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『シン・ウルトラマン』は誰の作品なのか?(ネタバレあり)

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて『シン・ウルトラマン』が公開されて早くも3週間が経過し、そろそろ世間の反応も落ち着いてきたかな~と思いつつ色んな感想や意見を見ていると、ちょっと気になったことがありまして…

TV等で紹介される際に「庵野さんの最新作が云々」とか、あるいは映画を観た人のインタビューなどでも「さすが庵野監督、面白かったです!」とか、まず最初に庵野秀明さんの名前が出て来るんですよね。

いやいや、『シン・ウルトラマン』の監督は樋口真嗣さんでしょう?と。

庵野さんと言えば大ヒットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の生みの親であり、「あのエヴァンゲリオンの監督が!」と宣伝した方が訴求力があるのは分かりますけど、あまりにも庵野さんばかりフィーチャーされすぎでは?と(もちろん樋口監督の名前もちゃんと出てますが)。

こういう話をすると、「『シン・ウルトラマン』の脚本を書いたのは庵野さんだし、そもそも最初に企画を立てたのも庵野さんだから庵野さんの作品でいいんじゃないの?」って人がいるんですよね。

確かに脚本も企画も庵野さんです。

それだけではなく、製作・編集・コンセプトデザイン・撮影・画コンテ・タイトルロゴデザイン・モーションアクションアクター・ティーザーポスターデザイン・ティーザーチラシ表面デザイン・総宣伝監修・選曲・総監修など、驚くほど多岐にわたって『シン・ウルトラマン』に関わってるんですよ。

一方、樋口さんの担当は(クレジット上では)監督と画コンテと撮影のみ。なので、こういう部分を比較して「庵野さんの名前の方が圧倒的に多い」「『シン・ウルトラマン』は庵野秀明の作品だ」と思ってしまうのかもしれません。

だがしかし…

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

クレジットに名前がたくさん載っているからといって、必ずしもその人が作品全体をコントロールしているとは限らないのです。

例えば、映画作りにおいて”脚本”は極めて重要なパートの一つであり、「作品の出来栄えを左右する」と言っても全く過言ではありません。

そして『シン・ウルトラマン』の脚本を書いているのは庵野秀明さんだから、「庵野さんが作品の根幹に大きく関わっている」と言われれば確かにその通りでしょう。

ただし、その脚本を使って映画を撮るのはあくまでも「監督」なんですよね。

通常、脚本ではセリフの他に「ト書き」で登場人物の動作や周囲の状況などを説明していますが、カメラアングルとかアップやロングなどの”撮影指示”は書かれていません。

つまり脚本に書いてあることをどう解釈し、どういう風に撮るかは全て監督の判断にゆだねられているわけで、仮に別々の監督が同じ脚本を使って撮影したとしても、出来上がりの印象は全く違うものになってしまうのですよ。

実際、『シン・ウルトラマン』では手前に物を置いて奥の人物を撮ったり、画面を大きく傾けたり、極端な”アオリ”で撮るなど、いわゆる「実相寺アングル」と呼ばれる構図を多用していますが、これは庵野さんが指示したわけではなく、樋口監督の判断で決めたそうです。

また、SNS等で「巨大化した浅見弘子(長澤まさみ)の撮り方がエロい」とか、「浅見の尻を何度もアップで撮るのはセクハラだ!」などと批判されていましたが、あれも樋口監督の意図に従って撮られたものなので、「脚本を書いた庵野が悪い」と責めるのはお門違いでしょう。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

では、シン・ゴジラはどうだったのか?

