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地上波初放送の『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』はどこがカットされたのか?

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

昨日、金曜ロードSHOW!で『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』が地上波初放送されました。これは、現在公開中の続編『IT/イット THE END ”それ”が見えたら、終わり。』の前編に当たる物語で、登場人物7人の子供時代を描いています。

1989年のアメリカを舞台にした1作目の『IT/イット』は、ビル、ベン、リッチー、スタンリー、マイク、エディ、ベバリーたち「負け犬(LOSERS)クラブ」のメンバーが、力を合わせて不気味なピエロ:ペニーワイズに立ち向かう…というあらすじで、日本を含め世界中で大ヒットを記録しました。

そして、続編となる『IT/イット THE END ”それ”が見えたら、終わり。』の公開に合わせて前作をTVで放送しよう!となったわけですが、問題は、本作が「R15指定のホラー映画」という点なのですよ。

かつて『日曜洋画劇場』や『水曜ロードショー』などの映画番組が栄えていた頃は、『エクソシスト』、『オーメン』、『13日の金曜日』、『バタリアン』など、数々のホラー映画がゴールデンタイムに堂々と放送されていました。

しかし、地上波の放送コードが厳格になるに従い、そういった「残虐シーン」や「エロ・グロ描写」が含まれる映像はオンエアし辛くなり、いつしかホラー映画はテレビから消えていったのです。

そんな規制の厳しい現代にR15指定のホラー映画を放送するとは、「金曜ロードショー勇気あるなあ!」と驚いたんですが、当然ながらノーカットではありません。「TV用に編集したバージョンをお送りします」と事前にアナウンスされました(まあ当たり前ですよねw)。

ではいったい、R15指定のホラー映画を地上波でオンエアする場合、どのような表現が放送コードに引っ掛かるのでしょうか?本日はその辺をじっくり検証してみましたよ。

※以下、ネタバレしてます


●ジョージとペニーワイズの会話シーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

まず最初は冒頭の二人の会話シーン。劇場版はもっと長く、途中で近所のオバサンが出て来る場面などもあったのですが、TV版では短くカットされていました(ただし、問題になりそうな要素も特にないため、恐らく放送時間の都合と思われます)。


●ジョージが腕を食いちぎられるシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

ペニーワイズが腕に噛み付くところまでは映っていましたが、その後、右腕を失ったジョージが道路に倒れて必死に逃げようとしているシーンがカット。さすがにこれは残酷すぎてオンエア出来なかったんでしょうね。


●マイクが羊を殺そうとしているシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

『IT/イット』のタイトルが出た後、マイクが祖父から羊を殺すように命じられ、屠畜銃(キャプティブボルト)を構えるものの実行できない…というシーンがあったのですが、TV版では祖父との会話も含めて丸ごとカットされていました(祖父が羊を殺しているので、それが引っ掛かったのかも?)。


●バワーズがベンのお腹にナイフで傷をつけるシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

いじめっ子のヘンリー・バワーズたちに捕まったベンが、お腹にヘンリーの「H」という文字を彫られるシーンは、なぜか「H」の映像だけカットされていました。「直接体を傷つける」という描写がマズかったのでしょうか?


●ベバリーの下着姿をみんなで見ているシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

劇場版では、皆で湖に泳ぎに行って楽しんだ後、日光浴をしているシーンがあったのですが全面的にカット(「下着姿の少年少女」というシチュエーションがダメだったのだろうか?)。個人的には「思春期の男子特有のドギマギした感じ」が面白くて好きなんですけどね(笑)。


●排水溝から血が噴き出すシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

TV版では、洗面台を覗き込んだベバリーに髪の毛が絡みつき、悲鳴を上げたところでCM → 父親がバスルームに入って来ると血で真っ赤に…となっていましたが、映画では大量の血が排水溝から噴き出すシーンがあったのです(これがカットされたということは、『シャイニング』のエレベーターのシーンとかもNGなのかなあ?)。


●仲間割れのその後のシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

廃屋でペニーワイズに襲われた後、「もうこんな怖い目にあうのはイヤだ!」と仲間割れし、みんなバラバラになってしまいます。その後、TV版ではCMが明けるとベバリーが家を出て行こうとしているシーンになっていましたが、実はその途中に色んなことが起きていたのですよ。

