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『となりのトトロ』ができるまで

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて本日、金曜ロードショーにてとなりのトトロが放送されます。ご存知、宮崎駿監督が作った劇場アニメで、1988年の公開から32年経っているにもかかわらず、いまだに多くの人から愛され続けている人気作です。

しかし、今でこそ名作として評価されている『となりのトトロ』ですが、公開当時や制作中には色々と大変なことが起きていたようです。

というわけで本日は、映画『となりのトトロ』が誕生するまでの様々なエピソードをご紹介しますよ。

 

トトロのアイデアが生まれた時期は意外に古く、1975年頃だそうです。当時、高畑勲監督とタッグを組んでTVアニメアルプスの少女ハイジを成功させた宮崎さんは、次回作母をたずねて三千里の準備中でした。

そんな時、「自分はこのままアニメ制作の一スタッフとして終わってしまうのか?」「何か”自分の作品”と呼べるものを作りたい」という思いが芽生え、複数のイメージボードを描いたという。

それは「赤い傘を持ってバス停に佇む一人の少女と、その隣に立っている大きなオバケ」や、「巨大なネコの姿をしたバス」など、まさしく『となりのトトロ』の原型でした。

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

しかし、当時は世に出ることなく、その後、宮崎さんは『母をたずねて三千里』『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』など次々と色んなアニメ作品に関わっていきました。

そして4年後の1979年には、当時、宮崎さんが在籍していたアニメスタジオ(東京ムービー新社)にて日本テレビの「スペシャル番組」的なアニメの企画が立ち上がり、再びイメージボートを執筆。

「少女が庭で小さなトトロに出会う」などのエピソードが描かれ、キャタクターも「主人公の少女(メイ)、父親、隣の家の少年(カンタ)」や、「大中小のトトロ」「ネコバス」「ススワタリ(マックロクロスケ)」などがすでに登場していたようです。

宮崎さんはこれらのイメージボードを会社に提出したものの、人気漫画のアニメ化ではなく、地味なオリジナルストーリーである点などが敬遠され、残念ながら実現には至りませんでした。

こうして『となりのトトロ』のアイデアは、再び宮崎監督の机の引き出しにしまい込まれてしまったのです。しかし、それからさらに7年後の1986年、ついにトトロの企画が動き始めました!

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

当時、スタジオジブリは『天空の城ラピュタ』を公開し終えたばかりで、早くも「次回作はどうしよう?」と頭を悩ませていたらしい(その頃のジブリは、社員の給料や経費などを制作予算から捻出する方式だったので、新作を作らないとスタジオを維持できないため)。

そこで、宮崎監督が描いたイメージボードを過去に見ていたプロデューサーの鈴木敏夫さんは「宮崎さんが長年温めていたあの企画をやろう!」と思い付きました。ところが、「次はトトロをやりませんか?」と宮崎監督に提案すると「あれは俺よりも高畑さんがやった方がいいよ」と断られてしまったのです。

宮崎監督によると「自分は『トトロ』のキャラクターは考えたけれど、ストーリーは考えてないし、どういう映画にするかも何も決めていない。こういうのをやらせたら高畑さんの方が絶対にうまいはずだから、高畑さんが中心になってやればいいんだ」とのこと。

そこで鈴木さんは高畑監督に『となりのトトロ』を提案しますが、一向に首を縦に振りません。宮崎さんも一緒になって説得を試みるものの、全く引き受ける様子が無いため、さすがに二人とも諦めざるを得なかったそうです(もし高畑監督がトトロを作っていたら、どんな映画になってたんでしょうねw)。

 

というわけで結局、『となりのトトロ』は宮崎さんが監督することになりました(まぁ、もともと宮崎さんが考えていた企画ですからね)。そして、ここからいよいよ本格的な制作が始まる……かと思いきや、話はそう簡単に進みません。徳間書店側が難色を示したのです。

曰く、「『風の谷のナウシカ』とか『天空の城ラピュタ』とか、観客が望んでいるのはそういう冒険活劇ファンタジーだろう」「昭和30年代の日本を舞台にしたオバケと子供の物語なんて誰が観たがるんだ?」と。

