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『マトリックス・レボリューションズ』映画感想

マトリックス・レボリューションズ

いろんな意味で衝撃を受けた「レボリューションズ」だが、僕の中では「期待してたけど正直がっかりした度」ナンバー1の映画だった。なにしろタイトルであるはずの「革命」が限りなくゼロに近いのだから落胆せずにはいられない。

ストーリーについては曲がりなりにもドラマとして完結させており特に不満は無いのだが、最大の問題点は映画としての「バランス」が悪すぎる事だろう。アクションとストーリーの要素が分離し過ぎて、映画が完全に空中分解してしまっているのである。

主人公であるはずのネオはびっくりするぐらい何もせず、後半になってようやくわずかばかりのアクションを披露する。前作であれほど盛り上がったカンフーや銃撃戦のテンションは恐ろしい勢いで失速しており、今までの活躍が夢かと思うほどの省エネぶりだ。反対にCGの進化はもはや留まる所を知らず、「これでもか!」というぐらい全編CGの嵐で埋め尽くされ、実写というより完全にアニメーションと化している有様である。

また登場人物に配慮が無さ過ぎる点も気になった。ドラマを終結させる事のみに意識を集中させすぎた為か、蓋を開けてみたら大半のキャラクターはおざなりにされ「ミフネ大活躍」の映画になっていたのだ。主人公なはずのネオはどこへ?と思っていたら最後にグーでスミスを殴って以上終了。

おもわせぶりに登場していたメロビンジアンの存在はすっかり薄くなり、爆乳ワイフのパーセフォニーはいたずらにフェロモンを振りまくだけの「イエローキャブ状態」と成り果て、モーフィアスに至ってはもはや単なる運転手のおっさんで、かつてのカリスマ性は影も形も無い。

そしてただでさえ難解なストーリーは哲学的な要素も加わり、これが最終章にもかかわらず益々複雑怪奇なものへと変貌を遂げているのだ。「観客に理解させよう」という努力を完全に放棄した、まさに究極の自己満足映画である。同じ人間が監督をしていながらここまで最終着地点がズレてしまったシリーズも極めて珍しいと言えるだろう。

一作目の「マトリックス」があれほどおもしろかったのは、斬新なストーリーもさることながら「圧倒的にかっこいいヴィジュアル」に打ちのめされたからなのだ。それはデジタルなCGとアナログな生身のカンフーが絶妙のバランスでドッキングした、まさに「ハイブリッド・アクション」とでも呼ぶべき新感覚なヴィジュアルだった。

しかし、当然の流れとはいえアクションがどんどんCGに侵食されていったのは残念でならない。そこにはもう一作目の時に感じたエモーションは感じられないからだ。人は凄いCGを見て「感心」はしても「感動」はしないのである。「マトリックス」以降、アクション映画におけるヴィジュアルイメージが激変したことを考えると、本当の意味で「革命」のタイトルが相応しい映画とはまさに一作目の「マトリックス」であると言っても過言ではないだろう。