■あらすじ『小児精神科医のマルコム(ブルース・ウィリス)はある晩、妻アンナ(オリヴィア・ウィリアムス)と自宅にいたところを、押し入ってきた患者のヴィンセントに撃たれた。ヴィンセントは彼を撃つと自殺し、この事件は彼の心に拭いがたい傷を残す……。それから1年後、アンナと言葉を交わすこともできず悶々とする日々を送っていたマルコムは、他人に言えない秘密を隠して生きる8歳の少年コール(ハーレイ・ジョエル・オスメント)に出会った。彼の秘密とはなんと死者が見えることで、母リン(トニ・コレット)にも話せず、友達からも異常者扱いされて悩んでいた。やがて、ふたりは心を通わせるようになり、コールはついに秘密を打ち明ける。死者は彼にいつも”何か”をさせたがっているというのだ。死者が見える少年と心に傷を負った精神科医が互いに交流を通じて癒されていく姿を綴った異色のサスペンス・ホラー!』
※以下の文章には映画『シックス・センス』のネタバレが含まれています。まだ映画を観ていない人はご注意ください。
1999年に劇場公開された『シックス・センス』は、当初ブルース・ウィリス主演のホラー映画ということであまり派手な宣伝はされなかったものの、「メチャクチャに面白い!」と口コミで評判が広まり大ヒット。しかもリピーター続出で連日超満員となったのです。
普通、どんなに面白い映画でも一度観ればそれまでですが、こんなにリピーターが多いということは「もう一度観たい!」と思わせる何かがあるに違いない。そう考えた僕は、当時怖い映画を一人で観る度胸がなかったため、友人2人を無理矢理誘って一緒に劇場へ。映画が始まると冒頭に以下のようなメッセージが流れました。
「お客様へお願い。この映画のストーリーには”ある秘密”があります。これから映画をご覧になるお客様は、その秘密をまだご覧になっていない方たちに決してお話にならないようにお願いします」 ブルース・ウィリス
このヒントで勘のいい人はすぐオチに気付いたみたいだけど、僕らは全く気付かなかったので普通にびっくり(笑)。観終わった後は大興奮で近くのファミレスへなだれ込み、「あのシーンはどうなってたんだ?」「こういうことじゃない?」などと今観て来た映画について語りまくりました。
以来、『シックス・センス』は僕の中で「どんでん返し映画ナンバー1」の地位を不動のものとし、いまだにその記録は破られていません。ではいったい、『シックス・センス』は何がそんなに凄かったのでしょうか?
『シックス・センス』が優れている理由は色々ありますが、一つはメインのどんでん返しに映像化が極めて難しい「叙述トリック」が使われている点でしょう。「叙述トリック」とは、簡単に言うと「(推理小説等において)作者が読者を騙すために仕掛けるトリック」のことです。
例えばミステリー小説には「密室トリック」や「アリバイトリック」など様々な騙しのテクニックが存在しますが、それらは物語の登場人物(刑事や探偵など)を欺くために仕掛けるパターンが一般的ですよね。
それに対して「叙述トリック」とは、小説の作者が読者に対して仕掛けるトリックであり、劇中のキャラクター達が知っている事実を読者だけが知らない(気付かない)状況になっている事が最大の特徴なのですよ。
読者は書かれている文章を注意深く読むものの、どうしても先入観や固定概念で物事を判断する傾向があるため、そこに隙が生まれ肝心な部分を誤認してしまう。その結果、思いもよらない真実をつきつけられ「あっ!」と驚くわけです。
では、なぜ映像化が難しいのかと言えば、小説の場合は読者に知られたくない事実を意図的に書かないことで情報をコントロールできますが、映画でそれをやったら不自然に見えてしまうから。
つまり、全てを読者の想像にゆだねる小説とは異なり、映画は全ての情報が”映像”や”音声”によって観客に伝わってしまうため、ミスリードさせることが極めて困難だからなのです(実際、叙述トリックを扱った小説は「映像化不可能!」などとアピールされることが多い)。しかし、『シックス・センス』ではこの問題をクリアーするために、以下のような独自のルールを設定しました。
●死者は自分が見たいものだけが見える
●死者はお互いには見えない
●死者は自分が死んでいる事に気付かない
このルールを導入することで可能になったのが「視点の任意変更」です。通常の映画では視点は常に一つしかなく、途中で変わることはまずありません。ところが、本作には大きく分けて3つの視点が存在するのです。
まず一つは普通の人の視点。これはコールのお母さんや学校の先生などが見ている普通の風景で、当然ながら霊の姿などは見えません。しかし、何か不気味な現象が起こっているのに”それが何なのか分からない”という恐怖を表現しています。
そして二つ目はコールの視点。この場合、普通の風景に加えて当たり前のように死者の姿が映り込んでいます。しかし、映画を観ている観客には人間と死者の区別が付かないため、マルコムを”生きている人”と誤認してしまうのです。
例えば、コールが学校から帰ってきた時にマルコムとコールの母親が向かい合って座っているシーン。普通に見れば二人が会話をしているように思うでしょう。しかし本当はお母さんが一人で座っているだけで、そこにマルコムは存在しないのです(両方の解釈ができるように、家具や人物を絶妙な位置に配置して観客をミスリードしているのが上手い)。