つまり、徳間書店としては「宮崎監督に新作アニメを作ってもらうのはいいけれど、内容をもう少しどうにかして欲しい」ってことなんですね。そこで鈴木さんは考えました。「『トトロ』1本だけで弱いなら、高畑監督にも何か作ってもらって2本立てにすればいいんじゃないか?」と。

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

こうして高畑監督が火垂るの墓を作ることになり、ようやくアニメ制作が始まる……かと思いきや、鈴木さんがこの2本立て案を上司に報告したところ、「『トトロ』は”オバケ”で、さらに同時上映が”墓”の映画だと?こんなのヒットするわけないだろ!」と大激怒。

鈴木さんによると「日本の映画業界は”墓”という言葉に神経質で、”墓”がタイトルに付いている映画は極めて少ない」とのこと。確かに、パッと思いつくのは『八つ墓村』とか、どちらかと言えば怖いイメージですよね(ただし、松田聖子主演の『野菊の墓』やコメディ映画の『お墓がない!』など、全くないわけではない)。

でも鈴木さんは諦めることなく、この「オバケと墓の2本立て企画」を『ナウシカ』や『ラピュタ』を上映した東映に持ち込みました。しかし「うちでは上映できません」とあっさり断られ、次に東宝へ持ち込むものの、これまたアウト。どちらの会社も「オバケと墓じゃ売れないよ」との理由で拒否されてしまったのです。

「せっかく宮崎駿高畑勲の映画を作れると思ったのに…」と落胆する鈴木さん。だがしかし!ここで窮地を救ったのが、徳間書店の社長の徳間康快です。徳間社長は東宝へ乗り込むと、「この2本立てじゃヒットしない」と渋る相手に向かって、「じゃあ『敦煌』を東映に持っていくぞ!」と脅したらしい。

敦煌』とは、当時東宝で配給が決まっていた製作費35億円の歴史超大作で、これを東映に持って行かれたら東宝は大変なことになってしまいます。なので仕方なく東宝が「オバケと墓の映画」を引き受けることになりました(脅迫じゃんw)。こうして、無事に(?)上映する劇場も決まり、ようやく制作開始かと思いきや……

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

ジブリは『天空の城ラピュタ』を作る時にも膨大な作業に悪戦苦闘し、公開日ギリギリにやっと完成したぐらいなのに、2本同時制作なんて可能なのか?そもそも作業スペースが足りないだろ!など、様々な問題が噴出。

「とりあえず、もう一つスタジオを確保しなければ!」ということで、慌てて制作担当者が探しに出かけるものの、条件のいい部屋がそんなにすぐ見つかるわけがありません。担当者の上司も「見つかるまで帰ってくるな!」と長期戦を覚悟していた模様。

ところが、不動産屋に向かう途中で偶然「改装工事中」と書かれた建物を発見。気になって中を覗いてみるとスタジオとして使うのに都合がよく、条件にも合いそう。すぐにジブリに引き返して「見つかりました!」と上司に報告すると、「お前、真面目に探したのか!?」と怒られたそうです(「そんな簡単に見つかるはずがない」と思ってたんでしょうねw)。

後日、宮崎駿監督もその建物を見に行き(ジブリからたった80メートルしか離れていなかった)、フロアに入って「広くて綺麗で窓もいっぱいあって、いいじゃないですか」と気に入った様子。

さっそく吉祥寺のスタジオジブリを「第1スタジオ」、新しく借りた部屋を「第2スタジオ(トトロ班分室)」と名付け、宮崎監督は第2スタジオへ引っ越し。こうして1987年4月13日、ようやく『となりのトトロ』の制作がスタートしたのです。

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

しかし、制作を開始してからも宮崎監督と高畑監督が優秀なアニメーター(近藤喜文)を取り合ったり、当初は60分程度の中編映画の予定だった『となりのトトロ』が最終的に88分になったり、次から次へと予期せぬ事態が巻き起こりました。中でもスタッフを悩ませたのが「茶カーボン」です。

現在はデジタルに移行しているので使うことはありませんが、昔は紙に描いたキャラの線をセルに転写する際に「カーボン」と呼ばれる薄いシートを使っていました。これは基本的に「黒カーボン」が当たり前で、アニメのキャラの線は昔から”黒”が常識だったのです。

ところが、『となりのトトロ』では色指定の保田道世さんと宮崎監督、さらに『火垂るの墓』の高畑勲監督も加わって綿密な打ち合わせを繰り返した結果、「茶カーボンでいく」との結論に至りました。

