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樋口真嗣監督作品『ローレライ』制作秘話/評価

ローレライ

今日も今日とてセブンイレブンへ通う日々。『ローレライ』のドリンク・キャンペーンのおかげでペットボトルだらけとなった我が部屋は、もはや足の踏み場も無い状態だ。しかしこれだけ買っても、「伊507」だけがどうしても出ない。

なぜだああ!?と思ったら本日「水密服の少女」をゲット。おお、パウラだ!特製シートに座り、ローレライを起動する姿を描いた精巧なフィギュアである。心が癒されます。しかし、見れば見るほどプラグスーツだよなあ、コレw

さて、昨日は『ローレライ』を観て興奮状態のまま文章を書きなぐったわけだが(読みにくくてすいません)、あれだけ書いても「まだ書き足りん!」という事が判明。よって昨日書ききれなかった事を本日書く事にする。もはや映画の感想でもなんでもないのだが、ご了承頂きたい。テーマは「アニメと実写映画の関連性」についてである。

僕が樋口真嗣の名前を初めて意識したのは『平成ガメラ』を観た時だ。もちろんそれ以前の『エヴァンゲリオン』や『オネアミス』の時にも名前だけは知っていたんだけど、特に注目するような事は無かった。

だから『平成ガメラ』を観た時そのあまりにも斬新なヴィジュアルに腰を抜かし、樋口真嗣が持ち込んだ“アニメ的演出”のおかげで全く新しい映画が生まれたのだと思い込んでいたのだ。

だが、厳密に言えばそれだけではなかったのである。

監督の金子修介もまた、押井守の大学時代の後輩として若い頃は『うる星やつら』や『銀河旋風ブライガー』や『魔法の天使・クリーミーマミ』などの脚本を書いていたアニメ業界出身者だったのである(実写映画よりもむしろアニメ監督になりたかった、と語っている)。

その他にも脚本家の伊藤和典、デザイナーの前田真宏など、まさしく『平成ガメラ』はアニメ畑の人間が集結して作られた実写映画だったのだ。

ところで日本映画歴代興収ランキングを見てみると、1位『千と千尋』、2位『ハウル』、3位『もののけ姫』とトップ3をジブリ・アニメが独占している事が分かる。「もはや日本人はアニメしか見ないのか?」としか思えないような勢いだ。

4位にようやく実写映画として『踊る大捜査線THE MOVIE2』が入っている。173億円というとてつもない興行収入を叩き出した大ヒット映画だ。しかしこの映画には、ある重大な秘密が隠されていたのである。

なんと『踊る大捜査線』は押井守監督のアニメ『機動警察パトレイバー』を元ネタにして作られていたのだ!(といっても結構有名な話なので、知っている人は知っていると思うが)。

実は監督の本広克行は熱狂的な押井守ファンで、高校生の時に『うる星やつらビューティフル・ドリーマー』を見て以来、全ての作品を何度も繰り返し鑑賞して、ついにはカット単位で映画を暗記してしまうほどのめり込んでしまったらしい。

踊る大捜査線』が大ヒットした時も、「僕の中では湾岸署って『パトレイバー』の特車二課なんです。最初のロケハンで湾岸署を探した時にも以下のようにコメントしている。

スタッフに『パトレイバー』のビデオを見せて似ている場所を探してもらいました。『レインボーブリッジを封鎖せよ!』を作った時にも、押井監督は『パトレイバー2』で横浜ベイブリッジをミサイルで爆破したのに、我々は封鎖するだけでいいのか!ってさんざん会議で言い合いました(笑)。もうモロに影響受けてますよ。ライティングもカメラアングルも話の流れも全て影響されているし、何より世界で一番好きな監督ですからね。僕がやっていることは、押井監督がやったことを実写で追いかけているだけなのかもしれません。押井監督のファンにはよく指摘されるけど、それは僕自身も認めているし、押井監督の影響っていうのは逃れがたいものとして確実に僕の中にあるんです。

さらに世界に目を向けてみると、『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟が『攻殻機動隊』の影響を受けているエピソードはあまりにも有名だし、ジェームズ・キャメロンも以前から押井作品を敬愛し、多くのインスピレーションを受けてきたことを様々なメディアで打ち明けている。

特に『パトレイバー2』と『トゥルーライズ』におけるハリアーの戦闘シーンとの類似性を指摘された時も「確かに、押井監督の作品にインスパイアされたんだよ」とあっさりカミングアウトしたという逸話も残っているほどだ。

挙句の果てにはクエンティン・タランティーノまでもが『BLOOD THE LAST VAMPIRE』を見て感激し、プロダクションI・Gに『キル・ビル』の仕事を依頼するという事態が勃発。これは押井守が中心となって、若手を育成する目的で開催されたゼミ、通称:押井塾から生まれた映画で、企画協力として押井守の名前がクレジットされている。

日本刀を振り回す少女が主人公なのだが、タランティーノはこれを見てザ・ブライドのキャラクターを思い付いたらしいが、押井守はいったいどれだけのクリエイターに影響を与えているのだろう?