そして三つ目はマルコムの視点。この場合、ほぼ通常の風景が映っていますが「死者は自分が見たいものだけが見える」のルールに従い、「見たくないものは見えない状態」になっているのです。つまり、マルコムの視点を通して映画を観ている観客には、マルコム同様に”ドアの前にある机”や自分の腹に残っている”銃弾の痕”が見えないのですよ。
劇中、マルコムが地下室のドアをガチャガチャと動かしてカギを探そうとするシーンが何度も出てきます。ところが、実際にカギを開けて部屋に入るシーンは一度も出てきません。なぜならドアにはカギなどかかっていないからです(このシーンに限らず、映画全般においてマルコムがドアを開ける場面は一切描かれていない)。
彼は幽霊なのでドアを開けずに部屋を出入りしていますが、それを描くと正体がバレてしまうため、わざと肝心な場面を見せていないのです(驚くべき省略方法!)。
また、レストランで奥さんと会話をするシーンでも、マルコムは普通に喋っているつもりでも、奥さんや他のお客には彼の姿が見えていません。注意深くこの場面を観察すると、マルコムは椅子を動かすことなく席に座り、奥さんは彼と一度も視線を合わせていないことがわかります(そこには誰も存在しないから)。
しかし、マルコムの視点で映像を見ている観客には、怒った奥さんがマルコムのことをわざと無視しているように見えてしまうわけです。「よい結婚記念日を」という捨てゼリフ(実は独り言)や、伝票を取るタイミングなど全てが完璧に計算し尽くされ、まさに見事としか言いようがない名シーンに仕上がっており、しかもこれを全部ワンカットで撮影しているのだから凄すぎる!
映画では、これら三つの視点をシーン毎に切り替え、観客に伝わる情報を巧みにコントロールしているのです。今まで叙述トリックはその特異性から「文章でなければ成立しない」と言われていましたが、『シックス・センス』は独自の設定を利用して「見せたいものだけを観客に見せる」というテクニックを駆使することにより、難題をクリアーしてしまったのですよ。
ちなみに、もう一つの重要なルールが”赤い色”です。この映画には様々なシーンで赤い色の物が出てきますが、それらは”霊界との接点”を意味しています。赤いドアノブ、赤いテント、赤い風船、赤いドレスなど、死者との関連性を表す場面では必ず赤い色が使われており、こういうところにも製作者のこだわりが感じられました。
でも、本作の素晴らしさはこれだけではありません。映画『シックス・センス』のストーリーは、「担当していた患者が死んで後悔の念に苛まれている小児精神科医」、「幽霊が見える特殊能力のために心を閉ざしてしまった少年」、「自分の子供の身を案じて悩む母親」など、それぞれが抱える苦悩に対して、マルコムはコールを、そしてコールはマルコムを救うために互いが互いを導き合うという相互補完の構造になっているのです。
自分の能力を忌み嫌っていたコールは、マルコムと出会うことで「自身が果たすべき真の役割」を悟り、マルコムもまた少年の成長と共に「心残り」が解消され、真実を受け入れることができました。そしてコールの母親も「息子の告白」が事実であることを確信し、親子のコミュニケーションが回復します。
つまりコール少年の成長物語を軸として、患者と医師、母と子供、夫と妻、教師と生徒など、複数の人間関係を綺麗に昇華させ、感動的なラストへと見事に着地させた点が「ホラー映画なのに泣ける!」と評された所以なのですよ。
さらに特筆すべきは、マルコムのドラマが二面性を持っていることです。初回の鑑賞時には、奥さんはマルコムに対して口もきかないし、食事も作らないし、若い男と楽しそうに話をしてるし、どう考えても二人の仲は冷え切っているようにしか見えません。
ところが、マルコムの死が判明した後にもう一度見直してみると、同じシーンなのに人物のリアクションやセリフの意味が全く違って見えるのです。
「酷い奥さんだな〜」と思っていたら実は全然逆で、死んでしまったマルコムのことが忘れられずに、いつまでも彼を想い続ける「とてもいい奥さん」でした。若いナンパ男もマルコムを無視していたわけじゃなくて、見えなかっただけ。
また、幽霊の方もコールを怖がらせるためではなく、救いを求めて現れていたということが判明します。つまり、全ては観る側の「思い込み」だったわけですね。
というわけで、『シックス・センス』は単純に「実はブルース・ウィリスが死んでてビックリ!」というだけの映画ではなく、様々な人間ドラマが重層的に絡まり合った複雑な構成でありつつ、それを自然に見せているシナリオが圧倒的に素晴らしいのですよ。
普通、この手の映画はオチが分かってしまうと面白さは半減するものですが、『シックス・センス』の場合は2回目でも十分に面白いというか、むしろ2回目以降は1回目とは違った視点で物語を楽しむことができる点もすごい!すなわち、本作の真骨頂は「複数回の観賞にも耐えうるドラマの強度」であり、それこそがまさに名作の証しなのではないでしょうか。
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