昭和30年代の日本の風景には、黒よりも明るい茶色の方が合うだろう…と考え、実際に黒の線でもテストしてみたのですが、圧倒的に茶色の方が美しかったそうです。以下、背景美術を担当した男鹿和雄さんのコメントより。

なぜ茶色が合うかというと、実際、5月でも真夏の盛りでも、草を見ていると茶色が結構あるんです。枯れた葉っぱとかが必ずあるんですね。だから、自然の草むらや森を描く時に、グリーンだけで描くよりも、枯れた茶色をどこかに入れると、よけいグリーンが綺麗に見えるんですよ。

ロマンアルバムとなりのトトロ」より)

こうして「茶カーボン」が採用されたわけですが、この後、様々な難題が待ち受けていました。まず、茶カーボンは通常の黒カーボンよりも値段が高く、倍以上のコストがかかります(特注品のため)。10枚や20枚ならともかく、『となりのトトロ』の作画枚数は4万8千枚以上ですから、これはなかなか厳しい。

また、今までならトレスマシンで転写できていた線が、茶カーボンではトレスできない、あるいは線が薄い等の問題が発覚(普通はアニメーターがハッキリした線を描いた方がトレスしやすいんだけど、茶カーボンは逆に強い筆圧だと線が出にくいらしい)。

そのため、トレス線が綺麗に出ない絵はすべてリテイクとなり、作画スタッフは大変な苦労を強いられたそうです。

さらに、ジブリ社内のトレスマシンでは転写できても、外注の仕上げスタジオでは線が出ないというケースが続出!仕上げスタジオに頼んでマシンのパーツを新しく交換してもらったり、何とか対処しようとしましたが、全てのスタジオにまではいき届かず、結局ジブリでトレスしてから仕上げに回すことになりました(制作進行の仕事が倍増!)。

そんな感じで、現場はかなり大変なことになっていたようですが、茶カーボンを使用した映像は優しくて暖かく、『となりのトトロ』独自の美しさを生み出すことに成功。

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

こうして映画は無事に完成し、1988年4月16日に全国の劇場で公開されました。しかしその結果は……残念ながら関係者の期待を超えることは出来なかったようです。配給収入は5億8千万円で、『風の谷のナウシカ』の7億4千万円よりも大幅に落ち込み、興行的には”失敗”してしまったのですよ(プロデューサーもガッカリ)。

ところが…

劇場でヒットしなかったにもかかわらず、その評価は絶賛の嵐!1988年度「キネマ旬報ベストテン」で日本映画第1位を獲得した他、毎日映画コンクールで日本映画大賞、第31回ブルーリボン賞で特別賞、第24回映画芸術ベストテンで日本映画第1位など、ありとあらゆる国内の映画賞を総ナメにしました。

そして、97年にビデオが発売されると発売後わずか1ヶ月で100万本を売り上げる驚異的なセールスを記録し、2001年にDVDが発売されるとオリコンDVDチャートで前人未到の500週連続ランクインを達成!

さらに金曜ロードショーでテレビ放映されると、毎回毎回20%前後の高視聴率を叩き出し、「いったい何回トトロを観れば気が済むんだ!?」と他局の関係者を呆れさせるほどの人気ぶりを発揮したのです。

このように、公開当時はヒットしなかったけれど、観た人の評価は圧倒的に高く、長年に渡ってずっと愛され続けている作品が『となりのトトロ』であり、これこそがまさに名作の証と言えるのではないでしょうか。

 

●参考文献
今回の記事は以下の書籍を参照させていただきました

ふたりのトトロ -宮崎駿と『となりのトトロ』の時代-

となりのトトロ』で制作デスクを務めた筆者が体験した面白エピソードの数々を掲載
ジブリの教科書3 となりのトトロ (文春ジブリ文庫)

鈴木敏夫が語る制作裏話や半藤一利、中川李枝子ら豪華執筆陣が作品の背景を解説

『機動警察パトレイバー』はこうして生まれた

『機動警察パトレイバー』

機動警察パトレイバー


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて、本日8月10日は何の日でしょう?
そう、パトレイバーの日」です!

いや、「山の日」だろ!

