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デンゼル・ワシントン主演『マイ・ボディガード』ネタバレ映画感想

マイ・ボディガード

今日は阪神大震災が起きてちょうど10年目である。当時、僕の自宅は神戸からはかなり遠く離れていたにもかかわらず激しく揺れまくり、ベッドから飛び起きた事を覚えている。地震が起きるほんの何年か前まで神戸市に住んでいたという事もあり、その日のニュースには驚愕した。あれから10年。街は目覚しい復興を遂げているがまさに「人生何が起きるか分からない」という事を思い知らされた出来事だった。そう、何が起きるか分からないからこそ、一日一日を無駄にしないように生きる事が大切なのだ。決して後悔しないように。



■あらすじ『主人公は元米軍の特殊部隊員だが、生きる気力を無くし酒に溺れる日々を送っていた。しかしある実業家の娘のボディガードとして雇われた事により、彼の人生は一変する。たった9歳の少女によって、男は再び生きる希望を与えられたのだ。だが非情な運命が彼女を奪った。命よりも大切なものを奪われた男は今、怒りを胸に秘め哀しみを武器に変えて立ち上がる!「レオン」から10年、迫り来る悪に立ち向かう男と少女の、さらに熱く、さらに切ない愛の物語が、今ここに誕生した!』



マイ・ボディガードは決して悪い映画ではない。むしろトニー・スコットはベテラン監督としての手腕を存分に発揮し、アカデミー賞俳優デンゼル・ワシントンは安定した存在感を画面に漂わせ、ダコタ・ファニングは相変わらず子役とは思えぬほどの卓越した演技力を見せ付ける、という具合に全体の完成度は非常に高いと言えるだろう。

さらに脇役のクリストファー・ウォーケンミッキー・ロークの個性も光っている(ウォーケンは長年悪役をやってきたストレスの為か、「もう悪役はイヤだ!」と監督に直訴して「いい人」の役に変えてもらったらしい)

脚本は、駆け出しの頃に「エルム街の悪夢」シリーズで小銭を稼いでいたブライアン・ヘルゲランドである。最近ではミスティック・リバーなどの脚本ですっかり一流となってしまった感があるが、本作もなかなかしっかりしたいい脚本だ。

にもかかわらず見終わった後になんとも言えない「後味の悪さ」が残ってしまうのである。これは一体どうしたことだろう?問題があるとすれば宣伝の仕方にあるのではないか、と思う。宣伝のイメージと作品との間にとてつもないギャップを感じてしまうのだ。



※以下、ネタバレしてます。ご注意下さい!



宣伝のコピーは「迫り来る危機が純粋すぎる愛を生んだ」「二つの魂の熱く切ない愛の感動作!」などやたらと「愛」を強調したものになっており、さらに『レオン』を引き合いに出す事からも明らかに”ラブ・ストーリー”として売り出していると思われる。

しかしこの映画はどう見ても”ラブ・ストーリー”ではないし、ましてやレオンでもない。男の少女に対する感情はあくまでも「父と娘」の感情であり、決して男女の恋愛ではないだろう。いくらなんでも年が離れすぎているし、『レオン』の場合は意図的に「禁断の愛」を演出していたのだから状況が違いすぎる(まあ、親子の愛情という意味では「愛」と呼べなくもないが、そうでないとデンゼルが単なるロリコンになってしまうぞ)。

さらにこの映画は、前半は男と少女の心温まる交流を描き、後半は少女を誘拐された男の復讐劇へと変貌を遂げるのである。デンゼル・ワシントンが完全にパニッシャーな人と化し、事件に関係する人間を次々と惨殺していくという非常に血生臭い映画になっているのだ。

指を一本一本切り落としたり尻の穴に爆弾を突っ込んで爆発させたりといった、「愛」や「感動」とは程遠い残酷描写が続出する。普通に考えれば彼の行為は完全に常軌を逸しており、明らかに「やりすぎ」である。

しかしこれらの残虐シーンは少女が殺された事による「復讐」という前提があるからこそ成り立っているのだ。「何の罪も無い少女の命を無残にも奪われた」という主人公の怒りと哀しみに共感できるからこそ、かろうじて成立しているのである。ところが「実は少女は生きてました」という驚愕の事実が発覚!
ええっ!?もっと早く言えよ!!!
そうすればデンゼル・ワシントンも、やけくそになってディスコに放火したり何人も警官を殺したりしなくてもすんだのに!!!おまけに少女のお父さんは自殺しちゃってるし、この後家族はどーすんだよ!?「尻爆弾」で殺されたおっさんの立場は?ってコレはどーでもいいか。まあとにかく、まさに「後の祭り」というヤツだ。これで「感動の物語」と言われてもなあ…