どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて本日、土曜プレミアムにて映画『トップガン』が放送されます。1986年に公開された本作は、全米興行成績1位の大ヒットを記録し、当時まだ24歳だったトム・クルーズがブレイクするきっかけにもなりました。
なお、監督はトニー・スコット、出演者はトム・クルーズの他にケリー・マクギリス、ヴァル・キルマー、メグ・ライアン、トム・スケリット、マイケル・アイアンサイド、ティム・ロビンスなど、豪華なメンバーが揃っていますが、製作が決まるまでは様々な苦労があった模様。
というわけで本日は、映画『トップガン』が誕生するまでのエピソードをご紹介しますよ。
『トップガン』のプロデューサーを務めたジェリー・ブラッカイマーといえば、『アルマゲドン』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズなど数々の話題作を世に送り出してきたヒットメーカーとして知られています。
『トップガン』を手掛ける前は、アイリーン・キャラが歌う主題歌「ホワット・ア・フィーリング」もメチャクチャ流行った『フラッシュダンス』(1983年)や、エディ・マーフィ主演のアクション・コメディ『ビバリーヒルズ・コップ』(1984年)などを大ヒットさせていました。
そんな頃、次回作の企画を考えていたブラッカイマーは、とある雑誌の記事に目を付けたのです。それは、アメリカ海軍航空学校で訓練を受けているパイロットたちを取材した記事で、「こんな養成所があるとは知らなかった」と興味津々。
「次回作のヒントになるかも…」と感じたブラッカイマーはその雑誌を『フラッシュダンス』や『ビバリーヒルズ・コップ』で一緒に仕事をしたドン・シンプソンに見せました。
するとシンプソンは中身を読まずに「レイバンのサングラスをかけたパイロットがF-14戦闘機の側に立つカッコいい表紙」を見ただけで「これはヒットするぞ!」と直感し、なんとその場で雑誌社に電話して映画化権を買ってしまったのです。
さて、とりあえず映画のネタは見つけたものの、どんなストーリーになるのかこの時点では全く決まっていません。そこでブラッカイマーとシンプソンは色んな脚本家に記事を見せてシナリオを書かせようとしましたが、「そんな記事だけで脚本は書けない」と断られてしまいます。
散々探した末にようやくシナリオライターに決まったのは、まだ脚本を書いたことがないジム・キャッシュとジャック・エップスでした(ジャックはたまたま飛行免許を持っていたため採用されたらしい)。
ジャック・エップスは当時のことを「非常に興味深い内容だし、戦闘機に乗れる可能性もあったので是非やりたかった」と振り返り、ブラッカイマーから雑誌を見せられて「パイロットたちの楽し気な姿が映っていた。それを見た瞬間、頭の中に作品のイメージが湧き上がってきたんだ」と語っています。
しかし、ジャック自身は実際の海軍航空学校がどういうものなのか全く知らなかったので、取材することになりました。
まず、トップガンで教官を務めていたピーター・ペティグルーに協力してもらい、訓練の内容や詳しい状況をひたすら勉強。次に現場へ行って本物の戦闘機に乗るなど、様々なことを体験したそうです(以下、ジャックのコメントより)。
戦闘機に乗ると体に凄まじい加速度がかかる。6~7Gの世界は壮絶で、4トンのゾウが膝に乗るようなものだ。そんな想像を絶する過酷な状況で、彼らはフライトをスポーツとしても楽しんでいる。その経験から僕は映画の中で「スポーツを楽しむ男たち」を描こうと思ったんだ。
まさにこれが『トップガン』の基本コンセプトになったのです。劇中では戦闘機同士の激しいドッグファイトもありますが、本作は決して「戦争映画」ではありません。若いパイロットが悩み傷付き、様々な経験を経て逞しく成長する姿を描いた「スポーツ青春映画」なのです。
ただ、そのコンセプトを映画会社に理解してもらうのには時間がかかりました(監督をオファーされたトニー・スコットも最初はよく理解できず、「『地獄の黙示録』みたいな内容かと思ったら全く違った」「一体どんな映画なんだ?」と困惑したらしい)。
また、本作の撮影にはアメリカ海軍の協力が不可欠ですが、そちらの説得にも時間がかかったようです。
技術指導を務めたピーター・ペティグルーは脚本を読んで「トップガンには”優勝の盾”なんて存在しない」「パイロットは重圧の中で常に死の危険と戦っている。盾など無縁の世界だ」と指摘。
しかし脚本を書いたジャック・エップスは「盾は究極のライセンスで、頂点を極めた証としてどうしても使いたかった。たとえ事実とは違っても、ストーリーを盛り上げるためには必要なんだよ」と主張。
「間違った情報を広めたくない」という海軍側の考えと「面白いドラマを作りたい」という制作側の思いが何度も衝突し、なかなかストーリーが完成しなかったのです。中でも特に問題になったのは「事故のシーン」でした。
主人公のマーヴェリック(トム・クルーズ)が飛行訓練中に不慮の事故で相棒のグース(アンソニー・エドワーズ)を失う…というシーンは、当初の脚本では「戦闘機同士の接触事故」となっていました。
ところが、これに対して海軍から「そんな事故は起こり得ない!」とクレームが入ったのです。ジャック・エップスは「この事故を乗り越えることで主人公は精神的に成長する。とても重要なシーンだ」と必死で説明するものの、「このままでは協力できない」と難色を示す海軍。
そこでピーター・ペティグルーは過去に海軍で実際に起きた事故を調べ、映画に使えそうなシチュエーションを探そうとしました。
そんな時、「ふと僕の友人の事故を思い出した。ジェット後流に巻き込まれた戦闘機がフラットスピンしたんだ。あれが使えるかも…と」。こうして「F-14が空中でスピンする」というシーンが生まれ、無事に海軍の協力を得ることに成功したのです。
※ちなみに、こういう揉め事は日本の映画でもよくあるらしく、航空自衛隊に協力を依頼した際、脚本に「戦闘機が墜落してパイロットが死亡する」というシーンがあった場合は「書き直してください」と言われるそうです(どこの国でもこういう描写はナーバスになるみたいですね)。
というわけで、『トップガン』の製作が決まるまでの経緯をざっくりご紹介しましたが、実は撮影が始まってからも色んなアクシデントが起こりまくり!
オープニングシーンを撮影していたら急に空母がUターンを始めたため、トニー・スコット監督が艦長に「船を元の位置に戻してくれ!」と要求。ところが、「針路変更するには2万5000ドルかかる」と言われ、どうしても絶好のポジションで撮りたかった監督は、なんと自腹で2万5000ドルを払って空母の針路を変えさせたとか。
また、F-14が管制塔をかすめて飛ぶシーンを撮影するために、限界高度スレスレの超低空飛行で飛んだら管制塔の窓ガラスが全部割れてしまい、後でパイロットがメチャクチャ怒られたとか、面白エピソードが満載なので機会があればまたご紹介したいと思います。