ひたすら映画を観まくるブログ

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スピルバーグの予言

ジョージ・ルーカス

最後のカットを撮り終え、心身ともにボロボロに成り果てたルーカス。ようやく全ての撮影が終了したワケですが、劇場公開までにまだまだやるべき事は山積みでした。しかし、地獄のような日々を耐え抜いた所為か、少しずつルーカスに“希望の光”が見え始めていたのです。まず、絶望的かと思われていたILMに奇跡が起きました。全く新しいカメラシステムをゼロから設計し、製造し、わずか4ヶ月で利用できる状態にまで持っていく事に成功。さらに、一日18時間の使用を8ヶ月続けて、作動出来なくなったのはたったの3日間だけという、まさに前人未到の快挙を成し遂げたのです!
さらに、奇跡が起きたのは特撮だけではありませんでした。1976年3月、ルーカスはスピルバーグジョン・ウィリアムズを紹介して欲しい」と頼み込んだのです。初めてウィリアムズに会ったルーカスは、『スター・ウォーズ』の音楽について次のように説明しました。「この映画の視覚的な要素は、全て馴染みが無いものばかりで構成されています。だから、耳を通じて観客のエモーションをかき立てる要素は、逆に馴染みがあるものにする必要があるんです」。それを聞いてウィリアムズは、流行の電子楽器ではなくアコースティック楽器を使ったフル・オーケストラを作曲しました。
そして、ロンドン交響楽団による演奏を初めて聴いたルーカスは大いに感激し、後に「『スター・ウォーズ』の中で、僕が思っていた以上の仕上がりになったのは音楽だけだよ」と絶賛しています。逆に大慌てしたのはスピルバーグ。なぜならウィリアムズに未知との遭遇の音楽を依頼しようとしていたからです。おかげで、二人は出来るだけ『スター・ウォーズ』と異なった音楽を作ろうと、四苦八苦するハメになってしまいました。
さて、いよいよ映画が完成に近づいてくると、ルーカスは友人たちを招待して映画を見せる事にしました。スティーブン・スピルバーグマーティン・スコセッシブライアン・デ・パルマ他、映画評論家ジェイ・コックスなど、業界関係者を多数呼んで上映会開始(スコセッシはドタキャンした)。しかし、上映が終了すると皆呆然としていました。一つの拍手も無く、永遠に続くかと思われるように漂う気まずい沈黙。そして全員口を揃えて「いやはや、なんてヒドい映画だ!」と罵倒し始めたのです。特にデ・パルマの酷評ぶりは凄まじく、「レイア姫のあの髪型は一体なんだ?菓子パンか?」「今まで観た映画の中でも最低の作品だよ!」と言いたい放題でした。さらに、ルーカスの奥さんのマーシャでさえ、この映画の失敗を確信して大声で泣き出す有様。ゲイリー・カーツは彼女を落ち着かせる為に、別室へ連れて行きました。
その間にも、デ・パルマの容赦の無いマシンガン攻撃みたいな批評は止まりません。「最初にダラダラと流れる状況説明の字幕は我慢できないね。永遠に続くかと思ったよ!」「観客の知らないバックグラウンドが多すぎる。自分だけわかって勝手に話を進めるのは観客に不親切だ!」。挙句の果てに「マーティン・スコセッシの『ニューヨーク・ニューヨーク』は立派な大人の映画だ。それに引き換え、『スター・ウォーズ』は幼稚な子供向け映画で、誰も真剣に観やしないよ!」とまで言い出す始末。黙って彼の批評に耳を傾けていたルーカスも、ついに堪忍袋の緒がブチ切れました。「よく言うよ!あんたの映画は儲かったためしが無いくせに!僕はせめて5000万ドルは儲けてやるからな!」
しかし、メンバーの中で唯一人だけ『スター・ウォーズ』を絶賛する者がいたのです。それが、スピルバーグでした。彼は「なんて素晴らしい映画だ!この作品は5000万ドルどころか、1億ドル以上を稼ぎ出すに違いない!」と言い放ち、皆を呆れさせました。当時、1億ドル以上儲けた映画は『ジョーズ』や『ゴッドファーザー』などの、超特大のヒット作だけだったからです。上映後の昼食の席でもスピルバーグの賞賛は止まらず、「そのワケは、『スター・ウォーズ』が信じられないぐらい無邪気でナイーブだからだよ。あの映画は、ジョージ・ルーカスという人間そのものなんだ。観客はきっとそんな彼を愛すると思うよ」と繰り返し主張し続けたのです。しかし、その熱心な主張に対して他のメンバーはもちろん、当のルーカス本人でさえ、懐疑的な表情を浮かべていました。
そんな皆の反応を見てスピルバーグは、「よし、じゃあ公開から半年間でこの映画の興収がいくらになるか、その数字を書いて封筒の中に入れておこう。君たちが間違っている事を証明する為にね!」と言って数字を書き残したのです。この時、スピルバーグだけがこの映画の大ヒットを確信していました。
しかし、半年後にルーカスが封筒を開けるとそこには“3300万ドル”と書かれていましたが、その時点で既に『スター・ウォーズ』はその何倍もの興収を叩き出していたのです。スピルバーグが予言した1億ドルは、最初の3ヶ月であっさりクリアー。その後も『スター・ウォーズ』は断続的に何年にもわたって上映され続け、最終的に全米で4億6000万ドル、全世界ではなんと8億ドルという空前絶後の大記録を打ち立てる事になりました。これには、スピルバーグデ・パルマはもちろん、当のルーカスもびっくり仰天。なんせ、連日の編集作業でクタクタに疲れ切っていたルーカスはその日が『スター・ウォーズ』の公開日である事などすっかり忘れ、チャイニーズ・シアターに群集が殺到しているのを横目で見ながら、それが自分の映画だとは全く気付かず「いいなあ、あんなに大ヒットして・・・」と、のん気に奥さんとハンバーガーを食べていたのです。*1こうして『スター・ウォーズ』はスピルバーグの予想さえも遥かに上回り、世界的な大ヒット映画へと変貌を遂げたのでした!
ちなみに、翌年日本で公開された時、東京のプレミア上映会に出席したアラン・ラッド・ジュニアはとんでもない体験をしたそうです。初めて『スター・ウォーズ』を観た日本の観客は全員凍りついたように沈黙したまま、拍手や笑いや歓声は全く無し。アランは大変なショックを受け、「もう、この映画の失敗は確実だ・・・」と激しく落ち込みました。しかし、この後20世紀フォックスの日本配給元の人たちと一緒に夕食に行った時、一人の重役から「いや〜、『スター・ウォーズ』の反響は実に素晴らしかったねえ」と言われてびっくり。さらに、「映画に向けられる最高の反応は、日本では“敬意を込めた静寂”なのです」と聞かされて二度びっくり!後に彼は、笑いながらこう語っています。「あれがもし最初のプレミアだったら、“こんな映画、テレビでもどこでも売り飛ばせ!”と言ってたと思うよ(笑)」。海外の映画制作会社の皆さん、日本で先行プレミアをやる場合はご注意下さい(笑)。

*1:スター・ウォーズ』の完成は、本当に公開日ギリギリでした。どれぐらいギリギリだったかというと、最後のフィルムがラボから劇場へ届けられた時、チャイニーズ・シアターでは既に映画が始まっていた、というぐらいギリギリだったのですから尋常ではありません。「走り出している電車に飛び乗るサラリーマン」ぐらいのギリギリ具合と言えるでしょう。