まず、7人それぞれが家庭でどのように過ごしているかが映し出され、エディが薬局へ薬を買いに行くと店員の女性から「あんたの薬はニセモノよ」と告げられる。そして骨折しているギプスに「LOSER」と書かれます(後に自分で「LOVER」に書き直す)。

さらに、バワーズが親父にこっぴどく怒られ、落ち込んでいると、郵便受けに赤い風船が引っ掛かっているのを発見。中を見ると無くしたナイフが!そのナイフを持って寝ている父親に近づき、殺してしまうのです(非常に重要なシーンですがTV版では全カット)。


●エディが母親とケンカするシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

ベバリーがいなくなった後、電話で知らせを受けたエディは「わかった、すぐ行く」と言って仲間と合流しますが、劇場版では電話を切った直後に母親に見つかり「外出なんてダメよ!」と止められます。

しかしエディは自分の飲んでいた薬がニセモノと知っているため、「ママは嘘つきだ!」「僕を守ってくれるのは友達だ!」と言い放ち、母親の制止を振り切ってみんなのところへ向かうのです。「少年が親の加護を離れて自分の意志で行動する姿」を描いたいいシーンなんですが、残念ながらTV版ではカットされていました。


●バワーズが襲ってくるシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

廃屋に入り、井戸の底へと下りていくビリーたち。そこに突然バワーズが現れ、マイクに襲い掛かる!しかし、間一髪で逆転し、バワーズは井戸へ落下…というのが劇場版の展開ですが、なんとTV版では「父親殺し」のシーンに加えてこのシーンまでもが全てカット。つまり、「前半に出ていたいじめっ子がいつの間にかいなくなる」という奇妙な話になっているのですよ。初めて本作を観た人は「あれ?アイツどこいった?」と思ったんじゃないかなあ(笑)。


●スタンリーが顔面を丸かじりされてるシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

地下をウロウロ歩いていると、突然スタンリーが襲われて顔に噛み付かれるという、まあまあエグいシーンがあったのですが、TV版では地下を歩くシーン自体が短くカットされているため、このシーンも出て来ません(そのせいでスタンリーの顔にいきなり傷ができてるんだけどw)。


●ベバリーの父親に変身するシーン

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』

クライマックスの戦闘は全員がペニーワイズをボコボコに殴りまくり、ダメージを受けたペニーワイズがベバリーの父親に変身する…などのシーンもあったのですが、TV版では短くカット(ただ、カットされていることがほとんど気にならないレベルです)。


というわけで、金曜ロードショーで放送された『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』と劇場公開版を比べてみた結果、放送コードに引っ掛かったと思われるシーンが7~8カ所、その他放送時間の都合でカットされたシーンと合わせて12カ所ほどカットされていました(細かい部分も入れればもっとあるかも)。

しかしながら、後半は腕の取れたジョージ(ペニーワイズの変身した姿)がしっかり映っていたり、割とグロいシーンもカットされずに残っていたので、意外とホラー映画ってオンエアできるんじゃね?と思ったり。これをきっかけに『ヘレディタリー 継承』とか『ゲット・アウト』とか、話題になったホラー映画も放送してくれないかなあ(^.^)

 

映画『ジョーカー』の疑問を考察!ラストシーンの意味は?(ネタバレ解説)

映画ジョーカー

映画『ジョーカー』より

※今回の記事は完全にネタバレしています。映画『ジョーカー』を観ていない人はご注意ください

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

現在、大ヒット公開中の映画『ジョーカー』について、「ホアキン・フェニックスの演技がすごい!」とか「『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』にそっくりじゃん!」とか、様々な評価や感想が溢れ返っていますが、アメコミのキャラクターを主人公にして、”貧困”や”格差”などの社会問題をここまでシリアスに描いた点に注目が集まっているようです。

そんな中で、特に話題になっていることと言えば「映画の結末をめぐる解釈」でしょう。

この『ジョーカー』という物語は、主人公であるアーサーの視点を中心に展開していくんですけど、実はアーサーが精神病を患っているため、時々「妄想シーン」が入って来るんですね。

