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『ガンダム誕生秘話』を見ました

ガンダム誕生秘話

ガンダム誕生秘話』より

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

先日、NHKで「TVアニメ『機動戦士ガンダム』が作られた当時の状況を関係者たちが語る」という内容の番組ガンダム誕生秘話』が放送されました。

富野由悠季安彦良和大河原邦男板野一郎など、『機動戦士ガンダム』に関わったスタッフたちがTV版の制作中に起きた様々なエピソードをそれぞれの視点で語っていくという、実に濃厚な番組でしたよ。

 

 

時は1979年、設立4年目の新進気鋭のアニメスタジオ:日本サンライズでは、『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』に続く自社制作のオリジナルアニメを模索中でした。

富野監督としては「ガンダムが始まる2年ぐらい前から”ロボットアニメ”というジャンルに衰退が見えてきていたし、僕にとっても3本目のオリジナル作品なので、今までと同じようなものを作るわけにはいかない」と考えていたらしい。

テレビでは、1回ごとにやられメカが出て来て主人公がやっつけるという徹底的なパターンがあったわけだけど、それを外していっても話が通じるという構造にしたかった。映画として公開できるようになれば、巨大ロボットものというジャンルでも、映画的なビジネスとして考えた時に広がっていくのではないかと思った。

ガンダム誕生秘話

ガンダム誕生秘話』より

こうして富野監督は『機動戦士ガンダム』の企画書を作成。物語の主人公となる少年の名前はアムロ・レイ。登場人物たちのキャラクター・デザインを担当した安彦良和さんは、当時アムロの設定を聞いて驚いたそうです。

富野さんに「アムロは三白眼で、髪の毛なんか縮れててニンジンみたいな頭してるんだよね」って言われたのを覚えています。アニメの主人公って大体カッコよくて、正義感に溢れてて運動能力があってひたすら元気…とかね、そういう中心的な主人公が当たり前だったんですよ。でもそれに飽きてたんですね。

 

アムロの設定って、今見ると普通に見えるかもしれないけど、当時は画期的ですよ。根暗でメカフェチであまり友達もいなくて、そんな主人公いなかったですから。途中で家出しちゃったり、ブライトにビンタされたりとか。すごく嬉しかったですね。どんどんこういうのやりましょう!って。 

ガンダム誕生秘話

ガンダム誕生秘話』より

また、ガンダムのメカを担当した大河原邦男さんは「ザクのデザインが一番楽しかった」と告白。「主人公メカは色んな人の意見を聞かなきゃ作れないけど、敵のモビルスーツは商品化する予定がなかったので自由に作らせてもらえた。富野監督から言われたのは”モノアイにしてくれ”っていう、後は好きにやってくれ」と。

注文はそれだけだったので、ザクに関しては1週間ぐらいで完成しました。第2稿でもう決定稿だったから、すごく楽させてもらったんですよ(笑)。第1話を見た時は身震いしましたね。「ああ、こんな感じになるんだ!」って。スペースコロニーに入って来るザクがまたカッコよかったんですよ。あんな苦労しないで作ったザクが一番カッコよかったですね(笑)。

ガンダム誕生秘話

ガンダム誕生秘話』より

一方、ガンダムの制作に入る直前まで『宇宙戦艦ヤマト2』に参加していた安彦さんは、制作体制の違いに愕然としたそうです。

当時のサンライズの現場は全体的に貧弱でしたが、その中でもガンダムは特に貧弱な方でしたね。当時、サンライズの主力は長浜組ってのがあって、そこが一番いいアニメーターを抱えてたんです。これは東映の下請けをやってたんですよ。『ボルテスV』とかね。なぜか下請けが最精鋭なんですよ。で、オリジナル企画は貧弱なんです。ワケがわからないですよね(笑)。

 

ヤマトの現場を見て、「これだったらサンライズでは3本できる」と思ったんですよ(つまりガンダムの3倍の規模)。それぐらい(人的にも予算的にも)分厚かったんです。ビックリしましたね。カラーチャートってのがあるんですが、それがヤマトは三百何十色もあった。ガンダムを作った時は79色かな?それを無理言って3色増やしてもらったんですよ。それでやっと82色。ヤマトはグレーだけでもそのぐらいあったんじゃないですかね(笑)。それぐらい違う。 