という指摘はその通り(笑)。
しかし2018年に30周年を迎えたことを記念し、株式会社HEADGEARが8月10日を「機動警察パトレイバーの象徴的な日」にしようと考え、一般社団法人・日本記念日協会によって正式に認定・登録されたのですよ(日付は「パ(8)ト(10)」と読む語呂合わせから)。

機動警察パトレイバー』は1988年に最初のOVAが発売されて以来、漫画、小説、ゲーム、TVアニメ、劇場アニメ、実写版など様々な媒体でメディアミックスを展開した先駆的な作品ですが、その誕生までには色んな苦労がありました。

というわけで本日は、『機動警察パトレイバー』が生まれるまでのエピソードをご紹介します。


●企画のゆうきまさみ
時は1980年代初頭、漫画家のゆうきまさみが仲間たちと喫茶店に集まり、「ロボットアニメの企画」を考えていたそうです。最初は『電光石火ギャラクレス』というタイトルで、作業用ロボットが別の惑星で活躍する内容でしたが実現しませんでした。

次に考えた『バイドール』という企画は、「近未来の2人組の婦警さんがロボットに乗って事件を解決する」という、「『逮捕しちゃうぞ』のSF版」みたいなストーリーだったらしい(ゆうきまさみ曰く「あの頃はミニパトの婦警さんが人気だったので…」とのこと)。

ちなみに、『バイドール』の頃は「ロボットをできるだけ小さくしたい」と考え、3~5メートル程度のいわゆる”パワードスーツサイズ”だったようです(しかも白バイがロボットに変形する案まであったとか)。

パトレイバーの原型?

パトレイバーの原型?

結局、この企画もボツになりましたが「警察用のロボット」というアイデアは残し、当時一緒に企画を練っていた”とまとあき”が「レイバー」という名称を考え、ゆうきまさみが「じゃあ戦うレイバーでバトレイバーだ!」と。ここから「パトレイバー」が生まれたそうです(ゆうき氏曰く「いつの間にか”バ”が”パ”に変わっちゃったけどね(笑)」)。


●メカの出渕裕
続いて企画に参加したのが出渕裕でした。出渕さんといえば、『戦闘メカ ザブングル』や『聖戦士ダンバイン』や『逆襲のシャア』などで優れたデザインを生み出した人気メカデザイナーで、衣装デザインや監督としても活躍しています。

そんな出渕さんが『パトレイバー』の企画内容を聞いた時、「人が死なないロボットもの」という設定に可能性を感じたとのこと。

兵器じゃないロボット、人があまり死なない、戦争じゃないという部分で「なるほど、そういう切り口はあるな」と感じましたね。ゆうきさんは、戦争で人が死ぬのが日常になっているようなものはやりたくないと言ってたんですよ。ガンダム以降、その部分をトレースしているアニメが非常に多かったので、同じロボットものというカテゴリーの中で、ガンダム的ではない別のやり方もあるんじゃないか…という可能性を感じました。

(『機動警察パトレイバークロニクル』より)

そこで、出渕さんの友人でSF作家の火浦功を含めて3人で企画書を作り、アニメ制作会社のサンライズへ提出。しかし、これまた実現しませんでした。

当時は玩具メーカーがロボットアニメのスポンサーになるケースがほとんどで、「変形・合体するメカじゃないと企画が通らない」と言われた出渕さんは「そんなもの描きたくない!」と言いつつ、”変形するパトカー”のデザインを描いたのですが、それもボツに…。

なお、『パトレイバー』を通すための”ダミー企画”として『ガルディーン』というロボットものの企画も一緒にサンライズへ提出したのですが、『パトレイバー』よりも先に『ガルディーン』の方が小説として世に出てしまい、ゆうきさんは複雑な気持ちになったそうです(笑)。

【合本版】未来放浪ガルディーン 全5巻


●シナリオの伊藤和典
サンライズに断られた『パトレイバー』の企画は一旦引き上げられ、ゆうきまさみ出渕裕が「さてどうしよう?」と思案している頃に合流したのが脚本家の伊藤和典でした。

伊藤さんといえば『うる星やつら』や『魔法の天使クリィミーマミ』などTVアニメシリーズの脚本を手掛け、後に平成ガメラ三部作でも優れた手腕を発揮した人気シナリオライターです。

