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町山智浩が語った実写版『進撃の巨人』に対する本音とは


実写映画版『進撃の巨人』の後篇『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』が劇場公開されて4週間ほど経過したが、やはり状況は良くないようだ。まず、19日から全国427スクリーンで公開された本作は、週末2日間で観客動員23万7016人、興行収入3億2791万5700円をあげ、全国映画動員ランキングで初登場1位を獲得している。

「初登場1位」という実績だけを見ると凄いように思えるが、8月1日に公開された前篇は初日2日間で46万6953人を動員し、興収6億346万6200円を売り上げているのだ。それに比べると約半分に激減してるわけで、やはりこれは前篇を観た人の拒否反応や、スタッフの炎上騒ぎが影響していると考えざるを得ない。

そして後篇を観た人の評価の方も相変わらず酷い有様で、前篇と同様、いやそれを上回る勢いで批判が殺到しているらしい。「原作と違いすぎる」「ストーリーがおかしい」「キャラクターの言動が意味不明」「真面目に観てると腹が立つ」「そもそも観ても時間の無駄」「前後篇に分ける意味あったの?」「金返せ!」などなど、ネット上には罵詈雑言が溢れ返ったのである。

そんな実写版『進撃の巨人』で脚本を担当した映画評論家の町山智浩は、完成した映画を観てどのように思ったのだろうか?という記事を前篇の公開時に書いたら結構反響があったので(→前回の記事はコチラ)、本日は前後篇を通して「町山智浩は実写版『進撃の巨人』をどう評価しているのか?」を考察しつつ、町山氏の”本音”と思われる発言を取り上げてみたい。


●脚本を変更されたことについて
今回の『進撃の巨人』の脚本は町山智浩(と渡辺雄介)によって書かれているが、それを読んだ樋口真嗣監督が全く違う解釈をしていたり、あるいは脚本に無いシーンを急に現場で思い付いて撮影するなど、元のシナリオから変更された箇所が非常に多かったらしい。それに関して町山氏は以下のようにコメントしている。

脚本が変更される場合には2つのパターンがあって、脚本家に関係なく変更する場合と、脚本家自身が現場で変更するパターン。後者は、例えば『アダプテーション』という映画で、脚本家のチャーリー・カウフマンが現場まで行って直してる。


今回の『進撃の巨人』に関しては、僕は現場に行ってないし渡辺さんも行ってない。じゃあ他の脚本家はどうなのか?っていうと、宮藤官九郎さんに聞いたら「昔は行ってたけど今は行ってません」と。理由を聞いたら、「もし監督の解釈が違っていたら口出しをしたくなる。でも、そんなことをしたら現場が混乱するので言うわけにいかない。だから今は行かないことにしてるんです」と。


日本映画だけじゃなくてハリウッド映画もそうだけど、映画って完成するまでどうなるのか全く分からないんですよ。『ショーシャンクの空に』は最初は暗い終わり方だったけど、試写の反応が良くなかったんでハッピーエンドに変えられた。あのラストシーンは監督が意図したものじゃなかったんです。


プライベート・ライアン』も最初はもっとあっさりした話だったんだけど、フランク・ダラボンが脚本に関わってグチャグチャになった。『ダーティ・ハリー』は元々老刑事の話だったんですよ。それをジョン・ミリアスが書き直して、”ダーティ・ハリー”というキャラクター自体もジョン・ミリアスが作った。


『ブリット』は有名なカーアクション映画だけど、元のシナリオにはカーアクションなんて無いんです。監督のピーター・イエーツが全部書き直したんですよ。ピーター・イエーツは元レーサーで、カーアクションのシーンを撮りたかったから、脚本を書き直して自分で撮影したんです。


アメリカン・ビューティー』も元の脚本と全く違う。元のシナリオはケビン・スペイシーが殺されたところから始まって、犯人が逮捕されて、裁判になるんだけど真犯人が分からない、という内容。つまり、「真犯人を探すミステリー映画」だったんです。


ところが、撮影が終わった段階で監督が「ミステリー部分を全部切ろう」と言い出した。逮捕とか裁判のシーンとかも撮影されたのに編集で全部カットした。そんな映画がアカデミー脚本賞を獲っちゃったんです。「本当に元の脚本読んでるのかな?」って思うんだけど(笑)。だから、アカデミー脚本賞を獲った映画の多くが、実際は全然違うシナリオだったりするんですよ。映画ってそういうものなんです。 (「WOWOWぷらすと」より)


●実際に完成した映画を観てどう思ったのか?
どうやら町山氏は自分の書いた脚本を変更されたことについて、「世の中には脚本の通りに作られていない映画なんていくらでもある」「むしろ現場でシナリオが書き直されるなんて当たり前だ」と考え、ある程度は納得しているらしい。だが、実際に初めて試写を観た時はどのように感じたのだろうか?

ビックリしましたよ。「え?ここ違うよ!」ってところが結構あって。「わ!このシーン、こんな風になっちゃったの?」とか。監督に聞いたら「こういう事情でこうなりました」って説明してくれたけど。ただ、色々変えられた所はあるけれど、それは現場で監督と俳優さんが考えて作ったものなので、僕がどうこう言うことじゃないんですよ。


確かに、監督が変えたことによって全然違う方向に行っちゃったシーンもあるんだけど、逆に自分が考えてたイメージよりも上に行ってるシーンもあるんです。だからそれは、「上に行ったシーンがあるからいいや」って考えなんですよ。


後篇には、明らかに『進撃の巨人』の世界観から逸脱しているシーンがあって、それに関しては僕が脚本に書いたんだけど、「これって許されるのかな?」と僕自身も思ってたんです。そしたら、ちゃんとそのシーンを撮ってくれたんです。そのために”ある版権”を取得してくれて。凄く面倒くさい作業なんですよ、版権の取得って。