わかりやすいのは、マーレイ(ロバート・デ・ニーロ)が司会を務めるTV番組を見ていると、アーサー自身もその番組に出演して喝さいを浴びる…というシーン。

そしてシングルマザーのソフィー(ザジー・ビーツ)と仲良くデートする場面も、後にアーサーの妄想であったことが判明します。

前者は「まあ、テレビを見ながら妄想する人ってよくいるよね」ぐらいの感覚ですが、後者は「あ…この人ヤベェぞ…」という具合に、徐々にアーサーの妄想癖が悪化していく様子が現れていて非常に怖い。

ただ、はっきり”妄想”と分かる場面はいいんですが、多くは意図的に”妄想”と”現実”が入り混じっており、そのせいで「これって妄想?それとも現実?」みたいに観客が混乱してしまうのですよ。

例えば、電車の中で3人のサラリーマンを射殺するシーン。ここでアーサーは同僚から渡された拳銃(S&W チーフスペシャルM36?)を使っていますが、このタイプのリボルバーは、通常5発か6発の装弾数しかありません。

にもかかわらず、劇中では8発以上も撃ちまくっているのです(リロードしている様子も無し)。このため「あのシーンはアーサーの妄想だったんじゃないの?」という意見も出ているらしい。

また、アーサーが冷蔵庫の中身を全部出して中へ入ってしまうシーン。あれって実はホアキン・フェニックスのアドリブだったのですが、あまりにも奇妙すぎて他の場面とカットが繋がらず、そのため「”妄想の世界へ入っていく”という暗喩なのでは…」などと解釈する人まで現れ大混乱!

特に「アーサーが精神病院の一室で女性カウンセラーと会話する」というラストシーンの意味については、『ジョーカー』を考察している人たちの間でも激しく意見がわかれている模様。ちなみに、その解釈は大きくわけて以下の3つになるようです。

 

●時系列通り説
●過去のシーン説
●全部妄想説

 

まず「時系列通り説」の場合、あのラストは「アーサーが警察に捕まった後」ということになります。つまり、生放送中にマーレイを射殺した後、逮捕されて精神病院に送られた…ということですね。

まあ普通に見たままの解釈であり、話の流れ的にも割と自然に思えるので、可能性としてはこの説が一番ありそうな気がします。

ただ、TVに出演する前に緑(グリーン)に染めていたはずの髪の色が黒髪に戻っているし、ヒゲも伸びてるし、逮捕された直後には見えないんですよねえ(入院して詳しく検査 → 数日経過という状況なのかもしれませんが)。ちょっとその辺が気になりました。

 

次に「過去のシーン説」の場合、あのラストは時系列通りではなく、本編が始まる前の映像ではないか?という解釈です。

映画の前半で、アーサーが過去に精神病院へ入っていたことがカウンセラーとの会話で明かされますが、その時に一瞬フラッシュバックする回想シーン(ガラスに頭を打ち付ける場面)がラストの光景とよく似ているのです。

もしこの説が正しいなら、『ジョーカー』のストーリーは「マスクを被った大勢の民衆から称賛される場面」で一旦終わっていて、ラストは「アーサーの過去(本性)を明かしている」ということになるでしょう。

つまり、「善良だったアーサーが病気や環境のせいで次第に悪の道へ堕ちていったように見えるがそうではなく、実はもともと危険なヤツだった」という意味になり、映画の印象がひっくり返ってしまうのですよ(まあ、これはこれで”怖くていい終わり方”かもしれませんがw)。

ただ、部屋を出たアーサーは血の足跡をつけながら廊下を歩いていました。あれ、絶対カウンセラーの人を殺してますよね?そうだとすれば(いくらゴッサムが犯罪者だらけと言っても)精神病院を出て普通に働けるとは思えません。

それに、カウンセラーとの会話中に「ウェイン夫妻の射殺シーン」が挿入されますが、過去のシーンだとすれば何故そんな「未来に起きる出来事」が映るのか?など、色々腑に落ちない点があるのです。なので、ちょっと説としては整合性に欠けるかなあと。

 

最後に「全部妄想説」の場合、「本編の出来事は全てアーサーがカウンセラーに語った妄想話だった」ということになります。つまり、3人のサラリーマンやマーレイを射殺したことなども、ぜ~んぶ嘘!

