どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
本日、金曜ロードSHOW!で『思い出のマーニー』が放送されます。本作はスタジオジブリの(今のところ)最後の劇場アニメで、2014年の公開後「ジブリによる長編アニメーション制作はこれで休止する」と発表され、多くのファンが驚きました。
でも、元々ジブリは高畑勲監督の『かぐや姫の物語』(2013年公開)の後に休止する予定だったそうです。
当時のスタジオジブリは宮崎駿監督が引退を表明し、高畑監督も当分次回作はないだろうということで、「『かぐや姫の物語』を作り終えたら一旦アニメ制作部門を整理しよう」と考えていたらしい(現在、ジブリでは宮崎監督の新作映画を制作中ですが)。
ただ、制作部門を解散するとしてもジブリには大勢のアニメーターが社員として在籍していたため、いきなり全員を解雇するわけにはいきません。なのでプロデューサーの鈴木敏夫さんは「会社を整理するための準備期間が欲しいなぁ…」と考えていたようです。
そんな時に「もう1本映画を作りたい」と言い出したのが米林宏昌さんでした。
2010年公開の『借りぐらしのアリエッティ』で監督デビューした米林さんは、その後、アニメーターとして『コクリコ坂から』や『風立ちぬ』に参加していましたが、「やり残したことがある」「もう一度監督をやってみたい」と考え、鈴木さんに相談した模様。
それを聞いた鈴木さんはビックリ!なぜなら『アリエッティ』を作っている時、あまりにも仕事が忙しすぎて米林さんの家庭生活がメチャクチャになってしまい、映画の完成後に奥さんから「もう二度とウチの人に監督をやらせないで下さい!」と怒られたからです。
なので鈴木さんは思わず「奥さんは大丈夫なの?」と聞き返しましたが、米林さんが「はい、きちんと話し合いました」と答えたので、「じゃあ(会社を整理する時間も確保できるし)もう1本作ってみるか」となったらしい。
そこで鈴木敏夫プロデューサーから提案された題材が、児童文学の名作『思い出のマーニー』だったのですよ。
しかしこの『思い出のマーニー』、実は宮崎駿監督も気に入っていたらしく、何年も前から企画として検討していたんですね。ところが結局、「アニメ化するには極めて困難な題材」との結論に至り、断念せざるを得なかったそうです。
そんな「宮崎駿ですら映画化を諦めたほどの難しい原作」を、まだ経験が浅い新人監督に任せて大丈夫なの?という気がしなくもないんですけど、この時の心境を米林さんは以下のようにコメントしていました。
文学作品としては面白い。でもアニメーションとして描くにはすごく難しい!鈴木さんは僕を潰そうとしてるのか?と思いましたね(笑)。なんでこれを薦めたんだろう?と。これは映像化は無理でしょうと。だから鈴木さんに言いましたよ。「僕はアニメーターなので、動かす作品の方がいいです」って。でも「ああ~」って言うだけでしたね(笑)。
(「CUT 2014年8月号」掲載のインタビューより)
よく考えたら、米林監督って自分で望んだ原作をアニメ化したことがないんですよねえ。『借りぐらしのアリエッティ』と『思い出のマーニー』は鈴木さんから「これを読んでみろ」と渡された原作だったし、3作目の『メアリと魔女の花』の時も、本当は「メーテルリンクの『青い鳥』をやりたい」と言っていたのに結局プロデューサーの西村義明さんの意向でイギリスの児童文学になってしまったし…。
とは言え、読んでみて「面白い」と感じたのは事実ですから、「じゃあどうやってこれをアニメ化しよう?」と考え始めた米林監督。しかし、やっぱり難しい!
最初は途方に暮れましたよ。でも、どうすればアニメーションにできるのかを、原作の挿絵などを手掛かりにイラストを何枚か描いて、少しずつイメージを作っていきました。描かなくてはいけないと思ったのは、ヒロインの杏奈が出会う不思議な少女マーニーの存在感と、舞台となる湿地の存在感。それを魅力的に描けたら、この映画は面白くなると思ったんです。
鈴木さんからは「日本の観客に見せるなら、舞台は現代の日本にした方がいい」と言われてすぐに納得しました。では、どこを舞台にするか?原作の物語は”真珠色の空”という少し曇り空のもとで進んでいきます。これは杏奈の心を映したような風景描写なのですが、そういう空はどこにあるか?と考えた時に、思い当たったのが道東の空でした。そして、北海道にある湿地帯を舞台にして物語を描けば、この世界観には合うと思ったんです。
(「キネマ旬報2014年8月上旬号」より)
さて、物語の舞台が北海道に決まり、「じゃあロケハンへ行こう」となったタイミングで現れたのが宮崎駿監督です!
