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プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編 宮崎駿スペシャル『風立ちぬ』1000日の記録


先日、26日にNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で「宮崎駿スペシャル『風立ちぬ』1000日の記録」と題した特別番組が放送されました。現在、全国の劇場で大ヒット上映中の『風立ちぬ』ですが、同番組ではその『風立ちぬ』の制作期間中、約3年間に渡って長期密着取材を敢行。73分におよぶ貴重な映像の中で、宮崎監督の「創造」にかける姿を明らかにしています。相変わらず、映画制作中の宮崎さんの言動が面白かったので、簡単に概要をまとめてみました。


・2010年7月、宮崎駿監督は次回作の構想に頭を悩ませていた。前作の『崖の上のポニョ』は大ヒットこそしたものの、その内容は関係者の中でも賛否両論あったという。プロデューサーの鈴木敏夫は『ポニョ』について次のように振り返っている。「なんかねえ、嫌だったのよオレ、『ポニョ』って映画(笑)」、「”もういいよ、こういうこと前にもやったし”って感じじゃん」、「やっぱ面白いもの観たいからね、オレは。その一点ですよ」、「だって、やっぱり宮崎駿ってさ、凄い人なんだもん」、「その人がねえ…、なんか花がしぼむのって嫌じゃん」

・そこで鈴木Pは宮崎さんに『風立ちぬ』の映画化をすすめた。「戦争を題材にしたらさ、この人はどういう映画を作るんだろうって」、「いわゆる、ファンタジーのようなわけにはいかないでしょ?」、「そうすると、宮崎駿の得意技が封じられるわけですよ」、「そしたら苦しむでしょ、葛藤で」、「そしたらね、若くなるんじゃないかなあって(笑)」

・しかし、今まで「アニメは子供のためのものだ」というポリシーを貫いてきた宮崎監督にとって、戦争を題材にした『風立ちぬ』を作ることには抵抗があった。そこでこの企画を奥さんに話したら、「なんで戦闘機を開発した人の映画なんか作るの?」、「どうせなら『トトロ』みたいな映画を作ればいいのに」と言われてしまう。それに対し「『トトロ』みたいな映画って、『トトロ』があるからもういいじゃん!」とキレる宮崎さん。たしかにw

・悩む宮崎さんを見て鈴木Pは嬉しそう。「そりゃ悩むよね。でも悩んだ結果何か出てくるんだったら、それはたぶん面白いものになる、っていう期待がオレの中にあるわけ」

・2011年1月8日、宮崎駿は企画書を書き始めた。「どうしてこの映画はややこしいかっていう言い訳ならいくらでも書けるんだけど。結局、自分が作りたいから作るんだっていう理由しかないんだよ」、「だから今まで自分が使ってきた法則というか方程式がね、まあしょっちゅう壊れてるけど(笑)、今度はもう辻褄が合わないほど壊れることになる」、「もう、子供がどうのなんて関係無いって感じだよね」

・2011年3月11日、東日本大震災勃発。その時、宮崎監督は『風立ちぬ』の絵コンテを描いていた。そして、ちょうど関東大震災の場面を描き終えた時に地震発生。「このままこれを映像化して良いものか…」と悩む。一方その頃、スタジオジブリでは宮崎吾朗監督作品『コクリコ坂から』の制作の追い込みに入っていたが、緊急事態のために会社の臨時休業を検討していた。するとその会議室に宮崎監督が乗り込んで「誰が休んでいいなんて言ったんだ!」「こういう時だからこそ、我々は仕事を続けなきゃいけないんだよ!」と大激怒。結局ジブリでは震災中も休むことなく作業が続行された。

・2011年6月30日、宮崎監督はジブリの全スタッフを集め、自らの決意を表明した。「我々は、もっと物質的にも時間的にも窮迫した中に生きなきゃいけなくなるだろうと思うんです」、「その時に自分達は何を作るのか」、「前と同じようにファンタジーを作って、女の子がどうやって生きるかとか、そんなことでは済まないだろうと思いました」、「『風立ちぬ』というのは、激しい時代の風が吹いてくる、吹きすさんでいる、その中で生きようとしなければならない、という意味です」、「それがこの時代の変化に対する自分達の答えでなければならないと思います」

・2011年7月2日、宮城県気仙沼市を訪れた宮崎さんはサイン会を開き、地元の子供たちにサインを書いた。大勢の子どもたちに「頑張ってね!」と励ましながらサインを書きまくる宮崎駿。現地を訪れた宮崎さんは、「幼い頃に見た空襲の焼跡にそっくりだ」と感じたという。風が吹き始めた時代に、自分は何を作れるのだろう…。長い戦いが幕を開けようとしていた。

・今回の『風立ちぬ』は、スタジオジブリの全社員が全力で取り組む総力戦だ。およそ1500カットを300人のスタッフが2年がかりで作り上げ、そこで使用される動画用紙は16万枚にも達する。中でも一番大変だったのが関東大震災の場面だ。最近ではほとんどCGで作っている大量のモブシーンを、敢えて一人一人丁寧に手で描き込んだという。これには膨大な手間と時間が必要で、わずか4秒のカットを描くのに1年3カ月もかかったとか。まさに、アニメーターに死ねと言わんばかりの重労働!

