本日、金曜ロードSHOW!にて『デスノート 逆襲の天才』が放送されますが、この番組は2006年に公開された実写映画『DEATH NOTE』と『DEATH NOTE the Last name』の2部作をベースに、明日10月29日から公開される最新作『デスノート Light up the NEW world』へ繋がる新たなシーンを加えて再構築した”特別編集版”だそうです。
実は、2006年に後編の『the Last name』を公開する際にも金ローで前編を放送し、その宣伝効果で後編が大ヒットしたんですよね。なので今回も同じ手法なのかなと。ただ、元の映画は前編と後編を合わせて266分もあるのに、それをどうやって114分以内(放送時間内)にまとめるんだろう?気になるなあ(笑)。
※追記
実際に観てみたら、「ほとんどのシーンをナレーションで説明する」という荒技を駆使してました(笑)。
というわけで、本日は前作の『DEATH NOTE デスノート』がどのようにして製作されたのか、その裏事情的なエピソードを取り上げてみますよ。
『デスノート』の映像化に関しては、当時、多くの会社が色々な方式を検討していましたが、日本テレビの佐藤貴博プロデューサーは「まず連続ドラマを放送し、それから劇場作品を作ろう」と考えていたそうです。なぜなら、原作のストーリーは非常に複雑で緻密な頭脳戦が繰り広げられるため、2時間程度の映画では描き切れないだろうと。
しかし連続ドラマにすることで、キャラクターたちの心情や背景をしっかり掘り下げられるし、さらにTV放送で認知度が高まれば、映画化した際に良い効果を期待できるのではないかと。そう考えて集英社に企画を提案したところ、見事に映画化権を獲得!喜んで会社に報告しました。
ところが、「幅広い層の視聴者が見る地上波のTVドラマとして、”ノートに名前を書かれた人間が死ぬ”という内容は不適切だ」との理由で、日テレ社内の許可が下りなかったのです。集英社と交わした条件のうち「連続ドラマ化」が崩れたことで、いきなりプロジェクトは暗礁に乗り上げてしまいました。
当然、集英社としては「話が違う!」となり、他局との交渉を始めることに…。そこで、佐藤プロデューサーが新たに提案した企画が「前後編2部作の連続公開」だったのです。この”奇策”によって何とか契約は成立したものの、社内外で「本当にそんな方法が成功するのか?」との疑念が噴出。
何しろ、それまで1作目がヒットしてから2作目を作るパターンはありましたが、最初から2部作を前提にした映画製作は前例がありません。今でこそ当たり前になっている前後編公開も、当時はフォーマット自体が存在しないという、まさに邦画史上初の試みでした。
しかも、当初はTVドラマ化の予定だったため、映画製作の準備が全く整っておらず、さらに集英社から「2006年5月に漫画の連載が終わるので、映画は6月に公開して欲しい」と要望され、佐藤さんはパニック状態!その時点で公開日まで1年を切っていたからです。
脚本も出来ていないし、キャスティングも未定だし、そもそも監督を誰にするか等、全く何も決まっていませんでした。ただし、主人公の夜神月役の藤原竜也さんだけは、かなり早い段階で決まっていたそうです。月の狂気をリアルに演じられるのは彼だけだろうと。
一方、L役のキャスティングには時間がかかり、松山ケンイチさんに決まったのは撮影開始の直前ギリギリ。当時の松山さんはまだ無名の俳優で、知名度的にはイマイチでした。しかし、無名だからこそ観客に先入観を与えることなく原作のLを演じられるのではないかと判断したらしい。
こうして他のキャスティングも徐々に決まっていき、本格的に脚本作りが始まったのが2005年の11月頃。でも、来年の6月には映画を公開しなければならないため、じっくりストーリーを練っている時間はありません。そこで、とりあえず前編のストーリーだけを考えることになりました。
そして肝心の監督も、12月に入ってからどうにか決定。ここでようやく映画の制作態勢が整ったものの、この段階でもまだ脚本は完成しておらず、金子修介監督も他の仕事が忙しくてなかなか『デスノート』の準備に入れません。佐藤プロデューサーは脚本家と打ち合わせをしながら年末年始の間もひたすらシナリオ修正を続けるはめに…。
ところが、年が明けて2006年の1月になってもまだ最終決定稿が上がらないという非常事態が勃発!製作部の方も、脚本が上がらなければロケハンすら出来ないので焦りまくり、「とりあえず確実に撮影する場面はどれだ!?」と見切り発車的に動かざるを得ませんでした。
