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庵野秀明とシン・エヴァと『さよならジュピター』

さよならジュピター

さよならジュピター


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて、皆さんはさよならジュピターという映画をご存知でしょうか?1984年に公開されたこの作品は、邦画では珍しい「宇宙を舞台にした本格SFドラマ」で、ミニチュアやCGを駆使して描かれる斬新な特撮シーンが当時話題になりました。

しかし興行的にはほぼ爆死状態で(配給収入は3億円)、「ストーリーがひどい」とか「無重力セックスの場面が苦痛すぎる」など散々な評価だったそうです。そんな『さよならジュピター』が今なぜか再び注目されてるんですけど、その理由がなんと『シン・エヴァンゲリオン劇場版』だという。えええ!?

実はシン・エヴァのクライマックスシーンで流れる「VOYAGER(ボイジャー)~日付のない墓標」という曲は、もともと『さよならジュピター』の主題歌として松任谷由実が作ったものなんですよ(シン・エヴァでは林原めぐみが歌っている)。

では、いったいなぜ『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で『さよならジュピター』の主題歌が流れたのでしょうか?それは、総監督の庵野秀明さんがこのSF映画のファンだったからです。

1984年当時、『さよならジュピター』の予告編を見た庵野さんは「いい曲だなあ。きっと感動的なシーンでこの曲が流れるに違いない」と期待して劇場へ観に行ったら、「エンディングでちょっと流れるだけでガッカリした」とコメントしているのです。

つまり、この時の不満を解消するためにシン・エヴァでわざわざ「VOYAGER」を流したのでは…と考えられるのですよ。しかも庵野さんは「『さよならジュピター』はダメな映画だと思うけど、僕は好きなんです」と語るぐらい思い入れがあるらしい。ダメな映画なのに好きとは一体…?そもそも、なぜ『さよならジュピター』はダメ映画と言われているのか?

というわけで本日は、庵野秀明総監督が『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のクライマックスで主題歌を流すぐらい大好きな映画『さよならジュピター』について詳しく解説してみたいと思います。

さよならジュピター

さよならジュピター

時は1976年、SF作家の小松左京さんのもとへ「TVアニメの原作を書いて欲しい」という依頼が舞い込みました。当時『家なき子』や『ルパン三世』などを制作していた東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)が、「宇宙を舞台にしたSFものを作りたい」と発注してきたのです。

そこで小松さんは「木星太陽化計画」という奇抜なアイデアを提示しました。その後、色々と検討を重ねた結果、残念ながらアニメの話はボツになってしまいましたが、この時に考えたプロットが『さよならジュピター』の元ネタになったのです。

そして翌年、アメリカではジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』が公開され、大ヒットを記録。それを知った日本の各映画会社は「うちでもSF映画を作るぞ!」と次々に企画を立ち上げました。

そんな中、当時の東宝田中友幸社長が小松左京さんを訪ね、「『スター・ウォーズ』に便乗したSF映画を作りたいから原作を書いてくれ」と依頼します。しかし小松さんは「そんな仕事は嫌だ」「やるならちゃんとしたSF映画を作らせてくれ」と逆提案するんですね。

こうして『さよならジュピター』の企画が始動!そっそく小松さんは豊田有恒山田正紀野田昌宏高千穂遥らSF作家仲間を集めてブレーン・ストーミングを開き、ストーリーを煮詰めていきました(なお、その間に東宝は速攻で『惑星大戦争を作り、『スター・ウォーズ』が日本に来る前にさっさと公開したw)。

それから1年後、大勢のSF作家たちが出し合ったアイデア小松左京さんがまとめてシナリオが完成。ただ、最初のシナリオで映画を作ったら4時間を超えそうだったため、ここから何度も脚本を推敲する作業が続いたらしい。

さらに時は流れて1981年、なかなか映画の話が進まないことに業を煮やした小松さんは、自ら『さよならジュピター』の制作拠点となる「株式会社イオ」を立ち上げ、パソコン3台(NECのPC-9800など)、ビデオデッキ4台、ビデオカメラ1台、大画面プロジェクター2台、ファックス、コピー機などを次々と導入しました(この時点では東宝との正式契約がまだ結ばれていないので全部自腹)。

そして9つに区切られたホワイトボードに小松さんが絵を描き込み、カメラワークや俳優の動きの指定なども記入。スタッフがその絵をポラロイドカメラで撮影し、さらに別のスタッフがその写真を見ながらクリーンナップしてセリフやカットナンバーなどを書き加え…という作業を何日も続けたのです(これが絵コンテになった)。

さよならジュピター

さよならジュピター

この方法は当時としては非常に画期的で、樋口真嗣さんが『ガメラ3 邪神覚醒』(1999年)の制作時にマネするほどでした(なお小松左京はモリ・ミノル名義で漫画を描いていたことがあり、樋口真嗣も「小松さんが描いたコンテはメチャクチャ絵が上手い!」と絶賛している)。

こうして少しずつ絵コンテが作られていったのですが(最終的に小松左京が描いた絵コンテは855枚に達した)、いつまで経っても東宝からは『さよならジュピター』の映画化に関する正式なゴーサインが出ません。そこで小松さんは次にミニチュアの制作に着手しました。

スタジオぬえ宮武一貴さんに宇宙船などのメカデザインを発注し、小川模型グループに特撮で使用するミニチュアを作らせたのです(ちなみに当時のスタッフはほとんどが学生だった)。当然、ミニチュアの製作費は小松さんが全て負担したのですが、巨大な宇宙船を一つ作るのに1000万円かかるなど、莫大な金額になったそうです。