ガンダム誕生秘話

ガンダム誕生秘話』より

そんな貧弱な現場で作られたガンダムでしたが、スタッフたちは皆手応えを感じていたようです。特に安彦さんは第1話が放送された時に『ヤマト2』のスタジオで打ち合わせ中だったのですが、「ちょっとテレビつけていいですか?僕が参加したアニメの放送日なんで…」と言って強引にテレビをつけさせ、ヤマトのスタッフにガンダムを見せたそうです。

もちろん安彦さんは完成したガンダムをとっくに見てるんですけど、自分たちが作っているアニメに自信があったからこそ、ヤマトのスタッフに見せたかったのでしょう。

「やった!」と思いましたね(笑)。俺はもうこの場(ヤマト)にはいないんだと。俺の気持ちはこっち(ガンダム)なんだと。彼らは沈黙してたけど、でもクサした人はいなかった。ヤマトの数分の1の戦力で、これだけのものを作ったんだと。「見たか!」って感じでしたね(笑)。

ガンダム誕生秘話

ガンダム誕生秘話』より

また、後に『超時空要塞マクロス』で”板野サーカス”を編み出したアニメーターの板野一郎さんは、当時まだ二十歳の新人でしたが、富野監督の絵コンテや安彦さんの作画に感銘を受けており、特に第28話『大西洋、血に染めて』のエピソードが強く印象に残っているという。

富野さんが28話の絵コンテを描き上げて、「安彦ちゃん、この回ちょっと読んでよ!」って渡したら安彦さんが「どうしたの、富野さん?」って、そしたら富野さんが「いや~、描いてて泣けちゃってさあ」みたいな。

 

それで安彦さんが読み終わって、見てるとちょっと涙目になってて「良かったよ、富野さん。ミハルいいよね…」みたいな。「これは良くしたいよね」「でしょ?絶対良くしたいよね!」みたいなことを二人で話してて。

 

で、安彦さんたちが帰った後に「どんなコンテなんだろう?」と気になって、富野さんの机の上に置いてあった絵コンテを読んだら「ああ、これは泣けるな~!これはいいわ!」と。自分ももらい泣きしてしまったんですよね。 

ガンダム誕生秘話

ガンダム誕生秘話』より

ただし、同じ時期に放送されていた『宇宙戦艦ヤマト2』が20%以上の高視聴率を獲得しているのに、ガンダムの初回視聴率はわずか3%でした。これに対して安彦さんは「視聴率なんてとれるわけがない」と一蹴。

だって時間帯が5時半ですから。4月始まりなので、まだお天道様は上ですから。誰が見るんだ、こんな時間にと。だから視聴率が低いのは当たり前でしょうって、誰も聞く耳を持ってなかったですよ。

ガンダム誕生秘話

ガンダム誕生秘話』より

しかし、テレビを放送する側にしてみれば視聴率は重要で、さらにガンダムはオモチャも売れなかったためスポンサーが怒り出し、とうとう打ち切りになってしまいました。おまけに、作画の中心的存在だった安彦さんが急病で入院するという非常事態まで勃発し、現場は大パニックに!

ただでさえ貧弱なスタジオなのに、一番重要な戦力がいなくなったわけですから、さすがの富野監督も「どうすればいいんだ…」と頭を抱えたそうです。

作画監督がいなくなり、絵のクオリティを保つことが出来なくなって、それをどう対処するかっていうことで、僕の描いた原画でさえ使わなくちゃいけないような状況が続いたんですよね。だから打ち切りということも含めて、現場的に言うと、みんなで万歳するしかない、そういう状況でした。それぐらい貧しい状況だったんです。もう本当に悪戦苦闘が始まってて、「こんな作画でオンエアしなくちゃいけないのか…」って。何度も言うけど、テレビ版には僕が描いた原画のカットがあるんだもん、ひどい絵のが。とにかくもう、騙し騙し作ってるような感じでしたね。

ガンダム誕生秘話

ガンダム誕生秘話』より

……というわけで、当時の『機動戦士ガンダム』はとんでもない苦境に追い込まれていたんですが、ここからどんな逆転を決めて後の大ヒットに至ったのか?まだ番組を見てない人や気になる人は、4月4日に再放送があるようなので是非ご覧ください(^.^)