さらに『デスノート』の撮影条件はただでさえ厳しいため、なかなか最適なロケ地が見つかりません。特に困難を極めたのが「地下鉄のシーン」で、そもそも撮影許可が下りないのですよ。そうこうしているうちにクランクインの日がどんどん迫って来て、「もうこのシーンは諦めるしかないか…」という雰囲気が漂い始めた頃、奇跡的に福岡の市営地下鉄でOKをもらえたそうです。
そして、遅れていた脚本もようやく完成!何もかもがギリギリのタイミングでしたが、やっと2月1日から『デスノート』の撮影が本格的に始動しました。とは言え、後編の結末をどうするか、トリックはどのように仕掛けるかなどの具体案は何も決まっていなかったため、脚本家は大変な苦労を強いられたそうです(打ち合わせの時間が足りないため、北九州でロケした際は、東京から現地まで呼び出されたとか)。
ちなみに、藤原竜也さんの撮影終了日と松山ケンイチさんの撮影初日が一緒になってしまい、藤原さんは既に長期間の撮影を経てキャラが仕上がっているのに対し、松山さんはまだキャラを掴めておらず、しかも被っているカツラも上手く馴染んでなくて非常に悔しかったそうです。
その悔しさを挽回するため、松山さんは現場で監督やスタッフと何度も緻密なディスカッションを繰り返し、その中で「Lはどんな動きをするのか?」「どんなお菓子を食べるのか?」など、Lのキャラクターを作り上げていったとのこと。
こうして前編は3月23日に何とか撮影完了。しかし休む間もなく編集作業に突入し、同時に後編の脚本を仕上げるというハードな状態が続きました。後編のストーリーがどうなるか分からないまま前編をスタートさせたため、当然のごとくシナリオ作りは難航し、ダビングの時期になってもまだ結末が決まらず、「ダビングルームで脚本を直す」という突貫作業を余儀なくされたそうです。
結局、6月1日の後編クランクイン直前までシナリオ作成作業は続き、またしても「ギリギリで間に合った」とのこと。そして、後編を撮影している途中の6月17日には前編が公開、出演者や俳優は舞台挨拶に出かけ、「全国的に朝から満員!」との嬉しい知らせを受けたことで現場が活気づき、残りの撮影を無事に乗り切ったそうです。
というわけで、実写映画版『DEATH NOTE デスノート』の当時の制作状況を振り返ってみたんですけど、この作品が画期的なのは、「前後編2部作で後編の方が前編よりもヒットした」という点なのですよ。その実績は、前編が28億5000万円で後編が52億円。実に前編の2倍近くの興行収入を叩き出し、業界を驚愕させたのです。
2本合わせた製作費は20億円で、興収が合計80億5000万円ですから、これはもう「大成功」と言っていいでしょう。このメガヒットが以降の邦画に多大な影響を与え、『GANTZ』、『寄生獣』、『のだめカンタービレ』、『るろうに剣心』、『ちはやふる』、『進撃の巨人』、『SPEC結』、『ソロモンの偽証』、『64-ロクヨン-』など、今ではすっかり「前後編2部作」の公開スタイルが定着。
しかしながら、基本的にどの作品も前編より後編の成績は下がり気味で、『進撃の巨人』に至っては「ほぼ半減(51.7%)」という大惨敗を喫しています。トータルで黒字になっているとは言え、今のところ後編が前編を大きく上回った例は『DEATH NOTE デスノート』しか存在せず、そういう意味でも画期的な作品と言えるでしょう。
では、なぜ『デスノート』だけがこんなに成功したのか?その理由は間違いなく金曜ロードショーです。後編の公開日直前に金曜ロードショーで放送された『デスノート(前編)』は24%という高視聴率を達成し、後編の宣伝媒体として絶大な効果を発揮しました。しかし、これは業界的には”掟破り”とも言える手法だったのです。
映画には、劇場公開 → ソフト発売 → テレビ放送という厳然とした順序があり、今まではそれが守られていました。もちろん、法律に定められているわけではありませんが、「テレビ放送は劇場公開から少なくとも1年以上の間を空けましょう」というのが業界内の”暗黙のルール”だったのです。
それを日本テレビはあっさりと破ってしまった。6月に公開した映画を、いくら宣伝のためとはいえ、わずか4カ月後の10月末にテレビで放送するなんて通常はあり得ません(DVDすら発売されていないのに)。この前代未聞の事態に業界からは批判が殺到したものの、結局、なし崩し的に容認されました。
つまり、本来は”掟破り”とされる手法を使ったおかげで、『デスノート』2部作は成功したとも言えるわけです。もし『デスノート』がコケていれば、その後、2部作映画がここまで数多く作られることはなかったでしょう。すなわち、邦画に「前後編2部作」のスタイルが定着したのは「金曜ロードショーのせいだった」といっても過言ではないのですよ。いや〜、すごい影響力だなあ(^_^;)
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