ひたすら映画を観まくるブログ

映画やアニメについて書いています

【BSアニメ夜話】ガンダム祭り第二弾

「はっ」と気が付いたら夜が明けていた。う〜ん、やはり徹夜でガンダムを観続けるのは無理があったか。というワケで、昨日の富野監督インタビューから見直しました。当初、ガンダムは“ガンボーイ”という名前だったが、スポンサーからの了承が得られなかったそうだ。富野監督は怒りながら次のように話す。

主役クラスのモビルスーツやキャラの名前には口を出してくるクセに、その他に関してはほとんどフリーパス。マ・クベ”なんて、いくらなんでもそりゃないだろう、という名前まであっさり通っちゃう。という事は、この人たちは結局作品なんかどうでも良くて、オモチャが売れればそれでいいんだと。しかも、スポンサーが言うならまだしも、代理店や放送局のヤツらまでそうなんです。あの時はホントに頭にきたよ。だから、ほとんど嫌がらせのように有り得ない名前ばっかり付けてやったんだ(笑)。

なるほど、ガンダムの名前にはそんな由来があったのか。それにしてもシャーっとやって来るから“シャア”と名付けたという話は力が抜けたなあ。そんな理由かよ!セイラ・マスの名前に至っては、「彼女の由来は、放送コードに引っかかりますから言えません」って、あんまりだ!しかし、富野監督の不平不満はその後もまだまだ続く。

シャアの名ゼリフ「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを」に関しても、「放送当時は散々嫌味を言われましたよ。“あのヘンなセリフのせいで、視聴率が取れなかったんだ!”って」。「大体、ガンダムの身長が18メートルという時点で、めちゃくちゃ叩かれましたもん。ロボットの全長は最低でも80メートル、理想は120メートルなんです。それぐらいでないと、合体できないから(笑)

「“モビルスーツ”っていう名称にしても、ある出版社から“そりゃ打ち切りにもなるよなあ。モビルスーツなんて伝わるワケねえよ”とはっきり言われました」などなど…。どうやら、ガンダムにはいい思い出が全然無いらしい(苦笑)

その後、場所を移動し作画現場へ。あ、恩田尚之さんだ。もうゼータの仕事はやらないのかと思ってたよ(笑)。それにしても、えらく髪の毛が薄くなっているような気が…。度重なるストレスのせいだろうか?

そして話は“映画論”へと続いていく。元々富野監督は映画監督になりたかったのだが、諸事情により断念。しかし、アニメの仕事をしながらも常に“映画”というものの本質を追及し続けてきているのだ。

映画とは一気に観るものだから、物語の本線の“情”が見えないとダメなんだ。そしてそれはロジックの積み重ねによって表されるものなんだよ。映画は、単に“好きだから”で撮ってはいけない。もっとはっきり言えば、僕程度のスキルで映画を作ってはいけないんだよ。今、映画を撮るからには、スピルバーグとルーカスを黙らせなければいけない、という条件がついているんだから。そんな過酷な条件を僕にクリアーできるとは思えない(笑)。

などと熱いトークは一向に止まらない。聞いている二人のインタビュアーも、ちょっと引き気味だ(笑)。やっぱり富野さんは凄いなあ。

そして、ガンダム-哀・戦士編-』が始まった。「ジオンは、あと十年は戦える!」おお、マ・クベ塩沢兼人だ。やっぱりオリジナル版はいいなあ。

ランバ・ラル「戦いに敗れるとは、こういうことだ!」
ハモン「ホント、好きだったよ坊や…」
シャア「さらに出来るようになったな、ガンダム!」
ガイア「俺を踏み台にしたあ!?」

などなど、名(迷)セリフも多い劇場版二作目。中でも、僕の思い入れが一番深いエピソードは、ミハルとカイのドラマである。

ベルファスト基地の近くに住んでいる女スパイ・ミハルは、戦争で両親を亡くし、幼い弟や妹のために危険な任務を引き受ける。ホワイトベースに潜入する直前、弟たちを抱きしめて「この仕事が終わったら、戦争の無い所へ行こうね」と約束するミハル。

だが、その願いが叶えられる事は無かった。カイと共にガンペリーで出撃するものの、ミサイル発射の爆風に吹き飛ばされ、大西洋の藻屑と消えたのだ。残された弟たちは、いつまでも姉の帰りを待ち続けるのだろうか。「死んじまったら、何にもならねえじゃねえか…!」。ホワイトベースに響くカイの叫び。まさに号泣必至の名場面だ。

そして、哀・戦士編の白眉はなんと言ってもジャブロー降下作戦」の場面であろう。オデッサの戦いにやぶれたジオンは、起死回生の策としてジャブローに攻撃を仕掛ける。次々と降下するジオンの主力モビルスーツ。地上から迎え撃つ連邦軍。そのあまりにも凄まじい攻撃に、思わず「降りられるのかよッ!?」と叫ぶジオンの兵士。

そしてバックには故井上大輔氏による大ヒット曲「哀・戦士」がガンガン流れる!「哀〜、震える哀。それは〜別れ唄〜♪ひろう骨も燃え尽きて〜、濡れる肌も土にかえる〜♪」。ああ、かっこいい!これが哀・戦士だよ!DVDではここの楽曲を変更され、日本中のガンダムファンが激怒したという、いわくつきの場面である。頼むからオリジナル劇場版のDVDを出してくれ!

