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『スター・ウォーズ』はこうして生まれた!

スター・ウォーズ

いよいよ明日から全国の劇場でスター・ウォーズ:エピソード3/シスの復讐が公開されます!テレビでも今晩地上波で初めて『エピソード2』を放送したりと、事前準備(?)に余念がありません(金曜ロードショーにルーカスが出るとは!力入れ過ぎだよ)。もはや映画と言うよりも“巨大なお祭り”と化した感のある『スター・ウォーズ』ですが、第一作目が完成するまでには、現在の状況からは想像も出来ないほど苦難の連続だったそうです。ジョージ・ルーカスを襲った受難とは、いったいどのようなものだったのでしょうか?



1977年5月25日、アメリカで初公開された『スター・ウォーズ』は、上映館がたったの32館という少なさであったにもかかわらず瞬く間にそれまでの興行記録を塗り替え、全米興行成績ナンバー1に輝き、1億2700万ドルというとてつもない記録を叩き出しました。そして翌年1978年6月には日本で公開され、観客動員数2348976人、興行成績43億8751万円という前人未到の大ヒットを記録したのです。さらに驚くべき事に、2005年現在に至るまでの全米歴代興行成績ランキングでも、1位の『タイタニック』に次いで、4億6093万ドルという凄まじい成績を打ち出し堂々の第2位!しかも全世界歴代興行成績ランキングにおいても、7億9800万ドルで10位をキープしているのですからもはや開いた口が塞がりません。
それをさかのぼる事4年前の1973年夏、アメリカは一本の低予算青春映画に酔いしれていました。その映画はアメリカン・グラフティ。興収は1億1700万ドルで、当時のレートに換算すると250億円以上にもなります。『アメリカン・グラフティ』が公開されるまで、ジョージ・ルーカスの生活は貧乏のどん底でした。当時の年収は奥さんのマーシャと合わせても2万ドル以下で、両親や弁護士から、そしてフランシス・コッポラからも多額の借金をしていて、ほとんど破産寸前の状態だったそうです。ところが、この大ヒットによってジョージ・ルーカスは一夜にして700万ドルの利益*1を手にする事に!急激に莫大な利益が入ってきた為に、ルーカスは「あまりにも長いこと貧乏だったんで、何か物を買えるんだという事に気付くまでに、しばらく時間がかかったよ」と、戸惑いを隠せませんでした。
しかし、『アメリカン・グラフティ』の大ヒットによって、ようやく念願のSF映画を撮る事が出来るようになりました。それがスター・ウォーズです。当初、『スター・ウォーズ』の企画はユニヴァーサル・スタジオに持ち込まれましたが、ルーカスの脚本を読んだ担当者が「良く分からん」とあっさり断ってしまったのです。おかげでユニヴァーサルは、後に世界中で8億ドル近くの興収を叩き出すドル箱作品を、みすみす手放す事になってしまいました。そしてユニヴァーサルが断った10日後に、20世紀フォックスが正式契約を申し込んできたのです。フォックスの重役アラン・ラッド・ジュニアが、『アメリカン・グラフティ』を観て感激し、製作を決定*2。実はアランも『スター・ウォーズ』の内容はさっぱり理解不能だったのですが、どうしてもルーカスと仕事をしたかったのです。ルーカスに向かってアランはこう言いました。「私にはこの映画は理解できない。しかし私は君を信用するし、君は才能のある男だと思う。だから私はこの脚本ではなく、君に投資するつもりだ」。こうしてめでたく『スター・ウォーズ』の製作がスタートしたワケですが、そこには想像を絶する苦難の日々が待ち受けていたのです!続きはまたそのうちに。

*1:正確には税金を引かれた為に400万ドルだった

*2:実はこの時点では『アメリカン・グラフティ』は、まだ劇場公開されていなかった