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劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』映画感想/裏話

王立宇宙軍 オネアミスの翼
王立宇宙軍 オネアミスの翼

本日は『王立宇宙軍 オネアミスの翼』について語ってみたい。

この映画が公開されたのは1987年3月。当時学生だった僕は初めて劇場でこの映画を観た時、その徹底的に創り込まれた世界観と物語、そして驚異的なクオリティーの作画に圧倒された。その後、この物凄い映画を作った山賀博之という監督が当時若干24歳だったことを知ってさらに驚愕したのである。

いや監督だけではなく、この映画を製作したスタジオ「ガイナックス」のスタッフの平均年齢が当時23歳という、まさにこれは”若者たち”の手によって作られた全く新しい映画だったのだ。そして僕はこの映画を観る時は、いつも登場人物とスタッフの姿を重ね合わせて見てしまう。物語と実際の製作状況が、不思議なほどよく似ているからだ。

主人公のシロツグは「好きな女の子に誉められた」という単純な理由だけでロケットのパイロットに志願する。最初は「お前、何言ってんだ?」とバカにしていた仲間たちも、やがて本気でロケット打ち上げに協力するようになる。それと同様に、ガイナックスのスタッフも企画立ち上げ当初は周囲から「出来るわけないだろ!」とさんざん言われていたそうだ。

だがそれは無理もない話で、当時のガイナックスはアマチュアから脱却したばかりの”素人同然”の集団にすぎなかったからである。なんの実績も無く、大学時代にサークル活動で自主制作の特撮映画やアニメを何本か撮った経験があるだけだったのだ。

そんな”若僧たち”が、音楽に坂本龍一を起用し、総製作費8億円の大作映画を製作するなどと、当時誰が想像できただろうか(GOサインを出したバンダイの”太っ腹ぶり”にも呆れるしかない)。

当然ながら、映画制作時におけるトラブルや苦労もハンパではなかったようで、中でも一番の困難は”お金”にまつわるエピソードである。なんと作業も終盤に差し掛かった時点で、制作費が底をついてしまったのだ。

プロデューサーは真っ青になり「まだ映画が完成していないのにお金が無くなった!」と大騒ぎになったらしい。一時は映画の公開も危ぶまれる程の大ピンチだったらしいが、ここでもまた物語と制作状況が見事にシンクロしているのだ。映画のクライマックスでシロツグは叫ぶ。

「ここまでみんなで作ってきたものを、全部捨てちまうつもりかよ!?俺はあきらめないぞ!絶対に最後までやってやる!!」

これはまさにスタッフたちの心の叫びでもあったのではないだろうか?もちろん脚本は最初に作られているので、製作の影響が直接画面に現れたとは考えにくいのだが、それでも彼らの”映画に懸ける熱い想い”のようなものがにじみ出ているような気がしてならない。

映画の主人公と同じようにガイナックスのスタッフたちも決してあきらめなかった。最後まで映画を作り続け、そしてついに完成させたのである。この映画にはそんな「若きクリエイターたち」の情熱がほとばしっており、だからこそ数十年経った今見ても少しも色褪せる事なく、なおも光り輝き続けているのだろう。

この映画に関しては「物語」や「キャラクター」など語るべきことはいくらでもあるが、個人的には「驚異的な作画技術」に注目したい。公開当時、「アニメSFX」と称されたその超高密度作画は、現在の劇場用アニメと比較しても全く引けをとらない程のレベルの高さだ。その理由はスタッフを見れば一目瞭然。

キャラクターデザイン&総作画監督貞本義行作画監督に飯田史雄、森山雄治スペシャル・エフェクト・アーティストとして庵野秀明、原画に、摩砂雪前田真宏井上俊之窪岡俊之山内則康結城信輝江川達也大貫健一板野一郎など、現在でも第一線で活躍中の一流アニメーターたち(一名はマンガ家だが)が集結しているのである。

中でも特筆すべき人物は、『新世紀エヴァンゲリオン』で大ヒットを飛ばし、現在は映画監督として実写作品も手掛けている庵野秀明だろう。当時の彼は「エフェクト・アニメーター」としてはまさにカリスマ的地位を確立しており、『オネアミス』における爆発シーンや戦闘シーンはほぼ彼の手によるものだ。

撃ち出された曳光弾がちゃんと重力の法則に従って落ちて行くシーンを見て、当時非常にびっくりしたのを憶えている(このシーンは実写の記録フィルムから一コマ一コマ描き写して作画したらしい↓)。

王立宇宙軍 オネアミスの翼
王立宇宙軍 オネアミスの翼

だが何といっても圧巻は、ファンの間でいまだに”伝説”として語り草になっているロケット打ち上げのシーンである。外板から剥がれ落ちて行く何百枚もの氷の破片はCGではない。その一枚一枚が全て人間の手によって描かれたものなのだ!