さすがに「夢オチ」みたいになってしまうので、個人的にはあまりこの説を支持したくないんですが、アーサーの視点は妄想と現実が混在しており、「前半は薬のおかげで精神を保っていたが、薬が打ち切られた後半以降は全て妄想だ」という意見もあるようで、可能性としては無くはないんですよね。う~ん…

映画ジョーカー

映画『ジョーカー』より

あと気になったのがトッド・フィリップス監督のコメントで、「アーサーは最後に”ジョーク”を思い付いて笑う。あのシーンだけが彼が”本当に笑っている場面”なんだ」と説明してるんですよ。

「アーサーは病気で”自分の意志とは関係なく”笑ってしまったり、他の人に合わせるために”ウソの笑い”をしていることがほとんどだが、最後に精神病院の部屋で見せるあの笑いだけは、彼が唯一、心から笑っているシーンなんだよ」 (ロサンゼルス・タイムズ誌のインタビューより)

「アーサーが唯一、心から笑っているシーン」とはどういう意味なのでしょう?ここだけが現実で、他は全部現実ではない…という意味なのでしょうか?そもそも、アーサーが思いついた”ジョーク”とはどんな内容だったのか?カウンセラーが「どんなジョークなの?」と聞いてもアーサーは「君には理解できないよ」と教えてくれません。

ただし、アーサーが笑い出す直前に「銃で撃たれて倒れた両親の前で呆然と立ち尽くすブルース・ウェイン少年」の映像が一瞬映っています。もしこのシーン自体がアーサーの妄想だとするならば、「俺が騒動を起こしたせいでトーマス・ウェインが殺され、その息子が将来ヒーローになるって…最高に面白いジョークじゃないか!」と想像して笑ったのではないでしょうか?

しかし仮にそうだとすれば、非常に恐ろしい話になります。なぜなら、バットマンという存在すらジョーカーの妄想(ジョーク)だった」という意味になるわけですから!すなわち、普通ならあのシーンを見て「バットマンの誕生」を期待するでしょうけど、もしあれが妄想だったら「現実の世界にはヒーローなんていないんだよ!」という真逆のメッセージになってしまうのですよ。アメコミ映画でなんて大胆なことを…(^^;)

その他、アーサーとブルース少年との年齢差があまりにも大きすぎるため、「実はアーサーは本物のジョーカーじゃなかった説」を唱える人まで出て来るなど議論はますます白熱している模様(アーサーの姿を見て感化された別の人間が、数年後にジョーカーを名乗ってゴッサムに君臨するのでは…という説です)。

たぶん作り手側も意図的に「観客が色んなことを考察したくなるような状況」を狙っていたと思うんですが、それにしても「なんて語りがいのある映画なんだ!」と感心せざるを得ませんねえ(笑)。

 

なお、映画『ジョーカー』の疑問について世界中で多くの観客が様々な解釈や考察を試みていることに関し、トッド・フィリップス監督は否定も肯定もせず、「彼らが正しいかどうかは言わないが、いずれ僕たちが何を考え、何を意図してシナリオを書いたのか、全て説明するつもりだ」と語っているそうです。

う~ん、どうやら監督の中では「正解」がハッキリと決まっているようですね。果たしてその”真相”が明かされる日はいつなのでしょうか?早く知りたいなあ(^^;)



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驚きの実話!エマ・ストーン主演『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(ネタバレあり)

バトル・オブ・ザ・セクシーズ

映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ

ラ・ラ・ランド』でヒロインのミアを演じ、見事オスカーを受賞したエマ・ストーン。そんな彼女が主演したバトル・オブ・ザ・セクシーズは、「とあるテニスの試合」をめぐって繰り広げられた驚きの実話を映画化したものです。


バトル・オブ・ザ・セクシーズ』のあらすじ

時は1973年。女子テニスプレーヤーのビリー・ジーン・キングは、女子選手の優勝賞金が男子よりも少ないことに不満を募らせ、全米テニス協会に抗議したが拒否されてしまう。そこで男女平等を訴え、仲間たちを率いて女子テニス協会を設立。

そんなビリーに、元男子チャンピオンのボビー・リッグスが挑戦状を叩きつける。一度は断るものの、熟考の末、ボビーとの対決を決意したビリー。こうして、29歳の現役女子チャンピオンと、55歳の元王者との”性差を超えた戦い”が実現した…!

 『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』とは?

