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映画『ハート・ロッカー』ネタバレ感想/解説/意味/評価


■あらすじ『2004年、イラクバグダッド郊外。アメリカ軍の爆発物処理班に所属するウィリアム・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)は、仕掛けられた爆弾の解体、爆破の作業を進めていた。この危険極まりない任務を遂行するには、他の兵士とのチームワークが必要不可欠だったが、ジェームズは手順を無視してどんどん爆弾を処理していく。地獄の炎天下、処理班と姿なき爆弾魔との壮絶な死闘が今始まった―!各方面(主に町山智浩)で大論争を巻き起こした衝撃のラストに括目せよ!』


イラク戦争を題材にした映画は『告発のとき』、『勇者たちの戦場』、『リダクテッド』など、過去に色々と制作されたが、その内容を大雑把に言うなら、「アメリカが関わったイラク戦争は是か非か?」、その正当性を問うものであったように思う(しかもどちらかといえば批判的な内容が多い)。

一方、ハート・ロッカーとそれらの映画との違いは、「戦争を否定も肯定もしていない」という点だろう。

もちろん、映画はアメリカ側の視点から描かれているので完全に中立というわけではないものの、それでもイラク側を明確に”悪人”として描写しているシーンはほぼ皆無。

そもそも主人公たちの目に映る範囲の状況しか画面に映らないため、テロリストの姿自体が見えないのだ。これにより、ドラマの臨場感やリアリティが一層高まっている。

ちなみに、この映画の主人公が所属している”爆発物を処理する専門組織”は、第二次世界大戦中に初めて設立されたそうだ。1942年にドイツ軍がロンドンに時限爆弾を仕掛けた際、特別に訓練されたアメリカ兵がイギリス軍に加わり、一般的な道具を使って信管を外す前に、鉛筆で図解をしてから爆弾を処理したのが始まりだとか。

当然ながら、爆発物処理班(EOD:Explosive Ordnance Disposal)の仕事はあまりにも危険なため、他の軍人に比べて死亡率が5倍以上も高いらしい。さらに離別やパートナーとのトラブルも日常茶飯事で、EODとは「Every One Divorce(みんな離婚している)」の略だと言われるぐらい、離婚率もズバ抜けているそうだ(なお、タイトルの「ハート・ロッカー」とは、「苦痛の極限状態」や「棺桶」を意味するアメリカ軍のスラング)。

この物語は、そんな爆発物処理のエキスパート:ジェームズ二等軍曹の日常を通じて、常に死と隣り合わせの危険な業務を遂行する3人の兵士たちの姿を克明に映し出している。中でも僕が感心したのは、ハンディカメラを多用した臨場感溢れる画面構成と、爆発物を処理するシーンのリアリティだ。

古今東西、映画に出てくる爆弾処理のシーンと言えば、「時限爆弾のタイムリミットが迫る中、赤のコードと青のコード、どちらを切るか悩み焦る主人公」というのが定番のシチュエーションであった(古いかw)。しかしリアリズムに徹した本作には、そんなシーンは出てこない。とにかく、ただひたすらに主人公が爆発物を解体し、信管を見つけ、ワイヤーを切断するという一連の作業手順をじっくりと描写しているのだ。

この「いつ爆発するか分からない緊張感」が凄まじい!主人公の顔に限界まで接近する暑苦しいカメラワークと相まって、思わず息を止めて見入ってしまった。ただし、ビジュアル的には恐ろしく地味なので、派手さを好む観客には受けは悪いかもしれない。

また、爆弾処理の映画であるにもかかわらず、砂漠の真ん中で敵を狙撃する”スナイパー”の場面が出てくるのだが、この描写が実に見事!数百メートル離れた場所にいる敵を仕留めるために、何時間も同じ姿勢でスコープを覗き続ける狙撃兵の姿を、省略することなく淡々と描写している(これまたビジュアルが物凄く地味)。

でも、このリアリズム溢れる銃撃シーンが物語全体に揺ぎ無い説得力を与え、世のミリオタたちのハートを熱くさせるのだ。「リアリティがある」というのはつまりこういう事で、内容よりも軍事描写の的確さに目を奪われてしまうんだよねえ。

例えば、上記のスナイプシーンで銃火器が作動不良(ジャム)を起こす場面がある。弾倉(マガジン)をチェックすると負傷者の血がべっとりと付着していたことがジャムの原因と判明。そこですかさず、「唾で血を拭き取れ!」と指示を出す軍曹。そして弾倉から弾丸を取り出すと素早く薬室(チャンバー)に放り込み、ズドンと敵目掛けてぶっぱなす!

