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『戦闘メカ ザブングル』はこうして生まれた

戦闘メカ ザブングル

戦闘メカ ザブングル


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて本日、BS12 トゥエルビ「日曜アニメ劇場」にて映画ザブングルグラフィティ』が放送されます。

本作は、富野由悠季監督のTVアニメ『戦闘メカ ザブングル』を再編集したもので、劇場版『機動戦士ガンダム』と劇場版『伝説巨神イデオン』に続いて富野監督が手掛けた3作目の劇場アニメです。

ザブングルグラフィティ』が公開されたのは1983年7月。当時は高橋良輔監督のTVシリーズ太陽の牙ダグラム』の劇場作品『ドキュメント太陽の牙ダグラム』(&短編映画『チョロQダグラム』)との同時上映でした。

しかし上映時間が90分以内(本編は84分)という制約があったため、「全50話のストーリーを描くのは不可能だから名場面集にしよう」と決定。その結果、楽屋オチのギャグを入れたり、セルの彩色が間に合わなくて動画をそのまま撮影した状態(動画撮影)のフィルムを敢えて作り、「これが動撮だ!」というテロップを出すなど、かなり実験的な内容になりました。

ザブングルグラフィティ

ザブングルグラフィティ

まあ、そもそもTV版のザブングル自体が破天荒な内容で、主人公のジロン・アモスもそれまでのヒーロー的な造形とは異なる独特のキャラデザインだったり、主役ロボが途中から別のマシンに変わったり、死にそうな場面で「そう簡単に死ぬかよ、アニメでさ!」とメタフィクション的なセリフを叫ぶなど、”パターン破り”と称されるほどのハチャメチャな作品だったんですよね。

では、そんな『戦闘メカ ザブングル』はどうやって生まれたのか?『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』などと決定的に違う点は何か?というわけで本日は、ロボットアニメ『戦闘メカ ザブングル』が出来るまでのエピソードをご紹介しますよ。

 

まずザブングルが、ザンボット3ガンダムなどそれまでの富野監督作品と大きく異なっているポイントは「もともと富野監督の作品ではなかった」という点でしょう。

当初の監督は『ルパン三世 ルパンVS複製人間』などの吉川惣司さんで、タイトルも『エクスプロイター』という宇宙を舞台にした”シリアスな戦争もの”になる予定でした(ちなみに吉川氏は『太陽の牙ダグラム』のキャラクターデザインも務めている)。

しかし、「巨大な宇宙空母がロボットに変形する」というアイデアが同時期に他社から出ていたため(『超時空要塞マクロス』)、吉川監督が「じゃあ西部劇みたいな話にしよう」と提案し、大幅に方向転換されたそうです。

もともと吉川監督は洋画が大好きで、当時はまだ一般にほとんど普及していなかったビデオデッキをいち早く購入しており、アメリカからビデオソフトを取り寄せ、ザブングルの参考にするために西部劇などのアクション映画を熱心に観まくっていたらしい。

戦闘メカ ザブングル

戦闘メカ ザブングル

ところが、「西部劇風のSFロボットアニメ」というコンセプトだけは決まったものの、それ以降の作業が滞ってしまい、なかなか先へ進みません。「放送日が迫ってるのに、大丈夫かなぁ」と心配するスタッフたち。そしてある日、とうとう吉川さんから「どうしてもこの企画をまとめられないので監督を降板したい」との連絡が…。えええ!?