僕は最初、『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』というタイトルを聞いて「なんかちょっとB級っぽい映画なのかな~?」と思ってたんですよ。「セクシーたちの戦い」って何なんだ?と(笑)。

しかしこれは「性別間の戦い」という意味で、ビリー・ジーンとボビー・リッグスの「男vs女の試合」に付けられたキャッチコピーとして、当時大々的な告知が行われたそうです。

そして同時に、1970年代に蔓延していた男尊女卑の風潮に対し、「その壁を突き崩す勝負」という意味でもあり、当時の歴史的な顛末と関わった人々の姿を臨場感たっぷりに描いたドラマなのです。 

バトル・オブ・ザ・セクシーズ

バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(当時の写真)


ビリー・ジーンになり切ったエマ・ストーン

前作『ラ・ラ・ランド』でハリウッド女優を目指すミアを演じたエマ・ストーンは、その美しい歌声や魅惑的なダンスが話題となり、第89回アカデミー賞で主演女優賞を獲得しました。

しかし本作では、ウィンブルドンで史上最多の20回優勝を誇る伝説的女子テニスプレーヤー:ビリー・ジーン・キングを演じるため、4カ月の猛特訓に挑んだそうです。

なんせ、エマ・ストーン「テニス経験がゼロ」だったので、初歩的な練習から始まり、ウェイトリフティングやランニングなどハードな訓練を毎日実施することに…

しかも、トレーニングを担当したのは『ボーン・アイデンティティー』などジェイソン・ボーン・シリーズでマット・デイモンを鍛えた凄腕トレーナーでした。その結果、なんと筋肉が7キロも増えてムキムキの体格になったという。

なぜそこまで頑張った?

関係者によると「エマが過酷な肉体改造にチャレンジしたのは、彼女がビリー・ジーンにとても敬意を持っていて、この役をぜひやりたいと熱望していたからだ」とのこと。

さらに、「肉体からビリー・ジーンになり切ることで、ビリー・ジーンの身体的・精神的な強さを体現しようとしていた」らしい。実際、『ラ・ラ・ランド』の後に『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』を観ると、あまりの激変ぶりに驚くこと間違いなし!

なお、映画の公開時にインタビュアーから撮影の感想を聞かれたエマは、「これまで演じてきた中で最も体を酷使した役だったわ(笑)」と答えたそうです。 

ビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)

ビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン


ボビー・リッグスを演じたスティーヴ・カレル

一方、ビリーと戦うボビー・リッグスに扮したスティーヴ・カレルも素晴らしい演技でした。

彼はボビーのことを尊敬していて、完璧にボビーを演じるために徹底的にリサーチを繰り返し、実際にボビーのコーチをやっていた人からテニスの訓練も受けたそうです。

特にボビーの似せ方が凄まじく、顔や髪形などの見た目はもちろん、テニスのプレースタイルや日常の動作に至るまでボビー・リッグスを完全再現!エンディングで本人の写真が映るんですが、あまりにも似すぎていて笑ってしまいました(笑)。

ボビー・リッグス

ボビー・リッグス(本人)

敵だけど憎めないキャラ

そんなボビーは、ビリー・ジーンと戦う”敵”であり、女性蔑視の発言を連発する”ヒール”なんですが、劇中では決して”悪い人”として描かれてはいないんですね。

ギャンブル依存症で奥さんから愛想を尽かされ離婚寸前の彼は、女性を批判することで注目を集め、何とかしてもう一度、現役の頃のようにスポットライトを浴びようとしていたのです(ちなみに、奥さん役は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズでヒロインのジェニファーを演じたエリザベス・シュー)。

だから、スティーヴ・カレル女性差別発言はパフォーマンスじみていて愛嬌たっぷり、そして同時にボビー・リッグスの抱える”哀愁”も感じさせ、実に魅力的なキャラクターになっているのですよ。

なお、本物のボビー・リッグスも愉快でチャーミングな人物だったらしく、ビリー・ジーンも彼のことを嫌ってはいなかったそうです。 

ボビー・リッグス(スティーヴ・カレル)

ボビー・リッグス(スティーヴ・カレル


女性解放運動とLGBT問題

本作は、女性解放運動(ウーマンリブ)が広まり始めた70年代を舞台に、テニス界に起こった象徴的な事件を通じて女性差別の問題を描いていますが、もう一つLGBTの問題」を取り上げていることも見逃せません。

