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『未来のミライ』は細田守監督の息子が見た夢だった?(ネタバレ解説)

映画『未来のミライ』

映画『未来のミライ

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

先日、「金曜ロードSHOW!」で細田守監督の劇場アニメ未来のミライが地上波初放送されました。

昨年の夏に公開されたばかりの最新作なんですが、実はこの映画、公開時に評価が賛否両論真っ二つに分かれ、かなり批判的な意見も多かったんですよね。

なので「今回のテレビ放送でもそういう反応が出るんだろうな…」と思っていたら案の定、SNS上で「これはひどい」「なんてつまらない映画なんだ!」などと批判が殺到していたようです。

その主な理由としては(「くんちゃん役を演じた上白石萌歌の声が全然合ってない」などもありましたが)、やはり「内容が意味不明」「どこが面白いのか全く分からない」という感想が多数を占めていた模様。

大まかなあらすじを書くと、「4歳のくんちゃんに妹(ミライちゃん)ができたことで、お父さんやお母さんが妹ばかりを気にするようになり、不機嫌になったくんちゃんが庭に出ると未来からやって来た妹と出会い、次々と不思議な体験を繰り返していく」というお話です。

これだけ聞くと面白そうな感じもするんですが、実際に観てみると何故かイマイチなんですよねえ…。

映画『未来のミライ』

映画『未来のミライ

まず最初に、くんちゃんの家で飼われている犬の”ゆっこ”が擬人化して、「自分は両親から可愛がられていたのに、お前が生まれてから大事にされなくなった」などとくんちゃんに愚痴をこぼします。

そして、いきなりくんちゃんがゆっこのシッポを奪って自分の尻にズボッ!と挿入。すると何故かくんちゃんが犬に変身して庭を走り回り、最後はゆっこのドッグフードが少しグレードアップしてなんとなく終了。

その後は、ミライちゃんの依頼で雛人形を片付けたり、ひいおじいちゃんに会ってバイクに乗せてもらい、苦手だった自転車に乗れるようになるなど、「ミッション・クリアー型の小さなイベント」を一つずつ消化することでストーリーが進んでいく…みたいな構成になってるんですよ。

しかしながら、それぞれのエピソードが割と短い上に、派手なアクションシーンがあるわけでもないため、全体的にスケール感の小ささは否めません。中でも個人的に気になったのは「現実と非現実の境界線が曖昧なこと」なんですよね。

映画『未来のミライ』

映画『未来のミライ

例えば時をかける少女の場合、物語の舞台は現実世界がベースになっていて、主人公が”タイムリープ能力”を使うことで非現実の状況が出現する、というスタイル。

サマーウォーズの場合も完全に現実世界が舞台ですが、インターネット上の仮想世界「OZ」を通じて非現実的な空間を表現していました。

おおかみこどもの雨と雪も現実世界が舞台ではあるものの、”狼と人間の間に生まれた子供”という非現実的なキャラクターを劇中に投入することで全体的にはファンタジー作品となっています。

そして『バケモノの子』は、主人公が「人間界(渋谷)」と「バケモノ界(渋天街)」を行ったり来たりすることで、「現実と非現実の境界線」を明確に見せていました。

それらに対して、『未来のミライ』はどうなのか?というと…

未来の世界からやって来た中学生のミライちゃんは、一見すると『時をかける少女』と同じく”タイムリープ能力”を使って現れたように見えますが、そもそもミライちゃんにそんな能力があったのでしょうか?

もしミライちゃんが超能力者だとすれば、犬のゆっこはどうなのでしょう?人間に変身できる特別な能力を持った犬だった?それとも、元々人間だったのが魔法みたいなものをかけられて犬の姿になってたの?

「いやいや、その辺はファンタジーなんだから深く考えなくてもいいんだよ」「もしかすると全部くんちゃんの妄想(空想)かもしれないし」という意見もあるようですが、ミライちゃんやゆっこの行動が現実世界にしっかり干渉している点を考えても、単なるイマジナリーフレンド(空想の友人)とは思えないし、いくらファンタジーだからと言っても「なんでもアリ」が許されるわけじゃないでしょう。

ハリー・ポッター』のようにファンタジー世界がベースの映画だって「なぜそうなるのか?」という理由は示されているし、その世界の中の「ルール」みたいなものがちゃんと存在しているわけですから。そういう意味では、『未来のミライ』って「あまりにもルールが不明確」なんですよねえ。

つまり、細田守監督の過去作品では不思議なことが起きても一応何らかの説明が成されていたのに、今回は「まあファンタジーだから別にいいじゃん」とスルーしているように見えてしまうんですよ。その辺が「よく分からん!」と批判された要因なんじゃないでしょうか?

映画『未来のミライ』

映画『未来のミライ

ちなみに細田監督はインタビューで、『未来のミライ』を作ることになった”きっかけ”を以下のように語っていました。

本作を作るきっかけの一つは、2人目の子供(長女)が生まれたこと。妹が出来たことで4歳の長男の行動が明らかに変化しました。それまでは両親にすごく愛されていたのに、いきなり妹に愛を奪われて(笑)、床を転げ回って泣き叫んでるんです。そのリアクションが非常に面白かったので、これを映画にしたいなと。

そしてもう一つのきっかけは、4歳の息子が見た夢の話。僕は毎朝起きると「今日はどんな夢を見た?」と聞くようにしてるんですが、ある日「大きな赤ちゃんに会った」って言うんですよ。「体の大きな赤ちゃん?」って聞いたら「違う。妹が大きく成長して、お姉さんみたいになって僕に会いに来た」って。

それを聞いて「えええ!?お父さんも会いたいよ!」って(笑)。夢の中で赤ちゃんはどんな女性になっていたんだろう、兄妹でどんな話をしたんだろう…などと考えていくうちに、着想したのが『未来のミライ』という物語だったんです。

 

※「ダ・ヴィンチ」2018年8月号より

 この発言を見る限り、「細田守監督のプライベートをほぼそのまんまアニメ化した」としか思えないんですけど(笑)、まあ『サマーウォーズ』にしても『おおかみこどもの雨と雪』にしても、基本的に細田監督作品は自身の実体験が元ネタになっていることは割と有名なので、その辺は別にいいでしょう。

ただ、もし本当に「自分の4歳の息子が見た夢」を元ネタにしているなら、この映画全体が「くんちゃんの見た夢」ということになり、「子供の見た夢なら何でもアリだからしょうがないよね」的な結論になってしまうのです。それってどうなのかなあ…。

ちなみに、『未来のミライ』を通じて細田守監督が今回伝えたかったことは、大きく分けて以下の2つだそうです。

1:子供と親を巡る物語は自己相似的に何世代にもわたって繰り返されており、”家族”というものは過去から連なるそれらの些細な偶然の積み重ね(奇跡)によって成り立っているのだ。

 

2:子供は、妹が生まれたら自動的に兄になるのではなく、自分自身で”兄”という役割を自覚した時に初めてアイデンティティーが確立し、”兄になる”のだ。

 非常にいいメッセージであり、映画自体も良く出来てるんですが……だとしてもやはり話が面白くない(苦笑)。いや、恐らく細田監督の表現力がハイブロウすぎて我々が付いていけてないだけなんでしょう。なので、次回作はもう少し”ゆる~い感じ”でお願いします(^^;)