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映画『チャッピー』のラストってどうなの?/ネタバレ感想/評価


■あらすじ『西暦2016年。舞台は南アフリカの犯罪多発都市、ヨハネスブルグ。軍事企業テトラバール社で警察用ロボットを開発しているディオン(デーヴ・パテール)は世界初となるAI搭載の戦闘用ロボットを上司(シガニー・ウィーバー)に提案するが、却下されてしまう。そこで、会社に内緒で独自にロボットを製作しようとしたところ、ギャングに誘拐されてしまった。ギャングたちは、“チャッピー”と名付けたそのロボットに強盗を手伝わせようと計画。そんな中、ディオンの同僚で彼に激しい敵意を抱くヴィンセント(ヒュー・ジャックマン)がチャッピーの存在に気づき、恐るべき作戦を実行に移す…。そして訪れる衝撃のラスト!「第9地区」「エリジウム」のニール・ブロムカンプ監督が、感情を持ったロボット“チャッピー”の姿を描く近未来ハード・バイオレンスSFアクション超大作!』


※本日の記事は全面的にネタバレしているので未見の人はご注意ください。


2015年に観た映画のレビュー(まだ書いてない感想)がかなり溜まっているので、今年から少しずつ書いていこうと思う(なかなか時間が取れないのがアレだが…)。まず本日は、ニール・ブロムカンプ監督のSFアクション『チャッピー』について。

思い起こしてみると、昨年の5月に日本で公開されたSF映画『チャッピー』は、公開前から騒動に巻き込まれた不運な作品だった。まず、4月にソニー・ピクチャーズが公式ツイッター「監督の賛同を得た上で編集を加えました」と発表。オリジナル版から残酷なシーンをカットしたのである。

これに対して熱心なファンがニール・ブロムカンプ監督に「なぜカットを許可したんですか?」と直接問い合わせたところ、「そんな話は聞いてない」との返答が返って来たため事態は急変!「どういうことだ?」とソニー・ピクチャーズに問い合わせが殺到した。

しかし結局、ソニー側から明確な説明が無いまま『チャッピー』はカットされたバージョンで公開され、ネット上では炎上しまくり。興行成績もパッとせず、初登場で8位となった後は静かにランキングから消えていった。一方、沈黙を貫いていたソニーは、劇場公開が終了してDVD発売のタイミングになってからようやく以下のコメントを発表。

なんと「監督の賛同を得たというのはウソでした」と告白したのである。当然、「なんでそんなウソをついたんだよ!」と多数の苦情が寄せられたものの、ソニー側から理由が明かされることは一切なかった。これが「チャッピー編集問題」の顛末である。

このような経緯だけを見ると「映画会社のせいで正当な評価を受けることができなかった不幸な映画」のような気がするんだけど、実はノーカットで公開されたアメリカでも本作の評価は決して高くない。公開初週末の興行収入は1330万ドルで、これは『第9地区』の3735万ドルや『エリジウム』の2980万ドルよりも低い成績だったのだ。

さらに、世界最大の映画批評サイト「ロッテントマト」における評価も31%と低調で、観客の評判も「期待はずれだった」などの声が多く、あまり好評ではなかったらしい。というわけで映画『チャッピー』は面白いのか?それとも面白くないのか?今回はその辺をじっくり検証してみたい。

さて、「ひょんなことからロボットに自我が芽生えて…」というネタは昔からSF映画では良く使われる定番の設定で、正直あまり新鮮味はないだろう(『アイ,ロボット』とか『A.I.』とか)。ただ、こういう話が好きな人は十分楽しめると思うし、娯楽映画としても普通に面白かった。

なお個人的に一番好きなのはジョン・バダム監督の『ショート・サーキット』で、”ナンバー5”が主人公を助けるために車から飛び出すシーンは今観ても泣きそうになるぐらい好き。

本作もそんな「ロボットに自我が芽生えて…」系の映画であり、しかも「警察にロボットを導入して犯罪者を撲滅」「そのロボットに敵対心を抱くライバルが巨大ロボを開発して対立する」という構図が『ロボコップ』を彷彿させるなど、非常に既視感漂う作風はいかにもニール・ブロムカンプ監督っぽい。

