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『スター・ウォーズ』続三部作はなぜ軸がブレてしまったのか?(ネタバレあり)

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて、昨年末にスター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』が公開され、42年におよぶ長大な物語がついに完結したわけですが、その評価は賛否両論のようですね。

個人的な感想を言うと、「全体的に展開が駆け足気味でシナリオも荒いけど、最後は何となく”いい雰囲気”で終わっているので、これはこれで悪くない」という感じでした(やはり「2つの太陽を見つめるレイの姿」にはグッと来るものがありましたねえ)。

 

しかしながら、続三部作(シークエル・トリロジー)全体を通して観てみると、各エピソードの連携が上手く機能しておらず一貫性も阻害され、その結果「シリーズとしての軸が完全にブレてしまったような印象を受ける」のです。

例えば『エピソード7』(『フォースの覚醒』)の場合は、ルーク、レイア、ハン・ソロら旧三部作のキャラクターを登場させ、見覚えのあるメカや”お馴染みのストーリー展開”など旧作のテイストを存分に再現し、多くのファンを喜ばせました。

その反面、不満を抱く人も少なくなかったようで「以前のスター・ウォーズと同じだ」「新鮮味がない」などの声があったことも否定できません。中でも最大の問題は、生みの親であるジョージ・ルーカス自身が公然と『エピソード7』を批判したことでしょう。

 

ウォルト・ディズニー・カンパニーの会長兼CEOを務めるボブ・アイガー氏によると、「『フォースの覚醒』をジョージに見せたところ、彼は全く納得していなかった。”何一つ新しいものがない。これは僕が昔作ったものの焼き直しじゃないか。独創性が感じられず、ビジュアル的にも技術的にも特筆すべき進歩が見当たらない”と失望をあらわにしていた」とのこと。

また、チャーリー・ローズ氏がホスト役を務める米国のテレビ番組に出演した際も、「ディズニーが作ろうとしたのはレトロな映画だった。旧三部作みたいなね。でも、スター・ウォーズでは毎回、これまでとは違うものを見せるよう努力してきた。新しい宇宙船、新しいキャラクター、新しい映像表現…。そういう”革新性”こそがスター・ウォーズには最も必要なんだよ。しかし『フォースの覚醒』は懐古趣味丸出しで何の革新性もなかった。それが気に入らない」と痛烈に批判したのです。

後日、ルーカスはこの発言について「あれは失言でした。ファンの方には不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」と謝罪したものの、恐らくこれが『フォースの覚醒』に対するルーカスの本音なのでしょう。

 

でも、本当の問題はこの後なんです。なんと次回作のエピソード8『最後のジェダイでシリーズ史上最大の賛否両論が勃発!

『フォースの覚醒』の直後から始まる『最後のジェダイ』は、「レイが差し出したライトセーバーをルークがポイ捨てする」という衝撃的なシーンで幕を開け、レイアが生身で宇宙空間を泳いだり、ラスボスと思われたスノークがあっさり死ぬなど、観客の予想を裏切る想定外のサプライズが続出しました。

その結果、熱心なスター・ウォーズ・ファンの間では「ふざけんな!」「SWの世界観をメチャクチャにしやがって!」とか、「これはこれで面白いじゃないか」「独創的で新鮮味がある!」など、大変な論争が巻き起こったのです。

そんな中、ジョージ・ルーカスの反応はどうだったのか?というと……なんと大喜びしていたらしい(笑)。

代理人のコニー・ウェシングトン氏によれば、『最後のジェダイ』を観たルーカスは「実に見事な完成度だ!素晴らしい出来栄え(beautifully made)だよ!」と絶賛し、脚本・監督を務めたライアン・ジョンソンに対しても賛辞の言葉を直接伝えたという。

 

つまり(どうしてこうなったのかは分かりませんが)、『フォースの覚醒』に失望したルーカスが絶賛するほど、『最後のジェダイ』では大きく作品の方向性が変化した…ということなのでしょう。

この件に関して、批判的なファンの間ではライアン・ジョンソン監督を責める声が非常に多く、なんと脅迫状(!)まで送り付けられたそうですが、僕は「ライアン・ジョンソンだけの責任ではない」と思うんですよ。もしライアンが勝手に作品のテイストを変えようとしても、必ず制作側に止められたはずです。

実際、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のギャレス・エドワーズや、『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』のフィル・ロードやクリス・ミラーなど、「制作側の意に沿わない映画を撮ろうとして撮影の途中に降板させられた監督」が何人もいますからね。

なので「ライアン・ジョンソンと制作側の見解が一致していたからこそ、降板することなく最後まで監督できた」と言えるわけで、だとすれば監督よりもむしろGOサインを出した製作会社のルーカスフィルムやディズニー、そして全体の指揮を執ったキャスリーン・ケネディらの方に大きな責任があるのではないか?と。

 

ただ、ここまではまだいいんですよ。「独創性がない」と批判された件を真摯に受け止め、「ならば今までにない新しいスター・ウォーズを作ってやろう!」という強い信念を持って『最後のジェダイ』で大幅な修正を試みたのであれば、それはそれで意義があると思います。

