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パトレイバー嫌いな押井守が、なぜ実写版を作ったのか?


5月1日から全国の劇場でTHE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦』が上映される。この作品は、1980年代に漫画・OVA・TVアニメ・劇場アニメなど、様々なメディアで制作された近未来ロボット活劇『機動警察パトレイバー』の実写映画版だ。

今から20年以上も前のアニメなので、知っている人は少ないかもしれないが、押井守監督が作った劇場版は非常に高く評価され、そのハイクオリティな内容は国内外の映画監督たちに多大な影響を与えたらしい。中でも、『タイタニック』や『アバター』を撮ったジェームズ・キャメロン監督は熱烈な押井守ファンとして知られており、『機動警察パトレイバー2 the Movie』を観て感激のあまり、気に入ったシーンを『トゥルー・ライズ』で引用したそうだ。

さらに、それだけでは我慢できなかったキャメロン監督は、『ヘルボーイ』や『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロ監督にも「『パトレイバー』は素晴らしいアニメだ!君も観ろ!」と熱心に薦めたという。その結果、『パトレイバー』を観たデル・トロ監督もキャメロンと同様に衝撃を受け、『パシフィック・リム』を作る際の参考にしたらしい。


という具合に、世界中の映画監督に影響を与えまくった『機動警察パトレイバー』が20数年の時を経て実写化され、昨年4月より短編映画として各エピソードを公開し、いよいよ満を持してその長編劇場版が登場するのだ。期待しないわけがない。

ただ、実写版といっても単純に漫画やアニメをそのまま実写化したのではなく、原作の舞台が1998年だったのに対し、実写版は2013年になっている。つまり、アニメ版の15年後の世界を描いているわけで、原作のキャラクター達は既に”世代交代”しており、ほとんど出て来ないのだ。

しかも、全く別のキャラになっているのではなく、「名前や性格などが微妙に元のキャラと似ている」という点がミソ。例えば、主人公の女性隊員は原作では「泉 野明(いずみ のあ)」、実写版では「泉野 明(いずみの あきら)」という具合に、読み方を変えているだけでほぼ同一人物なのである。

このような改変に対し、当然ながら原作ファンからは批判が殺到。でも、どうしてこうなったのだろう?その理由は、押井守監督がアニメ版のキャラクターを好きじゃなかったから。それどころか、はっきり「嫌いだった」と言い切っているのだ。

押井監督としては、一番最初のOVAの頃から本当は後藤隊長南雲しのぶを中心にストーリーを作りたかったようだが、ゆうきまさみやヘッドギアのメンバーから反対されて、それをずっと不満に思っていたらしい。以下、雑誌に掲載されたインタビューより抜粋してみる。

「アニメ版のキャラクターを主人公にして実写版を作るつもりは全くなかった。というより、もしそれを要求されていたらこの企画は受けなかったよ。何事も無かったかのように初代の話をやるというのは、映画的にあまりにも志が低すぎるし、実写で泉野明や篠原遊馬のドタバタを再現するだけで終わってしまう。『宇宙戦艦ヤマト』じゃないんだから、同じキャラクターでリメイクなんて有り得ない。


アニメ版の『パトレイバー』を面白いという人がいるけど、僕はそうは思っていなかった。野明なんて”ロボットフェチの女の子”だよ?それでどうやって性格を作っていくの?そういう不満だらけだった。というか、後藤(隊長)と(南雲)しのぶさんを除いてはほぼ全てのキャラクターが嫌いだった。だから『パト2』は彼ら(後藤と南雲)を主人公にして話を作ったぐらいでさ。


なぜ、他の連中が嫌いだったかというと、あまりにもアニメ的でわかりやす過ぎたから。僕はもっとアニメの初期設定から踏み出したかったし、複雑にしたかったけど、僕以外のメンバー(ヘッドギア)はそういうことに興味が無かったんだ。というか、そういうことが認められなかったんだよ。(中略)つまり、今回の実写版では、そういう不満を一気に発散させることが出来たんだ。だから本当にせいせいしてるよ(笑)」 (「TVブロス 2014年4月12日号」より)」

これを読めばわかる通り、押井監督はアニメ版のキャラクターを使って実写版を作るつもりは最初から無かったのである。おまけに、以前から「二足歩行の巨大ロボットなんて意味が無い!」と言い続け、パトレイバーそのものを否定していることも有名で、要するに”パトレイバー”というメカが嫌いだったのだ。以下、この件について発言したコメントより。

「だってね、もう25年以上前になるわけですけど、そもそもこのパトレイバーという作品のスタート地点は、“二足歩行の巨大ロボットが活躍するなんてあり得ない”っていうのを裏テーマみたいにしてたんだから。僕が携わってないところで、いつの間にか”パトレイバー大活躍!”みたいになってたけど、でも本当は最初からレイバーは“使えないもの”という前提で、事件現場に持っていくのも渋滞に引っかかって大変だし、現場でもリボルバーなんて役に立たないし…ってところから話を始めたんだよ。


だから今回の実写版は、本当の意味での原点回帰なんだよ。二足歩行の巨大ロボットなんて、それぐらい使えないものなんだ、誰がこんなもん作ったんだ!ってところから話を始めようぜっていう。だってロボットって本来無人であるべきなのに、人が乗ったら意味ないだろ!って(笑)。本当は顔も足も必要ないんだけどさ。でも日本人はデカいロボットに人が乗って戦うってのが好きだからね。そんなミステイクを警視庁が大まじめにやってしまった、というのが劇中の背景にある物語なんだよ。ここから始めないとリアリティは一切出てこないと思ったから。」 (「ニコニコニュース」より)

ということらしいが、ではなぜそんなに嫌いな『パトレイバー』を実写化しようと考えたのか?本当に『パトレイバー』に対して思い入れはないのだろうか?

