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『マン・オブ・スティール』ネタバレ映画感想/評価


■あらすじ『地球から遥か遠く離れたクリプトン星で生まれたその赤ん坊は、惑星の滅亡を悟った父に最後の希望を託され、地球へと送られた。地球にたどり着いた彼は、ジョナサンとマーサの夫婦に拾われ、クラーク・ケントとして育てられる。次第に超人的な能力に目覚めていく少年時代、養父からはその能力を使うことを固く禁じられていた。周囲との違いに孤独と葛藤を抱えながら青年へと成長したクラークは、やがて自分探しの旅に出て、自らの使命を確信する。そんなある日、クリプトン星の生き残り、ゾッド将軍がクラークの存在に気づき、彼を追って地球へと襲来。果たしてスーパーマンの運命は?DCコミックスが誇る最強のスーパー・ヒーロー“スーパーマン”を、「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン製作・原案、「300 <スリーハンドレッド>」「ウォッチメン」のザック・スナイダー監督で装いも新たに再起動させたSFアクション超大作!』



大ヒット公開中の『マン・オブ・スティール』を観て来ました。僕は、最初に「ザック・スナイダーがスーパーマンを撮る」と聞いた時、「どうせまた、アメコミ風味が全開な映画になるんだろうな」と思ってたんですよ。

スナイダー監督といえば『300』にしても『ウォッチメン』にしても、グリーンバックにCGを多用したコッテコテのビジュアルが特徴的で、特に日本のアニメが大好物な”オタク野郎”として有名ですからね(笑)。

しかも5作目に撮ったSFアクション映画『エンジェル・ウォーズ』は、日本のサブカルチャーの影響をモロに受け、「セーラー服の女子高生が日本刀を振り回しながらゾンビをぶっ殺す」という、オタク以外には理解不可能な凄まじい内容に全米で大コケ(笑)。

それでも本人は「やりたいことをやり切った」と実に清々しい心境だったらしいので、ある意味ギレルモ・デル・トロと双璧を成すほどのオタク監督と言えるでしょう。

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ザック・スナイダー監督のオタク趣味が炸裂した驚異のセーラー服チャンバラアクションムービー!

そんなスナイダー監督がスーパーマンを撮るとなれば、「さぞかしアニメにインスパイアされまくったマニアックな映画になってるんだろう」と、そう思ってました。

しかし、実際は意外と人間ドラマがしっかり描かれ、「正義の味方が悪い奴らをやっつけてめでたしめでたし」という単純明快なアクション映画じゃなかったのです。「なるほど、ノーランとスナイダーがコンビを組んだら、スーパーマンもこんなに重厚な話になるのか」と驚きましたよ。

元々、『スーパーマン』は数あるアメコミ・ヒーローの中でも唯一”明るい”印象のキャラクターとして知られています。『スパイダーマン』や『バットマン』が主に”夜の街”を舞台として活躍しているのに対し、『スーパーマン』は真昼の大空を高速で飛び回る、というイメージが強い。

これは、スーパーマンのエネルギー源が”太陽の光”であることも関係していると思いますが、総じて「スーパーマン=明るく健全なヒーロー」というイメージがこれまでの一般的な認識でした。

しかし、『マン・オブ・スティール』のスーパーマンは真面目で暗い。子供の頃から「自分は他の人とは違うんだ」ということを自覚し、どう生きればいいのかを思い悩む姿が描かれます。そして、学校を卒業すると「俺はいったい何者なのか?」という”出生にまつわる真実”を解き明かすため、文字通り”自分探しの旅”に出るわけですよ。

その途中で、遠洋漁業の漁船に乗り込んでマグロを釣ったり、飲食店のウエイターをやったりしながら、徐々に出生の秘密に迫っていくと。まあ、リチャード・ドナー版でも自分のアイデンティティーを追求するシーンは描かれているんですが、スーパーマンヒッチハイクやバイトをしている場面まで見せたのは、やはりクリストファー・ノーランの趣向でしょうね。