なんと、制作の途中で監督がいなくなるというまさかの大事件が勃発!えらいこっちゃ!一方その頃、富野監督は何をしていたのか?というと、『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』(1982年3月公開)と、『THE IDEON 接触篇・発動篇』(1982年7月公開)の作業で多忙を極めていました。

なのでザブングルの監督をやっている余裕などなかったはずなのですが、プロデューサーが交渉した結果、新監督は富野さんに決定!しかし(当時出版された『ザブングル記録全集』によると)オンエアまで時間が無かったため「2~3回打ち合わせをした後、新宿のプリンスホテルに一人で泊まり一晩で企画内容をまとめた」とのことで、かなり慌ただしい状況だったようです。

さらに当時のインタビューでも富野監督は「劇場版イデオンの仕事が終わらなかったから、2クール目(26話)まではあまりザブングルに関われなかった」「演出に具体的な指示を出すようになったのは27話(「うたえ!戦士の歌を」)以降ですね」とコメントしており、イデオンザブングルの同時進行で様々な苦労があったことが伺えます。

そして同じく、ザブングルでキャラクターデザインを務めた湖川友謙さんも劇場版イデオンの作画作業で忙しく、「第1話の作画監督をやったが、その後は27話までほぼノータッチ」「やっとイデオンが終わって帰って来たらアニメーターたちが1話の変なところだけを真似していたので、27話からは中なしでフレームインしたり潰しや伸ばしをやったり、作画のやり方を大幅に変えた」とのこと(当時は、いきなり作風が変わって驚いた視聴者も多かったのでは?)。

ちなみに湖川さんは、富野監督に交代する前から吉川監督と打ち合わせをしていたものの、その頃は吉川監督のオーダーで”イデオン調”のキャラを描いていたそうです(富野監督に代わってから丸顔のキャラが主役になった)。

ザブングルの初期デザイン

ザブングルのキャラデザイン案

また、メカデザイナー大河原邦男さんは企画の初期から関わっており、当初は「宇宙を舞台にした戦争もの」「メインのメカは宇宙空母に変形する巨大ロボ」という発注だったため、そういうイメージでアイアン・ギアーをデザインしていました(元々は宇宙空母だったのかw)。

しかし途中で”SF西部劇”に路線が変更され、スポンサーから「地面を走るタイプの変形メカが欲しい」と言われた大河原さんは「1台の自動車が変形してロボットになるデザイン」を考えたのです。ところが、そのデザインを提出しようとしていた矢先に始まったのが銀河旋風ブライガー(1981年10月~)で、それを見た大河原さんはビックリ仰天!

どうやらブライガーの変形ギミックがザブングルと似通っていたらしく、そのせいでデザインを変更せざるを得なくなったのです。しかも納期までわずか1週間しかありません。大急ぎで「2台のメカがそれぞれ変形・合体して一つの巨大ロボになる」というデザインを考え、スポンサーへ提出。無事に採用されたそうです(ギリギリだw)。

戦闘メカ ザブングル

戦闘メカ ザブングル

というわけで、富野さんは劇場アニメの作業で忙しい中、急遽ザブングルの監督に抜擢されたにもかかわらず、持ち前の職人気質を発揮して驚くべき短期間でTVシリーズに必要な要素をまとめ上げ、さらに劇場版イデオンの作業と並行しながら脚本やコンテや設定などをチェックするという離れ業をやってのけたのです。

富野監督は後に「最初からしっかり関わっていればもう少し違った作品になったのでは…と思うと不本意な部分も多い」と言いつつ、「ただ、あれだけの物量をよくこなしていけたものだ、という意味では本当に2スタ(サンライズ第2スタジオ)はパワーがあるなと舌を巻いた」と語っています。『戦闘メカ ザブングル』は富野監督作品の中では珍しくキャラも作風も明るめで、妙なパワーに満ち溢れていますが、それが魅力になっていることは間違いないでしょう。

なお、途中降板した吉川さんは「こんな状態で引き受けてもらって、富野さんには本当に申し訳ない。せめてこれぐらいはさせて下さい」と言ってオープニングの絵コンテを描いたそうです。串田アキラが歌う主題歌「疾風ザブングル」の力強い楽曲とともに、豪快に地面を削りながらフレームインしてくるザブングル!あのカッコよさに痺れた人も多いのではないでしょうか?まさにロボットアニメ史に残る名オープニングだと思います(でも吉川さん、急に降板するのはちょっとひどいよw)。