「正直言って、『パトレイバー』に思い入れはない。ただ、『天使のたまご』を作ったあと、”わけのわからん映画を作る監督”というレッテルを貼られてしまい、完璧に干されてしまった時に救ってくれたという”恩義”はある。伊藤(和典)くんに誘われてヘッドギアに入り、『パト』を作り、商業監督として再浮上できたからね。他のヘッドギアの連中も同じだけど、押井家も『パト』で食ってきたと言っても過言じゃないんだよ。


要は、”愛憎”ってやつだよね。”愛”は食えたこと。”憎”は(ヘッドギアの)人間関係がもたらしたものと、最後に参加したため、いろんな設定で気に入らない部分が多かったということかなあ。でも、その”憎”があったからこそ、今回実写版をやろうという動機になったわけだから、良かったんじゃない?20年来の恨みを晴らした感じかな(笑)。


逆に、アニメ版に思い入れがあると、アニメ版を忠実に実写化しようなんて考えに陥る危険性が生じるだろうから。自分がそういう風だから(アニメ版に思い入れが無いから)、新しい『パトレイバー』が出来た、というのはあるよね」 (「TVブロス 2014年4月12日号」より)

う〜ん、「キャラが嫌い」とか「思い入れが無い」とか言ってる割には、パトレイバーを実写化することに対して結構こだわってるようにも見えるんだが…。じゃあ今回押井守監督が実写版『パトレイバー』で描こうとしたものは何だったのか?アニメ版と実写版との決定的な違いとは何だろう?これに関しては以下のようにコメントしている。

「アニメ版には”正義”というテーマがあったわけで、公務員が正義をテーマにすると公務員でなくなるんだと。旧劇場版でやったことは、そういう話だったわけです。今回は、三代目の隊員と二代目隊長にとってテーマは何だ?と。アニメ版との決定的な違いといえばそこですね。要するに、やること無いんだ、こいつら。良くも悪くも、出鱈目な先代があらゆることやっちゃって、自分達はそのポンコツの遺産を引き継いだだけ。これで何しろっていうの、というテーマの無い連中の話なんですよ」 (「キネマ旬報 2014年4月下旬号」より)

ちなみに、2007年に出版された「機動警察パトレイバークロニクル」という本のインタビューでは、「パトレイバーでやり残したこと」と題して以下のようにコメントしていた。

「試す意味もあって(アニメ版では)あらゆることをやったけど、パトレイバーという作品の中で一つだけやり残したことがあるとすれば、ロボット自体を描かなかったこと。それははっきり言えると思います。僕自身は、ロボットものをやってみたいという思いはずっとあるんですけどね。


あとはやっぱり”戦争”ですね。『パトレイバー2』で一度やって、それなりの答えは出したつもりだけど、僕の中ではまだ終わってない。『パト2』はクーデターだったけど、今度は”戦争”なんだと。だけど、世間一般で考えられてる戦争のイメージをいくら描いても無駄なんですよ。そうじゃなくて、どう映画として捉えていくか。”映画として”っていうのが大事なんです。


それに関しては自分が一番ふさわしい、他の誰でもない僕にしかできないはずだっていう意識もありますね。それだけ関わってきたつもりだから。湾岸戦争の20年以上前から、ずっとそのことを妄想し続けてきたといってもいい。僕以上のテクニシャンはいないんじゃないかっていう(笑)。『パトレイバー2』でやったことは、そのための習作になり得ているかなという気はしてます。


だから5年後か10年後か、アニメでやるか実写でやるかはわからないけど、いずれはやると思います。もしかしたら、それが最後のテーマになるんじゃないかな」 (「機動警察パトレイバークロニクル」より)

結局、押井守監督にとって『パトレイバー』という作品は、ある種の器(うつわ)だったんじゃないだろうか?当人にしてみれば、自分の好きなことを何でもブチ込んで、実験的に色んなことを試せて、なおかつ作品自体もヒットしたわけだから、こんなに美味しい話はない。

パトレイバー2』なんかはその最たるもので、「本来ならどこにも通らない企画だったが、パトレイバーという枠の中でやればいけるだろうという目論みがあった。だから伊藤和典と共謀して作った」と述べているぐらい確信犯的なアニメなのだ。

押井守曰く、「戦車にもヘリコプターにも散々乗ったし、船に乗ってロケハンもした。新橋駅の地下に潜ったし、防衛庁の地下壕にも入った。映画製作という大義名分を手に入れれば、どこにでも行けちゃうわけですよ。『パト2』ではそれを存分に堪能しました」とのこと。

つまり今回の実写版に関しても、「パトレイバーの看板を掲げれば、結構大きな予算が付くし、ある程度好き勝手に映画を作れるし、やってみたかったことも自由に試せるし、こりゃいいや♪」ってことなのだろう。”パトレイバー”と名乗りさえすれば、たとえパトレイバーが全く活躍しないような話でも許される。それがパトレイバーという器”の優位性なのではないだろうか。


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