ちなみに、以前職場の若い人たち5〜6人とカラオケに行った時に「哀・戦士」を熱唱したら、誰一人知らないという事が判明してショックを受けた。ああ、これがジェネレーション・ギャップなのか(泣)。つーか、お前ら”種”とか”運命”とか見てるんだったら、ファーストの劇場版ぐらい見ろよ!と全員をその場に正座させて説教したのは言うまでも無い(タチの悪いおっさんだなあ)。

そして映画が終了すると、BSアニメ夜話の本領とも言うべき「激論!モビルスーツ」が始まった。岡田斗司夫板野一郎江川達也土田晃之が登場。「やっぱ、ズゴックかっこいいよね〜」「いや、水中戦ならアッガイでしょう!」などと、いい年した大人たちが大声でしゃべりまくる図は「いかがなものか?」とは思うものの、やはり面白い。

各ゲストがそれぞれ自分の好きなシーンを挙げてモビルスーツの良さを熱く語り倒す。板野一郎は「ガンダムが最初にザクを倒すシーン」を推薦。「安彦さんが描いたガンダムは単なるロボットではなく、キャラの情感まで表現されていて非常にかっこいい」と誉める。

江川達也は自分で絵まで描いて「いかにザクが素晴らしいか」と熱弁をふるい、とうとう土田晃之から「江川さん、どうでもいいけど声がデカ過ぎますよ!」と注意されてしまった(ちなみに、江川が挙げたシーンは“対エルメス戦”)。

一方、土田晃之哀・戦士ジャブロー降下作戦のシーンを挙げて、「この場面は最高です!これだけでゴハン何杯でも食べられますよ!」と大絶賛。皆それぞれ思い入れがあるんだなあ。

そしていよいよ『めぐりあい宇宙』が始まった。前2作に比べて圧倒的に新作カットが増えた、現在でも評価が高い究極の劇場版である。古谷徹安彦良和の対談でも、古谷さんが嫌がっているのに対し、安彦さんは喜んでいるのが面白い。

古谷:僕はガンダムのテレビシリーズが終わった時は、本当に「燃え尽きた」って思ったんですよ。やり遂げたという達成感と、「これでアムロも幸せになれる」って思いがあったんだけど、「映画やりますよ」って言われた時は、「また最初からアムロやるのかよ〜」と、凄く辛かったんですよね。


安彦:映画の時に直しが出来て嬉しかったのは、僕だけだと思うよ。テレビシリーズの途中に病気でリタイアしちゃったから。作画監督としての仕事をまっとう出来なかったので、「劇場版で直していい」と言われた時は凄く嬉しかったんだ。ガンダムの前に『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版が公開されてたんだけど、あの一作目は一切直さないで再編集しただけだったんですよ。


だから、当時は直さないのが当然だったけど、ガンダムでは一作目、二作目とだんだん直しが増えて、三作目ではついに半分以上が完全新作カット。それが話題になったんだよね。まあ、僕は物凄く幸せだったんだけど、周りのスタッフは「え〜、またやるのかよ」って思っていたんじゃないかな(笑)。


あの時は、テレビの時の原画スタッフは一人もいなくて、僕と若手のスタッフだけで作業していたんです。前のスタッフは皆、誰もやりたがらなかった。どんなものでも、一度やり遂げた後にもう一度やるのは、凄く疲れるんですよね。(角川書店:「安彦良和対談集」より)

というワケで、ぶっ続けで鑑賞した機動戦士ガンダム・劇場版』。さすがに三作連続は非常に疲れる。というか、ここまでガンダムまみれになった経験は生まれて初めてだ。

しかし、何度観ても同じように興奮し感激する、永久普遍の魅力は「さすがガンダム!」としか言いようが無い(ガンダムに興味が無い人はスマン)。う〜ん、なんだか、久々にガンプラを作りたくなってきたぞ。パーフェクトグレード・ガンダム作りてえ!


●人気記事一覧
これはひどい!苦情が殺到した日本語吹替え版映画ワースト10
まさに修羅場!『かぐや姫の物語』の壮絶な舞台裏をスタッフが激白!
日本映画のレベルが低くなったのはテレビ局のせい?
町山智浩が語る「宮崎アニメの衝撃の真実」
「映像化不可能」と言われている小説は本当に不可能なのか?


このブログについて(初めての方はこちらをどうぞ)
トップページへ