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春日太一が実写版『進撃の巨人』後篇を痛烈に批判!


本日19日から実写映画版進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の後篇「エンド オブ ザ ワールド」が劇場公開されている。前篇と同様にさっそく賛否両論が巻き起こっているようだが、映画史研究家の春日太一氏が自身のツイッターでこの映画を論じていたので読んでみた。

春日氏は、本作の脚本を書いた町山智浩氏とも親交があり、実写版『進撃の巨人』について直接町山氏に観た印象を伝えたらしい。そういう部分も含めて興味深い批評になっている。おそらくTogetterにまとめられているのだろうが、自分用の備忘録として記事化しておきたい。



























というわけで、春日太一さんは実写版『進撃の巨人』に対してかなりの不満を抱いているようだ。以下、詳しく見てみよう。


>樋口監督&渡辺脚本だけだったら観る前から「ああ、いつものアレね」ということで
>期待なんてしなかったし、感想を言うことすらアホらしかったと思う。
>でもこれには町山さんが関わっていて、しかも直々に試写に招待された。


実際、こういう期待を持った人は多かったんじゃないかなあ。『ローレライ』の樋口真嗣監督と『ガッチャマン』の渡辺雄介だけならそれなりの心構えで観ることができたのかもしれないが、「映画評論家の町山智浩が加わることで、今までにない画期的な映画が生まれるのでは?」と夢想した映画ファンは少なくなかっただろう(僕もその一人だけど)。


>ダメ映画の要素が短い時間に凝縮されている


樋口監督と渡辺脚本なら、それはむしろ通常運転ではないのかな(笑)。


>私の中での後編への評価は「ここ十年で最もつまらない邦画」。
>「人類資金」がここ十年のワーストでしたが、それを超えました。


『人類資金』以下の映画なんてなかなかお目にかかれないと思うんだが…。観る前から武者震いがしてきたよ(笑)。


>中盤からクライマックスにかけては三浦・長谷川・國村が殴り合いながら
>自己主張を全てセリフのみで話す大絶叫議論合戦になる


う〜ん…


>これまで垂れ流され続けたクソ日本映画そのもの。
>しかも、その中でもかなりの底辺ともいえる出来といえる。


おお、前田有一よりも厳しいコメントが(笑)。


>町山さんは樋口監督の演出の問題を指摘してるし確かにその通りなんだけど。
>それは同時に樋口監督、ひいてはクソ映画をタレ流し続ける日本映画というシステムへの
>「町山さんの敗北」を意味することでもある。


これはねえ…。確かに町山さんも語っていることなんだけど、今回みたいに「脚本家」として映画に参加した場合は、その権限が限られてるんだよね。町山さんがどんなに優れた脚本を書いても(本当に優れているかどうかは別にして)、現場で実際に映画を撮るのは監督だから、脚本家の了承なしでいくらでも内容を変えられてしまう。

それに対して脚本家が「ちゃんとシナリオ通りにやってくれ!」と言うことは出来ない。町山さんによると「それをやったら現場が混乱するから言わない方がいい」ってことらしい。その結果、シナリオは色んな部分が大幅に改変され、完成後に試写を観て「うわ!あのシーンがこんな風になっちゃったのか!」と大いに驚いたそうだ。

それを”敗北”と言い切ってしまうのは「ちょっと厳しいのでは?」という気がしなくもない。一人の脚本家が映画の出来を左右できるほどの権限なんて持てるはずがないし、ましてや映画評論家の目線で完成した映画の欠点を指摘したところで、その時点では撮り直しも出来ないんだからどうしようもないだろう。


>でも本当にそれだけなのか。あの延々と繰り広げられる陳腐な説明台詞の数々には
>全く関わっていないのだろうか。
>準備稿から決定稿への推移、細かく知りたい。


これは僕も知りたい(笑)。実際、町山さんが書いたシナリオはどれぐらい映画の出来に関係してるんだろう?「ダメな部分は全部樋口監督のせい」みたいに思ってたんだけど、町山さんの説明を聞くとどうもそうではないらしいので。