出渕さんから企画内容を聞いた伊藤さんは「『ポリスアカデミー』みたいな内容でロボットアニメをやったら面白くなるんじゃないかな?」と考え、シナリオを執筆。

その時に、泉野明や後藤喜一など具体的なキャラクター名が決まっていったそうですが、実はパトレイバーに登場するキャラは実在の人物をモデルにしてるんですよね。

例えば「野明(のあ)」って非常に珍しい名前ですが、証券会社の窓口にこういう名前の人が実際にいたそうです。また、「進士幹泰」は伊藤さんが当時通っていたダイビングスクールの生徒さん。「山崎ひろみ」スタジオディーンのアニメーター。「香貫花」は離島で暮らす家族のお姉さんの名前らしい(香貫花に関しては伊藤さんと面識はなく、「テレビで見た」とのこと)。

『機動警察パトレイバー』

機動警察パトレイバー

こうしてキャラの名前や設定が出来上がり、当初はTVアニメシリーズを目指していたため4~5話分ぐらいのプロットも作り、『パトレイバー』の原型みたいなものが完成しました。

ちょうどその頃、伊藤さんの自宅でパーティーをやる機会があり、「どうせならこの企画を関係者に見せようか」という話になって、伊藤さんが仕事で知り合いになったバンダイビジュアル鵜之澤伸(うのざわしん)に声をかけました。

パーティーの席でいきなり伊藤さんから「これTVアニメにしたいんだけど…」と企画書を渡された鵜之澤さんは驚きつつも、とりあえず上司に相談したら「無理!」と一蹴されたらしい。

ただ、当時はOVAが流行っていたので「テレビは無理でもビデオならいけるんじゃないか?」と考え、さらにその頃のビデオは1本1万円以上していましたが、「これを4800円で売ればヒットするはずだ!」と思い付いたそうです。

ちなみに、このパーティーが開催された日付は1985年の12月、つまりクリスマス・パーティーでした。鵜之澤さんは「”楽しいパーティーをやるからおいでよ”と誘われたのに、まさか仕事の話だったとは…」と微妙な気持ちになったという(笑)。


●キャラクターの高田明美
そして、このクリスマス・パーティーのメンバーの中に、パトレイバーでキャラクターデザインを担当する高田明美も参加していました。

うる星やつら』や『魔法の天使クリィミーマミ』などで伊藤和典とすでに仕事をしていた高田さんは、伊藤さんから「今こういう企画を考えてるんだけど一緒にやらない?」と声をかけられたらしい。

企画書を作る段階でゆうきまさみがラフなデザインを描いていましたが、そのままではアニメに使えないため、キャラクター設定として正しく描き直す必要があったからです。

また、キャラクターの名前も高田さんの知り合いからもらっているようで、「榊清太郎」は高田さんの祖父の名前が”清太郎”だったから。「篠原遊馬」は病院に行った時に見たおじいちゃんの診察券から。「太田功」は高田さんが通っているダイビングスクールのインストラクターから…など。

さらに『パトレイバー』を実現するために作られた組織「ヘッドギア」のネーミングも高田さんの発案らしい。

最初、他のメンバーが地球防衛軍とか言ってたので、それはやめようよって(笑)。「私たちは企画を立てる集団で、頭が道具なんだ」という意味を込めてヘッドギアってどうかなと思ったんです。「地球防衛軍」よりはいいんじゃないかなと(笑)。

(『機動警察パトレイバークロニクル』より)

こうして、『機動警察パトレイバー』の制作準備が着々と進行する中、いよいよ”あの人”がメンバーに加わることになるのですが…


●監督の押井守
他のヘッドギアのメンバーが忙しく働いている頃、押井守監督は全く仕事がありませんでした。

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』でアニメファンから一定の評価は得たものの、制作会社や原作者の意向を無視して好き勝手に作る押井監督のやり方に反感を覚える人もいたようです。

さらに、オリジナル企画の天使のたまごが難解すぎて全くヒットせず、とうとう押井監督に仕事を依頼する人がいなくなってしまったのですよ(本人曰く、「本当に数年間仕事がなかった」「完全に業界から干されていた」とのこと)。

