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大友克洋監督の『スチームボーイ』ってどうなの?(ネタバレあり)

スチームボーイ
映画『スチームボーイ』より
■あらすじ『19世紀、産業革命時代のロンドンは第1回万国博を控え、人々の活気であふれていた。発明一家の三代目レイ少年も、毎日を自作の発明品と格闘しながら暮らしていたが、そんなある日、渡米中の祖父ロイドから風変わりな金属ボールが届く。そこにオハラ財団を名乗る男たちが現れ、ボールの引き渡しを求めてきた。だが、そのボールこそ祖父と父の画期的大発明”スチームボール”だったのだ!』


※前回の記事
type-r.hatenablog.com

昨日の記事ではDVDを買った勢いだけで書いてしまい、映画の内容に全く触れていなかったので本日は感想や評価的なものを書いてみたい。本作はいわゆる正統派冒険活劇である。機械好きの少年が、ある日特別な装置を手に入れたことによってトラブルに巻き込まれていき、ヒロインを守って悪い大人たちと対決する、という極めてオーソドックスな物語だ。

本作の予告編を観て『天空の城ラピュタ』を想像した人も多いかもしれない。確かに雰囲気は似ているが、実際にはほとんど別物で、一言で言えば「物凄く普通のアドベンチャー映画」って感じ。そして登場人物もみな普通で、どうにもインパクトが弱い。一番の問題は、絶対的な悪役がいないという点だろう。

主人公レイと敵対するのはオハラ財団であるが、社長のサイモンはどう見ても悪人には見えない。キャラクターの中で一番悪そうなのは部下のアルフレッドなんだけど、彼とて自分の仕事をこなしているだけで、それ程悪行三昧しているわけではない。

ラピュタ』の場合は、ムスカという”非常にわかりやすい悪人”が散々悪事を働いていたので、主人公の目的や行動原理が把握しやすく、容易に感情移入することが可能だった。しかし本作では悪役のキャラクターが弱すぎるせいで、主人公の活躍が引き立たないのだ。

クライマックスでスチーム城を発動させ、ロンドン市街を大混乱に陥れるのはレイの父エディだが、彼でさえ、自分の価値観を信じて科学を有効活用しようとしているだけなので”悪人”とは呼べないだろう(やってることはマズいがw)。

つまりこの映画には「主人公が最後に最も悪いヤツをやっつけてハッピーエンドを迎える」という、娯楽映画では定番のカタルシスが存在しないのだ。したがって、ストーリーで感動することは難しいかもしれない。

その代わり、街や城や機械が派手にぶっ壊れる「破壊シーン」を徹底的に見せることによって、「物語のカタルシス」よりも「映像的なカタルシス」を描こうとしているように見える。

特にクライマックスにおける大崩壊シーンの凄まじさはハンパではなく、地上ではオハラ財団と大英帝国海軍が大量の兵器を投入して前代未聞の戦闘シーンを炸裂させる。そしてエディは城を空中に浮かせて、ロンドンの街を壊しまくるのだ。

これらの圧倒的な破壊描写を、凄腕アニメーターと最新デジタル技術を総動員して「これでも喰らえ!」と言わんばかりの勢いで徹底的に描き切る様は、まさに空前絶後のド迫力。「24億円の製作費はダテじゃない!」と思わせるには十分すぎるほどの壮絶な一大破壊絵巻が展開するのだ。

大友克洋監督が表現したかったものは、まさにこれら「破壊の美学」だったのではないだろうか?そしてそのヴィジュアルの素晴らしさは、もはや他の追随を許さないほどの境地に達している、と言っても過言ではないだろう。

中でも大友監督がこだわったのは、タイトルにもなっている”蒸気(スチーム)”の表現だそうだ。画面の至る所に現れている大量の蒸気は、なんと全てアニメーターが手で描いたものらしい。

当初はCGで表現する事も検討されたが、大友監督から「煙にも演技をさせたい」というムチャな要望が出たため、手描きで表現する事になったという。このおかげでアニメーターの橋本敬史は、「エフェクト作画監督」という蒸気専門アニメーターの肩書きを与えられてしまった。

しかもその作業量は尋常ではなく、多い時には1カットで千枚以上、トータルで3万枚以上の煙を描くハメになったという。「同じような画を何百枚も描かなきゃいけないんで、精神的につらかったです。毎日毎日ずっと同じ煙を描いていました(笑)」と語っているように、相当大変な作業だった模様(最終的には”煙ノイローゼ”にまでなりかけたそうだw)。

