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ジョン・ギラーミン監督の映画『キングコング』は本当に駄作なのか?


■あらすじ『石油会社ペトロックスの重役ウィルソンは、南太平洋上に未知の海底油田を求めて謎の孤島に上陸する。しかし、そこに油田は見つからず、代わりに原住民が“コング”と呼ぶ巨大なゴリラを発見した。動物学者のプレスコットジェフ・ブリッジス)の懸念をよそに、ウィルソンはコングをニューヨークに持ち帰り、盛大なショーを開く。しかし、コングは檻を破壊し、ニューヨークの街に飛び出してしまった!』


先日、『スパイダーマン』シリーズや『マイレージ・マイライフ』などの名優J・K・シモンズが、トム・ヒドルストン主演の新作映画『コング:スカル・アイランド(Kong: Skull Island)』に出演することが発表された。『キング・コング』といえば、2005年に公開されて大ヒットを記録したピーター・ジャクソン監督のリメイク版が知られているが、『コング:スカル・アイランド』はそれの前日譚になるらしい。

この映画は米レジェンダリー・エンタテインメントとユニバーサル・ピクチャーズが製作し、新人のジョーダン・ボート=ロバーツが監督を務め、『GODZILLA』のマックス・ボレンスタインと『フライト』のジョン・ゲイティンズが脚本を手がけるとのこと(日本公開は2015年の4月予定)。

さて、ピーター・ジャクソン監督のおかげでオリジナル版の『キング・コング』(1933年)も再評価されつつある昨今、本日は忘却の彼方に忘れ去られているかわいそうな映画を取り上げてみたい。それがジョン・ギラーミン版の『キングコング(1976年)だ。

ジョン・ギラーミン監督といえば、スティーヴ・マックィーンポール・ニューマンが出演した『タワーリング・インフェルノ』では、超高層ビル火災でのスペクタクルなアクションを描いて世界中で大ヒットを記録し、第47回アカデミー賞では作品賞にノミネートされた。

他にも、アガサ・クリスティの小説「ナイルに死す」を原作とした映画『ナイル殺人事件』(1978)など、1970年代を代表する超大作をいくつも手掛けた凄腕映画監督である。

そんなジョン・ギラーミンが監督した『キングコング』。もちろん、この映画の評判が著しく低いという事は知っているし、オリジナル版のファンから「あれはキングコングじゃない!」と不評を買っている事も承知している。しかし、僕はこの映画が醸し出す“インチキ臭さ”が大好きなのだ(笑)。

まず、パッケージのイラストを見てもらいたい。もう、この段階ですでに相当なインチキ臭さが漂っていることがお分かりいただけるだろう(笑)。今は無き世界貿易センタービルの屋上で仁王立ちになったコングが、片手に美女を持ち、もう片方の手でジェット戦闘機を握り潰しているという、実にワイルドでかっこいいイラストだが、こんなシーンは1ミリたりとも本編には出てこない(今だったら確実にネットで炎上するレベルだw)。

ラストでコングを攻撃するのは、ジェット機ではなくヘリコプターだし、しかも良く見るとコングはツインタワーの両方に足を掛けて立っているではないか。いくらなんでもデカ過ぎるだろ!?この、「ウソ・大げさ・紛らわしい」と三拍子揃ったJAROもビックリのハッタリマインドが、この映画の本質を象徴していると言っても過言ではない。宣伝用のイラストからしてこんな有様だから、内容はもっとハッタリ全開で、しかもストーリーが全然違うという恐ろしい有様となっているのだからたまりません(^_^;)

そもそもピーター・ジャクソン版(以下P・J版と略す)の『キング・コング』はオリジナル版を忠実にリメイクしたものなのに、ジョン・ギラーミン版(以下J・G版と略す)では大胆なアレンジが加えられ、かなりテイストが異なる映画になっているのだ。その最大の相違点は、時代設定を現代にしていること。P・J版はオリジナル版と同じ1933年に時代が設定されており、その理由について監督はこう述べている。

