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「『シン・ウルトラマン』は『シン・ゴジラ』ではない」という話

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて『シン・ウルトラマンが公開されてから早くも4週間が経過し、観客動員数は200万人、興行収入は31億円を突破するなど大ヒットを記録中!

ただし、作品に対する評価は賛否両論分かれており、否定的な意見の中には「全くリアリティがない」とか「『シン・ゴジラ』の方が面白かった」という声もチラホラと…。

シン・ゴジラといえば、総監督:庵野秀明&監督:樋口真嗣が2016年に作り上げた特撮映画で、公開当時は連日TVで取り上げられるなど話題沸騰!最終的には83億円の興行収入を叩き出し、社会現象化するほどのメガヒットを記録しました。

なので、「あの二人が作るなら、きっとまた『シン・ゴジラ』みたいな凄いウルトラマン映画を見せてくれるに違いない!」と多くのファンが期待するのも無理はないでしょう。

しかし、そんな期待とは裏腹に『シン・ウルトラマン』は『シン・ゴジラ』みたいな映画ではなかったのです。一体なぜか?

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

そもそもウルトラマンゴジラでは作品の方向性自体が全然違うんですよね。

よく『シン・ゴジラ』のゴジラ東日本大震災における「原発事故」のメタファーと言われていますが、要は「未曾有の大惨事に襲われ絶望的な状況の中、日本を救うために巨大な災害に立ち向かう人々の姿をリアルに描いた物語」なのです(つまり”ゴジラ”を”災害”に変換してもストーリーが成立する)。

物語の主人公はあくまでも”人間”であり、だからこそ観客はフィクションの中に現実を重ね合わせて感情移入することができたのですよ。

それに対して、ウルトラマン「ヒーローの物語」です。

”ヒーロー”は人間にはない特別な能力を持ち、その能力で人間を助けてくれる存在であるが故に、ストーリー上は彼の活躍シーンがメインになるんですよね。

ここが難しいポイントなんですが、『シン・ゴジラ』の場合は”ゴジラ”という巨大なウソが中心に存在しているため、それ以外の部分(政府の対応や自衛隊の行動等)を可能な限り正確に描写することで全体のリアリティを高めようとしました。

そのために庵野さんは官僚、政治家、自衛隊在日米軍など様々な人に取材し、官邸周りや自衛隊関連の出版物などを手当たり次第に読み漁り、膨大な知識とデータを詰め込んだそうです(庵野さん曰く、「約1年半にわたって自分でも褒めてやりたいぐらい勉強した」とのこと)。

こうして『シン・ゴジラ』は、「もし現実世界に巨大な怪獣が現れたらどうなるか?」という状況をリアルにシミュレーションしたポリティカル・フィクションとして成功を収めたのです。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

一方、『シン・ウルトラマン』の場合は「日本に次から次へと怪獣が現れる」という状況自体がすでにリアルではありません。

もちろん、オリジナルがそういう話なので仕方ないんですけど、「銀色の巨人が怪獣と戦う」というシチュエーションなどを含め、非現実的な要素があまりにも多いんですよ(『シン・ゴジラ』に比べてフィクション度が高い)。

そこで庵野さんは敢えてリアリティのレベルを下げ、フィクション寄りの作劇にすることを選択しました(以下、庵野さんのコメントから引用します)。

本作の世界観を緩めにしたかったので、政府系組織内外の設定等も『シン・ゴジラ』に比べてかなりフィクション寄りにしています。映画に望む世界観は観客それぞれなので現実感のバランスは難しいですが、撮影現場の負担を鑑みて、現実的な印象を観客が最小限持てば良いような世界観を目指しました。

(「シン・ウルトラマン デザインワークス」より)

『シン・ウルトラマン』に対しては「リアリティがない」などの批判も出ていましたが、どうやら意図的にフィクションの度合いを強めていたようですね。

まぁ、もともとオリジナルのウルトラマンも割と緩めの世界観なので、庵野さんはそういう「緩さ」も含めて忠実に再現したかったのでしょう。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

ではシン・ゴジラ』のような方法論でウルトラマンの映画を作ることは出来ないのか?というと、やり方次第では可能だと思います。

例えば、主人公を官僚や政治家や自衛隊員などに設定し、出現した怪獣(何体も現れるとリアリティが損なわれるので1対のみ)への対応をリアルに描く…とか(『シン・ゴジラ』の序盤から中盤にかけての雰囲気で)。

その後、様々な作戦で怪獣を撃退しようとするものの、自衛隊の攻撃でも全く歯が立たず、万策尽きたか…と思われたその時、突如「謎の銀色の巨人」が現れ、怪獣と激しい戦いを繰り広げる。

しかし、「あいつは敵なのか?味方なのか?」と政府側が判断に迷っていると、両者の決着が付かずに一旦姿が消え、その間に専門家が巨人の行動を分析し「ウルトラマン」と呼称することが決定。

やがて巨人が人間たちを守ろうとしていることが分かり、再び怪獣との戦いが始まるや、自衛隊に「全力でウルトラマンを援護せよ!」との命令が下される。

そして最後は自衛隊と共闘しつつウルトラマンが怪獣を倒す…みたいな展開にして各パート(政府組織や自衛隊描写等)のリアリティを高めていけば、『シン・ゴジラ』的なアプローチでウルトラマンを描くことも不可能ではないでしょう。

まぁ、お気付きかもしれませんが某『平成○○○』にそっくりですよね(笑)。「巨大怪獣と巨大ヒーローの戦い」をリアルに描こうとしたら、やはり『平成○○○』のドラマ構成が最も理にかなってるんですよ(改めて、「伊藤和典さんの脚本は実に良く出来ているなぁ」と感心しました)。

もちろん、このストーリーのままでは単なる『平成○○○』の二番煎じなので、会議シーンを増やしたり、もっとポリティカル・フィクション度を高めていけば同じ内容でも自然に『シン・ゴジラ』的な映画になると思います。

さらに『シン・ゴジラ』ファンへのサービスとして世界観の関連を匂わせるなら(赤坂補佐官っぽい人も出てきているので)、尾頭さん(市川実日子)や安田(高橋一生)などをチラっと登場させるのもアリかもしれません。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

ただし、ウルトラマンに過度なリアリティを求めることが果たして正しいのか?」という意見もあるでしょうね(そもそもオリジナルのウルトラマンゴジラが内容的に全く違うんだから、両者を比較しても意味がないのでは…とか)。

上記のようにシン・ゴジラ』的なウルトラマンを作ることは可能でしょうけど、おそらくストーリーはもの凄くシリアスになって会議シーンも多くなるだろうし、「そんなウルトラマンを観たいか?」と言われたら…。

やっぱりウルトラマンは”ヒーロー”なので、ポリティカル・フィクション的なリアリティよりも、空想科学的な「夢やロマンやカッコよさ」を追求して欲しい…という思いは捨て切れません。

というわけで、個人的にはウルトラマンを『シン・ゴジラ』に寄せる必要はないと思いますが、もし誰かが庵野さんに「『シン・ゴジラ』みたいなウルトラマン映画」を提案したとしても、「それはウルトラマンではない」「ウルトラマンゴジラは違うんだ」って却下されるんじゃないかなぁ(笑)。

 

シン・ウルトラマン デザインワークス