この件について、スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーは次のように語っています。

天使のたまご』という作品は、その後の押井さんの方向性を決める大きなものになりました。そのことに直接関係した者として、僕はいまだに引っ掛かりを感じています。本当に良かったのかな…って。というのも、彼は本来「大衆娯楽映画」を作れる人で、実際TV版『うる星やつら』でもそういうことをやってきたわけですよ。それが『天使のたまご』をきっかけに変わってしまった。いわゆる”作家”としてのデビューになるわけですが、それをオリジナルビデオという形で用意した僕の方にすれば、彼のその後の作品の範囲を狭くしたのではないか…と。今でもその疑問は残っています。反省としてね。

キネマ旬報押井守全仕事」より)

天使のたまご』は押井守監督の作家性が爆発した初期の作品として、熱心なファンの間ではいまだに高く評価されていますが、業界では「難解なアニメを作る監督」という噂が広まり、すっかり暇になってしまったのです。

天使のたまご Blu-ray

しかし、いくらゲームの中でお金を稼いでも、現実世界で裕福になれるわけではありません。「パチンコは金になるのに、なんでゲームじゃ食えないんだ…」と不満に思っていた時、「ゲーム内で金品を稼いで暮らしているプレーヤーたちの物語」を思い付いたそうです(このアイデアは後に実写映画『アヴァロン』で実現する)。

アヴァロン

しかし、当時の押井監督は(暇を待て余していたにもかかわらず)あまりやる気はなかったそうです。自分が参加する前からキャラや設定がほとんど決まっていて口出し出来る部分が少ない上に、制作費がメチャクチャ安かったからです。

当時、30分のOVA1本当たりの制作費はおよそ2000万円~3000万円ぐらいでしたが、鵜之澤プロデューサーが提案した「定価4800円」を実現するには、必然的にコストも削減しなければなりません。

そこで鵜之澤さんは「複数の話をまとめて作れば設定や色指定を共有できるから単価を下げられるのでは」と考え、6本分を一度に作ることを決断。総予算は6000万円なので、1本当たり1000万円で作ることになったわけです。

現在、テレビアニメ1話当たりの制作費は1300万円~2000万円ぐらいだから、それよりも安い計算になりますね(ちなみに初期OVAは全7話構成だが、これはビデオが売れたことにより1本追加されたため)。

さらに低予算のしわ寄せはスタッフにも及び、ヘッドギアのギャラも極限まで抑えられ、ビデオの売り上げに応じて発生するはずの印税すら払えない事態に…。当然メンバーは不満を訴えましたが、鵜之澤プロデューサーが「100万本売れたらハワイへ連れて行くから!」と言って何とかごまかしたらしい(結局、ハワイには行ってないw)。

『機動警察パトレイバー』

機動警察パトレイバー

そんなわけで、押井監督としてはあまりやる気が無かったんだけど、とにかく当時は仕事が全然なかったので、「背に腹は代えられない」と引き受けることになりました。

しかし、やはり現場では相当揉めたようで、予算が無いから作画枚数を使えない。じゃあロボットアニメだけどロボットが活躍しない話にしようと。ロボットが出て来ても立ってるだけ。出来るだけ動かすな!と。そんな感じで徐々にフラストレーションが溜まっていったらしい。

中でも一番揉めたのはパトレイバーのデザインで、押井監督は作業用機械みたいなスクラップ寸前のポンコツレイバーを考えていたのに、出渕裕が描いてきたデザインはスマートでカッコいい”典型的なヒーローメカ”だったため、「こんなので出来るか!」と大激怒。

いざロボットのデザインに入ったら、ブッちゃん(出渕裕)がイングラムを出してきた。「何だこれは!こんなカッコいいロボットでどうするんだ!」って。「大体、こんなロボット動かすの大変なんだぞ、分かってるのか!」って話。空飛ぶガンダムならともかく。ガンダムってまともに歩いてるシーンってほとんどないんだから。「それがわかってるのか!」って言ったら、「分かってる。でも、どうしてもこれでなきゃ嫌だ」とか言って、ゆうきまさみ君も「ヒーローロボットの典型でなきゃ企画に反する」とか言って。伊藤君と僕は「反対だ!ポンコツにしろ!」って言って。それで高田明美さんが向こうに着いちゃった。結果的に3対2で負けた。

ロマンアルバム押井守の世界」より)

