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高畑勲監督の完璧主義が大爆発!『火垂るの墓』はこうして作られた


本日、金曜ロードSHOWで高畑勲監督の火垂るの墓が放映されます。この作品、通常は夏に放映されてるんですが、敢えてこの時期にテレビで流すのは、明日から全国で上映される高畑監督の最新作かぐや姫の物語の公開記念なんですね(^.^)

本作は、『ナウシカ』や『ラピュタ』でプロデューサーを務めた高畑勲の、スタジオジブリにおける第一回監督作品です。公開当時はとなりのトトロと同時上映でしたが、この組み合わせは最悪でした。なぜなら、夢とロマンがいっぱい詰まったファンタジーアニメ『となりのトトロ』の直後にこれを見せられた子供たちが狂ったように泣き叫び、劇場内はちょっとしたパニック状態になったからです。

「一緒に見たお母さんが顔面蒼白になった」とか、「上映後のロビーはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図!」、「『はだしのゲン』をしのぐトラウマ作品!」みたいな話が都市伝説のように語られているらしい。しかも『火垂るの墓』に足を引っ張られる形となった『トトロ』は劇場公開時にお客がさっぱり入らず、スタジオジブリ歴代映画の中で、過去最低の興行成績を記録してしまいました。以来、『トトロ』と『火垂るの墓』は、「絶対にやってはいけない二本立て」として日本映画史に名を残す事になったのです、トホホ。

さて、高畑勲と言えば、『母をたずねて三千里』や『赤毛のアン』などいわゆる”名作アニメ”の人と思われていますが、その本質は映像表現の実験に挑戦し、常にアニメーションの可能性を広げてきた前衛精神にあったのです。

例えば、セルに傷をつける事によって”雨”を表現したり、瞳の中にハイライトを描き「潤んだ目」に見せるという手法は、高畑が初めて開発したと言われているし、そもそも「青年が自分の事のように感じられるシリアスなドラマをアニメで作る」という独特のスタイルもまた、高畑監督が切り開いてきた方法論なのです。しかし、その実験精神はあまりにも徹底的すぎたため、時として常人には理解できない領域にまで突入してしまう事すらありました。

1999年6月29日、『ホーホケキョとなりの山田くんの完成打ち上げパーティの席上で、集まった人々に対し高畑監督は、「この映画が当たろうが当たるまいが、例え観客が一人も来なくたって、アニメーションの表現上は成功したと思います!」と堂々と言い放ったことは有名です。

それを聞いていた参加者達はポカーン状態。商業映画なのに”当たろうが当たるまいが”なんてメチャクチャだと思う反面、ここまではっきり言い切られたら、そりゃもう何も言い返せませんよ(苦笑)。予想通り、『山田くん』は記録的な不入りとなり、以来高畑監督は『かぐや姫の物語』までの14年間、映画製作から遠ざかるハメになってしまいました。

火垂るの墓』は、そんな高畑アニメの集大成かと思えるような気迫に満ち溢れており、力の入れ方が尋常ではありません。総作画枚数も、『となりのトトロ』が48,743枚だったのに対し、本作では54,661枚も使用してよりリアルなキャラクターの動きを実現しました。

どうやら高畑監督は宮崎監督に対し、セルの枚数で負けたくないと思っているらしく、その後も『魔女の宅急便』の67,317枚に対し、『おもひでぽろぽろ』では73,719枚、『紅の豚』の58,443枚に対し、『平成狸合戦ぽんぽこ』では82,289枚という具合に、常に宮崎監督よりもセル枚数を使い続けていきました。そして『もののけ姫』の144,043枚に対し、なんと『となりの山田くん』ではついに15万枚を突破して、全国のアニメファンのド肝を抜いたのです。どんだけ負けず嫌いなんだよ(笑)。

このように、当時最高のスタッフを導入し、最高のクオリティを目指して製作された本作ですが、一流アニメーターを全て引き抜かれた宮崎駿は激怒したという。中でも、近藤喜文(『魔女の宅急便』や『もののけ姫』などの作画監督を務め、”宮崎駿の右腕”と称されていたアニメーター)をめぐる二人の争奪戦は有名で、高畑は「他は何もいらないから近ちゃんだけ欲しい!」と熱望し、宮崎は「近ちゃんが入ってくれないなら僕は降板する!」と言い放つなど、お互いに一歩も譲らない壮絶なアニメーター引き抜き合戦が繰り広げられました。