>なぜあんな話・人物なのか、そこに町山さんが関与しているなら当然批判されるべき


町山さんが書いた最初のシナリオを公開してくれないかなあ…


>なぜここまで悲惨な人物造形・台詞・物語になってしまったのか。
>打ち合わせ〜準備稿〜決定稿〜撮影の過程で何が起きたのかを明らかにして
>後世の人間が検証する材料を提示し、このような愚挙を二度と起こしにくくする。
>それが、この映画に失望した観客に対して果たすべき町山さんの責任だと思う。


う〜ん…この辺も町山さんが詳しく語ってるんだけど、結論としては「自分で映画を撮るしかない」ってことなんだよねえ。町山さんが書いたシナリオに色んな人が手を加えて、納得できる脚本が仕上がっても、現場で撮影する監督がどんどん変更していったら、現場にいない脚本家はどうすることも出来ない(現場にいたとしても口出し出来ない)。「このような愚挙を二度と起こしにくくする」と言っても一体どうすれば…。


>後編がこうも悲惨になった要因の大部分は
>「撮影直前に急きょ前後編になった」(町山さんの証言)ことにある。
>「WOWOWぷらすと」は町山さんから「撮影直前に急きょ前後編になった」という証言を
>引き出せただけでも十分に価値のある番組だったと思う。


いや、「撮影直前に急きょ前後編になった」っていうのはキネマ旬報のインタビューで佐藤善宏プロデューサーが語っていたので、特に価値のある情報じゃないよ。「最初から二部作にした方が、壮大な物語をきちんと伝えることができるし、ある程度の予算を確保できると思うんですが、今回はあくまでも結果的に二部作になったんです」と自ら失敗を認めている。


>一本で収まるところを無理に二本に引き伸ばした、えげつない集金システム。
>これが興行的に成功したら追随するケースも増えて作品不在・観客不在が加速し、
>完全に見放される。
>1800円ならまだしも、こんなのに3600円を費やさせるのは止めたい。
>観客不在の前後編集金システムに激しい怒りを覚えるし、
>後編に関わった全ての関係者にも腹立つ。


「前後編公開システム」は、製作費に一定以上の予算をかけられない日本映画界が生み出した苦肉の策で、最近では色んな映画が採用している。もちろん納得できる映画もあるが、「これ本当に2本に分ける必要あったの?」と首を傾げる映画も少なくない。

個人的には、2本の映画を一気に撮ることで1本当たりの予算を節約し、すぐに続きを観られるこのシステムはそれほど悪くないと思うんだけど、『進撃の巨人』の場合は「元々1本で終わらせる予定だったものを、尺が長くなりすぎたために分割した」という経緯があるからマズいんだろうね。


>「優れた映画評論家が関わっても、いつも通りのクソ日本映画だった」
>ということへの失望は大きい。
>「批評する側」が「作る側」に回る時、どのようなスタンスをとるべきなのか。
>批評と同じスタンスを貫くことはできるのか。貫くとしたらどのようなやり方があるのか。
>貫けない場合、どのように我が身を処するのか。そして自分ならどうする。
>今回の町山さんの「敗北」が問いかけるものは大きい。


「映画評論家が映画製作に関わった意味」というのは間違いなくあったと思う。それは他の映画評論家からの批判が少なくなったこと(笑)。実際に町山さんに気を遣っているのかどうかは知らないが、一般の観客から寄せられる猛烈なバッシングに比べると、映画評論家からの批判は驚くほど少なかった。


もう一つは、映画評論家である町山さんがこの映画の「批判されそうな箇所」を、皆が追求する前に先回りして自ら釈明し、「なるほど、そういう事情なら仕方がないな」と思わせたことだろう。これは普通の脚本家には絶対出来ない、まさに町山さんだからこそ出来たことで、これだけでも町山さんを起用した意味はあったと思う。


>一連の私のツイートを読んで「後編を見ようかどうか悩んでいる」という方には
>ハッキリこう言いたい。「見るな」と。
>この悪質な集金システムに課金して東宝をイイ気にさせてはならない。


その映画が面白いかどうかは観た人がそれぞれ判断することなので、「見るな」というのはいささか言葉が過ぎるような気もするが…。「悪質な集金システム」と言っても、今回の場合は『進撃の巨人』が悪質なだけであって、システム自体は(ちゃんとした映画を作れば)問題ないのではないだろうか?そもそも『進撃の巨人』が本当に悪質かどうかも自分で確認しなきゃ分からんし。


>自分で考えることが大事だと思います


どっちやねん(笑)。


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