こうしてモチベーションが上がらないまま制作に入った押井監督ですが、1話、2話、3話…と作っているうちにだんだん乗ってきて、5話と6話の頃には「かなり面白くなっていた」そうです。

そしてついに『機動警察パトレイバー』のOVAが完成!しかし、「いっぺんに6話作ったのはいいけど、1話目が売れなかったらどうするんだ?」と上司からプレッシャーをかけられた鵜之澤プロデューサーは、なんとヘッドギアのメンバーを引き連れて日本全国を回る大々的なキャンペーンを実施しました。

一見「景気がいいなあ」と思えますが、実際は宣伝費がありません。押井監督もほぼノーギャラで全国数十カ所を回らされ、「これじゃボランティアだ」とぶつぶつ文句を言っていたそうです。ただ、そのおかげでビデオは大ヒットを記録し、ついに劇場版の制作が決定!

というわけで、パトレイバーはここから本格的にメディアミックス展開していくわけですが、その話はまた別の機会にしたいと思います(^.^)

 

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実写版を完全再現?劇場アニメ『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて本日、金曜ロードショーで劇場アニメ打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?が地上波初放送されます。

この作品は、岩井俊二監督が1993年に手掛けたTVドラマをアニメ化したもので、2017年に全国の劇場で公開され、興行収入16億円のヒットを記録しました。

主人公の島田典道の声は当時アフレコ初挑戦だった菅田将暉が演じ、ヒロインの及川なずなを広瀬すずが担当。その他、宮野真守梶裕貴三木眞一郎花澤香菜など豪華な声優陣も話題になりました(ヒロインの母親役は松たか子)。

ちなみに原作のTV版は、もともと『if もしも』というオムニバス・ドラマシリーズの一編として作られたもので、島田典道役は山崎裕太が、そして及川なずな役は当時、美少女子役として人気を集めていた奥菜恵が演じています。

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? - New Color Grading -

「12話~13話ぐらいの連続ドラマが高視聴率を獲得して映画化決定」というパターンはよくありますが、本作のような「1話完結型のオムニバス・シリーズ」の一編が劇場公開される例は非常に珍しいですね。

さらに、このドラマは多くのクリエイターに影響を与えたことでも知られており、今回のアニメ版に脚本として参加した大根仁もその一人。大根仁といえば、人気漫画『モテキ』の実写版が有名ですが、なんと『モテキ』の中で『打ち上げ花火』のワンシーンを丸ごと再現してしまうほどの大ファンだったのですよ。

モテキ<Blu-ray BOX(5枚組)>

その映像を見た岩井俊二監督は「お芝居は全然違うことをしているのに、アングルやカット割りまでピッタリ合っていたので度肝を抜かれました。ちょっと衝撃でしたね。ここまで原作をなぞることが出来るんだ!と。その極め方がすごいなと感動してしまいました。あまりにもそっくりなんで、うちのスタッフは”これ大丈夫でしょうか?”と心配してましたけどね(笑)」と絶賛。なお、大根さんは岩井監督に会った時、「無断でパロディにしてすいません」と謝ったらしい(笑)。

そこまで『打ち上げ花火』に思い入れのある大根さんがアニメ版の脚本を書いたわけですから、当然ながら実写版を忠実に再現したシーンが満載です。『モテキ』でパロディにした「なずなが母親に連れ戻されるシーン」も、カメラアングルやカット割りを完全コピーするほどのこだわり!

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

さらに監督の武内宣之も「原作ドラマをそのままアニメ化しよう」と考え、なんと”ロトスコープ”を採用したそうです。ロトスコープとは「実写の映像をなぞってアニメーションを作る手法」で、昔の海外作品でよく使用されていましたが、日本のアニメではあまり例がありません。以下、武内監督のコメントより。

この映画を作るにあたり『モテキ』も拝見しました。森山未來さんと満島ひかりさんが『打ち上げ花火』をそのままやっていて、大根さんの『打ち上げ花火』に対する愛情を強烈に感じたんです。ここまですごいものを見せられたら、どうしようと。こうなったら、大根さんの『モテキ』をもう一段飛び越えた”完コピ”をするしかない。そこでロトスコープでそのままやろう!」と決断したんです。