さらに小松さんは、「『スター・ウォーズ』にはモーション・コントロール・カメラという最新の撮影機材が使われているらしい」「ならば『さよならジュピター』でも使いたい」と考え、自ら色んな企業を回って「アマダ製作所」に協力を依頼し、工業用ロボットを改造してモーション・コントロール撮影できるシステムを作り上げたのです(「アボット」と命名)。

その上、当時はまだ映画にCGが使われる機会が(特に日本では)ほとんどなかったにもかかわらず、「CG映像を見せたい」と考えた小松さんは三菱総合研究所スーパーコンピューター(日本に2台、世界でも40台しかなかった)を借りてリアルなCGを作り、関係者の度肝を抜きまくりました。

このように、小松左京さんは映画の制作が正式に決まる前からスタジオを作り、デザインやミニチュアを発注したり、撮影機材を揃えたり新たなシステムを開発するなど、自己負担で次々と色んな準備を整えていったのです。

実はこのエピソードって、ジョージ・ルーカス監督と似てるんですよね。ルーカスも『スター・ウォーズ』を作る際に、なかなか20世紀フォックスからゴーサインが出ないことに苛立ち、自腹で大きな倉庫を買ってILM(自前の特撮工房)を作ったり、若いスタッフたちにミニチュアを作らせたり、映画の撮影が始まる前から100万ドル以上を突っ込んでいたらしいので(笑)。

たぶん二人とも「これは俺の映画だ!」「自腹を切ってでも絶対に完成させてやる!」という強い思いがあったのでしょう。すごい映画を作るには、そういう”個人の熱意”みたいなものが必要なのかもしれません。

さよならジュピター

さよならジュピター

しかし小松左京さんの場合は、その熱意が発揮されたのはクランクインまでだったようです。1983年4月に東宝とイオの間でようやく映画の製作契約が結ばれたのですが、準備の段階ではあれほど熱心に活動していた小松さんが、いざ撮影が始まると急に何も言わなくなったのですよ。

一応、現場には来るものの特に指示を出すわけでもなく、橋本幸治監督の仕事ぶりを見ながら1日中タバコをふかしていたらしい。橋本監督が「ワンシーンぐらい撮ってみますか?」と声をかけても「いやいや…」と遠慮して逃げてしまうなど、ほとんど口を挟まなかったそうです。

その様子を見ていた周りの人たちは「小松さんは”総監督”という一番偉い立場なのだから、もっと現場で口出しすれば良かったのに…」とか、「撮影で苦労しているスタッフの姿を見たら、何も言えなくなってしまったのでは…」などと証言(庵野さんとは真逆ですねw)。

もちろん、小松さんが口出ししたからといって映画が良くなるとは限りません(むしろ、もっと酷い状況になっていたかもしれない)。ただ、映画作りというものは(特にこれだけ規模の大きいSFドラマの場合は)、”明確なイメージを持って力強く現場を引っ張っていく人間”が絶対に必要だと思うんですよ。

本作で指揮をとっていた橋本幸治さんは(これが監督デビュー作)、後のインタビューで「小松さんの言うことはあまり聞かなかった」「小松さんが描いた絵コンテもほとんど見なかった。コンテ通りに撮っても面白くないので」「『さよならジュピター』の小説も読んだけどイマイチわからなかった」などと証言してるんですよね。

さらに「この映画のテーマは”愛”である」「英二(三浦友和)とマリアの愛をしっかり描くことが最も重要な課題だった」みたいなことを言ってるわけですよ(その結果があの無重力セックスなのだろうか?)。このインタビューを読む限り、小松左京さんが思い描いていたSFイメージを忠実に再現しようという意識があったとは思えないんですよねぇ。

なので、やはり小松さんが総監督になった以上、監督の撮った映像を細かくチェックして「こんなんじゃダメだ!」とリテイクさせたり、「後半の展開が気に入らないので全部作り直そう!」と非情な決断を下したり、一切の妥協を許さぬ厳しい姿勢を貫いて欲しかったなあ(いつまで経っても映画が完成しない可能性もありますけどw)。

さよならジュピター

さよならジュピター

そんなわけで、出来上がった『さよならジュピター』は色々と批判も多かったんですが、決して見どころが無いわけではありません。なにしろ特技監督川北紘一さんですから!『ゴジラvsビオランテ』など平成ゴジラシリーズで見事なヴィジュアルを生み出した川北さんが本作でも存分に腕を振るっているだけあって、冒頭から素晴らしいシーンの連続です!

小川模型グループが作ったミニチュアも非常によく出来ていて、スペース・アロー、ミューズ12、TOKYO-3(「第3新東京市」のネーミングの元ネタ)、フラッシュバード、ミネルヴァ基地など、37年前の作品とは思えないほど優れたデザインで今見てもカッコいいんですよねえ。庵野秀明さんはミニチュア特撮が大好きなので、きっとこういう映像に魅了されたのでしょう。興味がある方はぜひ一度ご覧ください。

ちなみに、庵野さんの仲間で凄腕アニメーターの増尾昭一さん(『トップをねらえ!』や『ナディア』、『エヴァ旧劇場版』『序』『破』『Q』など多くの庵野秀明作品に参加している)は、当時『さよならジュピター』の予告編を見て「これはすごい!」と興奮し、10回観るつもりで前売り券を10枚買ったら、最初の1回目でガッカリして残りの9枚をタダで配ったそうです(笑)。