最大の問題はその後、エピソード9『スカイウォーカーの夜明け』なんです。『スカイウォーカーの夜明け』を観た人は分かると思いますが、『最後のジェダイ』で描かれていた要素をことごとく否定してるんですよね。

例えば、前作でレイの両親は「名も無き人たち」であり、彼女自身も「何者でもない」と明かされていたのに、「実はパルパティーンの孫だった!」とか。また、ジェダイではない普通の少年がフォースを使ってホウキを動かし、「誰でもフォースの素質を持っている」と示唆してたんですが、その設定もどこへいったのやら…。

さらに、フィンとキスを交わして恋愛モードになりそうだったローズは、あまりにも批判が多すぎたせいかジャージャー・ビンクス並みに出番が激減!それどころか、フィンはいつの間にか別の女の子(新キャラ)と仲良くなってるし(二人の関係はもうどうでもいいってことなのか?)。

挙句の果てに、霊体となったルークがライトセーバーを放り投げるレイに向かってジェダイの武器はもっと敬意をもって扱え」みたいなことを言うんですよ。いやいや、アンタ『最後のジェダイ』の時にライトセーバーを放り投げてたやん!どのツラ下げてそんなこと言ってんだよ!?

これらのシーンを見た多くのファンは「『最後のジェダイ』に対する当て付けじゃないのか?」と思ったようですが、エイブラムス監督自身は「そんなことはありません」とキッパリ否定(でも本当はどうなのかなぁ)。

 

実は、『エピソード9』はもともと『ジュラシック・ワールド』のコリン・トレヴォロウが監督する予定だったんですが、「創造におけるビジョンが違う」との理由で降板させられたんですよね。

しかし、コリン・トレヴォロウはすでに『エピソード9』の脚本を書き上げていて、しかもレイは「何者でもない」という設定のままだったり、『最後のジェダイ』で描かれていた内容を多く引き継いだストーリーだったようです。

ところが、J.J.エイブラムス監督に交代した際にコリン・トレヴォロウの脚本は全てボツにされ、J.J.や脚本家の手によって「レイはパルパティーンの孫」などの新設定を追加した現在のストーリーに書き換えられてしまった…というわけなのです。

このため、J.J.が「ちくしょうライアンめ!」と腹を立てながら脚本を修正したせいで『スカイウォーカーの夜明け』はあんな内容になったのでは…とファンが勝手に妄想してるんですが、「自分の目指していたコンセプトとライアンの描いた物語を融合させる作業は、決して楽ではなかったけれどやりがいがあったよ」というJ.J.のコメントを見ると、あながち間違いでもないような気がしますね(笑)。

 

ただ、この大幅な変更が与えた影響は大きかったな~と。いや、僕自身はあまり『最後のジェダイ』って好きじゃないんですよ。でも、せっかく色々な新しいことにチャレンジしてたのに、『スカイウォーカーの夜明け』でまた路線を変えたら「前作でやったことは何だったんだ?」ってなるでしょう、そりゃ。

ちなみに、『スカイウォーカーの夜明け』の脚本を書く前に、J.J.エイブラムスはルーカスと密かにミーティングを行い、「スター・ウォーズの物語を完結させるために必要なアイデアを聞かせてもらった」らしい。

もともとルーカスは、ディズニーがルーカスフィルムを買収した時に「エピソード6『ジェダイの帰還』の続編」や「エピソード9までのプロット」をすでに執筆していて、ボブ・アイガー氏を含むディズニーの幹部3人は、スター・ウォーズの権利と同様にそのシナリオも購入していたそうです。

しかし、『フォースの覚醒』を作る際に「必ずしもルーカスのアイデアを使う必要はない」との判断で、結局ルーカスの書いた脚本はボツにされてしまいました(打ち合わせの場でそのことを知ったルーカスは激怒したとか)。

 

そういう紆余曲折を経た末に、シリーズの完結編となる『スカイウォーカーの夜明け』で再びルーカスのアイデアが使われることになったのは、ちょっと感慨深いものがありますね(J.J.エイブラムスがどれぐらいルーカスの意見を採用したのかは分かりませんが)。

ただ、それぞれのエピソードを単独で観た場合はともかく、3作品トータルのバランスが良くない…っていうのは、やはり致命的じゃないですかねぇ(これだけのビッグタイトルなんだから、「最初に全てのシナリオをきっちり仕上げて3作品を同時に撮影する」ぐらいの製作体制を取ることも不可能ではなかったと思うんですが…)。

というわけで、あまりにも激しいファンの反応に製作側が恐れをなしたのか、それともジョージ・ルーカスに忖度したのか理由はよく分かりませんけど、状況としては『エピソード7』から『エピソード8』へ、そして『エピソード8』から『エピソード9』へ至る過程で何度も方針転換した結果、各章で描かれた要素が上手くリンクせず、全体の軸がブレブレになってしまったことは否めません。それが非常に残念でした。

 

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