そして今回、スーパーマンをリアルな方向へアップデートするため、いくつかの設定が変更されています。一番目立つのは「例の赤いパンツを履いてない」ってことでしょう。元々、スーパーマンは青の全身タイツを着ているので、更にその上にパンツを履くのはおかしいわけです。この問題は以前からファンの間でも指摘されていましたが、”お約束”ということでずっと今までスルーされてきました。

これに異を唱えたのが”リアル志向”のクリストファー・ノーランです。「タイツの上にパンツを履くなんておかしいだろ!」と非常にストレートでごもっともな意見をぶつけたらしい(笑)。この指摘を受けてスナイダー監督は、「タイツの上にパンツを履く行為の起源は何だろう?」と様々な資料を徹底的に分析したそうです(真面目か!)。

すると、「ビクトリア王朝時代のサーカスの屈強な男は、肌を見せることが許されなかったから、肌色のタイツの上にパンツを履いて、裸のような演出をしていた。それが進化していくうちに、タイツに色や柄がついていったらしい」という考えに至りました。

そして「スーパーマンの衣装を決める初期段階で、サーカスの屈強な男がインスピレーションになったんだと思う。だから今までずっとタイツの上にパンツを履いたスーパーマンだったんだ。しかし僕らはそろそろビクトリア王朝の起源から前進して、もっとモダンな衣装にするべきじゃないかと思った」として、今回のスーパーマンは初めてパンツを脱ぐことになったそうのです。確かにこっちの方が理にかなってるんだけど、見慣れないスタイルに少々違和感が…(^_^;)

さらに、変更点はこれだけではありません。スーパーマンの胸に燦然と輝く「S」のマーク。もちろんこれはSupermanの「S(エス)」なんですが、クリストファー・ノーランはこれにも異を唱えました。「どうしてクリプトン星人がアルファベットを使ってるんだ?」と。

確かに、当然の疑問ですね(笑)。そこで、新解釈として採用されたのが「あれはSの文字に似ているが文字ではなく、クリプトン星で”希望”を表わす図形なのだ」という設定です。なるほど!って割とどうでもいい設定ですけど(笑)。

”製作者のこだわり”という意味では、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ/エピソード4』でアルファベットの表記を使っていたのを、『特別篇』で全部”宇宙文字”に修正した行為に通じる物があるのかもしれません。が、その反面「『スーパーマン』のような世界観にそこまでリアリティを追求しても意味ないんじゃ…?」とも思ってしまうわけで。

実際、今回のスーパーマンは戦闘シーンが驚くほど派手でリアルなんですけど、「超人同士のバトルを真面目に映像化したら被害が甚大すぎてシャレにならない」ということが良く分かりました。もう、9.11レベルの大惨事が20個ぐらいまとめて襲ってくる感じです。主要都市はほぼ壊滅状態で、おそらく死傷者が数万人単位で発生しているはずですが、その事実には特に触れることなく完全スルー。これって何かおかしくない?

そりゃ、「リアルに被害の状況を描いたら悲惨な話になりすぎる」ってのは分かりますよ。でも、スーパーマンの設定とかキャラクターの背景ばかりをリアルに掘り下げて、その他のことは見て見ぬふりをするという、中途半端な対応にはイマイチ納得できないんですよねえ。

一応、スーパーマンはゾッド将軍の「クリプトン星人再生計画」から地球を守るために戦っているはずです。にもかかわらず、(やむを得ない事情とは言え)片っ端からビルをぶっ壊しておきながら、「いかん!これでは地球人が大勢死んでしまう!」などと躊躇する様子すら見せないのは、”正義のヒーロー”としてあるまじき態度ではないでしょうか?

実際、リチャード・レスター監督の『冒険篇』では、メトロポリスを破壊しまくるゾッド将軍を見て、「ここで戦うと街の人たちが危険だ」と冷静に判断し、犠牲者が出ないようにわざわざ北極まで移動して戦っていたのですから。

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クリストファー・リーヴ主演のスーパーマンもなかなか

まあ、本作にも一応ヘリから落ちた一人の兵士を救出するシーンがあるんですけど、助けた人数よりも亡くなった人数の方が圧倒的に多いでしょう。子供時代には水没したスクールバスを引っ張り上げたり、大人になってからは油田で倒壊する鉄骨を支えたり、散々「僕は人間を助けたいんだ!」とアピールしておきながら、いざ大惨事が起こったら人間なんぞには目もくれずに、ひたすら街を破壊しまくるスーパーマン。う〜ん、やっぱりおかしいでしょ?