シン・ゴジラ』も庵野さんが脚本を書き、樋口さんが監督したのだから樋口さんの作品なの?っていうと、そうじゃないんですよね。

シン・ゴジラ』での庵野さんは「総監督」という立場で作品全体の主導権を握っており、しかも「自ら撮影現場へ行ってカメラマンやスタッフや俳優たちに直接指示を出していた」という点が『シン・ウルトラマン』とは決定的に違うのですよ。

シン・ゴジラ』の時は(元々は現場に出る予定ではなかったにもかかわらず)最初に上がってきたラッシュを見て「これは自分が出るしかない」と考え、積極的に現場へ出向き、役者に対して自ら演出し、カメラマンにも「画角をもう1センチ上に上げて」など異常に細かい指示を出していたそうです。

つまり、『シン・ゴジラ』は庵野秀明総監督自身が作品全体をコントロールしてたんですね。

一方、『シン・ウルトラマン』制作時の庵野さんは『シン・エヴァンゲリオン』の作業でメチャクチャ忙しく、ロケハンや撮影現場にはほとんど参加できませんでした(全く出なかったわけではなく、「カメラマン応援や監督代理として数日だけ参加した」とのこと)。

そのため、『シン・ウルトラマン』では樋口さんが現場での主導権を握り、自分の判断でカメラアングル等を決め、樋口監督の意図に従って役者に演技指導していたのです。

この違いは「非常に大きい」と言わざるを得ません。

なぜならカメラアングルだけでなく、俳優さんに喋ってもらう「セリフ」に関しても、「もっと感情を込めて!」と指示するのか、それとも「あまり感情を込めずに」と指示するのか、監督の演出によって出来上がりの印象が全然違ってくるからです。

では、樋口さんと庵野さんの演出はどんな風に違うのか?というと、『シン・ウルトラマン』と『シン・ゴジラ』で准監督を務めた尾上克郎さんは以下のように語っていました。

俳優さんたちへの演技の付け方や現場のこだわりが、樋口監督はこってりした焼肉弁当みたいな感じがある。しかも、これでもかというぐらいテンコ盛り。

対して、庵野さんの場合は余計なものをそぎ落として美味しいところだけをいただくような印象があります。

(「シン・ウルトラマン劇場パンフレット」より)

「こってりした焼肉弁当」とは、ずいぶんカロリーの高そうな演出ですが(笑)、「樋口監督の演出は暑苦しい」っていうのは昔から業界で有名らしく、映画『日本沈没』で主人公の小野寺を演じた草彅剛さんも以下のように証言しています。

とにかくすごく熱いんですよ、樋口監督の演出って。小野寺と玲子(柴咲コウ)のシーンを監督自ら演じて見せてくれて「玲子ォー!」とか叫んだりしてたんですが、そんなセリフは台本のどこにも書いてないんですよ(爆笑)。

しかも「小野寺はここで玲子のセリフを聞いて沈没するんだぁー!」とか言ってるし(笑)。「小野寺が沈没?」って思ったけど、あまりにも監督が役に入り込んでいたので、怖くてどういう意味なのか聞けなかったです(笑)。

(「日本沈没オフィシャルブック」より)

また、『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』以来、約14年ぶりに樋口組に参加した長澤まさみさんも、「相変わらずの”情熱の塊”の樋口組で、監督が一番、怪獣みたいでした(笑)」とコメントしていたり。

これらの証言から、どうやら樋口監督は常に情熱的な演出を好み、役者に対しても「熱くて激しい演技」を求めているようです(実際、『シン・ウルトラマン』を観てもアニメチックで過剰な演技になっている場面が多い)。

ところが、この演出によって撮られた映像は庵野さんが考えていたイメージとは少し方向性がズレていたようで…

実は庵野さん、当初は『シン・ウルトラマン』の中で神永と浅見の恋愛ドラマを描こうとしていたらしいのですよ(以下、庵野さんのコメントより)。

台本では主人公との恋愛的な要素も最後のゼットン戦の時に軽いキスとして柔らかく入れていたのですが、撮影上がりを繋いだラッシュを見るとドラマの流れ的にかなり唐突で、撮られた映像もちと中途半端な印象だったんです。

自分の気持ちとしては、ザラブの話のベーターカプセルの受け渡しシーンと、メフィラスの話の体臭を嗅ぐシーンに浅見の恋愛感情が見え隠れしてくれると良かったんですが、撮影ラッシュからはそれを感じられず、残念でした。

(「シン・ウルトラマン デザインワークス」より)