でもこの監督の場合、「他の作品に似ている」という要素が決してマイナスにならず、逆に映画を魅力的に見せている点が凄いのだ。それは多分、過去の映画に対するリスペクトや「自分の好きなもの」への憧れの気持ちが全編に溢れているからだと思う。

事実、ニール・ブロムカンプ監督のインタビュー記事を読むと、「学生の頃に『ロボコップ』や『スターシップ・トゥルーパーズ』を観て感激し、映画監督を目指すようになりました」とコメントしている。映画を観るとそれが丸わかりで、自分の嗜好を全く隠そうとしていないところがむしろ潔い。

ロボコップ (字幕版)
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そんな”ポール・バーホーベン大好き監督”が撮った映画『チャッピー』は、南アフリカヨハネスブルグを舞台とし、天才的な技術者が開発したプログラムによって驚異的な人工知能に進化したロボット:チャッピーを中心に、そこで繰り広げられる様々な人間模様を描いたSFドラマである。

予告編からはもう少しハートフルな内容を予想していたんだけど、実際に観てみるとバイオレンスな銃撃戦あり、派手なロボットバトルありの「全くいつも通りのニール・ブロムカンプ監督映画」だったので一安心(笑)。相変わらず、ダメな人間ばかりが暴れ回っているのがいい感じだ。

中でもヒュー・ジャックマン演じるヴィンセント・ムーアという悪役が凄すぎる!最近の映画では、悪役として出てきても途中から改心して「俺が間違っていたよ。すまなかった…」みたいな展開になるパターンも多いのに、こいつは最初から最後まで完全な悪党なのだ。

リアル・スティール』で酔っ払いオヤジを演じたり、ダメなキャラも演じているが、そういう役でも最終的には「いい人」になったりしているので、ここまで本格的なクズ野郎を演じるのはもしかすると初めてかもしれない(あまりにもクズすぎて全く深みがないのが少々アレだけどw)。

そして、チャッピーに色んな悪いことを教えるイカレたカップルを演じたニンジャとヨーランディ(役名が一緒)も良かった。この2人は「ダイ・アントワード」というヒップホップ・グループのメンバーで役者ではない。にもかかわらず、実にいい演技でドラマを引っ張っているのが素晴らしい。キャラクターも非常に魅力的だ。

Tension
Die Antwoord
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逆に、ディオンの上司のミシェル・ブラッドリーはキャラにインパクトが感じられず、せっかくシガニー・ウィーバーが演じているのにその個性が活かされてなくて、「ちょっともったいない」と感じた。『エリジウム』のジョディ・フォスターもそうなんだけど、ニール・ブロムカンプ監督って”女性上司”の描き方が薄っぺらいというか、記号的なんだよね(思い入れが無いのだろうか?)。

また、チャッピーを生み出した技術者のディオンも、人工知能の研究に没頭するあまり他のことには一切関心を示さない堅物なキャラとして描かれ、人間的な魅力に乏しい。結局、チャッピー(のAIプログラム)を守ることしか考えない自己中なヤツに見えてしまい、感情移入が妨げられてしまった(もう少し共感できるようなエピソードを入れた方が良かったのでは?)。

あと、後半になるにしたがって話の作りがどんどん雑になっていくのも気になったポイントである。はっきり言って”リアリティー”という部分に関してはかなりいい加減で、特に最後の展開はムチャクチャすぎて笑ってしまう程なんだけど、百歩譲ってそういう部分に目をつぶったとしても、やはりシナリオの杜撰さは看過できないレベルに達していると言わざるを得ない。以下、具体的に見てみよう。


●バッテリーの問題
この物語のキモは、ロボットのチャッピーに”寿命”が設定されていることだ。敵の攻撃で破損したボディを、ディオンが勝手に持ち出して改造したもんだから、バッテリーを本体から取り出すことができない。よって、あと5日でバッテリーが切れてチャッピーは死んでしまう。その前に何とかしなければ…というドラマ構成になっている。

しかし常識的に考えた場合、たとえ内蔵バッテリーが使えなくなっても、外部から電源を供給する方法はいくらでもありそうだし、バッテリーが切れる前に重要部分(おそらく頭部)を別の機体に移し替えれば済む話ではないだろうか?