これなら、「地球人を助けられなかったことに心を痛め、光の速さで地球の周りを回って時間を巻き戻し、死んだ人の命を救う」というムチャクチャなストーリーを平然と映像化した一作目(リチャード・ドナー監督)の方が、まだヒーロー映画として正しいような気がします。要するに『マン・オブ・スティール』のスーパーマンは危険すぎるんですよ。

また、『冒険篇』におけるゾッド将軍やその部下たちは主人公に敵対する”純粋な悪党”として描かれ(テレンス・スタンプの目が怖いw)、徹底して「スーパーマンを殺せ!」、「地球を支配しろ!」という姿勢を貫き、それをスーパーマンがやっつけることによってカタルシスを得られるという、非常に分かりやすい勧善懲悪なストーリー構造になっていました(まあ典型的なヒーロー映画ですね)。

しかし、『マン・オブ・スティール』のゾッド将軍には「クリプトン星人の復活」という使命があり、独自の理念や大義に従って行動しているのです。そして、彼の部下たちもロイス・レインを捕えた際、「宇宙船の中の大気成分は地球人には有害だからこれを付けろ」と言ってわざわざ酸素マスクを貸してくれるなど、ちょっと親切な一面も覗かせていました(前作のステレオタイプな悪人に比べて、キャラの厚みが増している)。

これを見ると、「もしかしたら話し合いで解決できる余地があったのでは?」と思えてなりません。つまり、敵側のキャラクターに”人間らしさ”を加えたことで、「スーパーマンにもう少しマシな交渉能力があれば、無駄な戦闘を回避できたかもしれない」という可能性の方が強くなってしまったのですよ。

たしかに、登場人物の背景を深く掘り下げ、単純な”善と悪の二元論”に止まらず、より重厚な人間ドラマを描き出した点は素晴らしいと思います。でも、そのことでストーリーが面白くなったかと言えばそんな風には見えないし、肝心の”地球人側のリアクション”をほとんど描いていないのは、やはり中途半端と言わざるを得ないでしょう。

あんな大規模破壊活動が行われたら、「我々はクリプトン星人同士の争いに巻き込まれたんだ!完全にスーパーマンが悪い!」と世界中で暴動が起きても不思議じゃないし、そうなるとクラーク・ケントは地球に住めなくなってしまいます(思い切り正体がバレてるんだから)。呑気に新聞屋に就職してる場合じゃないよ!

あと、世間で評価の高い戦闘シーンに関しても(映像表現的には見事ですが)、”強さのインフレ”が高まり過ぎて逆に白けてしまうというか、上記の根本的な問題を内包したままでは単なる茶番劇にしか見えません。いかつい男二人が殴ったり蹴ったり時々目からビームを出したりするだけで、アクションに戦略性が無いのも途中で飽きてくる要因でしょうねえ(もうちょっと頭のいい行動を見せて欲しい)。

一部では「ドラゴンボールの実写版みたいだ!」と絶賛している人もいるみたいですけど、『ドラゴンボール』の方が戦い方に工夫があって遥かに面白いし、そもそも「『ドラゴンボール』に似ている」という指摘自体が間違っています。ザック・スナイダー監督によると、あれは鉄腕バーディーから着想を得ているんだそうで。以下、監督のインタビュー記事より抜粋 ↓

スーパーマンが地球にやって来たクリプトン星人と繰り広げる市街戦の様子については「『鉄腕バーディー』という漫画があるんだけど、主人公の女の子が怪力を持っているという設定なんだ。スーパーマンの市街戦は、漫画の中で描かれている戦いからインスパイアされたものなんだよ」と日本の漫画から着想を得たことを明かした。


