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なぜ山賀博之は岡田斗司夫名義で脚本を書いたのか?

まず記事のタイトルを見て、普通の人は「山賀博之って誰やねん?」ってことになると思うが、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』という劇場用長編アニメーションを作った映画監督である。そしてもう一人は、”愛人問題”で最近何かと世間を騒がせている岡田斗司夫(笑)。

まあ、岡田斗司夫の下半身事情に関しては各自で検索してもらうとして(笑)、この二人が組んで1988年に『トップをねらえ!』というオリジナルアニメを製作した。そして、このアニメのスタッフクレジットを見ると、「脚本 岡田斗司夫」となっている。

今回ちょっと話題になっているのは、「『トップをねらえ!』の脚本を書いたのは岡田斗司夫じゃなくて山賀博之だ」とツイートした人がいて(おそらく例の”愛人問題”も絡んでるんだろうけど)、「岡田斗司夫の名前をクレジットから外すべきだ」と言ってるんだよね。↓






確かに、このツイートに書いてある通り、「『トップをねらえ!』の脚本を書いたのは岡田斗司夫じゃなくて山賀博之」というのは事実であり、ちょっとアニメに詳しい人なら誰でも知っている情報だ。ただ、少し気になったのは岡田斗司夫氏がスポンサーに企画を売り込んだまま一行も書けずに放り出した」という部分。

岡田は脚本家ではなく「プロデューサー」なのだから、企画の立案がメインの仕事であって、そもそも自分で脚本を書く必要が無いのでは?と思うんだけど。それとも『トップをねらえ!』に関しては岡田が自分で脚本を書かなければならないという条件でもあったのだろうか?

山賀がどういうつもりで発言したのか、その真偽は定かではない。しかし少なくとも「一行も書けずに放り出した」って部分に関しては間違いだろう。なぜなら、『岡田斗司夫のお蔵出し』(イースト・プレス)という本の中で、『トップをねらえ!』のストーリーを作る際に書いたメモが証拠として掲載されているからだ。

岡田は『トップ』のアイデアをステーキハウスでステーキを食べている時に思い付き、テーブルにあった紙ナプキンに簡単な構成をメモしたらしい。その後、名刺大のカードに第1話から第6話までのストーリーを書き記し、さらにそれを1話につき5〜6枚程度のプロットに膨らませている。

この段階でメモの総数は30枚以上あり、内容を確認してみると1枚につき約9行のストーリーが書かれていた。つまり、最低でも270行以上の文章を実際に書いていたわけで、「一行も書けずに放り出した」というのは明らかに誇張しすぎと言わざるを得ない。

当然、山賀もそのことは知っているはずで(はっきりと「岡田からプロットを見せられた」と言っている)、しかも岡田の方が山賀に対して「相談に乗って欲しい」と持ちかけているのだから、「仕事を放り出した」というニュアンスはどう考えても不適切じゃないかなあ。

ちなみに、「『トップ』の脚本を書いたのは山賀」という事実が知られるようになったのは結構古く、僕の記憶では1998年3月発行の『クイック・ジャパン vol.18』に掲載されたインタビュー記事の中で、山賀自身が証言したものが最初だと思う。

これは「ガイナックス風雲録:25歳で8億円のアニメを作った男・山賀博之が語る」と題された長い記事で、インタビュアーは当時『新世紀エヴァンゲリオン』にドハマリしていた竹熊健太郎。このインタビューで山賀は自分の生い立ちからDAICONアニメ、ガイナックスの設立、『王立宇宙軍』など、長時間に渡って喋っているが、その中で『トップをねらえ!』に関する部分を抜粋してみると以下のような感じに。↓

山賀:やっぱりね、その後のガイナックスを考える上で、要になっているのは良くも悪くも『トップをねらえ!』なんですよ。なんとか借金を返して、これで会社も解散できるという瞬間に、岡田さんが下請け仕事として『トップ』の企画を持って来たんです。

岡田さんの企画がパロディ路線でね。その前から、僕も「次はお気楽な作品をやりたい」っていう話をしてたから、ああそっちへ行きますかと。それで岡田さんのプロットは酷過ぎるよっていう話をして(笑)、僕がシナリオを書いたのが『トップ』の始まりなんです。

庵野は最初関係無かったんですよ。庵野はむしろ『火垂るの墓』の作画とかでジブリに行ってて。しかも庵野自身、あの頃はやたらと”自分は生涯一アニメーター”とか言ってて。要するに『王立宇宙軍』という仕事を戦争だとしたら、その時は「戦後」だったんです。戦後の明るい時代が来てたんですよ。だから『トップをねらえ!』は、岡田さん個人で動いている企画だと、僕は認識してましたね。

それで、『トップ』の脚本を書く時に思ったんですけど、どうせこれはよその会社に売り渡しちゃう企画だし、一生懸命やっちゃいけないと思ってね。「6時間しか時間をかけない」と自分に課したんですよ。

竹熊:6時間?

