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実写版『進撃の巨人』はなぜこんなに絶賛されているのか?


うーむ…

「もうそろそろこのネタは終わりにしよう」と思っていたのだが、どうもまだ誤解している人がいるみたいなので、あと一つだけ記事を書いて終了としたい。まず前回は、こちらの記事で「実写版『進撃の巨人』を観た映画ライターたちの反応」を検証してみた。↓
type-r.hatenablog.com
簡単に言うと、「ライターたちの批評が絶賛コメントばかりに偏っているのは不自然じゃない?」という内容だ。すると、「”実写版『進撃の巨人』は酷評されて当然だ”という批判的なスタンスで論じるのはいかがなものか?」みたいな意見を目にしたんだけど、ちょっと待って欲しい。

映画ライターは実写版『進撃の巨人』をどう評価しているのか? - 1年で365本ひたすら映画を観まくる日記

「酷評じゃなきゃ納得出来ない」っていうスタンスをちょっとは隠しましょうよ

2015/08/31 17:50

いやいや!僕は「実写版『進撃の巨人』は酷評されて当然だ」などと思っていないし、そんな意図で記事を書いたつもりもない。「どうせ、”酷評じゃなきゃ納得出来ない”って思ってるんでしょ?」みたいな感じで見られているとすれば、それは全くの誤解である。

まず僕自身は、「どんな映画でも”面白い”という意見があれば、”面白くない”という意見もあるだろう」というスタンスでこの記事を書いている。つまり、「たとえ多くの人がつまらないと思っていても、面白いと感じる人は必ずいる」ということが大前提なのだ(『進撃の巨人』に限らず、どんな映画でもスタンスは変わらない)。

その前提を踏まえた上で、「じゃあ意見が偏るのはどんな状況だろう」と考えた場合、もし”誰が観ても面白い映画”というものが存在するなら、例えば『ダイ・ハード』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいな娯楽映画などは、比較的”絶賛”の評価が集まりやすいのではないかと。

ただ、そういう映画は世間の評価も総じて高く、評論家の意見とあまりかけ離れていないパターンが多いよね?と。しかしながら『進撃の巨人』の場合は、世間の評価が賛否両論真っ二つに分かれているにもかかわらず、映画雑誌等では絶賛のコメントばかりが載っている。これはいったい何故なんだろう?というのが前回の記事の主旨なのだ。

もちろん、「偶然そうなった」という状況も有り得るかもしれない。だが、『映画秘宝』の場合は、15人のライターがレビューを書いて、そのうち14人が絶賛しているのだ。これは”偶然”と言えるのだろうか?繰り返しになるが、僕はどんな映画でも「”面白い”という意見があれば、”面白くない”という意見もあるだろう」と思っている。

だから、実写版『進撃の巨人』を絶賛する人が大勢いたとしても、それ自体は別にかまわない。でも、だったら逆の意見もあって然るべきだし、これだけ一カ所で意見が偏ると「不自然と感じない方が不自然」だと思うんだけど違うのかなあ?

前の記事でも書いたように、『映画秘宝』は『進撃の巨人』で脚本を書いた町山智浩が立ち上げた雑誌なので、多少の”身内贔屓”があっても仕方がないとは思っている。ただ、今回はちょっとやりすぎではないか?と感じたわけで。

映画秘宝的な評価基準で判断しても賛否が分かれる内容だろうし、なにより2006年の「ベスト&トホホ10」で樋口真嗣監督の『日本沈没』を堂々とワースト1位に晒してボロカスに貶していたのだから、「それと比べてどうなのか?」という疑問もある(町山さんが脚本に加わっただけでこんなに手のひらを返すかねw)。

そもそも、”身内贔屓”をやるならやるで、もうちょっと上手く出来なかったのかと。レビューの内容を見ると、どれもこれも「ミニチュア特撮が素晴らしい!」だの「CGでは出せないアナログ感が凄い!」だの「巨人がサイコー!」だの、要するに映像効果を褒めているだけで、誰一人「ストーリーが良かった!」とは言ってない。

まあ、その辺は町山氏自身もラジオで喋る際に苦労していた部分だから仕方がないとしても、もう少し内容に言及したレビューがあってもいいのに…と情けない気持ちになった。「特撮が凄い!」というのは僕も全く同意見だが、だからこそもっと中身に踏み込んだ批評を書くべきなんじゃないの?と思った次第。

