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リドリー・スコット監督『キングダム・オブ・ヘブン』ネタバレ感想

キングダム・オブ・ヘブン

■あらすじ『12世紀のフランス。愛する妻子を亡くし失意のどん底にあった鍛冶屋のバリアン(オーランド・ブルーム)の元に、十字軍の騎士・ゴッドフリー(リーアム・ニーソン)が訪れて「自分が父親だ」と告げる。バリアンは父に従い、聖地エルサレムへと旅立った。当時、聡明なキリスト教徒の王ボードワン(エドワード・ノートン)と、回教徒のカリスマ的指導者サラディン(ハッサン・マスード)によって束の間の平和が保たれていたエルサレムだったが、権力の座を狙う一派の卑劣な振る舞いにより危機が迫っていた。「ロード・オブ・ザ・リング」のオーランド・ブルームが、いまや稀代のヒット・メーカーとしてハリウッドに君臨する巨匠リドリー・スコット監督とタッグを組んで完成させた歴史超大作。遥かなる時代を越えて、壮大な叙情詩がついに幕を開ける!』



リドリー・スコット監督が『グラディエーター』を大ヒットさせて以来、ハリウッドでは『トロイ』『アレキサンダー』『キング・アーサー』など、巨額の費用をかけた歴史超大作映画が立て続けに製作された。しかし、残念ながら『アレキサンダー』は大コケ、『トロイ』と『キング・アーサー』も製作費をかけすぎた為に赤字となってしまった。う〜ん、“二匹目のドジョウ”を狙うのも、なかなか難しいようだ。

そんな厳しい状況の中で、あえてリドリー・スコット自らが再び挑んだ歴史超大作。果たしてヒットするのか?期待と不安を胸に鑑賞した僕の評価は、「概ね面白い」であった。以下、僕が面白いと感じた要素を書き連ねてみます。

まず、このテの映画にしては恐ろしくテンポが早い。通常、歴史大作などと言われる映画は、大体「上映時間が長い」と相場が決まっており、本作も2時間25分という長丁場。これだけ長いと普通はどうしても途中でダレてくるし、最悪の場合眠ってしまう事も有り得る。チンタラやってたら退屈な映画になりかねないのだ。

ところが、『キングダム・オブ・ヘブン』は冒頭から次から次へと色んな事件が起こりまくり、息つくヒマもありゃしない!尋常でないスピードでドラマが展開していくおかげで、2時間25分をそれほど長いとは感じなかった(ただし展開が早過ぎて、人物描写が希薄になっている気もする。噂によると最初のバージョンが長過ぎた為に、大幅にカットされたらしい。編集の問題か?)。

そして、歴史大作の見所といえばなんと言ってもダイナミックな合戦シーンだが、本作も過去の作品に劣らず、いやそれ以上の凄まじい大スペクタクル・シーンを炸裂させる!「さすが映像派のリドリー・スコット!」と脱帽するしかないほどの、リアリズム溢れる戦闘描写の数々は、まさに空前絶後のド迫力!

クライマックスは、サラセン軍が巨大な木製の包囲塔を城壁に掛けるシーン。20万人の兵士に取り囲まれ、火が放たれ、武器が飛び交い、辺り一面無数の爆発が巻き起こる!轟く悲鳴、崩れ落ちる城壁、おびただしい数の死体の山、阿鼻叫喚の地獄絵図と化すエルサレム黒澤明の影響を受けた」と言われている“滅びの美学”がそこにある!でも、当初はポール・バーホーベンが監督する予定だったらしいので、実現していたらもっと酷いことになってただろうなあ(笑)。

さらに、豪華なキャストも見逃せない。主人公のオーランド・ブルームは『パイレーツ・オブ・カリビアン』に次いで本作でも鍛冶屋を演じている。そんなに鍛冶屋が好きなのか?渋い脇役のジェレミー・アイアンズリーアム・ニーソンは圧倒的な存在感で観る者の心を捕らえて放さない。

エヴァ・グリーンを見た時、「すげえメイクだなあ」と思ったけど、普段の写真を見てもあまり変わらんかった(元々こういう顔なのかw)。え、ボードワン4世って、エドワード・ノートンがやってたの!?あれじゃ全然分からんぞ!なんて贅沢な使い方だ。

という具合に見所満載の映画ではあるが、その反面「主人公の描かれ方」が気になった。あまりにも“死ななさ過ぎる”のだ。エルサレムへ向かう道中、船が沈没して乗っていた人は全員死亡するが、なぜか主人公だけは助かる。その後、何度も激しい戦闘に巻き込まれて仲間はどんどん死んでゆくのに、彼だけはほとんど無傷なのだ。ひょっとして不死身なのか?てゆーか、ただの鍛冶屋のクセに、なんでそんなに剣術が強いんだよ!?