以上の事実から導き出される結論は、「最近の映画は(観客が意識しているかどうかは別として)アニメに影響を受けた作品がヒットする傾向にある」ということだ。また昨年『キャシャーン』『デビルマン』『キューティーハニー』と狂ったようにアニメの実写映画が公開された事。

さらにハリウッドでも『AKIRA』『ドラゴンボール』『エヴァンゲリオン』と続々と日本のアニメの映画化が企画されている事などを考えると、もはや映画の中に何らかの“アニメ的要素”が入ってくるのは、ある種の必然のような気がしてならない。そしてこのような傾向は、今後も益々加速していくと思われる。

さて今回僕は『ローレライ』を見た後に、映画に関するありとあらゆる本を買い漁ったのだが、その中にローレライ、浮上」という本があった。これは監督の樋口真嗣と原作者の福井晴敏の、映画制作にまつわる苦労話を綴った対談集である。

しかし単なるメイキング本ではなく、この映画にかける二人の夢と志に満ち溢れた素晴らしいドキュメンタリーなのだ。特に東宝社内のプレゼン用に樋口監督が書いた“所信表明”が泣かせる!

なぜみんなアメリカ製の映画ばかり見に行くのか?なぜ日本の作った映画はアメリカ映画と違うのか?映画の世界に入り、より多くの観客の心を動かしたいと思った瞬間から、一つの思いが芽生えてきた。観客の心が必要としているものを見つけ出してそれを提示すれば、きっとより多くの観客の心を動かせるだろう。実話が無いのなら作り出せばいいじゃないか。観客に力を与えるような作り話の底力を見せてやろうじゃないか。ここで我々が何かを作り出さなければ、日本人が作り、日本人に見せる映画の役割は本当に終わってしまうのだ!

これはまさにクリエイターとしての心の叫びであり、映画ファンの切なる願いでもあると言えるだろう。

思い起こせば、映画ファンがハリウッド映画にあこがれ続けてどれぐらいになるだろうか?凄い映画が公開されるたびに、「日本じゃ、あんな映画は作れないよなあ」と半ば諦めにも似た口調で溜息をつく。

そして「バジェットが違い過ぎる」とか「日本人の顔は大作映画には向いてないんだ」などの言い訳で、ずっとごまかし続けてきた。

しかしそんな事をやっている間に、お隣の韓国で作られた『シュリ』が日本で大ヒット!もちろんバリバリのアジア人顔であり、その後も次々と大作映画を連発している。そしてハリウッドではバンバン日本のアニメがパクられ、これまたことごとく大ヒット。

挙句の果てにはトム・クルーズ主演で時代劇まで作られ、青い目の侍がチャンバラをビシバシ決めまくる始末!ちくしょー、かっこいいなあ!何が悔しいって、ハリウッドに日本人俳優を使ってあんな面白い時代劇を撮られたって事が猛烈に悔しかった。アメリカ人に日本のお家芸まで奪われて、悔しくないわけ無いだろ!!!

そんな日本映画界の寂しい現状に一石を投じる作品がこの『ローレライ』なのである。

前述したように、今後の映画界を牽引していく上で“アニメ的要素”はもはや必要不可欠(なんせ、今や世界的規模で“日本のアニメ”が浸透しているのだから)。樋口監督も福井晴敏もアニメ世代ど真ん中のクリエイターだ。長年培ってきた“アニメ”という最大の武器を、ここで使わずどこで使うというのか!?

ただし大きな問題がある。今まで日本で作られた「アニメ的要素を含んだ実写作品」で、成功を収めたものが皆無だという点だ。『キャシャーン』も『キューティーハニー』も一般層に受け入れられたとは言い難い(デビルマンは論外)。

中でも最大の問題点は、業界関係者に絶大なる影響を与えまくっているアニメ界のカリスマ:押井守監督の実写作品がちっとも面白くない、という事実である。

後輩の金子修介でさえ「押井さんのアニメは面白いけど、実写はびっくりするぐらいつまらない」と一蹴しているほどだ。なぜつまらないのか?については既に答えが出ているものの、その説明は今回は割愛させていただく(というより映画を見れば分かる)。

また、一般の観客は「アニメ」と「実写」を明確に区別しており、実写映画の中に少しでもオタク的な匂いを感じると敬遠してしまう。どんなに『ハウルの動く城』が大ヒットしても、アニメと実写の間には高くて大きな壁が立ちはだかっているのだ。

樋口と福井はそんな数々の失敗例を教訓にして(笑)、「どうすればアニメの方法論を実写に取り入れつつ、一般ユーザーの共感を得る事が出来るか?」という課題に必死に取り組んだ。

そして本作がこれまでのパターンと大きく違うのは、『踊る大捜査線』の亀山プロデューサーが指揮を取り、フジテレビの製作による一般向け実写大作だという点なのだ。

つまり、これまでガンダム世代がアニメ・特撮関係で培ってきた図式が、一般の観客に通用するかどうかを試されている作品だと言える。それに関しては樋口監督も「これまでは仲間意識だけでやってこれた部分がどこかにあったと思う。だけどそろそろぶち破らないとダメだと思ったんです。と言ってもこれまでやってきた事を否定するわけじゃなく、自分たちが善しとしてきた事や、『ガンダム』からもらった価値観を広く一般の人に伝えていきたいと思ってこの映画を作ったんです」と述べている。すなわち本作は、オタク的価値観が一般人に受け入れられるかどうかの分岐点でもあるのだ。

何度も言うようだが、『ローレライ』は決して完成度が高い映画ではない。捜せばいくらでもアラが出てくるし、色々な意味で足りないものが多い。

しかしこの作品は日本映画界の流れを変えるかもしれない“可能性”に満ちている。邦画の明日を切り開く“希望”が目いっぱい詰まっている。ハリウッドに一矢報いるべく”信念”を持って作り上げられた、まさに若きクリエイターたちが放つ渾身の一撃なのだ!!!!!

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