米を茶碗によそう際、手首に付着した米粒を舐め食べる動作など、高畑アニメが追究する実にリアルな描写の実現は、近藤さんの強く鋭い感受性あって初めて可能だったのです。結局、「宮崎駿は自分で絵が描けるが高畑勲は描けない」という鈴木プロデューサーの判断で、近藤さんは『火垂るの墓』の製作にたずさわることになりました。しかし、この時の宮崎監督の怒り様は凄まじく、「俺は明日から入院する!もう『トトロ』は作らない!」と駄々をこねて鈴木敏夫プロデューサーを大いに困らせたそうです。大人げないなあ(笑)。

さらに、この映画はそんな高畑監督の完全主義が災いし、公開日までに作画作業が間に合わず、ついに一部を未完成のままで上映するという前代未聞の事態が勃発したことでも知られています(公開当時、未着色で線画だけのシーンがあったが、多くの観客は”演出”と勘違いしたらしい)。その原因は「徹底したリアリズムと独自のこだわり」にありました。

例えば、映画の中に”パンを食べるシーン”があったとすると、宮崎監督の場合は「そのパンが美味しそうに見えるかどうか?」に注意して演出するのに対し、高畑監督は「そのパンの原材料は何か?どこの国で、どういう工程を経て作られたパンなのか?」という部分にまずこだわり、徹底的に本物を調べ抜くそうです。

そして、このような完璧主義は高畑監督の全ての作品で貫かれ、『ホーホケキョとなりの山田くん制作時にスタッフとして関わっていた石井朋彦(現プロダクションIG所属)は、あまりにも熾烈な高畑監督のこだわりについて、当時の状況を振り返りながら次のように語っていました。

「やっと『となりの山田くん』が完成していよいよ公開するというタイミングで、オールラッシュを観た高畑監督がいきなり”作画から全部やり直す!”って言い出したんです。上下左右の余白が見切れてしまったのがその理由で、”この映画は余白まで含めて一つの作品なんだ!最初に言ってくれればそこまで考えて演出したのに!”と猛烈に怒ってるんですよ。だけど、その時点ですでに映画は完成してフィルムになってるんですよ?公開日の3週間前にそんなことを言い出すなんて、僕と先輩はもう泣くしかありませんでした(苦笑)」

当然、『火垂るの墓』でもこの完璧主義が貫かれ、制作スタッフは大迷惑。ある時、空襲シーンをチェックしていた高畑監督は「B29の飛んでくる方向はこれで合っているのか?」ということがどうしても気になってしまいました。そこで、当時の記録を全部調べ上げ、主人公の清太の家から見上げた時、「この日のこの時間、B29は間違いなくこっちから飛んで来た」ということを確認した上で、ようやくOKを出したという(ダメだった場合は全部描き直しになる)。

つまり、この映画に出てくる方位や方向、その他細部に至る設定の数々は、全て高畑監督によって検証し尽くされ、完全に正確なものとなっているのですよ。正直言って「そんなことをいちいち気にする観客なんていないだろ」と思うのですが、この”病的なほどのこだわり”こそが、単なるアニメとは一線を画した驚異的なリアリズムを生み出す要因と言えるのでしょう。

ちなみに、『火垂るの墓』は背景美術のこだわり方も尋常ではなく、なんと土手に生えている草の種類が分かるぐらい、一本一本正確に描き込んであるらしい(美術監督はベテランの山本二三)。それを見た当時のガイナックスのスタッフは「これはもうテクニック云々の問題じゃなく、俺たちとは人生観そのものが違うんだ…」と言うしかなかったそうです。

また、原画スタッフとして『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明が参加している事も今となっては貴重でしょう。「『トトロ』のオープニングと『火垂るの墓』のメカシーンと、どっちをやりたい?」と聞かれて、「じゃあ、『火垂るの墓』をやらせて下さい」と庵野監督が自分で選んだものの、後に激しく後悔するハメに。満艦全飾の軍艦が登場するシーンを担当しましたが、「高畑アニメはやっぱり難しかった。10年早かったですね」とプレッシャーが強すぎてなかなか描けなかったそうです。

しかも、昔の船の資料を大量に集め、一ヶ月かけてディテールを細部までキチンと再現したのに、完成した映画を見たらなんと全部真っ黒に!これには庵野監督もよほど悔しかったらしく、「ラッタルとか、手すりの数まで調べて正確に描き込んだんですよ。可能な限り時代考証を合わせようと苦労したのになあ、チクショー!」と愚痴っていました。