当時、ビリー・ジーンは結婚していましたが、なんとテニスツアーの途中で美容師のマリリン(アンドレア・ライズボロー)と恋人関係になり、自分自身の”性のあり方”についても考え始めるのです。

このマリリンも実在の人物で、当時の試合映像を見ると、彼女がビリーの夫ラリーと並んで座っている姿が映っているそうです。

マリリン(アンドレア・ライズボロー)

マリリン(アンドレア・ライズボロー)

その後、マリリンはビリー・ジーンのアシスタントになりますが、その頃は彼女たちの関係を秘密にしていたので、周囲の人はマリリンのことを「ビリーの専属美容師」と思っていたらしい。

なぜなら、当時はウーマンリブが盛り上がっていたとはいえ、同性愛はまだまだ世間的に認知されておらず、レズビアンであることも当事者にとっては公にしづらい属性だったからです。

 

最適なキャスティング

そんな本作で印象的なキャスティングと言えば、専属デザイナーのテッド役を演じたアラン・カミングでしょう。

アラン・カミングは自身がバイセクシャルであることを公表しており、2007年にグラフィック・アーティストの男性と同性婚を挙げたことでも話題になりました。

そして『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』ではゲイの役を演じるにあたって、「このセリフは演技じゃなくて本心から言わなきゃね」と言って特にこだわりを見せたそうです。それがこちら↓

アラン・カミング(テッド)

アラン・カミング(テッド)

「いつか僕らはありのままでいられる。自由に人を愛せるようになる」

物語のラストを締めくくる非常に重要なセリフですが、とてもナチュラルで心に響き、監督を務めたヴァレリー・ファリスジョナサン・デイトンも大絶賛。インタビューで以下のようにコメントしていました。

本当にあの役を彼に演じてもらえたのは幸運だった。あのセリフを真実味をもって観客に聞かせるのは難しかったけど、アラン以上の適任者はいなかったよ。彼だからこそ、あのセリフを説得力のあるものにできたんだ。

なお、このキャラクターも実在の人物なんですが、「本物のテッドはアラン・カミングとは似ても似つかないハゲ頭の大男」だそうです(笑)。

 

ビリーとボビーの試合シーン

さて、様々なドラマを繰り広げた後、いよいよクライマックスでビリー・ジーンとボビー・リッグスの「性差を超えた戦い(バトル・オブ・ザ・セクシーズ)」が始まるわけですが……肝心の試合があまり盛り上がらないんですよねぇ。

このシーンを作る際に監督は、実際にテレビで放送された試合映像を編集し、約10分のバージョンを作ってみたそうです。ところが…

なぜ試合が盛り上がらなかった?

監督曰く、「実際の試合展開はエキサイティングとは言えないものだった。ビリー・ジーンが簡単に勝ってしまったからね。ある意味、とてもつまらない試合だったんだよ(苦笑)」とのこと。

その言葉通り、できるだけドラマチックな試合展開にしようと音楽で盛り上げたり、カメラアングルを工夫したりしていますが、やはり単調な印象は否めません(実話だから過剰に演出するわけにもいかないし…)。この辺はちょっと残念でしたねぇ。

 

70年代を鮮やかによみがえらせた映像美

バトル・オブ・ザ・セクシーズ』の映像は、過去の出来事を描いた”実話もの”に良くある茶色系のルックではなく、赤や青やピンク系を大胆に配色した鮮やかなヴィジュアルとなっています。

これは、第89回アカデミー賞で撮影賞(『ラ・ラ・ランド』)を受賞したリヌス・サンドグレンが撮影監督として本作にも参加しているからで、『ラ・ラ・ランド』で披露した「ミックスライティング」という技法をアレンジし、カラフルかつリアリティのある映像を生み出しました。

 

ミックスライティングの効果

美術や衣装など表に見えるものは70年代の雰囲気を打ち出しつつ、照明は現代的な空間設計を施し、それを敢えてクリアな撮影で色彩の情報量を増加させることによって、画面に異常な説得力を与えているのです。

それは同時に、「過去の様式にとらわれることなく、新しい価値観や多様性を求める」という本作の主題とも見事に合致しており、だからこそ多くの観客の共感を得られる作品になったのではないでしょうか。



ラ・ラ・ランド(字幕版)

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