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映画『風立ちぬ』で宮崎駿監督がこだわった5つの要素を解説


本日、金曜ロードSHOW!宮崎駿監督の劇場最新作であり(現時点での)最終作品でもある『風立ちぬ』が放送されます。この映画は、零戦の開発に心血を注いだ堀越二郎の生き様を描いた人間ドラマですが、同時に菜穂子との恋愛を描いたラブストーリーでもありました。

当初、宮崎監督は「零戦のことなんて、どうせ一部の人間しか分かりゃしない。だから完全な恋愛物語をやりたい」と言っていたそうです。しかし、企画会議では「恋愛中心のストーリー(A案)」と、「飛行機作りを縦糸、恋愛を横糸として織り上げるストーリー(B案)」の2つが提案され、宮崎監督はA案を推したものの、鈴木敏夫プロデューサーと作画監督高坂希太郎さんが「B案の方がいい!」と猛反対。

高坂さん曰く、「今日の世界情勢を考えると、当時(戦争時)の状況下で夢を維持したまま飛行機を作ることは、今映画を観に来る人たちに対してそれなりに訴求するのではないかと。難しいけど、それでB案を、実際に映画になった方の案でいくことになりました」とのこと。

こうして、『風立ちぬ』の製作に取り掛かった宮崎監督は以下のような点についてこだわったそうです。


●飛行機をもっと美しく!
この映画は「主人公が零戦を開発する物語」なので、様々な飛行機が登場します。最近のアニメではCGでメカを描くパターンが増えてるんですけど、宮崎さんは当然そんなものを使いません(笑)。「多少形が崩れても、手で描いたものが良いんだ!」というポリシーを貫き、「もっと美しく描け!」とスタッフを叱責していたらしい。

しかし、アニメーターにとっては「形が崩れないように正確に描くこと」よりも、むしろ「雰囲気を重視して美しく描くこと」の方が難しかったようです。高坂作画監督曰く、「どういう飛び方が美しいのか、正直その感覚が分かりづらいところがありました。隼が飛ぶシーンや九試が飛ぶ場面で、宮崎さんがカッコいい!とかカッコ悪い!って言うんですけど、何を基準にしてそう言っているのか、最後まで分からなかったですね(苦笑)」とのこと。


●恐怖の震災シーン
本作の見どころの一つが、関東大震災の場面でしょう。他のアニメではCGでやるか、あるいは妥協してしまうようなところでも徹底して手描きにこだわっているのが凄い。もはや「他がやらないからこそ俺がやる!」みたいな、ある種の”意地”でやっているのかもしれません。

この場面で、アニメーターが最も苦労したのが屋根瓦です。最初は「全部描くと大変だから」という理由で瓦の線しか入っていなかったそうです。しかし、「やっぱり瓦を描かないと絵としての雰囲気が出ない」となって、次に瓦を描き始めたら、「これだけ周りの物が壊れるのに、瓦が崩れないのはおかしい」ということになり、とうとう一枚一枚の瓦を全部手描きするハメになってしまいました。まさにアニメーター泣かせのハードワーク!


●止まっている部分も敢えて描く
通常、アニメーションでキャラがセリフを喋っている場面を描く場合、人物が動いていなければ、キャラの口の部分だけを別のセルに描き、後から人物の静止画と合成する、という手法を使っていました。こうすれば、いちいちキャラの全身を描かなくてもいいからです。

ところが、『風立ちぬ』は違いました。なんと宮崎監督は、キャラが動かないシーンでも全部の絵を全てアニメーターに描かせたそうです。動画マンの大橋実さん曰く、「従来は口の動きだけを描いていたんですが、今回は全部描くんだ!と最初に言われました。口だけではなく、全身をトレースするんだと。

だから、冒頭のシーンみたいに着物を着ていると、模様まで全部描かなきゃいけないんですよ。普通は一枚だけ全身を描いて、後は動くところだけ上手く合成して撮影するんですけど、今回はもう、意図的に全部なぞって下さいって。カット自体は普通なんですが、とにかく絵の密度が尋常じゃなかったですね」とのこと。

いったいなぜ、宮崎監督はこのような指示を出したのか?その真意はわかりませんが、『風立ちぬ』の絵を注意深く見てみると、キャラが止まっている場面でもほんの少し、微妙に動いていることがわかります。例えば実写映画では、役者が止まっていても「完全に静止している状態」というのは有り得ません。もしかしたら宮崎さんは、そういう状態をアニメで表現しようとしていたのではないでしょうか。