ちなみに、艦を黒く塗り潰した犯人は映画監督:樋口真嗣の奥さんです(当時は『火垂るの墓』の美術スタッフだった)。「“美術監督の指示で仕方なくやった”と彼女は言ってますけど、満艦飾にライトが付いてて真っ黒はないですよねえ」と、いまだに庵野監督は根に持っているらしい(笑)。

また、元々『火垂るの墓』は原作者の野坂昭如も、全然書くつもりがない話だったそうです。当時、小説やコラムなどの仕事を何本も抱え込んでいた超過密スケジュールの中、担当編集者から毎日のように原稿を催促され、仕方なく喫茶店で適当に書き上げたんだとか。

野坂自身は書いた瞬間にもう見たくないから編集者に渡した後は一回も読まず、それから何十年も経って本人も忘れた頃にアニメ化の話が実現。「まあ、どうせアニメなんて大したモンじゃないだろう」と思って試写会で観たら本人号泣(笑)。泣きながら試写室から飛び出してきたという逸話まで残っています。ちなみに、野坂の孫娘は学校で「火垂るの墓の作者は、どういう気持ちでこの物語を書いたでしょうか?」という問いに対し、「締め切りに追われてヒィヒィ言いながら書いた」と答えたらしい(笑)

一方、宮崎駿監督はそんな『火垂るの墓』をどのように評価しているのでしょうか?調べてみたら、あるインタビューで以下のように答えていました。

「『火垂るの墓』に対しては強烈な批判があります。あれはウソだと思います。まず、幽霊は死んだ時の姿で出てくると思いますから、ガリガリに痩せておなかが減った状態で出てくるはずです。それから、巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしない。それは戦争の本質をごまかしている。


それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。……それは高畑勲がわかっていても、野坂昭如がウソをついているからしょうがないけれども。戦争というのは、そういうかたちで出てくるものだと僕は思いますけどね。


だから、弾が当たって死ぬのもいるけれど、結局死ぬのは貧乏人が死ぬんですよ。巡洋艦の艦長の息子は死なない。それを僕は許せないんですよ。日本における戦争の具体的なことをあいまいなまま、あの巨大な間違いの時期をすべて悔い改めようということでは、いっこうに戦争に対するリアリズムが芽生えないと僕は思うんです」(「ナウシカ解読-ユートピアの臨界」より)

う〜ん、結構厳しい意見ですねえ。熱烈な”軍事オタク”で知られる宮崎監督は、兵器だけでなく戦時中の社会情勢や政治・経済、人間のモラルに関する事柄にまでリアリズムを求めていたようです。ただ、宮崎監督は「戦争に対するリアリズムが芽生えない」と批判しつつ、同時に「野坂昭如がウソをついているからしょうがない」と高畑監督を擁護する感情も覗かせていました。なぜなら、もともと宮崎監督は『火垂るの墓』の制作中から高畑監督の事が気になって仕方がなかったからです。

その証拠に、『火垂るの墓』のスケジュールが遅れていることを知った宮崎さんは、向こうの制作スタッフをわざわざ呼んで「今、どんな感じだ?」と常に進捗状況をチェックしていたらしいのですよ(『となりのトトロ』の制作で忙しいはずなのにw)。しかも、家に帰ってからも毎日『火垂るの墓』の話ばかりするので、とうとう奥さんから「あなたは会社で何をやってるの?」と怒られたそうです(笑)。

というわけで、『アルプスの少女ハイジ』から連綿と築き上げてきた高畑勲のリアリティ溢れる演出の、まさに“頂点を極めた”と言っても過言ではない『火垂るの墓』。個人的には「アニメを観て、何でこんなに辛い思いをしなきゃならんのか?」という気もしますが、とにかく色んな意味で凄まじい映画であることは間違いないでしょう。観たことがない人は必見ですよ(^.^)

余談ですが、『火垂るの墓』にはもう一つこんなエピソードがありまして。以前、映画監督の黒澤明と対談する機会があって、その後、黒澤監督から宮崎駿に「あなたの映画を観た」という手紙が届いたんですね。宮崎さんは大喜びで手紙を読みました。するとそこには、「『となりのトトロ』も良かった。『魔女の宅急便』も良かった。『ラピュタ』も本当に面白い。『ナウシカ』も更に良かった。しかし一番心に残ったのは『火垂るの墓』である」と書いてあって、宮崎さんはリアルにヘコんだそうです(笑)。


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