でも僕が「どうしてもそのシーンをやって欲しいんです!」とお願いしたら、頑張って版権を取得してくれた。あと、コンビニが出てくるシーンとか、凄くムチャなシーンもあって、「あ!これをやってくれたのか!」と思ったり。出来云々よりも、そういうワガママを聞いてくれて一緒に面白がってくれたっていうところが嬉しかった。なので、僕はもう何でも許します(笑)。


●役者の芝居が大袈裟な件について
今回、実写版『進撃の巨人』を観た多くの人たちから指摘されたことの一つに「役者のセリフや芝居が大袈裟すぎる」というものがあった。これは後篇ではもっと酷くなっていて、特にエレンが感情を込めて喋るシーンはほぼ全てが絶叫口調で不自然極まりない。いったいなぜ、こんなことになってしまったのか?

俳優さんの芝居の付け方っていうのは、監督と俳優さんの間で決まることなんです。それは好みの問題、趣味の問題があるので僕はどうこう言えないんですけど、この前、劇団☆新感線のお芝居を見たんですよ。で、見てみたら分かったことがあって。『進撃の巨人』の三浦春馬くんの芝居は劇団☆新感線の芝居に近いんですよ。ああ、こういう芝居を樋口監督は好きなんだなと。だから、いい悪いじゃなくて、そういう世界観なんだと。


劇団☆新感線の世界って歌舞伎に近いんですよね。役者が見栄を切るし、一人一人が大きい声で喋る。そして遠くから見ても分かるように動作が大きい。僕はそういう要素を入れるとは知らなかったから、「なんでこんな芝居なのかな?」と思ってたんですよ。だから、劇団☆新感線を観た時に「あっそうか」と思って。これは舞台の芝居なんだと。それが樋口監督の好みなんだと。


ただ、舞台の芝居と映画の芝居は全く違うものなので。舞台は役者の顔が見えないから遠くからでも分かるように大きな動きになる。でも映画は、カメラアングル一つで役者の芝居が全く変わる。アップで撮る時は顔の微妙な動きで感情を表現できるから、もの凄く細かい芝居ができるんです。だから、舞台の芝居をそのまま映画に持ち込んだらおかしなことになるんです。


でも、脚本で「役者の顔をアップで」とか書けないんですよ。細かい感情表現は現場で監督と役者さんが話合って決めることなんで。そもそも画面のカメラアングルを決めるのは撮影監督だから。『ラストエンペラー』に出演してた人に聞いたら、現場で指揮を取ってたのは撮影監督のヴィットリオ・ストラーロだったんだって。


つまり役者をアップで撮るか引きで撮るか、それを決定してるのは撮影監督なんですよ。たとえ役者の芝居に関わるようなことでも撮影監督が判断する。だから脚本を書く時にカメラワークなどは書き込んじゃいけない。それはカメラマンの仕事だから。現場で絵柄を決めるのはカメラマンなんです。


●実写版『進撃の巨人』に参加してみてどう感じたか?
結局、この映画に参加して町山氏はどのように感じたのだろう?答え難い質問に対して、言葉を選びながら以下のようにコメントしている。

今回の『進撃の巨人』に関しては、もっとこうすれば良かったと思うところもあったし、こうじゃないなと感じる部分も確かにありました。あるんだけど、はっきり言って製作の途中で予算が限界に達したりして、じゃあどうするか?となった時にプロデューサーが追加予算を持ってきたり、CGを作る人が頑張ってくれたり。今回CGに関わった人の人数も凄いんですよ。


僕、CGが入ってない段階の映像を観た時に、「うわ!これは大丈夫なのかな?」と思ったぐらい最初は不安で。あと僕の意図と違う部分があったりとか、「これはやらない方がいいのにな」と思った場面もあったり、例のラブシーン的なところとかね(笑)。


まあ色々あったんですけど、やっぱり限界がある中で皆が苦労してCGとか入れてって、後篇の一番ラストシーンで、「ああ、よかった!」と思ったんですよね。あそこ頑張ったですよ!まさかこれだけ地獄のような話で、井口昇が裸で出てくるような映画で(笑)。


観ている方も非常に苦しみますけど、あのラストシーンを観た時に「ああ、報われた」と思ったんですよね。本当に「ああ良かった」と思ったんですよ。原作者の諌山さんや編集者の川窪さんも「ラストシーンが良かった」と言ってくれたので、それは本当に良かったなと。


というわけで、町山氏自身は実写版『進撃の巨人』に対し、「色々気になる部分もあるけれど、最終的にはやって良かった」と考えているようで、「機会があれば、また映画の脚本を書いてみたい」とも語っている。恐らくこれが本音なのだろう。

今回の町山氏の発言を聞いて一つ分かったことがある。それは、どんなに脚本家がしっかり脚本を書いても、監督の判断で内容を変えられたり、存在しないシーンを勝手に付け加えられたりするのは当たり前、そして脚本家はそれに異を唱えることは出来ないという現状がある限り、今後も同じような事例は繰り返されるだろう、ということだ。

これは「せっかく町山さんが書いた脚本を樋口監督が台無しにしやがって!」とか、そういうレベルの話ではない。例え町山氏の書いた脚本が残念な出来栄えだったとしても、それをどうにかするのが監督の役目だし、逆に”優れた脚本”があったとしても、「それを活かすも殺すも監督の力量次第」ということなのだ。

つまり、どんなに優秀な人間がシナリオ作りに関わったとしても、まず監督のレベルをどうにかしなければ、映画の質はいつまで経っても向上しないのである。それが分かっただけでも実写版『進撃の巨人』が作られた意味はあった、と言えるのかもしれない。前後篇合わせて3600円の授業料は痛かったけど。


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