もちろん、本作には他にもツッコミどころは山ほどある。「人間用の脳波検出ヘルメットをチャッピーが頭にかぶるシーン」なんて、SF映画的な見地から見ればもはやギャグとしか思えないし(笑)。ただ、「バッテリーの問題」はチャッピーが行動を起こすための重要なトリガーであり、これがあるからドラマが生まれているのだ。そこの根拠が弱いってのは、いくらなんでも作劇的にマズいんじゃないかなあ。

要するに、「バッテリー切れ」を物語のキモとして扱っている割には、「そんなに重大な問題とは思えない」という点が、イマイチこの映画に乗り切れなかった要因のような気がする。「何とかなるんじゃねーの?」と思った時点で緊張感が失われてしまうからだ。

しかも「ああっ!バッテリーがもう少しで切れてしまう!どうなるんだ!?」みたいにハラハラドキドキする場面も無かったし、最終的にはバッテリー問題自体がどうでもよくなるという酷い有様なのだ。その辺が残念だったなあ。


●なぜ報告しない?
ヴィンセント・ムーア(ヒュー・ジャックマン)の仕掛けたウイルスによって警官ロボがダウンした後、ディオンは彼が犯人であることを突き止める。しかし、「何てことをしたんだ!」と叫んだ後、武器庫から武器を盗んでチャッピーの所へ届けるという謎の行動に出るのだ。いや、まず上司に報告するのが先だろう?てゆーか、お前が開発したロボットのせいで街中が大混乱に陥っているのに、チャッピーを助ける方を優先するのかよ?なんて自分勝手なヤツなんだ!


●演出が大袈裟すぎる
ヴィンセントが巨大ロボット:ムースを遠隔操作してチャッピーたちを攻撃する場面からは、突然演出が派手になる。バックにはハンス・ジマーの壮大な音楽が鳴り響き、M134ミニガンの銃弾や対戦車ロケットランチャーがドッカンドッカンと爆裂する中、スローモーションで登場するチャッピーの雄姿!かっこいいというよりも、「……それはひょっとしてギャグでやっているのか?」と思うほど大袈裟な演出に呆れ果てるしかなかった(いや、もしかしたら本当にギャグなのかもしれないけどw)。

●病院へ連れて行け
ディオンが撃たれて瀕死の重傷を負った時、チャッピーは何の躊躇もなく「大丈夫!意識を移せば助かるよ!」と言い放つ。すなわち、彼を自分たちと同じ”機械”と考えているのだが、さっさと病院に運んで適切な治療を受けた方が助かる確率は高かったはずだ。にもかかわらず必死で研究所へ向かうチャッピー(もはや単なるオッチョコチョイにしか見えない)。ディオンも「病院へ連れて行ってくれ!」と一言言えばよかったのに(苦笑)。


●人間がロボットに!
この映画の最大の衝撃(笑撃?)シーンはクライマックスに訪れる。チャッピーは死にかけているディオンの頭にヘッドギアをかぶせ、ノートパソコン(SONYのバイオ)を経由して彼の意識をロボットへ転送。するとビックリ!ディオンがロボットになって甦った!

えええええ!?そーゆーオチなの?でも、この映画って「世界初の感情を持ったロボットが凄い」という話なのに、「人間の意識をデータ化してロボットに転送する」っていう何十倍も凄いことをアッサリやったら、その前提が台無しじゃん!もう、全然チャッピーが凄そうに見えないよ!

そもそもディオンはこうなることを望んでいたのだろうか?これから一生ロボットとして生きていかなきゃならないのに、生活はどーすんの?普通に医者の治療を受けていれば助かったかもしれない状況で、半ば強制的にロボットにさせられたんだよ?呑気に「ありがとう」とか言ってる場合じゃないと思うんだけど。

はっきり言って、この辺は「脚本のミス」としか言いようがない。こういう展開にするなら、「彼を助けるためにはこれしか方法が無かった」と観客に思わせなければならないハズだ。ところが、どう考えても「病院に連れて行った方が助かっていたのでは?」という風に見えてしまう。これでは観ている人も納得できないだろう。

なので、ラストに女の人(ヨーランディ)が生き返る場面を見ても全然感動できないばかりか、「あんな普通に市販されてるUSBメモリーに人間の意識が全部入っちゃうのか…」と”命の重さ”がもの凄く軽〜く思えてしまった。本来は「死の概念を超越した世紀の大発明」のハズなのに、あのチンピラがUSBメモリーを持っているだけで全然凄く見えないのが逆に凄い(笑)。