あるスタッフは、「あんなに苦労したのに、映画ではあっという間だった」と苦笑いしていたらしい。「でも世の中の大事なことは、たいてい面倒くさいんだよ」と言いつつ、相変わらず作画をやりながら黙々と絵コンテを描き続ける宮崎駿

・2012年1月13日、宮崎監督は重要なシーンを描いていた。夢の中で二郎がカプローニと出会い、「空を飛びたいという人類の夢は、呪われた夢でもある」との言葉を投げかけられる。宮崎さん曰く、「二郎は”呪われた仕事なんだぞ”って。お前はその覚悟ができてるか?ってカプローニに言われてるんですよ」とのこと。これは宮崎駿自身に向けられた言葉でもあるのだろう。「戦闘機を作った男の映画を作り切る覚悟はあるのか?」と。

・公開に向け、バリバリと仕事をこなしていた宮崎さんだったが、ある日原因不明の体調不良に襲われる。「病院に行った方がいいですよ」と心配する鈴木Pに対し、「行かない。時間の無駄だ!」と言い張る宮崎さん。「たとえ途中でくたばっても、絵コンテだけは完成させないとみっともない!」、「庵野にも言われたからね。”死ぬなら絵コンテを完成させてからにしてください”って」

・宮崎監督が映画の完成を急ぐ理由は、高畑勲監督が同時期に新作映画を制作していたからだ。”唯一無二のライバル”と称される高畑監督がおよそ14年ぶりに映画を作ると聞いて、宮崎さんはその動向が気になってしかたがないらしい。しきりに「パクさん(高畑監督の愛称)は今どうしてる?」とスタッフに聞きまくっていた(しかし、結局『かぐや姫』の制作は遅れ、同時期公開の計画は流れてしまう)。

・映画を作っている最中、宮崎監督は二郎の”内面”を描くことに関して悩んでいた。「飛行機を作りたいってのは、いったいどんな心境なんだろう?」。そして宮崎監督の迷いは二郎の造形にも悪い影響を及ぼしていた。「感情を上手く表現できない…」。アニメーターからも、「二郎をどう描けばいいのか分からない」という声が出始める。

・宮崎監督はイラ立ち、スタッフを怒鳴りつけた。「もう一度やり直せ!」「つまんない空間なんだよ!」「自分の好きな角度で描くんじゃない!」「どれだけ俺が時間を無駄にしたと思ってるんだ!」「ダメなら降ろすからな!」「今すぐ辞めろッ!」とスタジオ内に監督の怒声が鳴り響く。


・さらに、意外な方面から宮崎監督を困惑させる問題が発生。当時、尖閣諸島を国有化したことで中国との関係に緊張が高まっていたのだ。「かつて世界大戦が起きる前、多くの日本人が”アメリカと戦争なんてやるわけないだろう”と思っていた。しかし現実に戦争は起きた。その状況は今も同じだと思う」と日本の情勢に危機感を募らせる宮崎さん。

・『風立ちぬ』の企画書の中に宮崎監督の決意を示す文章がある。「時代の歪みの中で夢は変形され、苦悩は解決せずに生きねばならない。その運命は、実は現代の世界に生きる自分達そのものではないのか」

・2012年11月3日、絵コンテ作業もいよいよ佳境に差し掛かった頃、再び宮崎監督は悩み出す。二郎に会うために療養所を抜け出したヒロインが駅で二郎と出会うシーンだ。二人はどういう風に再会すべきなのか?出会った後、二人はどうなるのか?

「菜穂子が病院を抜け出してくるって分かった瞬間、二郎も何らかの覚悟をしたはずだから」、「そこまでちゃんと表現しなきゃダメなんだ」、「駅で再会するシーンがこの映画の山場なんだよ」、「その時に二郎がどういう態度をとるか?」、「俺、こういう恋をしたことないからわかんない」などと生まれて初めて描く”大人のラブシーン”に悩みまくる宮崎さん。

・「これはゼロ戦がどうのこうのって映画じゃないんだよね。もう全然違う。二郎が駅で”一緒に暮らそう”って言う。それが菜穂子を受け止める最善のことなんです。激動の時代の中で、どういう風に生きたかっていうことの方が大事なんですよ」。こうして、宮崎アニメ史上かつてないほど切ないラブシーンが誕生した。

・2012年12月12日、残された課題は二郎の声を誰に担当してもらうか。スタッフが集まって色々検討するものの、なかなか適任者が見つからない。その時、鈴木Pが「庵野とか、どうでしょう?」と何気なく漏らした一言に宮崎監督が食い付いた。「庵野!?それ面白いじゃない!」と大いに乗り気。「じゃあ、ちょっとオーディションしてみましょうか?」と2日後に段取りをつける。

当日、「いいじゃん!こんな声出す奴いないよ!」と大絶賛、その場で庵野秀明堀越二郎役に決まってしまった。すぐにジブリ中のアニメーターに言いふらす宮崎さん、はしゃぎすぎ(笑)。それを聞いたスタッフは全員「えええ〜?」と驚く(明らかに喜んでないw)。挙句の果てには「俺、黒川さんの役やりたくなっちゃったなあ〜(笑)」とノリノリになってるし。よっぽど嬉しかったんだなあ(笑)。

・こうしてようやく完成した『風立ちぬ』。初号試写では感極まって号泣する宮崎さん。そして迎えた公開初日、劇場は大盛況。その頃宮崎さんは一人でカレーラーメンを食べていた。「今日、俺はカレーラーメンを作って弁当食うという無謀なことをやったんだけど。カレーラーメンを作るために、玉ねぎと塩ラーメンとバターとカレー粉を買って来なきゃいけないんだよ。それで、”ああやっと映画から離れられてるな”と思った。それまでは、そんなことをやる気なんて全然起こらなかったから。少しずつ元の自分に戻っていってる実感がある」

つまり宮崎さんにとってカレーラーメンを作ることは、自らを”映画”という呪縛から解放し、再び日常生活へ復帰するための重要な儀式なんですね。でも、なんでカレーラーメンなんだろう?しかも塩ラーメンにカレーを加えて作るって…。やはり天才の考えることは常人の理解を超えてるなあ(^_^;)


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