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『風立ちぬ』に隠されたクリエイターの真意を考察する(ネタバレあり)


現在、ぶっちぎりの勢いで大ヒットを記録している『風立ちぬ』だが、映画を観た観客の評価はかつてないほど割れまくっており、「素晴らしい!宮崎駿の最高傑作だ!」と絶賛する人がいるかと思えば、「なにこれ全然面白くない!最低の作品!」とメチャクチャに貶す人がいるなど、両極端な反応が多いようだ。いったいなぜなのか?

風立ちぬ』は、一見すると「ゼロ戦開発者の堀越二郎が難病の美少女と出会い、戦時中の様々な困難(主に堀越の仕事)を乗り越えつつ、二人で純粋な愛を育んでいく美しくも悲しい正統派ラブストーリー」のように見える。実際その通りではあるのだが、それだけではこの映画を半分しか理解できていない。本作には、”表のテーマ”とは別に”裏のテーマ”が隠されているからだ。

映画のラストで堀越二郎は、「自分はただ美しくて優秀な飛行機を作りたかっただけなのに、全て戦争の道具として駆り出され、ついに一機も戻ってこなかった…」と空を見上げながら悲しそうにつぶやくが、この心情はそのまま宮崎駿にも当てはまる。かつて宮崎監督は、「子供たちに自然の素晴らしさを知ってもらいたい。そしてもっと外で元気に遊んで欲しい」という願いを込めてとなりのトトロを制作した。

ところが、数年後にとある講演会に出席した宮崎駿は、参加者の母親から「うちの子供は『となりのトトロ』が大好きで、一日中家でビデオを観てるんですよ〜」と聞かされ、大変なショックを受ける。「なんてことだ!俺は、子供たちに大自然の中で元気に遊んでもらいたくて『トトロ』を作ったのに、逆に子供達を家の中へ縛り付けていたなんて…!」と。

あまりにも完成度の高い映画を作ってしまったために、本人の意向に反して多くの引きこもりを生み出してしまった宮崎駿。そして、あまりにも高性能な戦闘機を作ってしまったために、無駄に戦争を長引かせ、結果的に多くの戦死者を出してしまった堀越二郎。職種は違えど、両者の「こんなはずではなかったのに…」という思いは共通していると言えるだろう。

さらに、宮崎監督はアニメ作りに没頭するあまり、大切な家族を犠牲にしている。『未来少年コナン』を制作していた頃は、熾烈なスケジュールをこなすため連日会社に泊まり込みを続け、家に帰るのは一カ月に数回程度。息子(宮崎吾朗)の子育てもままならず、ついに奥さんから「あなたには子供の教育について語る資格は無い!」とまで言われてしまった宮崎駿。そして、重度の結核を患って余命いくばくも無い菜穂子に対し、仕事最優先でほとんどかまってやれなかった堀越二郎

「優れた作品を生み出す過程において何らかの犠牲が発生することはやむを得ない」、「むしろ、優れた作品とは多くの犠牲の上に成り立つものだ!」と自分の行為を肯定しつつ、「でもやっぱり、それは正しいことではないんじゃないのか?もっと家族を大事にすべきだったのでは?自分のやってきたことは間違っていたのか…?」と自問自答する宮崎監督の複雑な心情が、そのまま堀越二郎に投影されているのだ。

しかし、天才:宮崎駿の苦悩など一般人には到底理解できるはずがない。そこで重要な役割を担うのが、ヒロインの菜穂子である。ご存じの通り、もともと宮崎作品に登場するヒロイン達は、見事なまでに宮崎駿の女性に対する理想像を反映している。綺麗でやさしくて真面目で頭が良くて、主人公にとことん尽くしてくれる、女神のような美少女たち。『未来少年コナン』のラナ、『カリオストロ』のクラリス、『ラピュタ』のシータなど、「顔が違うだけで基本的にキャラクターは全部一緒」と言っても全く過言ではないほどだ。

もちろん、宮崎監督もこんな少女たちが実在しないことぐらい自覚している(以前、鈴木敏夫が「こんな女の子、現実にはいないでしょ?」と宮崎駿に聞いたら「当たり前だ!」とキレられたらしいw)。しかし、現実世界では誰にも苦悩を分かってもらえない宮崎監督は、それでも自分を理解してくれる人が欲しかったのだ。

だから、せめてアニメ(妄想)の世界では自分の理想の少女を登場させたい。そんな想いが積り積って、とうとう”究極の女神”を作り上げてしまったのである。仕事でどんなに遅く家に帰っても決して怒らず、目の前でタバコをプカプカ吸っても文句を言わず、ひたすら自分に尽くしてくれる理想の女性、その名は菜穂子!

風立ちぬ』のラストでは、そんな菜穂子が天才の抱える苦悩や葛藤を無条件で受け入れ、全てを「赦す(ゆるす)」と言ってくれているのだ。そして菜穂子の「生きて」というセリフは、宮崎監督の「俺はこのままアニメを作り続けてもいいのか?」という問いに対するアンサーであり、「生きねば」というキャッチコピーは「どうせ俺はアニメを作ることでしか人に何かを伝えることができないんだ!だったらとことん作ってやる!」という宮崎監督の揺ぎ無い決意表明なのだ。

つまりこの映画を作り手側の視点から観ると、「多くの犠牲を出すと知っていながら、それでも物を作らずにはいられない天才クリエイターの”性(サガ)”や”業の深さ”を、理想の女神に全て受け入れ赦してもらいたい」という、宮崎駿自身の願望を具現化した美しくて切ない物語だったのである。ここまであからさまに自分の妄想を映像化して、しかも大ヒットさせてしまう映画監督は、世界広しと言えどもおそらく宮崎駿だけであり、「実に天晴れ」と言うしかない。

それにしても、公開前に鈴木敏夫が「この映画は宮崎駿の遺言です」みたいなことを言っていたが、どう考えてもそれは嘘だろう。先日も、ジブリが出している雑誌(『熱風』)に「憲法第9条は守るべきだ」的な記事を載せてあちこちから批判を食らってたけど、あんな言わなくてもいいようなことを敢えて言うってことは、「日本がこんな状態じゃまだまだリタイアするわけにはいかん!」などと考えている証拠ではないのか。

つまり、宮崎駿は『風立ちぬ』でもまだ自分の全てを語り切っておらず、言いたいことが残っているのだと思う。なので、もし次回作が作られるのなら、ドイツ軍の戦車が街をメチャクチャにぶち壊しながら平和憲法の重要性を訴え、最後に「原発反対!」のプラカードを掲げた主人公が「俺は〇〇〇〇だー!」と絶叫しながら終わるという、そんな映画を作ってもらいたい(笑)。そこまで全てを出し切ってしまえば、今度こそ本当に思い残すことなく引退できると思うんだけどなあ(^_^)


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