このわずか3秒の1カットに、なんと250枚の作画を使用したというのだから恐れ入る。しかも、あまりにも枚数が多すぎた為に通常のカット袋に納めることが出来ず、わざわざ特製の”カット箱”を作成しなければならなかったという。

王立宇宙軍 オネアミスの翼
王立宇宙軍 オネアミスの翼

その想像を絶する作画技術はもはや人間が到達できる限界点を遥かに超えており、まさに”神業”としか言いようがない領域に到達している。後に庵野NHKの番組「トップランナー」に出演した際、「オネアミスの時の自分が、アニメーターとしての頂点(ピーク)でした」と告白していたが、その言葉どおり、この時の尋常でない作画レベルは今見ても凄まじく、執念すら感じさせる程だ。

そしてもう一人、注目すべき作画スタッフとして江川達也を挙げておきたい。江川達也といえば大ヒットした『BE FREE!』や『東京大学物語』などで有名な売れっ子漫画家である。アニメーターでもない彼が、一体何故本作の原画を描いたのか?。

実は江川は大学時代にアニメのサークルに入っており、自主制作アニメを作っていたのである。たまたま江川が作ったアニメを見た岡田斗司夫はそのあまりにも見事な完成度に感激し、『オネアミスの翼』のスタッフに引きずり込んだらしい。

そしてどのシーンを描いてもらうか検討していたところ、エロシーンが満載の『BE FREE!』を発見。それを読んだ貞本義行が「なんてエロいマンガなんだ!これしかない!」と即決したという。こうしてシロツグがリイクニに襲い掛かる”強姦未遂事件”のシーンを江川が描く事になったのだ。

このシーンは短いながらもリアルなものを目指してかなりの力が注がれたという。コンテ、レイアウトを決定するのに監督以下演出部3人、作画監督2人、そして江川達也を交えて綿密に検討された。その作画には江川と井上俊之が原画を、貞本義行が自ら動画を入れるという念の入れよう。

さらに仕上げ、特効、撮影のチェックにもよりいっそうの気合を入れたらしい。その甲斐あって、このシーンはアニメとは思えぬほど生々しく仕上がっており、完成したカットを見て貞本も思わず「これはエロい!」と叫んだそうだ。

また、この映画では当時はまだ珍しかったCG技術を積極的に導入している点も特筆すべきだろう。といっても現在のようにキャラやオブジェクトを3DCGで作ったのではなく、作画のサポートとして使用しているのだ(シロツグが空軍機に乗って飛行体験をするシーンなどではCADソフトを使用)。

他にも回転するプロペラの作画があまりにも難しかったため、アスキーが開発したグラフィック用ソフトを参考にプロペラ回転の原図を作成し、それを”下絵”としてアニメーターが動画に描き起こしてゆくという方法を採用している。

これによってプロペラをスムースに回転させることに成功し、ラストの「衛星になったロケット」がゆっくりと回転するシーンや「清掃車の傾斜した車輪」の回転などにも使われることになったのだ。


その他、記録映画やニュース・フィルムの場面では、フライシャーの「スーパーマン」の絵を意識して作業され、BBC調のニュースみたいなイメージで作られている。

そして、古めかしい雰囲気を出す為に、アマチュア同様に8ミリで撮影し、さらにそのフィルムを16ミリ → 35ミリと二段階拡大してプリント。最終的には、ポジにワザと傷を付けてオプチカル処理まで加えるという念の入れ方だったそうだ。

8ミリは元から粒子が粗いので、二度にわたってブローアップするともうかなり荒れてしまう。その荒れ方が古いフィルムの粒子の荒れと良く似ており、一時代前のフィルムらしさを再現出来た。王室関係の出てくるニュースは皇室ニュースふうに、ロケットの失敗記録は車の教習所の事故フィルムの口調に似せてあるらしい。

ブラウン管のフィルムは、特殊ガラスを上に乗せて撮影し、モノクロに現像した後オプチカルで合成して作成。ちなみに、これらのシーンを担当したのは『ローレライ』や『日本沈没』等の樋口真嗣監督である(この時は助監督だったが映像に対するこだわりの強さは当時から持っていたらしい)。

だが、これだけ緻密に作られた映画にもNGシーンというものが存在する。その一つが「宇宙軍と空軍が大喧嘩するシーン」だ。メガネを掛けた空軍のおっさんが、シロツグの仲間にぶん殴られてメガネを粉砕されてしまうのに、次のカットではナゼか無傷で宇宙軍とケンカしているではないか!