A・Bパートは、なるべくカット割りを同じようにする、セリフのテンポも同じにする、そしてロトスコープを使って、原作を完璧にコピーしてみようと。岩井さんの実写版のアングルをほぼそのままアニメで再現したんです。奥菜恵さんの芝居をロトスコープして作画し、広瀬すずさんの声を当ててみることで、20年以上前のドラマと今回の映画が時代を超えるような面白さが出ればいいなと思いました。 (『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』公式ビジュアルガイドより)

 一般的に「漫画をアニメ化する」とか「アニメを実写化する」というパターンはよく見ますが、「実写をアニメ化する」例はそれほど多くありません。しかし、「アニメ → 実写」は衣装・小道具・背景などを忠実に再現することが難しいのに比べ、「実写 → アニメ」の場合は全て絵で描けるため、その気になれば完璧な再現が可能なのです。

例えば、主人公の典道が病院で傷の手当てをしてもらう場面では、「パターの練習をしている医者が手前に歩いて来てゴルフの本を手に取り、また奥へ戻っていく」という映像を、構図や動きのタイミングに至るまでそっくりそのままコピーしているのですよ!スゲー!

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

しかも、『化物語』や『偽物』などの〈物語〉シリーズでキャラクターデザインを務めた渡辺明夫が本作でもキャラデザを担当しているため、ロトスコープ特有の写実的でリアルな表情ではなく、適度に記号化されたキャラクターで描かれている点もいいですね。

ただ、「原作を忠実に再現しよう」としている一方で、アニメ版ならではの表現やアイデアも当然入っています。中でも典道が投げる”不思議な玉”はアニメ版のみに登場するオリジナルのアイテムで、実写版には出て来ません。

なずなが海で拾い、重要な場面で効果を発揮するこの玉はスタッフの間で「もしも玉」と呼ばれており、物語の中でキーアイテムとなっています。発案者は岩井監督自身ですが、なぜこの「もしも玉」をストーリーに加えようと考えたのでしょうか?以下、岩井監督の説明より↓

もともと『打ち上げ花火』は『if もしも』というTV番組の一つとして作られ、その番組内では「もしも〇〇だったら」というルールに従って物語が進んでいく”お約束”があったんですよ。ところが、のちに劇場版を作って公開した時に、観た人から「何が起きたんですか?」「どうして時間が巻き戻ったのかわからない」という質問が多くて。『打ち上げ花火』を単体で切り出した時に、話をわかりやすくするようなギミックを入れた方がいいんじゃないか?と思ったんです。それで、僕の方からわかりやすくするためのアイデアを出させていただきました。 (公式ガイドブックより)

その他、原作では小学生だったキャラクターの年齢を中学生に変えたり、典道となずなが電車に乗ったり、松田聖子の『瑠璃色の地球』を歌ったり、設定やストーリーを変更した個所は多数あります(もともとTVドラマ版が49分の短編だったため、90分のアニメ版を作る際に色んな要素が追加された模様)。

特に、後半パートからクライマックスにかけては、美しいビジュアルを駆使したアニメ版オリジナルのファンタジックな表現がバンバン出て来るので、その辺も見どころの一つでしょう。

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

また、総監督を務めた新房昭之は『魔法少女まどか☆マギカ』や〈物語〉シリーズなどで圧倒的な人気を獲得しており、その作風はアニメ制作会社「シャフト」の名と共に広く知れ渡っていますが、本作でも独特の作風は健在で、その分、好き嫌いがわかれるかもしれません。

好き嫌いといえば、本作のラストシーンも評価がわかれるポイントと言えるでしょう。当初の案では典道が学校にいるのかどうかは曖昧にしていたそうです。しかしプロデューサーの川村元気が「それでいいのか?」と悩み、最終的に岩井監督がドラマ版でやろうとしていた「幻のエンディング」を採用することになりました。

それがすなわち「教室で点呼を取っているが、典道の返事がないまま物語が終わる」というエンディングです。

新房監督はこのラストに対し、「個人的にはどうなのかな?と思いましたが、ただ”典道がそこにいない”という結末はファンタジーとして受け止められると思うんですよね。観ている人は気持ちがいいかもしれない」とコメントしています。

というわけで、公開当時はラストの展開や独特の作風も含めて賛否両論だったようですが、金曜ロードショーを観た視聴者がどんな反応を示すのか気になりますね(^.^)