●1カットに1年かかった
この映画は、あらゆる場面が”アニメーター泣かせ”の難しい作画で構成されていますが、中でも一番苦労したのがモブ(群衆)シーンだそうです。例えば、名古屋駅で二郎と菜穂子が再会する場面を描いたアニメーターの本田雄さんは、「こんなにモブシーンが多いアニメってあまり無いですよね。しかも、本当に密度が濃い」

「自分が担当したカットもアイ・レベル(視線)が低くて、人が一杯重なってしまうんです。でも、省略は出来ないから、見えないところも一杯描かなくてはならない。もう5〜6カットぐらいで心が折れそうになって…。しかも今回は一人一人に影も付けなければならなかったので、本当に地獄でしたね」と作業の辛さを告白しています。

特に「死ぬほど苦労した」とスタッフの間だけでなくアニメ業界でも語り草になっているのが、震災のモブシーンでした。今までは「出来るだけ影を付けずにシンプルに描く」という方向性だったのに対し、この映画では影もしっかり付けて着物の柄もちゃんと描く、という具合に何段階もハードルが上がっているのですからたまりません。

しかも人数もメチャクチャ多い!あるカットでは、作画インしてから完成するまで1年3カ月もかかったらしい。この場面を見たスタッフは「よく最後までやり切ってくれた。普通ならキレて辞めてもおかしくないレベルなのに」と感激していたそうです。


●菜穂子の手紙に気持ちを込めて!

映画終盤で、菜穂子が手紙を置いて出て行くシーンを描いたアニメーターの大谷敦子さんは、当初その手紙を「普通の四角い紙」として描いていました。すると宮崎監督から「手紙は優しく温かく描け!」と怒られたそうです。以下、大谷さんのコメントより。

「その時、宮崎さんの想いの強さを感じました。ただ四角い封筒が置いてあるだけではダメなんです。宮崎さんが言いたかったのは、置かれていった手紙には、去って行った菜穂子の覚悟や決意、皆に対する愛情のようなものが全て表現されてなければならない、ということでした。


別にそこに顔があるとか表情があるわけではありませんが、それでもその手紙を見ただけで彼女の心情が読み取れるぐらいの絵にして欲しいと、そういう強い要求だったのです」

アニメーションで、人間の感情を表現することはまあ当然ですけど、宮崎監督は手紙のような無機物に対してまでも”心情が読み取れるぐらいの絵にすること”を求めていたんですねえ。僕なんかは「そんなもの、いったいどうやって描けばいいんだよ…」と聞いただけで途方に暮れてしまいそうですが、こういう作業の積み重ねが宮崎アニメの完成度をさらに高めているのでしょう。


●CGは商売敵
最近のアニメーションはメカでもモブシーンでも、ほとんどCGで作っていますが、宮崎監督は頑ななまで手描きにこだわっています。その点について動画検査の舘野仁美さんは次のようにコメントしていました。

「元々、手描きでなければダメだ!という人ですし、特にCGで人間を増殖しようなんて一切考えない方ですから。ジブリが手描きをやらなくなったら、もう終わりかもしれない。これから先、もう動画はいらないってなってしまいそうで。今は皆、コンピュータを便利に使ってますけど、それって私たち動画の仕事を減らしてるようなものじゃないですか?私はこの仕事をしながら、パソコンに負けないぞって思ってましたもん。コンピュータは私にとって、ある意味では商売敵なんです」


「アニメーションは、一番上手い人だけで全部描いたらそれでいいわけではなくて、上手い人も成長途上の人も含めて、皆で作るところに本当の良さがある。一生懸命作ったものは拙さも味になるということも、多分あるんじゃないかと。全部が血と汗の塊というか、関わった全ての人の仕事が要素になっているのが、アニメーションの良さだと思うんです」

徹底して手描きにこだわる宮崎監督のやり方は、一見すると非効率的で時代遅れに見えるかもしれません。しかし、宮崎さんはアニメーター出身の映像作家で、監督になってからも現役のアニメーターであり続けました。だからこそ、最後まで手描きのアニメにこだわり続け、「人間が手で描いたものには、必ず何かが宿るはずだ」と信じていたのでしょう。


※今回の記事を書くにあたり、『ジ・アート・オブ 風立ちぬ (ジブリTHE ARTシリーズ)』と『風立ちぬ (ロマンアルバム)』を参照させていただきました。

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