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ハリウッド版『GODZILLA』(1998)ネタバレ映画感想

■あらすじ『大西洋一帯で不可解な破壊事件が続発。核実験による突然変異で、巨大獣ゴジラが出現したのだ。ニューヨークに現れたゴジラは、強大な兵力を誇る米国軍隊をものともせず、マンハッタンのビル街を破壊して地下へ消えた。米国政府の調査隊に加わった生物学者ニック・タトプロス(マシュー・ブロデリック)は、摩天楼がゴジラの巣に選ばれたことを知る。そんな彼に保険調査員を自称する正体不明のフランス人、フィリップ・ローシェ(ジャン・レノ)が接近。実はフィリップは、自国の核実験によってゴジラが生み出された事を知ったフランス政府が、秘密裏に派遣したトップ・エージェントだったのだ。二人は協力してゴジラを追い、巣のありかがマジソン・スクエア・ガーデンだと突き止める。果たしてゴジラの進行を食い止める事は出来るのか!?』



本日テレビをつけていたらローランド・エメリッヒ監督の『GODZILLA』(通称エメゴジ)をやっていたので、何となく観ていたら結局最後まで観てしまった、ああ…。

GODZILLA』とはもちろん、日本が誇る巨大怪獣映画の金字塔ゴジラの事である。街を歩いている人に適当に声を掛けて、「ゴジラって知ってますか?」と尋ねたら、ほとんどの人が「知っている」と答えるだろうというぐらい有名な怪獣だ。

さらに、海外でもゴジラ知名度は絶大で、“忍者”と同様に「日本には本当にゴジラが生息している」と信じているオッチョコチョイな外人もきっといるに違いない。そんな超有名キャラクターのゴジラが、ついにハリウッドでリメイクされると聞いた時、多くのファンが期待と不安に胸を躍らせた事だろう。

ローランド・エメリッヒディーン・デブリンが、トライスター・ピクチャーズの『ゴジラ』のリメイク版製作を引き継いだのが1996年。当初はヤン・デ・ボン監督の手に委ねられていたこのプロジェクトが、なんと4年間も難航を続けた末の結末だった。

いったい何故、そんなに時間が掛かったのかと言えば、『GODZILLA』の製作を始める前に、とてつもない関門を突破しなければならなかったからである。その関門の名は東宝株式会社”。すなわちゴジラの生みの親であり、その全ての著作権を管理する親会社だ。

つまり、東宝のチェックがあまりにも厳しかったためになかなかゴーサインが出ず、とうとう痺れを切らせたヤン・デ・ボンは、『GODZILLA』の監督を降りて『ツイスター』を撮る事になってしまったのである(莫大な製作費もネックになったと言われている)。

そして、この時集められたキャストがそのまま『ツイスター』に出演する事になってしまったのだ。つまり、ビル・パクストンヘレン・ハントなど、『ツイスター』の主演俳優たちは元々『GODZILLA』に出るために集められたキャストだったのである。

ヤン・デ・ボンが去ってしまうと、プロデューサーはローランド・エメリッヒに監督を依頼するが、全く気が乗らないエメリッヒはなんと4回も断ったという。最終的にエメリッヒは監督を引き受けるのだが、その条件はゴジラのデザインを変える事」だった。

プロデューサーは頭を抱えるものの、パトリック・タトプロス(主人公の名前の元ネタになった人)に新デザインを発注。その結果、オリジナルとは似ても似つかぬハリウッド版ゴジラが完成してしまった。そして、出来上がった「新ゴジラ」を抱えてエメリッヒは東宝本社9階会議室へと乗り込んだのである。

東宝側の代表者たちは“筋肉質のトカゲ”のような新ゴジラを見て絶句したそうだ。その反応にハリウッド側のスタッフたちは「ああ、やっぱりダメか…」と早くも諦めムードが漂ったらしい。数分間の沈黙の後、東宝側から「一日、考えさせてもらえないか?」と言われたエメリッヒは、「多分、全面的にデザインし直せと言われるんだろうなあ」と思いながら、翌日再び東宝を訪れた。すると……