「オリジナル版の最大の見せ場は、ラストのエンパイア・ステートビルでの戦闘シーンだよね。もし現代の設定にしたら、あのシーンにヘリコプターなどの近代兵器を出さなければならず、僕が一番好きなロマンスの要素が無くなってしまうんだ。


そしてもう一つの理由は、“恐竜が住む未開の島が残っていた”という事を信じられる最後の時代が、1933年頃なんじゃないかって事。世界に対するミステリーやイマジネーションが、まだあった時代なんだ。だから今回、時代を33年に設定したのはとても意味があるんだよ」

つまり、時代を昔に設定することによって、ジャクソン監督お得意のファンタジー世界を成立させようとしたのである。一方、J・G版は舞台を現代に設定しているため、あまり荒唐無稽な展開に出来ず、ティラノサウルスや巨大昆虫も出てこないし、物凄いアクションも全く無い(オリジナル版のファンはこの辺に不満を持っているようだ)。その代わり、リアリティを重視した作りになっており、「もし、コングのような巨大なゴリラがいたらどうなるか?」という視点からアプローチしているのが興味深い。

コングを搬送する手段にしても、巨大な石油タンカーを使用するなど説得力を持たせているところも評価すべき(P・J版の場合、「あんなオンボロ貨物船でどうやってコングを運んだのか?」などの疑問が尽きない)。ファンタジーを取るか、リアリティを取るかで評価は分かれるだろう。しかし、個人的にはもっと重要な問題点が存在する。両作品における決定的な相違点、それはズバリ“エロシーン”だ!

J・G版のキング・コングでヒロインのドワンを演じるのは、ジェシカ・ラングである。本作で映画デビューを果たした彼女は、なんといきなりゴールデン・グローブ新人女優賞を獲得。その後『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(81年)で衝撃的なセックスシーンを披露し、観客の視線を釘付けにした。



さらに、『トッツィー』(82年)と『女優フランシス』(82年)でアカデミーにダブル・ノミネートされ、『トッツィー』で助演女優賞を受賞。以来、ブロードウェイにて舞台デビューも果たし、『ブルースカイ』(94年)ではアカデミー主演女優賞を受賞するなど、着実にハリウッド女優としてのキャリアを重ねている。中でも、特筆すべきはその美貌であろう。

映画『キング・コング』の中の彼女は常にセクシーな衣装を身にまとい、船に乗っている時はショートパンツ姿で自慢の脚線美を披露。島に上陸すれば、薄っぺらいドレス一枚で密林の中を走り回るもんだから、徐々に服が破れておっぱいが丸出しになるという嬉しい展開に全国の中学生が大興奮。おまけに、泥だらけになった体を洗うために、滝で水浴びするサービスショットまで盛り込まれるなど、まさに至れり尽くせりのエロ・シチュエーションを炸裂させているのだ。

それに対してP・J版のヒロイン、アン・ダロウを演じるのはナオミ・ワッツ。どちらかと言えば地味な印象であるが、清潔感漂うスタイルや、真面目そうなキャラクターは好感度大。いや、ぶっちゃけ結構好きなタイプですよ(笑)。しかし、残念ながらジェシカ・ラングに比べると明らかに“セクシー度”が足りないのだ(但し、こう感じるのは僕の主観の問題なので、世間の評価は知りませんが)。


女優としてのタイプが違うし、そもそも映画の中での描かれ方からして全然違うのである。J・G版のドワンは、かなり奔放なキャラクターで、自分の美貌を武器として有名になる事を目指している“したたかな女”。一方、P・J版のアンは、売れない女優業を一生懸命頑張っている“けなげな女”である。

当然、アンには必要以上のセクシーさが求められることはないし、そんなシーンも出てこない。それは別に構わないんだけど、あんな薄いキャミソール一枚でジャングルの中を転げ回っているのに、ほとんど体が汚れていないばかりかパンチラの一つも無いというのは、いかにも不自然ではないか?