山賀:一話に付き、6時間でシナリオを書くと。第一話はまあ、岡田さんのプロット通りに書いて。二話は岡田さんからもらったのは簡単なメモだけ。二話について言えば、生き別れのお父さんがウラシマ効果で太陽系に帰って来るというアイデアは岡田さんです。岡田さんはそれをギャグにしてたんだけどね。それを俺が書いていくうちになぜか感動的な話になって。だんだん自分も乗ってくるんですよ。それでファックスで会社に送ったら、庵野が偶然見たらしくて…。

竹熊:泣いたんでしょう、実際に(笑)。

山賀:急に監督をやると言い出して。僕はその時、すごい迷惑だと思ったんです。それで後半、庵野が脚本を書き直してくれと言って来たけど、僕は拒否したんですよ。「脚本にリテイクを出して割に合うような仕事じゃない」って。そうしたら庵野なりに、自分で僕のシナリオを直していったんです。

竹熊:そのへんの話、書いちゃってもいいんですか?

山賀:うん、いいと思いますよ。

竹熊:完成作品では、脚本のテロップは岡田さんになってますけど。

山賀:ああ、そうか。(しばらく考えて)……まあいいですよ。そこを、これまで言わないようにしていたのは、自分の美意識で言わないようにしていただけなんだけど、だんだん面倒くさくなってきて(笑)。いいですよ、書いても。

人にはミエを切ったんだよね。俺の名前は出さないよって。それまで『王立宇宙軍』の山賀博之と言ってるのに、小さい下請け仕事を、山賀の次回作という形で世間に出すわけにはいかないんだって。それで岡田さん名義にしてもらったんだけど。

まあ僕の誤算だったのは、『トップ』という作品に対する庵野の入れ込みようがハンパじゃなかった、ということですね。結果的にあれはガイナックスの最高傑作ですよ。要するに僕は失敗してるわけです。作品を小さくすることに失敗して、小さい作品に自分の名前を出すのは困るから、下手な工作で岡田斗司夫名義にしますとやっといて、それも大外れで、庵野が傑作にしちゃった時にね。その後で、「あの作品、実は僕が脚本を書いてたんだよ」っていうのは…

竹熊:まあ、みっともないですよね。結果論で自慢するみたいで。

山賀:みっともない。でも今にして思うと、早いうちに言っとけばよかったんですよね。恥をしのんで、「すいません、最初は僕、こんな立派な作品になるとは思わなくって脚本を書いてました」って、早めに言っておけばよかったんだけど。僕がまた、つまらない意地を張っちゃったもんだから(笑)。

このインタビューを読むと、まず岡田が企画を立ち上げてプロットを書き、それを元に山賀が脚本を書き上げたらしい。つまり(当初の計画はどうなのか分からないが)岡田がプロット、山賀が脚本という役割分担に一応なっていたようだ。

また、岡田斗司夫名義にした理由については「(『トップをねらえ!』みたいな)小さい下請け仕事を、山賀の次回作という形で世間に出すわけにはいかない」と思っていたからで、どうやらこういうアニメで名前を晒すのがよっぽど恥ずかしかったらしい(笑)。

あと、 「単純に名前を出したくないのであればペンネームを別に考えればいいんじゃない?」という疑問に関しては、『トップをねらえ ! パーフェクトガイド』という本の中で以下のようにコメントしている。

脚本をまとめた僕としては、「脚本:岡田斗司夫」というクレジットは匿名脚本家としての共同ペンネームのつもりでした。この頃はみんなでいろんなアイデアを持ち寄って作っていましたし、そこにはもちろん岡田さんも参加しています。ですから、特定の個人ではなく集合体。そんなイメージでしたね。

つまり、色んな人のアイデアを具現化する共同ペンネームとして、当時ガイナックスの代表だった岡田斗司夫の名前を使った、ということなのだろうか?ぶっちゃけ、ペンネームを考えるのが面倒くさかっただけなのかもしれないね(笑)。なんせ、当時発売された『トップをねらえ!オカエリナサイBOX』(LD)の特典資料には「脚本 庵野秀明」と記載されてるぐらいだから。もしかすると山賀としては、自分の名前以外なら誰でも良かったんじゃないかなぁ。


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