東宝担当者「え〜、厳重に審査をした結果ですね…」
エメリッヒ「はい」
東宝担当者「背びれの数が違っているので直して下さい」
エメリッヒ「……それだけですか?」
東宝担当者「それだけです」

なんと、あっさり新ゴジラのデザインが通ってしまったのだ!これには監督はもちろん、デザイナー本人も「まさか、あれが通るとは思わなかったよ!」とびっくり仰天。東宝サイドは、意外と柔軟だったんだなあ。

しかし、柔軟でないのは東宝よりもむしろ熱心なファンたちの方だった。新ゴジラのデザインが発表されるや、全国で凄まじいブーイングが巻き起こったのである。当時、一緒に映画を観に行ったゴジラ・オタクの友人は「あんなのゴジラじゃねえ!」と、鑑賞後も怒り心頭であった。

ファンを激怒させた原因はデザインの変更だけでなく、ゴジラの設定そのものを変えてしまった事にもよる。映画『GODZILLA』のゴジラは、魚を喰い、攻撃を受けると傷付き、放射熱線も吐かないのだ。要するに、完全に巨大生物として描かれているワケで、オリジナルの“絶対的な存在としてのゴジラとは、あまりにもイメージが違い過ぎるという事らしい(僕はあまりゴジラに詳しくないので良く分からないが)。

では、ゴジラの設定に関する問題は別にすると、映画『GODZILLA』の出来は果たしてどうなのか?1998年5月20日に全米公開された『GODZILLA』は、なんと前代未聞の7363スクリーンで一斉に封切られた。事前の市場調査からも、「絶対に当たる!」と確信を持っていたのだろう。

ところが、初日こそトップを飾ったものの2週目以降はガタ落ちとなり、興行的には短命に終わってしまったのだ。その落ち込み方の激しさは、「フリーホール並みの落下速度だ」と嫌味を言われるぐらいに凄まじかったらしい。

しかも、あまりにも多くのスクリーンを独占したために他の映画が上映できず、大手のシネマコンプレックスであるAMCやロウズ・シネプレックスの経営基盤にまで深刻なダメージが生じたほどだった。そればかりか、ウォール街が「98年度の夏の映画興行は落ち込む」と報道した事から、興行チェーンの株価に変動が起きるという騒ぎにまで発展してしまったのである。まさに、『GODZILLA』のおかげで全米映画市場に激震が走ったのだ!

映画の内容的には、「何だか良く分からん巨大なものが襲ってきて、人々がひたすら逃げ回る」という、いつもの“エメリッヒ節”が炸裂した大雑把な映画である。相変わらず「市販の妊娠検査器具でゴジラの妊娠が判別出来るのか?」とか「ヘリ、もっと高く飛べよ!」とか、突っ込んで下さいと言わんばかりのいいかげんな展開には呆れるしかない。だが、そんな些細な問題などモノともせずに、ひたすら強引に突き進んでいくエメリッヒの作劇法は捨て難いものがあるのも事実。

個人的には、派手なVFXが満載の“大スペクタクル映像”が全編に溢れ返っている点だけでもそれなりに満足したが、問題は“ドラマが無い”ことだ。インデペンデンス・デイの場合は、冷静に考えたら極めてアホらしい内容でありながらも、そこで展開される“あざといまでの人間ドラマ”の数々によって、油断しているとうっかり感動してしまいそうになるほどのエンターテイメント超大作に仕上がっていた。

しかし、『GODZILLA』はただひたすらゴジラが街を破壊していく様子を映し出しているだけで、人間ドラマがほとんど描かれていない。一応、主人公と元彼女の関係性が物語の主軸になってはいるが、感動と呼ぶには程遠い有様。この為、ゴジラ・ファンはもちろん一般映画ファンの共感も得る事が出来なかった事が、最大の敗因であろう。

露骨に続編を匂わせる終わり方だが、現在に至るまでパート2製作の噂は聞こえてこない(結局、この物語の続編はTVアニメシリーズとして製作されたようだ)。最新CG技術を駆使したゴジラの映像は実に素晴らしく、「巨大な生物に街が破壊されるヴィジュアル」も結構気に入ってるんだけど、色々な面で「惜しい映画」と言わざるを得ない。


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