おそらくこの場面は、実際に戦争を体験した兵士に入念なリサーチを行い、それを脚本に反映させているのだろう。こうした緻密な描写の積み重ねが作品の世界観をより強固なものとし、観る者の心を捕えて放さないのである。

ちなみに、劇中に登場するバレットライフルというバカでかい銃は、本来は対戦車用として開発されたものだが、イラク戦争においては対人兵器として使用されていたらしい。あまりにも威力があり過ぎるために、こいつに銃撃された人間は体が木端微塵に吹き飛ばされ、バラバラになったそうだ(映画ではさすがにそんなスプラッターなシーンは無い)。

一方、ストーリーの方は結構あっさりしている。簡単に言えば、膠着したイラクに駐留している若い兵士達の疲弊した日常を印象深い戦闘プロットで切り貼りし、戦争と云うカオスに巻き込まれた当事者達の姿を、抑揚も無く淡々と描写するだけの作品だ。

そこにはただ”どうしようもない現実”があるだけで、アクション映画にお約束のカタルシスも無ければヒーローもいない。観終わってスカっとするような映画ではないのだ。

しかし、砂埃が舞い陽炎が漂う過酷な戦場でただ消費されていくだけの若者たちの姿を、渇いたタッチで描き切ったキャスリン・ビグロー監督の映像センスはやはり只事ではない。「戦争は麻薬だ」という冒頭の言葉や、救いの見えないラストシーンなど、作品全体を包み込む袋小路のような閉塞感。

そして、生と死の狭間で終わらないゲームを延々とプレイし続ける孤高のソルジャーと化した主人公の言動。度重なる戦闘によって彼の心は既に壊れかけており、もはや”戦場でしか生きている意味を実感できない状態”になっているのだ。

終盤、ジェームズが大量の爆弾を前にしていきなり防護服を脱ぎ捨てる場面がある。「何をやってるんだ!?」と驚く同僚に対し、「死ぬ時は苦しまずひと思いに死にたい」と答え、淡々と作業に取り掛かかるというシーン。それは、死を覚悟して忠実に職務を遂行する勇敢な兵士のように見えるが、一方では「永遠に続くこの地獄から早く解放されたい」と神に願う殉教者のようにも見えてしまった。

このような極限状態を描くために、撮影に参加した俳優たちも大変な苦労を強いられたらしい。ロケの多くは、バグダッドに似た建物の多いヨルダンにて行われたが、容赦なく照りつける真夏の猛暑は57度にも達し、あまりの暑さで「脳が煮えていると感じるほどだった」とスタッフも疲労困憊。防護服を身に付けているせいで更に酷い状態になっていたジェレミー・レナーは、撮影時の様子を次のように語っている。

「ヨルダンの撮影は”環境が厳しい”という点で、本当に過酷だった。試練を受けるのは嫌じゃないけど、今回は信じられないぐらい大変な試練だったよ。一度や二度、あるいは三度と神経をやられたんじゃないかと思う。でも、俳優としての仕事は楽になったよ。あの汗は本物の汗で、あの涙は本当の痛みの涙だ。何も演じる必要はなかったね(笑)。今振り返ってみて、これは俳優としてばかりではなく、男として物凄い体験だったと思う」

結局、ギリギリの死線をくぐり抜けたジェームズは、無事に任期を終えて妻と子供が待つ故郷へ帰ることが出来た。しかし、何かが違う…。せっかく平穏な日常へ戻ってきたのに、彼の居場所はもう、そこには無かったのだ。そして、新たなる任務を遂行するため、再び死地へ降り立つ。そんな彼の後姿に何を感じるだろうか?まさにアメリカの現状を象徴するようなラストシーンと言えるかもしれない。

総評として、『ハート・ロッカー』は小規模な作品にもかかわらずスケール感が有り、とても1500万ドル程度の低予算で作られたとは思えないほどのド迫力に満ち溢れている。大手ハリウッド映画のようなドラマティックな盛り上がりには欠けるものの、前述したようにミリオタにとっては見逃せない作品である事は間違いないだろう。

また、レイフ・ファインズガイ・ピアースデヴィッド・モースなど、有名俳優が名を連ねているが、彼らはキャスリン・ビグロー監督の情熱に賛同して破格のギャラで友情出演を決めた、いわばサポーターであり、ここにも役者と監督の信頼関係が見てとれる。

全世界の興業収入は5000万ドル程度で全くヒットしなかったようだが、アカデミー賞では作品賞・監督賞・脚本賞など計6部門を受賞し、映画関係者の度肝を抜いた。

特に、『アバター』で会場に出席していたジェームズ・キャメロン監督の喜びようは凄まじく、キャスリン・ビグローが女性として史上初の監督賞を射止めた瞬間、彼は歓声を上げて立ちあがったのである。「元夫婦対決」は元嫁の圧勝だったが、元夫としてよっぽど嬉しかったんだろうねえ(^.^)


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