アニメ史上、空前の規模で制作された大友克洋最新作『スチームボーイ』のDVDがついにリリースされた!しかも関連映像を網羅したDVD4枚組のメモリアルボックスだッ!
内容は「本編」「アーカイブサイド」「ビジュアル・メイキングサイド」「サウンド・メイキングサイド」の4枚に加え、封入特典として36ページのオールカラーブックレットまで付いてくる!おまけに「本編」は音声をデジタルリマスターした完全版!さらに大友克洋描き下ろしのアートBOX仕様とくれば、もう何があっても買うしかない!
しかし価格は税込み10290円ナリ!ぎゃあああ、た、高い!高すぎるってアンタ!いくらなんでもあんまりだ!とは言え、“お求めやすい通常版”では何となく物足りない。なんせ製作期間9年、総製作費24億円、作画枚数18万枚という超大作なのだ。そのスケール感に見合ったものを、手に入れたいと思うのが人情ではないか!
といわけで、「24億円で作ったものが、たったの10290円で買えるんだから安いもんだ」と無理矢理な理屈で自分を納得させて強引に購入。もはや、自分の中で完全に何かが壊れているとしか言いようがない。が、しかしコレクターズ何とかやアルティメット何とかというフレーズには逆らいがたい魅力があるのも事実である。だって、どうせ買うなら特典が多い方がいいじゃない?(俺だけか)
ちょうどこの時期、アニメーションの世界にデジタル化の波が押し寄せてきていた。大友監督は当時「かつての発明家たちがそうであったように、私たちもデジタルを活用した新しい映像作りに、果敢に挑戦していきたいと思っています」と述べている。こうして最新デジタル技術をふんだんに取り入れた『スチームボーイ』の製作がスタートしたのである。
ところが95年に動き始めた『スチームボーイ』の製作は、翌96年にいきなり中断してしまう。理由については大友監督自身が「予算を確保出来なかった」とはっきり述べている。通常の作品と違って決められた枠組みの中で出来るものではなく、詳細な見積もりも出せない。当然、費用はどんどんかさんでいく。そんな状況の中で、出資先となっていた大手企業から予算が出なくなってしまったのだ。
さらに、大友監督の要求が高くなる一方の作業に、現場のスタッフとの間にも重い空気が漂い始めていた。「監督というものはワンマンじゃないといけないんですよね。でも、明らかにスタッフに無理をさせていると思う時もある。一番つらかったのはプロデューサーとケンカした時に“大友さんさえいなければいいのに!”と言われてしまった事です」と当時を振り返っている。そして、ついに計画は頓挫してしまうのだ。
しかし大友は『スチームボーイ』の制作を諦めず、なんと自腹を切って企画を買い戻したのである。そしてバンダイビジュアルの渡辺プロデューサーに「一緒にこの映画を作ってくれ!」と直訴した。大友監督の熱意に打たれた渡辺氏は参加を表明。しかし、そこから先がまた苦難の連続だったらしい。
渡辺氏によると「大変だった事があまりにも多すぎて、もうワケが分からなくなっています(笑)。スタジオを継続させる事が不可能になって制作プロダクションを移管したり、公開直前に急遽延期になったり、数え上げればきりがありません。会社もそうですが、自分も心臓を悪くして倒れちゃったんですよ。」と語っているように、想像を絶する壮絶な制作状況だったらしい。
実はこの話には色々と複雑な事情が絡んでいるのだ。まず、大友監督と手を組んだバンダイビジュアルは、97年10月28日に赤坂プリンスホテルにて「デジタルエンジン構想」なるものを大々的に発表している。これは「全世界のマーケットをターゲットとした、国際水準の映像コンテンツの開発」を目的とした破格のプロジェクトだった。その第一弾が『スチームボーイ』で、当時は制作費16億円、公開予定日は99年の秋となっていた。
ちなみに企画の第二弾は押井守監督のSF実写映画で、タイトルは『ガルム戦記(仮)』。これは実写、ミニチュア特撮、CGをデジタル技術で融合させて、誰も見た事が無い映像を作り上げるという、全く前例の無い画期的な映画という触れ込みだった。この一大プロジェクトの為に、東京の荻窪に開発施設まで作られたのだ。その名もデジタルエンジン研究所。光子力研究所みたいな大げさなネーミングからも、このプロジェクトに懸ける意気込みの高さがうかがえる。
特に『ガルム戦記』の製作スケールのでかさは常軌を逸していた。脚本は伊藤和典、特技監督は樋口真嗣、音楽は川井憲次、デザインは末弥純、ミニチュア造形は竹谷隆之と集まったメンバーも凄い顔ぶれだ。しかも予算は60億円!押井監督もメチャクチャに張り切って、6週間かけてコンテを描き、山のようにデザインを発注し、ミニチュアや衣装を大量に作らせ、とうとうアイルランドへロケハンにまで行ってしまったのである。完成していればさぞかし凄い映画になっていたであろう。
しかし、いよいよ撮影に入ろうという時に、突如予算削除命令が発令されたのである。そして今度は「海外と組みましょう」という話になったのだ。プロデューサー候補はなんとジェームズ・キャメロン!そこで押井監督は大友監督と一緒にロサンゼルスに出かけて、キャメロンの前でプレゼンをやったのだ。しかしキャメロン自身は大喜びだったものの、結局この話はボツになってしまった。
そうこうしている内にプロジェクトの規模はどんどん縮小されていき、映画の製作もほとんど進まなくなっていった。そしてついにある日、バンダイビジュアルから「完全にアウトになりました」と告げられてしまったのである。監督としてはさぞかし無念だった事であろう。
だが大友監督はこれでも諦めずに地道に作業を続け、ついに『スチームボーイ』を完成に導いた。10年近くもの間、一本の作品に対してモチベーションを維持し続ける事自体、驚愕に値する。まさに本作は、稀代のクリエイター大友克洋が執念の末に生み出した入魂の作品なのだ。
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