別に「おっぱいを見せろ」とは言わないが、服が破れたり泥だらけになって当然の状況下で、着衣に一切乱れが無いのは(いくらファンタジーとはいえ)あまりにもリアリティに欠けるだろう。“エロシーン”とはすなわち人間の“生々しさ”であり、全編CGだらけのP・J版『キング・コング』には、そういった“生々しさ”が欠落しているように思われる。

あるいは、J・G版の『キング・コング』とP・J版の『キング・コング』は、『マトリックス』と『マトリックス・リローデッド』の関係に似ていると言えなくも無い。生身のキアヌ・リーブスがカンフー・アクションを頑張っていた1作目に対し、『リローデッド』ではCGのネオが常軌を逸したアクションをぶちかます。これはたしかにメチャクチャかっこいい。

だけど俳優が演じていないソレは、もはや単なるアニメーションにしか過ぎず、そこに“生々しさ”は無いし、感動も無いのである。ただ、「へ〜、(技術力は)凄いなあ」と感心してそれで終わり。これは別に『キング・コング』に限った事ではなく、近年のSFやファンタジー大作全般に当てはまることだが(P・J版のCGは極めてレベルが高いという事実を踏まえた上で、あえて言わせてもらえれば)、僕はやっぱり本物の”生々しさ”を見たいんだよねえ。

さて、そんなJ・G版の『キング・コング』を語る上で避けて通れないのが、プロデューサーの存在だ。おそらく、日本で監督以上に注目された最初のプロデューサー、それがディノ・デ・ラウレンティスであろう。なんせ監督のジョン・ギラーミンよりも、ラウレンティスの名前で映画が宣伝されたほどなのだから、影響力の凄さが伺える。『戦争と平和』や『天地創造』など超大作を乱発した挙句に、5000万ドル(120億円)を投じて『砂の惑星』(84年)を製作したものの、見事にコケまくって会社を倒産させるなど、武勇伝には事欠かない。

そんな名物プロデューサー・ラウレンティスは、12歳の自分の娘がオリジナル版のポスターを見てコング映画を観たがったため、リメイク版の製作を決定したらしい(とんだ親バカぶりである)。しかし、ラウレンティス映画の面白さは、この無節操で大雑把でいい加減なところにあるのだ。『キング・コング』における数々のハッタリ描写などは、まさに“ラウレンティスならでは”と言えるだろう。

この映画の製作費は75億円(2500万ドル)だったそうだ。メカニカルモデルとスーツで表現される事になったコングには300万ドルが当てられ、そのうち170万ドルが掛けられ等身大コングのロボットが作られた。身長20メートル、胸囲12メートル、手の平の直径3メートル、足のサイズ2メートル、重さ5トンという巨大メカコングを作ったのは、後に『E・T』を手掛ける巨匠カルロ・ランバルディだ。


しかし、いざ撮影が始まるとコンピュータ制御の精密メカは微動だにせず、何の役にも立たないという致命的な事実が発覚。また、コングのスーツもランバルディが製作していたのだが、あまりの出来の悪さに急遽ピンチヒッターが起用されてしまう。それが、新進気鋭の若手スペシャル・メイクアップ・アーティスト、リック・ベイカーだった。

当時若干25歳のベイカーは2種類のスーツと4種類のマスクを作り、しかもゴリラの動きを研究し尽くしていた彼は、自らコングの目と同じ色のコンタクトレンズを付けてスーツに入って演じて見せたのだ。ベイカーは連日15時間も働き、コングになり切って厳しい撮影をこなしていった。だが、この事実はほとんど伝えられず、あたかもメカニカル・コングが全編で暴れ回っているかのように宣伝されたのである。