なんと、当初の予定では『シン・ウルトラマン』にラブストーリー的な要素が入るはずだったらしい。

しかし、樋口監督が脚本通りに神永と浅見のキスシーンを撮影したものの、出来上がった映像を見た庵野さんは「何か違うなあ…」と納得できなかったらしく、結局、このキスシーンは編集段階でカットされてしまいました。

また「神永が浅見の体臭を嗅ぐシーン」も、庵野さんとしては「浅見の恋愛感情が見え隠れしてくれれば…」というつもりで書いていたようですが、非常にねちっこい感じで撮られていたため、「気持ち悪い!」などの批判が殺到した模様。

おそらく、樋口監督と庵野さんの演出に対する考え方の違いが、こういう部分に影響してしまったのでしょう。

「じゃあ庵野さんが自分で監督していたらもっといい映画になったのでは?」と考える人もいるかもしれませんが、それもどうなのかなぁ…と。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

そもそも庵野さんは自分で『シン・ウルトラマン』を撮りたかったのに、『シン・エヴァンゲリオン』の作業が忙しくて撮れなかったんですよね。

だから「総監修」というポジションに付き、樋口監督が撮ってきた素材を使って自分が思い描く”理想のウルトラマン映画”を作ろうとしたのでしょう。しかし、残念ながら今回は作品を完璧にコントロールすることが出来なかったようです。

なぜなら『シン・ウルトラマン デザインワークス』を読むと、脚本に書いた自分の意図が正しく映像化されていないとか、CGやVFXのクオリティーに対する不満など、かなり正直に心情をさらけ出してるんですよ。

『シン・仮面ライダー』の撮影がひと段落した2022年1月末から製作委員会と現場から頼まれて、全体的なクオリティーコントロールのチェック作業をその都度やっています。

スケジュール内に可能な限り修正可能なカットはリテイク指示を出して修正してもらっていますが、正直、アニメーションから直したいような、自分としてはかなり厳しいクオリティーのまま公開されてしまうカットもあると思います。

残念ですが、これらはもう自分ではどうしようもなかったですね。

(「シン・ウルトラマン デザインワークス」より)

これを読むと、庵野さんが『シン・ウルトラマン』の出来栄えに必ずしも満足していない様子が伝わってきますが、その主な原因は「コロナ禍による制作スケジュールの大幅な延期・変更」であるため、仮に庵野さんが監督だったとしても厳しい状況は変わらなかったでしょう。

逆に、もし庵野さんが監督していたら神永と浅見のラブストーリーを見せられていたわけですから(それはそれでちょっと観てみたい気もするけれどw)、「結果的に樋口監督で良かったのでは?」と個人的には思いました。

あと樋口さんといえば、やはり画コンテがすごいです。以前、『平成ガメラ』シリーズや『ローレライ』の画コンテを買って読んだんですが、「撮りたい画」というものが頭の中に明確に存在してるんでしょうね(「浮かんだイメージを次々と画コンテにアウトプットしている」って感じ)。

『シン・ウルトラマン』も、パンフレットに樋口監督が描いた画コンテが載ってるんですけど、ザラブ戦で「ビルを破壊しながら現れるウルトラマン」とか、やはりビジュアルが圧倒的にカッコいいんですよ。

優れたイマジネーションと、それを具現化する特撮技術。両方を兼ね備えているからこそ、素晴らしい映像表現が可能なのでしょう。

まぁ、「熱くてこってりした演出」に関しては賛否両論あると思いますが、准監督の尾上克郎さんが「こういう特撮作品には、こってりしたところも絶対に必要だということが庵野さんはわかっているから、樋口君を信頼して監督を任せたのだろう」と述べているように、『シン・ウルトラマン』にはそういう作風が合っていたのかもしれません。

というわけで、現在『シン・ウルトラマン』に対する賛辞はどちらかと言えば庵野さんに向けられたものが目立っていますが、もっと樋口監督の功績を(良い面も悪い面も含めて)評価してもいいんじゃないかなぁと思います。

 

シン・ウルトラマン デザインワークス