客観的に見て、実写版『進撃の巨人』にはいい部分もあれば悪い部分もある(それが普通だ)。なので、映画ライターの人たちには、いい部分ばかりじゃなくて悪い部分もそれぞれしっかりとレビューしてもらいたい。どちらか一方に偏るのは明らかにおかしい!と言いたいわけです。

なお、このような状況を見て、「誰かにこういう記事を書けと強要されたのか?」と勘繰る人もいたようだが、”圧力”とか”強要”みたいなものは特に無いと思う。そんなことをしなくても、『映画秘宝』は普通に好意的な文章を書いてくれるライターが多いからだ(なんせ知り合いが多いので)。ただし、他の場所では絶賛レビューを依頼された人もいるらしく、しかもその状況をYahoo!映画に投稿していたので驚いた。↓

「レビュー依頼の件、追記しました」(「Yahoo!映画」より)


7月半ば、仕事上で実写進撃の絶賛レビューを依頼されお断りしました。
各所、ライターや作家が同じような言葉で絶賛しているのは、そういう依頼があるからです。
こういった慣習、もうやめにしませんか?

この人は、監督や映画会社から直接依頼されたのではなく、試写招待で「タダで映画を観せるから、その代わり絶賛レビューをよろしくね」と言われたとのこと。しかも、他のライターや作家などにも同様の依頼が行われているらしい。なるほど、映画公開前後にやたらと絶賛レビューが飛び交っていたのは、こういうカラクリがあったからなのか!

まあ、試写を開催する側としては少しでも映画の宣伝になって欲しいと思っているわけで、悪い評価よりもいい評価を広めたいと考えるのは当然だろう。ただ、あまりにも露骨に絶賛レビューばかりを拡散させると違和感があるし、レビューの中身が「巨人スゲー!特撮スゲー!」だけでは「ああ、他に褒めるところが無かったんだろうな」と見透かされてしまう。それって結局、逆効果なのでは?

というわけで、現在出回っている実写版『進撃の巨人』のレビューは、「世間の評価とのズレが大きい」&「評価が一方に偏りすぎ」という2点において不自然さを感じざるを得ない。これは決して「酷評されるのが当然と思っているから」ではない。いくら絶賛レビューを広めてお客さんを呼び込んでも、その分批判レビューが増加すれば、必然的に後篇の興行に影響が出る。それでは結果的にマイナスなんじゃないの?と危惧しているからだ。その辺を良く考えていただきたい。

もちろん、お金を払って映画を観た人がどんな感想を書いてもその人の自由だ。酷評だろうが絶賛だろうが好きなように書けばいいと思う。だが、お金をもらって記事を書いているプロのライターが、普通に書店で売られている雑誌に自分の人間関係を絡めた主観丸出しのレビューを掲載するのってどうなんだろう?

それなら誌面のどこかに「私は町山さん(樋口監督)の知り合いなのでこういう文章になりました」と一筆入れて欲しいものだ。まあ、『映画秘宝』の場合は何も言わなくてもそういう事情を察知してくれる読者が多いから、敢えて開き直っているのかもしれないが。でも「どうせなら柳下毅一郎のレビューも載せてくれよ!」と思わずにはいられなかったなあ。

※余談

最初の記事を書いた際、町山氏が『進撃の巨人』の後篇を「『ハドソン・ホーク』みたいな映画だ」と評していることに関して、「あんなダメ映画と一緒にするとは、後篇ってどんだけ酷い出来栄えなんだよ…」と不安になったのだが、どうやら『ハドソン・ホーク』はダメ映画ではなかったらしい。


>主人公の怪盗ブルース・ウィリスが一曲歌いながら泥棒するみたいなくだりが確かあって

この辺は何となく覚えている。ミュージカル映画でもないのに、突然ブルース・ウィリスが歌い踊りながら物を盗むという、全く意味不明なシーンが飛び出して腰が砕けそうになった。もしかして後篇には、エレンが歌い踊りながら巨人を倒すシーンがあるのだろうか?それはそれで十分ダメ映画のような気がするんだけど…


進撃の巨人 ATTACK ON TITAN

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