるシーンでは場内失笑。あそこは本来、笑うシーンなのだろうか?微妙だなあ。

総合的に見て、ベテラン俳優は演技が「クサい」、若手俳優は演技が「ヘタ」というどうしようもない状況となっている。良かったのは鈴木京香北村一輝ぐらいか(北村の場合は、演技力というよりもはや”芸風”という感じだが)。すなわち、『戦国自衛隊1549』には“登場人物の誰にも感情移入できない”という致命的な欠陥が存在しているのである。

本作では、福井作品お馴染みの、自衛隊の存在意義や、専守防衛に対する意識、そして”強い国としての日本”等色々描かれているのだが、基本的にはうわべだけで心に響くものが何も無い。

では、なぜここまで現実感の無い映画になってしまったのか?と言えば、”リアリティの基準”を間違えているからだと思う。ドラマの展開や役者のテンションを見ていると、何だか”怪獣映画”を観ているような錯覚に陥るのだ。

監督の手塚昌明は『ゴジラ』シリーズを撮っているので、もしかしたら”怪獣映画”の方法論でこの映画を撮ろうとしたのではないだろうか。確かに、”怪獣映画”ならば、この程度のリアリティでも問題ないかもしれない。

しかし、SF映画や人間ドラマとして見た場合、リアリティのレベルがあまりにも低すぎる。大人が楽しむ映画としては、「ちょっとキツイ」と言わざるを得ない仕上がりになっているのが非常に残念だ。

結局、いくら”自衛隊の全面協力”を得られたからといっても、それだけで映画のリアリティがたちまち向上するわけではない、という事だろう。むしろ、自衛隊の方からあれこれ要望を出され、思い通りの映画が撮れなくなる可能性の方が高い。実際、本作でも自衛隊自衛隊を攻撃するようなシーンは入れないで欲しい」と事前に申し入れがあったらしい。

また、自衛隊の不利になるような描写は全て脚本段階でチェックされ、直ちに修正を求められたらしく、それに応じなければ「一切協力は出来ない」というワケだ(陸自よりも空自の方がチェックは厳しいらしいが)。

さらに今回は、陸自東富士演習場敷地内に城のオープンセットを建ててハデな戦闘シーンを撮影できたのはいいが、逆にそこから動くことが出来ず、映画のスケール感がダウンしてしまっている。メインの舞台が富士山麓とお城だけでは、ヴィジュアル的な変化に乏しいからだ。

挙句の果てに、ラストシーンでは現職の自衛官が総出演して皆をお出迎え。敬礼で終わるエンディングに至っては、もはや自衛隊PR映画」にしか見えなかったよ、トホホ(そこまで気を遣わなくてもいいんじゃないのかなあ)。

前作の『戦国自衛隊』は、そのあまりにも破天荒な内容と、問題ありまくりの自衛隊の描かれ方に防衛庁が激怒し、協力を全面的に拒否されてしまった。そのため、衣装や車両などを全て独自に製作しなければならなかったが、逆に自衛隊からの検閲を一切受けること無く、自由奔放に映画を作る事が出来たのだ。

戦国の世で思う存分暴れまくる自衛官たちやスプラッター描写全開の殺戮シーン、さらに自衛隊員による「現地の女性レイプシーン」など、倫理的にヤバい場面が満載だが、映画としては間違いなく前作の方が面白い。

また、騎馬兵と平行して走る戦車や、天守閣をかすめて飛ぶシコルスキーS62ヘリなど、ミスマッチ感炸裂の驚愕ヴィジュアルは「これぞセンス・オブ・ワンダーだ!」と言わんばかりの絶大なるインパクトを放っていた。SF映画として、アクション映画として、そして時代劇としての醍醐味まで目一杯ブチ込んだ、紛れも無い架空戦記エンターテイメント大作だったと思う。

今回『戦国自衛隊1549』を観て、面白い映画とは、創意工夫と作り手のセンスと情熱によって成り立つものだ、という事を再認識させてもらった。それはそれで「収穫」と言えるかもしれない。単に”本物”を使えばいいってもんじゃないんだよなあ。

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