またこの映画は、ほとんどのキャラクターを声優ではなく、役者が演じていることも特徴である。主人公のレイ役には鈴木杏、スカーレット役には小西真奈美、その他、中村嘉葎雄津嘉山正種児玉清沢村一樹斉藤暁寺島進など、有名俳優を取り揃えた豪華なキャスティングだ。

賛否両論あると思うが、僕は悪くないと思った。特に小西真奈美のスカーレットはびっくりするぐらいキャラに合っており、とても声優初挑戦とは思えない。鈴木杏も「元気溢れる男の子」をのびのびと演じ切っていて好感触だった。

だが問題はロイド役の中村嘉葎雄である。イメージに合う合わない以前に、セリフが良く聞き取れないのだから困った問題だ。役者のキャリアも長いので、活舌が悪いとも思えないのだが、どうにも違和感が大きすぎる。これだけは何とかして欲しかった。

ちなみに2004年は本作と押井守の『イノセンス』、そして宮崎駿の『ハウルの動く城』という、日本を代表する3大アニメ監督の新作が一気に公開された記念すべき年であった。見比べてみると、それぞれの監督の特徴が分かって興味深い。『イノセンス』は押井監督の論理的に構築された脚本に加えて、最新デジタル技術を惜しげもなくつぎ込んだ「全編フルデジタル・アニメ」と呼ぶに相応しいSF映画に仕上がっている。

そして『ハウル』は、あくまでも”アニメーション”としての動きを優先させた、アナログ的な暖かさを感じさせるファンタジーの傑作として高い評価を受けた。では、『スチームボーイ』はどうだろう?僕は、「『スチームボーイ』は『イノセンス』と『ハウル』の中間に位置する映画ではないか」と感じた。

まず押井守は、デジタル技術には強い関心を示しているが、アニメーションそのもの(厳密に言うと”動き”)にはあまりこだわりが無い(ように思える)。その証拠に押井守の映画は異常に止め絵が多く、むしろ「止まった絵で時間の流れを表現したい」と語っているほどだ。

その反対に、宮崎駿はデジタルにはそれほど関心が無い反面、アニメーションには只ならぬこだわりを持っている。これは言うまでも無く宮崎駿が生粋のアニメーターだからで、アニメーターにとっては”絵を動かすこと”が最優先事項であり、とにかく動かすことによって全てを表現したいのだ。

では大友克洋はどうなのか?実は「デジタルに強い関心を持ちつつ、同じぐらいアニメーション(作画)にも強烈なこだわりを持っている」という、2大監督の特徴をバランス良く取り込んだ監督ではないか?と。

これは大友自身が優れた漫画家であると同時に、「優れたアニメーターである」という事実と大いに関係があると思う。

70年代後半、大友がマンガ界にデビューしたとき、いくつかの特徴が話題になった。その高密度に描き込まれた圧倒的なディテールは、マンガ界全体に緻密化やリアル化という影響を与え、コマの連続が集中線や描線のブレで切り返されるという斬新な手法は「時間の圧縮や伸長感覚」まで表現し、多くの読者の度肝を抜いた。

こうした表現は「究極のマンガ」と「究極のアニメ」の属性を同時に持っているのである。大友克洋の脳内には最初から省略抜きの「アニメーション映像」が流れており、漫画を描く際はそれを紙に移し替えて”止め絵”として表現していただけなのだ。

そんな大友のアニメーション志向は、『AKIRA』のアニメ映画化において決定的なものになっていく。普通、マンガ家がアニメを手掛ける時はキャラクターのデザインを提供したり、イメージボードなどを描くという、いわゆる”静止画的作業”のみに止まるパターンが多い。

ところが一流アニメーターが集結した『AKIRA』の制作現場で、大友は自ら原画を描きまくって周囲を驚愕させたのだ。しかもプロが見ても絶句するほどハイレベルな原画だったというのだから凄いとしか言いようがない。

さらに絵コンテやレイアウト、修正原画に至るまで、その作業量はもはやマンガ家というより「アニメーション作家」と呼んだほうが相応しいほどの充実ぶりであったという。

こうして「リアルなアニメーション」と「緻密な描写」の融合によって生み出された『AKIRA』は、日本のみならず海外でも高い評価を受け、大友克洋の名は一躍世界へ知れ渡ることとなった。

スチームボーイ』もまた、さらに「最新デジタル技術」が融合された完全無欠の高密度アニメーションとして今後も記録に残るだろう(少なくともヴィジュアル面では)。ちなみに『スチームボーイ』がヒットすれば続編を作る計画もあるようで、ヒロインのスカーレットがメインの物語となるらしい。タイトルは『スチームガール』……ってそのまんまやん!少しはひねってくれ!


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