しかも良く考えたら、ヨーランディは生きている状態の時に自分の意識をUSBメモリーに保存したんだよね?ということは、「生命をコピーできる」ってことじゃないの?そんで、そのデータをネットからダウンロードしてハードディスクにインストールして工場で組み立てられたロボットにセットすれば元通りに生き返る?う〜ん、「魂のバックアップがあれば何回死んでも大丈夫!」みたいな、恐ろしくゲーム的な感覚だよなあ(^_^;)

というわけで、個人的にニール・ブロムカンプ監督の作品は好きなんだけど、『第9地区』と比べて明らかに面白さのレベルが落ちているというか、ヘタすると「評判の良くなかった『エリジウム』よりも下かもしれない」と感じてしまった。なぜなら、ちっとも感動できないからだ。

第9地区』や『エリジウム』の良さっていうのは、もちろん”独特の世界観”とか”バイオレンス描写”とか”SF映画的なビジュアル”とか色々あるんだけど、最大のポイントは「主人公の生き様をしっかりと描いている点」だと思う。

過去の2作品を振り返ってみると、主人公は「自分のことしか考えていない嫌なヤツ」として最初は描かれているものの、「予想外のトラブルに巻き込まれて右往左往するうちに、心境に変化が芽生え始め、最後は自分以外の誰かを助けるために重要な決断をする」という話になっていた。

つまり、「自分さえ良ければそれでいいんだ!」みたいに自己中心的だった男が、「自分はどうなってもかまわないから、この人を救いたい!」と人間的な成長を見せる熱いドラマこそが本質であり、そこが感動的で泣けるのだ。しかし、『チャッピー』ではチャッピー自身にそこまで感動的な変化が見られない。

強いて挙げるなら、ニンジャとヨーランディの方だろう。最初、2人のチンピラは日々犯罪を繰り返す「人間のクズ」として描かれていたが、チャッピーと出会ったことで少しずつ良心(?)のようなものが芽生え、最後は「割といいヤツ」になっている。

特に終盤、ヴィンセントに襲われているチャッピーたちを逃がすために、ニンジャが自らの危険を顧みず「かかって来いやー!」と巨大ロボの前に立ちふさがるシーンは、彼の変化を表わす最大の見せ場であり、確かにちょっと感動的な場面かもしれない(ヨーランディが死ぬシーンも)。

しかし、それに対してチャッピー本人が自分を犠牲にして他の誰かを助けようとする場面があったか?と言われると…残念ながら思い当たらないのである。いや、確かに終盤でチャッピーはディオンを助けるためにテスト用ロボットのボディを差し出しているけれど、何度も言ってるように「そもそも病院へ連れて行くべきでは?」という疑念が拭えない以上、ほとんど共感できないのだ。

むしろ、「チャッピーが無理矢理ディオンをロボットにしようと画策している」みたいに見えてしまうし、ディオンの「チャッピー、お前が助かれ」というセリフも、「お前がそのボディを使え。僕は病院へ行くから」という風に聞こえてしまう。これじゃ感動なんてできないよ(苦笑)。

つまり、本作におけるチャッピーは単に見た目や言動が可愛いだけで、娯楽映画の中心キャラクターとして感動的に盛り上がるようなエピソードを付加されていない…というより、そもそもニール・ブロムカンプ監督はそういうエモーショナルな要素を意図していなかったのだろう。

さらにラストに至っては、ディオンもヨーランディも(本人の同意を得ないまま)チャッピーの独断によってロボットの体へ意識を移し替えられている。これ、一見ハッピーエンドのように見えるけど、解釈によってはバッドエンドにも見えるんだよねえ。もしかしてチャッピーって、人間をロボットにすることが本当の目的だったんじゃ…(『黒い羊』の絵本に準えながら人間の意識を淡々と機械にインストールしているチャッピーが怖い!)。

おそらく多くの観客があのラストを観て「え?それでいいの?」と思ったはずだが、中には「倫理観を全力でブチ壊すあのオチが堪らん!」と絶賛している人もいるようなので、シニカルでブラックな結末も”お好み次第”ということなのかも。まあ、敢えてこういうラストへ着地させた点が本作の秀逸なところであり、ある意味「実にニール・ブロムカンプ監督らしい」と言えるのかもしれないが。


チャッピー CHAPPIE (字幕版)

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