当時、このような状況にリック・ベイカーはかなり不満を抱いていたらしい。曰く「撮影は当初、実物大のロボットだけで済ませる予定になっていました。それで、私は彼らに言い続けたのです。歩き回ったり、体をかがめて人をすくい上げる動作ができる物を作るべきだと。このコングでは体をかがめたらひっくり返ってしまうだろうと。しかし、誰も私の言葉に耳を貸そうとはしませんでした」とのこと。

それでもベイカーは、少しでもリアルなコングを作ろうと頑張った。しかし、リアリティを上げるためには着ぐるみの表面に手作業で植毛していく方法がベストなのに、「時間と費用が掛かりすぎる」との理由で却下され、代わりに「キメが粗く、色も毛並みも最悪な9枚の毛皮を繋いで1枚のスーツを作れ」と言われた時は絶望に打ちひしがれたという。

挙句の果てに、アカデミー賞の特殊効果部門もランバルディが(大した仕事もしていないのに)受賞するという酷い状況となったため、とうとう審査員のジム・ダンフォースが大激怒。「納得できん!」とアカデミー協会会員を辞任する騒ぎにまで発展した。

という具合に、J・G版『キング・コング』にまつわるやっかいな逸話は枚挙に暇が無い。そもそも実物大コングなんか作る必要があったのだろうか?撮影のためというより、世間を「あっ」と言わせる方が目的だったのではないか等、疑惑の念すら湧いてくる。

実際に映画で観るランバルディのコングは明らかにデクの棒で、画面にはトータルでも30秒ぐらいしか映らない。ほとんどのシーン(全体の95%)はリック・ベイカーの着ぐるみを使っていたそうだ。が、宣伝材料としてはたしかにハッタリ効果があり、「映画のためにメカで動く実物大コングを製作!」と大々的に宣伝されたのである。

しかもこのコング、PRのために来日までしているのだ。日本での宣伝費用だけでもなんと3億5千万円!だが、わざわざジャンボジェット機で運ばれたロボ・コングは、空ろな表情で手を振るだけの「デカい交通整理人形」みたいな代物で、その非の打ち所の無い見事なハリボテぶりは、日本中の観客を落胆させるには十分であった。さすが巨匠カルロ・ランバルディ、筋金入りのやっつけ仕事である(もっと真面目にやれ!)。

それに引き換え、若きリック・ベイカーが作り、自ら中に入って演技したコングのスーツは、実にリアルな造形で微妙な仕草や豊かな表情をも可能にしていた。特に、ジャングルでヒロインと戯れるシーンは、今見ても「良く出来てるなあ!」と感心するほど素晴らしい。

また、機械仕掛けの巨大なコングの「手」を作り、ヒロインと絡むシーンで使用。この「手」がまた異常に良く出来ていて、映画にとてつもないリアリティを与えている。P・J版とは全然別の『キング・コング』として観れば、意外に面白いと言えるかもしれない。


ちなみに、10年後にまたもやラウレンティスとギラーミンが組んで、よせばいいのに性懲りも無くキング・コング2』(86年)を作っているのだ、トホホ。しかし、1作目のラストでヘリの機銃に撃たれたキング・コングは、高層ビルの屋上から落ちて死んでいる。いったいどうやって続編を作るんだろう?と思ったら「死んだはずのコングは、実は昏睡状態で生きてました」という、『宇宙戦艦ヤマト・完結編』(83年)の沖田艦長みたいな荒業で堂々と復活。

その上、コングに嫁さんが出来てラブラブ状態となり、最後にはなんと子供まで生まれてしまうという、「いったい、何をどうしたらこんな下らないストーリーを思いつけるのだろう?」と感心するぐらいバカバカしい内容に全米が驚愕した。

前作を反省し過ぎたのか、正反対の方向へベクトルがぶっ飛んだようなワケの分からない物語と成り果て、世界中のコングファンが頭を抱えたそうだ。僕は公開時に劇場で観たんだけど…、まあ「コメントを差し控えたいぐらいつまらなかった」とだけ言っておこう(苦笑)。


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