鉄腕バーディー」は、1985年にオリジナル版が連載された、ゆうきまさみによるSF漫画作品。「『テツワン』というと、みんながアトム? って聞くんだけど、僕はこっちにインスパイアされたんだよ」と話したスナイダー監督は「めちゃくちゃ面白くて、一話丸ごとアイデアの基にしたくらいだった」と絶賛している。(「シネマトゥデイ」より)

で、戦闘シーンの元ネタがこちら。こんなアニメまでチェックしてるとは、やはりザック・スナイダー監督は筋金入りのオタクですなw↓

というわけで、色々腑に落ちない部分が多かった『マン・オブ・スティール』ですが、別に僕は「スーパーマンの設定を変えるなんてけしからん!」などと細かい部分に文句を言うつもりもありません。ただ、クリストファー・ノーランが推し進めている「アメコミ・ヒーローが実在したらどうなるか?」という視点からドラマを描く方法論も、そろそろ限界なんじゃないかな〜と感じた次第で。

バットマンのように「普通の人間が武装して悪をやっつける」というヒーローの場合、リアリティの精度を高めることで世界観に説得力が加わり、『ダークナイト』のような傑作が生まれることも有り得るでしょう。しかし、スーパーマンみたいな「赤いマントを身に付けた宇宙人がジャンボジェット機素手でキャッチする」という、荒唐無稽な世界観でいくら理屈を並べ立てても限度があります。

そういう意味では、リチャード・ドナーの『スーパーマン』やリチャード・レスターの『冒険篇』、そしてブライアン・シンガーの『リターンズ』などで描かれていた世界観の方が、”リアリティのバランス”という点において整合性が取れていたんじゃないかと思いました。

さて、批判ばかり書いてもアレなので一応良かった点も書いておくと、キャストが豪華です。ケヴィン・コスナーダイアン・レインローレンス・フィッシュバーンラッセル・クロウエイミー・アダムスなど、大物俳優がズラリと並ぶ様は圧巻でした。

特にケヴィン・コスナーラッセル・クロウの2大オスカー俳優が見せる熱演は「さすが!」と思わせる貫禄に満ち溢れ、荒唐無稽な世界に説得力を与えています。

ただ、レックス・ルーサーのような”地球人側の悪役”が出て来ないせいでストーリーに起伏が無くなり、全体的にユーモアが減っている点は残念。もう少し面白味のあるキャラを出して欲しかったなと。

まあ、続編にはレックス・ルーサーが登場するみたいなので期待して待つことにしましょう。でも次回はバットマンと共演するんだよねえ。あのリアルな世界観で、更にバットマンまで出てきたらいったいどうなってしまうんだろう?う〜ん……

ちなみに、二大ヒーローの共演を見越してか、本作にはバットマン=ブルース・ウェインの存在をにおわせる要素があちこちに見られます。例えば、衛星軌道でゾッド将軍とスーパーマンが戦う場面では、ブルース・ウェインが社長を務める”ウェイン・エンタープライズ社”のロゴマーク「W」が描かれた人工衛星が登場(派手にぶっ壊されますけどw)。

また、ニューヨークのビル内における戦闘シーンでは、壁に「Keep calm and call Batman」(落ち着いて、バットマンを呼べ!)というメッセージに入りのポスターが貼られていました。さらに、レックス・ルーサーが興した企業「レックス・コープ」のロゴマークが随所に登場するなど、早くも二作目への伏線をバンバン見せまくっているのですよ。続編『ジャスティスの誕生』が果たしてどんな映画になるのか、今から楽しみです(^.^)


※追記

とまあ、『マン・オブ・スティール』を観た当時はこういう感想だったんですが、その後、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』の予告編が公開されたので見てみたら、「ちくしょう!アイツのせいで街がメチャクチャじゃねえか!」とスーパーマンを睨み付けるバットマンベン・アフレック)の姿が映ってて「なるほど!」と思いました(笑)。

ザック・スナイダー監督は、次回作でスーパーマンバットマンを戦わせるために、わざとスーパーマンが街を破壊するシーンを入れたのかと。つまり、『マン・オブ・スティール』を観て「スーパーマンって危ないやつだな〜」と感じたのは、ある意味正しい反応だったわけですね。こりゃあ『ジャスティスの誕生』も凄そうだ(^_^)


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