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『ファンタスティック・フォー 超能力ユニット』映画感想/解説


■あらすじ『科学者のリード・リチャーズ(ヨアン・グリフィス)は、人間の進化に影響する宇宙嵐を調査する資金を集めるために、学生時代からのライバルだったヴィクター・バン・ドゥーム(ジュリアン・マクマホン)に協力を依頼する。リードは、相棒ベン(マイケル・チクリス)、元恋人の科学者スー(ジェシカ・アルバ)と、その弟ジョニー(クリス・エヴァンス)と宇宙へ旅立つが、予想より早く訪れた宇宙嵐に巻き込まれ、全員がその放射線をあびてしまう。どうにか地球に戻った彼らは、やがて不思議な力を発揮し始めた!』


アベンジャーズ』や『X-MEN』など、映画界に次々とメガヒット級のアメコミ原作を提供しているマーベル社から、またしても登場した人気ヒーロー映画。それがファンタスティック・フォーだ!と言っても僕は全然存在を知らなかったんだけど(笑)、『スパイダーマン』や『X-MEN』よりも歴史は古く、アメリカではかなり有名なヒーローらしい。なので、以前から映画化の企画は上がっていたものの、様々な問題で実現しなかったようだ。

そして2005年にようやく『ファンタスティック・フォー 超能力ユニット』が製作されたんだけど、厳密に言えばこれが初の映画化ではない。パンフレットによると、「1994年にB級映画の帝王ロジャー・コーマンによって一度映画化されている」らしい。ところが、せっかく作ったその作品はなんと一度も公開されることなく、そのまま”お蔵入り”になってしまったのだ。いったいなぜ?

実はコミックを映画化する場合、契約によって”映画化権を有する期限”が決められており、その期間内に映画を作らなければ権利が無くなってしまうのだ。しかし、当時権利を所有していたコンスタンティン・フィルムは、諸事情で映画製作が困難な状況だった。そこで会社側は、とりあえず形だけでも「映画を作った」という体裁を整えるために、たったの140万ドルでロジャー・コーマン監督に依頼したという。

ロジャー・コーマンといえば、映画ファンの間では「B級映画の帝王」としてその名が知れ渡っており、とんでもなく安い制作費で映画を作ってしまうことでも有名だ(別名「低予算映画の王者」)。

つまり、この時作った『ザ・ファンタスティック・フォー』は、「映画化の権利を延長させるためだけ」に製作したもので、最初から“未公開になる事を前提として作られた映画”だったのである。

可哀想なのは、その事実を知らされていなかった役者たちだ。当時、この様子を見ていた原作者のスタン・リーは、「何も知らずに懸命に演技をしている俳優たちがあまりにも気の毒で、涙が止まらなかった」と告白している(酷い話だよなあ)。

さて、そんな紆余曲折の末にようやく完成した『ファンタスティック・フォー』であるが、果たしてどんな映画なのか?複数のキャラクターがそれぞれ特殊な能力を駆使して戦うという設定自体は『X-MEN』とカブっているものの、人数的には敵も味方も『X-MEN』の方が圧倒的に多い。

そして最大の違いは、本作の方が“映画のノリが軽い”という事だろう。はっきり言ってほとんど「アクション・コメディ」である。『バットマン』のようにシリアスでもなければ、『スパイダーマン』のように人物の内面を深く描いたストーリーでもない。

それどころか、「自分で騒ぎを起こして自分で解決する」というマッチポンプ的な行動原理には、「こいつらホントに正義のヒーローか?」と疑惑の念すら湧いてくる。ひたすらノー天気でいきあたりばったりな展開に、「んなアホな!」とツッコミを入れながら観るのが、たぶん正しい鑑賞法だろう。深みは全く無いが、まあそれなりに楽しめるといった感じである。

リーダーの“Mr.ファンタスティック”は手足が自由自在に伸びる“ゴム人間”だ。その伸縮性を有効利用して、トイレに座りながら隣の部屋からトイレットペーパーを取ってきたりすることも可能(便利な体だなあ)。“ヒューマン・トーチ”のジョニーは体を発火させ、炎を自在に操る事が出来る。スキー場で服が燃え尽きた彼は、なんと裸のまま町まで戻ってくるのだ(どこかで服ぐらい買えよw)。

そして“ザ・シング”ことベン・グリムは、体中が硬い岩に覆われた“岩男”である。体重も岩並に重くなった彼は、椅子に座れば椅子が壊れるし、エレベーターに乗ればブザーが鳴る、という具合に日常生活において大変な苦労を強いられるハメになってしまった。どれぐらい不便かというと、恐らくテレビのリモコンも押せないぐらいの不便さである、トホホ。

だが、本作における最大のコメディ・リリーフは、何と言ってもジェシカ・アルバ演じるスーザン・ストームこと“インビジブル・ウーマン”だろう。幸か不幸か透明人間になれる能力を身につけた彼女は、事あるごとに公衆の面前で素っ裸になってしまうのだ!


“透明人間のお約束”として、完全に見えなくなるには着ているものを全部脱がなければならない。当然彼女も脱ぎまくる。しかし消え方が不完全なせいで、脱いでいる途中で完全に姿が見えてしまうのだ。いきなりブラジャーとパンティだけになったスーザンは大慌て!こんなバカバカしいシチュエーション、昔観た『超能力学園Z』という三流エロコメディ映画以来だよ(笑)。

この後も、有名人になった彼女は大勢のファンに追いかけられて、なんと“走りながら全裸になる”という荒業を炸裂させる。実写版『変態仮面』を観た時、頭からパンティを被り全裸同然の姿で街を全力疾走する安田顕に驚愕したものだが、通り道にジェシカ・アルバのブラやパンティが点々と落ちているという『ファンタスティック・フォー』も、それに勝るとも劣らないアホさしさで目まいがしそうだった(とてもヒーロー映画とは思えんw)。

しかもパンフレットを良く読んでみると、インビジブル・ウーマンの能力は、彼女の体が透明になるのではなく、周囲の人間が彼女を見ることが出来なくなる能力」と書いてある。つまり、彼女の周囲に特殊なバリアーみたいなものを発生させ、それによって光の屈折率を変化させて消えているように見せかけていただけなのだ(『攻殻機動隊』の光学迷彩と同じ原理ですな)。

でも、ちょっと待てよ?この理屈だと、彼女の体だけじゃなく、着ているものも一緒に見えなくなるハズじゃないのか?だったら、全裸になる必要は全く無いじゃん!インビジブル・ウーマン、脱ぎ損だよ!まあ、ジェシカ・アルバの下着姿が見れたから全然OKだけどw

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