中でも、最も気になったのは主人公のキャラクター性である。品行方正、清廉潔白、実に驚くほどの「優等生ぶり」だ。マンガなら完全に「生徒会長」のキャラである。でもちょっと“いい人”過ぎないか?普通はもう少し「弱点」や「悪い面」を盛り込むものだが、あまりにも「完璧な善人」として描かれているので人間性に乏しく、逆に感情移入しづらいぞ。特に、シビラとの婚姻を拒み、結果的に戦争を引き起こすきっかけとなってしまった点については、どうにも納得できない。

などと考えていたら、ある事に思い当たった。もしかしてこれは「ヒーロー映画」なのではないだろうか?生まれついてのヒーローではなく、妻子を亡くして絶望の淵に沈む主人公が、様々な困難を乗り越えてヒーローになってゆく過程を描く、一人のヒーローが誕生するまでの物語。

そう考えれば、主人公がなかなか死なないという“ご都合主義”にも納得がいく(いかないか?)。後半はありとあらゆる戦術を考案し、多くの兵を適切に指導しているが、ただの鍛冶屋にそんな事出来るわけが無い。これはすなわち、彼のヒーロー性を強調する為の演出ではないのか?

極めつけはクライマックス、20万人の大軍に対して城にはもはや騎士がいないという、絶体絶命の大ピンチ!しかしバリアンは指導者として、エルサレムの人々の前で堂々と演説をぶちかますのだ。「ひるまず敵に立ち向かえ!神は勇気と正義を愛される。たとえ死に至るとも常に真実を語れ。騎士よ、立て!」そんなバリアンに対し、司祭は「そんなことで民が騎士になれるものか!」と苦言を呈した。

しかし、バリアンは自信たっぷりに言い放つ「なれるさ!」。その瞬間、バリアンのアップと共に、壮大なBGMが高らかに鳴り響く!まさに「ヒーロー見参!」という感じだ。うひょー、かっこいい!でも、ちょっとあざといぞ (笑)。ここまでわざとらしく演出しなくてもいいのになあ。

ただし、映画のラストは「ヒーローモノ」と呼ぶには少々釈然としない終わり方だ。“戦って死ぬ事”を善しとせず、“最期まで生き抜く事”を選択したバリアン。それは確かに間違った決断ではないかもしれないが、「死を怖れず、常に真実を語れ!」という亡き父から受け継いだ“騎士道の精神”に反するのではないだろうか?なにより、「娯楽映画」としてのカタルシスが欠落しているぞ。

だが、こういう映画になってしまうのは、ある意味仕方が無い事かもしれない。今時、西洋主義を全面に押し出した映画を作るわけにもいかないし、史実であれば尚更だ(でも、結構史実を歪めてるけどね)。リドリー・スコットはあえて監督としての自分の考えを主張すること無く、観客に判断を委ねている様に見える。その結果、なんとなく映画が中途半端な印象になってしまった事は否めない。

そういう意味においては、本作は単純明快な娯楽大作とは一線を画す。「勝った負けた」のエンターテイメントではなく、あくまでも“戦争”というものの本質を描いた映画なのだ。したがって、この映画に「感動」とか「爽快感」などを求めたりしたら肩透かしを食らうかもしれない。現実とはもっと複雑で、決して単純明快なものではない、という事だろう(扱っている題材が“宗教”なだけに、リドリー・スコットも相当気を使ったと思われる)。

もっと娯楽性を高めて解かり易い物語にするならば、イスラム教徒を完全に“悪”として描き、ひたすら十字軍が人々を殺しまくる映画にすればいい。しかし、今時そんな映画を撮ろうと考える怖いもの知らずの映画監督は、世界中捜してもポール・バーホーベン以外にはありえないだろう(笑)。

尚、僕が一番好きなシーンは、ラスト間際のバリアンとサラディンの会話である。エルサレムにはどんな価値があるんだ?」と尋ねるバリアン。それに対し、サラディンは悠然と答える。「価値など無いさ。だが、我々にとってはここが全てなんだ」。う〜ん、渋い!渋すぎるぜ、おっさん!ここでもまた、「現在に至るまで、なぜ争いが絶えないのか」という“戦争”の本質を見事に言い切っている。

全編に渡って映画を支配するヒロイズムとダンディズムが、本作の特徴の一つと言えるだろう。はっきり言って、『グラディエーター』の方が娯楽映画としての面白さは上だと思うが、これはこれで非常に良く出来た映画だと思う。戦闘シーンの迫力も、劇場で観てこそ実感出来るというもの。なによりオーランド・ブルームが圧倒的にカッコいい!ファンなら必見だ。でも、エドワード・ノートンのファンはがっかりするかもしれないなあ(笑)。