■あらすじ『ある日突然、一般市民が何者かに射殺されるという事件が発生する。そして内閣総理大臣に対して身代金を要求する脅迫電話が入った。この事件を解決するため香港の刑務所で服役中のある男が召還される。彼こそかつて伝説的スナイパーとして世界中のVIPを震撼させたウォン・カイコーだった。以前彼は日本の女刑事と恋に落ちたことがあったのだ。果たして事件は、そしてスナイパーと女刑事との恋の行方はどうなるのか?』
主演:内村光良、水野美紀、共演:田辺誠一、竹中直人、中村獅童、阿部寛、田口トモロヲ、古田新太、いかりや長介、原作:西村京太郎、脚本:君塚良一、監督:六車俊治
まず初めに断っておくと、この映画は劇場用のオリジナル作品ではない。2001年にテレビ朝日系列でドラマとして放送され、圧倒的な人気を得たため、翌年「EPISODE2」を放送したところさらに熱狂がヒートアップ。ついに劇場版の製作が決定した、という経緯なのだ。
つまり物語は一作目から繋がっており、この映画が「完結編」と言うわけで、一作目から見ないと人物関係やストーリーの流れが理解できないという、完全に「ファン向け」に作られた映画なのである。
したがって本来この映画単体では評価する事は出来ず、3本合わせて初めてドラマの全貌が見えてくるのだ。当然ながらドラマ版のファンには大絶賛で迎えられたが、一般の映画ファンからは総スカンを食らったようである(そりゃそうなるよなあ)。
映画のジャンルで言えばラブストーリーと人間ドラマとアクションが含まれている。まず「ラブストーリー」について書くと、主人公のウォン・カイコーは凄腕のスナイパー、そして彼が想いを寄せる女・円道寺きなこは警視庁国際部2課の刑事である。
要するに『ニキータ』の逆バージョンで、決して成就する事のない恋に苦悩する2人の姿が物語の中心に据えられている。特に劇場版ではラブストーリーの比重が高くなっており、ついに2人の関係に決着が着く、それが見どころだろう。
特にクライマックスの彼らの会話は必見で、感情移入の度合いが強いほど泣ける展開になっている。ちなみに『恋人はスナイパー』というタイトルではあるものの、2人が恋人関係になる事は一度も無い。
次に「人間ドラマ」について。主人公のウォン・カイコーには幼い頃に生き別れになった母(八千草薫)がいる。彼は母に会う事だけをたった一つの生き甲斐にしてスナイパーを続け、一作目でようやく母の居場所をつかみ、二作目でついに母との再会を果たすのだ。完全に『母をたずねて三千里』だが、”母と息子”の描写が実に丁寧で、気を抜くとすぐに泣いてしまいそうだ。結構”ええ話”である。
最後に「アクション」について。『恋人はスナイパー』の最大の見所はアクションだ。しかも邦画には珍しいカンフー・アクションを、かなり高いレベルで見せてくれる。これは、内村光良自身がジャッキー・チェンの大ファンという事も関係しているようで、異常に気合が入っている。
そして、きなこ役の水野美紀も少林寺拳法1級の特技を生かした高度なアクションを披露。特にドラマ版2作目のアクションはスピードといいテンポといい凄まじい迫力で、初めて観た時は「テレビでここまでやるのか!?」と度肝を抜かれた。
極力スタントを使わず、ほぼ全てのアクションを本人がこなしている点も評価したい。ただし劇場版では内村のアクションはほとんど無く、クライマックスで水野のアクションがあるだけなのが非常に残念だ(なんでテレビより劇場の方がテンションが落ちるんだよ?)。
尚、この映画を見てみようと思われた方は必ず一作目と二作目を見てからの方が良いでしょう。さもないと人間関係がさっぱり理解できません。
※以下ネタバレしてます!
実はこの劇場版に関しては、結構不満がある。あまりにも不自然な展開」が多すぎるという事だ。テレビ版と違って劇場版ではドラマのテイストを変えている。テレビでは比較的「コメディ」の要素が強く、少々ヘンな展開でもそれほど気にならなかった。
しかし劇場版ではかなり「シリアス」なストーリー展開となっているため、ちょっとした不自然さがイヤでも目立ってしまうのである。
中でも一番気になったのは「地下鉄に爆弾を仕掛け、地上に出た瞬間にライフルで狙撃し爆発させる」という犯人が考えた作戦だ。普通に考えれば時限式かリモート式で爆発させるはずである。
なぜわざわざライフルで、しかも”車内”にしかけた爆弾を外から狙撃する、などという無意味かつ困難な方法を選択したのか?ゴルゴ13でも至難の業だと思うぞ。
さらに良く見ると、爆弾には何やら複雑な装置が取り付けてあるが、アレは一体何の役に立つのか?またコー・村木が、ウォン・カイコーがいる留置所に会いに来るシーンについては、警戒厳重な留置所に、いったいどうやって進入したのか?
あるいは犯人が「命が惜しければバッジを買え!」と脅迫するが、あんなシンプルなバッジ、簡単に偽造出来るのでは?等、至る所で疑問が噴出しまくる有様。
そして最大の疑問は神宮寺の目的が分からない、という点である。「金が目的ではない」というのは分かる。しかし自分の奥さんがアメリカで殺されて、いったいなぜ日本人を殺そうという発想に結びつくのか?結局ヤツは何がしたかったんだ!?さっぱり分からん!
というわけで、この映画に関しては言いたいことが色々あるわけだが、最大の問題点はあの終わり方だ。いったい何故、ウォン・カイコーは死ななければならなかったのだろうか?
まず第一に、きなこの罪を自分がかぶるという行為についてだが、そもそもきなこが同僚の警官を撃ち殺したのは自分の身を守る為であり、正当防衛を主張すれば無罪になる可能性は十分あるはずだ。カイコーが罪をかぶる必要があるとは考えにくい。
第二にカイコーは銃を持ったまま警官隊の前に姿を現すのだが、これはもちろん「武装している犯罪者」として自分を射殺させる事が目的だ。しかし何故、そんな事をする必要があるのか?
きなこの罪をかぶるなら銃を捨てて投降するだけで十分じゃないの?そこまでして死ななければならない理由がはたして彼にはあったのだろうか?スナイパーとして今まで何人も殺してきているが、罪をつぐなって250年の刑にも服している訳だし、あの場面で死を選ぶ必然性があるとはどうしても思えないのだ。
このように突っ込み所が非常に多い映画になってしまっている点が、非常に惜しいと言わざるを得ない。「犯罪者と警官の恋愛」という事で、アレしか終わり方が無かったというのは分かるがちょっと雰囲気が重すぎた。だからテレビのままの脚本では、映画のレベルに全然追いついていないのだろう。
本作の脚本は『踊る大捜査線』の君塚良一が書いている。しかし『踊る大捜査線』も同様だが、君塚良一の脚本には整合性が無い。その代わり「生き生きとした魅力的なキャラクター」を描くのが上手いのだ。
確かに、テレビシリーズの場合はキャラの魅力だけでドラマを引っ張って行くという、多少強引な方法論でも何とかなるが、映画の場合はたちまち脚本の弱さが露呈してしまう。ましてやシリアスなドラマを支えきれるだけの説得力が、この脚本には無いのである。クライマックスのウッチャンと水野の演技が良いだけに余計残念だった。う〜ん、もったいない!