このNGを発見したスタッフは、「あっ!マズイ!」と慌ててヒゲと眉毛を描き加えて別人に仕立て上げたという。映画を観た観客からこのことを突っ込まれた監督は「いや、彼は最初に殴られた男の弟です」と苦しい言い訳で逃れようとしたが、どう見ても同一人物だろ(笑)。

さらにもう一つのNGシーンは、クライマックスの「ロケット発射」の直前。敵が攻撃してくる場面で、兵士の一人が草むらで大きく呼吸をしているのだが、良く見ると息を吸っているのに白い息が出ているのだ(普通は吐く時に出る)。

どうやら、原画を描いた人が勘違いしていたようで、指摘されて初めて「え?ああっ!」と大慌て。山賀監督もチェックしている途中で気付いたものの、既に試写の三日前だったので直せなかったらしい(それがコチラ↓)。

そんな山賀博之もまた、庵野秀明に負けず劣らず「スゴい人」であった。もともとこの人は映画にあまり興味が無く、一般映画はおろかアニメすらほとんど見ていなかったらしい。

小学校の頃はイラストレーターになりたくて、通信教育でイラストの講座を受けていたそうだ。映画監督になった理由も「単に有名になる為の手段として映画監督を選択したにすぎない」と言っている。

だからその方法もいいかげんで、本屋に行って映画監督になる為の本を探していたところ、たまたま淀川長治のエッセイを発見。この中に「同じ映画を10回見れば、誰でも映画監督になれる」と書いてあったのを読んで『がんばれベアーズ!特訓中』を10回見たのだそうだ。

なぜ『がんばれベアーズ』、しかも『特訓中』なのか分からないが、山賀監督によると「B級映画の『特訓中』だから、かえっていろんな事が分かって良かった。10回も見ていると映画を成立させる為のセオリーとか、約束事がだんだんと見えてくる」のだそうだ(ホントだろうか?)。

そして最も注目すべき人物は、本作の企画を立ち上げたプロデューサーで現在オタクの教祖として不動の地位を築いているオタキングこと岡田斗司夫だろう。

23歳の時にSFショップ「ゼネラル・プロダクツ」や自主映画サークル「DAICON・FILM」を立ち上げ、アマチュア映画プロデューサー・脚本家として80年代前半を席巻した伝説の男だ。

高校生の時の部屋が45畳というとんでもない広さで、「業務用クーラーを付けっぱなしで寝たら翌朝コップの水が凍っていた」というにわかには信じられない噂まで伝わっている(事実らしい)。

オネアミスの翼』を製作中にも宣伝担当の東宝東和と大喧嘩。「40分カットしろ!」という指示に猛反発し、「フィルムを切るんだったら俺の腕を切れ!」と言い放って119分58秒の尺で公開した(契約では120分未満)。これは黒澤明の「フィルムを切るんだったら縦に切れ!」というセリフにインスパイアされたのだろうか?

また、公開当時のチラシには「構想5年、制作費8億円!」と書かれているが、山賀監督によると「8億円というのは宣伝費等の経費を含んだ金額であり、映画自体の直接制作費は当初3億6千万円だった」とのこと。なぜ3億6千万円なのか聞かれると「『風の谷のナウシカ』の制作費が3億6千万円だったから(笑)」。

ただし、製作が進んでいくうちに坂本龍一の音楽にかかる費用などが大幅に予算オーバーしてしまったので、最終的な制作費は4億4千万円程になったらしい。

当時プロデューサーだった岡田斗司夫氏も「2億あったら出来る映画だ。3億もあったら使いきれないよ。6千万円丸々俺たちのポケットに入れても大丈夫だ!」と製作開始直後は余裕をかましていたものの、作業が終盤に差し掛かってくると「まだ映画が半分も完成してないのにもうお金が無くなった!」と大騒ぎになり、あちこちから借金しまくったらしい(この時の借金が後々までガイナックスを苦しめる事となる)。

基本的にアニメーションの制作費の大半は人件費であり、何かの事情でスケジュールが遅れたらアニメーターの拘束費がその分だけ増えてしまう。さらに劇場版になれば一人25万円以上掛かる一流アニメーターを何人も拘束しなければならないので、それだけで一月に200万円前後の費用が消えていくのだ。

この他にスタジオの維持費や制作進行の費用などを含めると、「何もしなくても500万円以上のお金を毎月ドブに捨てている計算になる」という。

完成した映画は、大ヒットこそしなかったがそこそこの成功を収めた模様。しかし膨大な制作費を回収するまでには至らず、当初の予定ではガイナックスは『オネアミス』を作った後は解散する計画だったのだが、山のような借金を返済する為にそのまま継続する羽目になってしまったのである。

その後ガイナックスは『オネアミス』の続編を企画した。タイトルは『蒼きウル』という超大作アニメで、前作の50年後という設定。監督・脚本は山賀博之、キャラクターデザインは貞本義行、そしてメカデザインは士郎正宗宮武一貴という実に豪華なスタッフ編成となっていた。

ただ残念な事に、この企画は現在凍結されている。ガイナックス内部ではすでに製作に突入していたのだが、2億円ほど突っ込んだ時点でついに資金が底を尽いてしまったらしい。いまだに公開の目処は立っていないようだが、是非とも製作を再開し、完成に漕ぎつけてもらいたいものだ。