もともと宮崎さんも『マーニー』にかなりの思い入れがあったため、なんと米林監督たちが打ち合わせをしている部屋に入って来て、いきなり「舞台は瀬戸内がいい」などと言い出したのですよ。ええええ…
しかも、ホワイトボードに色んなことを書きながら「瀬戸内はこんな場所だ」ということを熱心にアピール。そして、散々”瀬戸内の素晴らしさ”を語りまくった後、「じゃあ俺は戻るから、後はよろしく!」と言って出て行ってしまいました。残された米林さんたちはポカーン状態です(笑)。
当然、スタッフたちは「どうしよう?」「北海道で検討してたけど、瀬戸内にした方がいいのかな…?」とオロオロ。今までならほぼ確実に「宮崎さんがああ言ってるし仕方ないか…」みたいな感じで瀬戸内に変更されていたでしょう(なんせジブリでは宮崎駿の言うことは”絶対”なのでw)。
しかし、米林監督は「いや、北海道でいきます!」と決断。その理由は…なんとホワイトボードに描かれた絵が、どう見ても『崖の上のポニョ』だったから、ということらしい(『ポニョ』の舞台は広島県福山市の「鞆の浦」ですからねw)。
結局、「このままでは『ポニョ』と似たような印象になってしまう」と危惧した米林さんは、宮崎監督の意向を完全に無視する形で制作を進めていったそうです(米林監督曰く「宮崎さんがどう思うか、そういうことは一切意識せずに作りました」とのこと)。
こうして『思い出のマーニー』は、宮崎駿の介入を若手監督が阻止したジブリ史上初の劇場アニメになったのです(笑)。
今までのジブリ作品は、新人監督が映画を作る際にも、常に何らかの形で宮崎さんが関わっていましたが、『思い出のマーニー』に関しては米林さんが意図的に宮崎さんの指示を聞かないようにしていた点が画期的と言えるでしょう。
つまり、本作は宮崎駿・高畑勲の名前がクレジットされない初めてのジブリ長編映画になったのですよ。
なお、『思い出のマーニー』は作画的な見どころも素晴らしく、安藤雅司、沖浦啓之、本田雄、橋本晋治、山下明彦、稲村武志、田中敦子、賀川愛、二木真希子、大塚伸治、高坂希太郎、近藤勝也、小西賢一、山下高明など、業界屈指の凄腕アニメーターが多数集結しています(敬称略)。
しかも『かぐや姫の物語』で「人物造形・作画設計」として活躍した田辺修もノンクレジットで参加しているのだから凄すぎる!どうやら田辺さん、『かぐや姫』の時に大量のカットを安藤さんに引き受けてもらった”借り”があるため、断れなかったようです(笑)。
なので『マーニー』の作画は信じられないほど高いクオリティになっているわけですが、深刻なアニメーター不足が常態化している昨今、いったいなぜこんなに大勢の凄腕アニメーターを確保できたのでしょうか?
実は彼らは、もともと「某大作アニメ」を作るために集められたメンバーだったのですよ。ところがそっちの制作がなかなか始まらず、結局『マーニー』の方を手伝うことになったそうです。以下、作画監督を務めた安藤雅司さんの証言より。
今回はタイミング的に、皆さんの手が空いていたことが大きいです。他の劇場用作品に参加する予定で待機していたアニメーターが大勢いたのですが、その制作が始まらないので、始まるまでの間、少し手伝ってもらえないか?とお願いしたんですよ。結果として、最後までその作品は動き出さなかったので、こちらとしては「やった!」という気持ちでした(笑)。
(「THE ART OF 思い出のマーニー」より)
というわけで『思い出のマーニー』にとっては非常にラッキーな状況でしたが、「他の劇場用作品」って何だったんでしょうねえ?気になります(^^;)
●関連記事
※今回の記事内容は以下の書籍を参考にしています。