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『ブレードランナー2049』って面白いの?ネタバレ映画感想!

どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

さて、皆さんはもうブレードランナー2049』を観ましたか?僕自身は前作の『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督)が大好きなので、公開前から「早く観たいな〜」と楽しみにしてたんですよ。

ところが、先行して公開されたアメリカでは初週に3000万ドル程度しか稼げず、「超大作映画にしては期待はずれ」という声が上がっていました(米メディアは「大コケ」と酷評!)。

さらに中国でも初日の売り上げはたったの240万ドル(1600万人民元)にとどまり、週末は700〜800万ドルと惨敗。最終的な興行成績は1500〜2000万ドル程度だろうと言われているそうです。

この数字では(すでに全世界で2億ドルを稼いでいるとはいえ)、1億5000万ドルの高額な製作費プラス膨大なマーケティング費用を回収するのは厳しいと言わざるを得ません(黒字化には最低でも4億ドル以上が必要)。

その反面、映画を観た人の反応は悪くないようで、ロッテントマトの支持率は87%を獲得し、評論家たちも「素晴らしい続編」「SF映画の新たな傑作が生まれた!」などと絶賛している人も少なくないらしい。

「だったら何でヒットしてないんだよ?」

そんな疑問が湧き上がる中、ついに日本でも上映が始まった『ブレードランナー2049』は、全国593スクリーンで公開され、土日2日間で動員14万9947人、興行収入2億2649万円を記録し、初登場2位を獲得。

しかし2週目は6位にランクダウンし、累計興収は6億9500万円。そして3週目は8位と徐々に順位は下がり続け、4週目で早くも圏外へと消えてしまいました。えええ…

まあ、前作の『ブレードランナー』の「あまりにも不評ですぐに打ち切られた状況」に比べると、「だいぶマシになっている」と言えなくもないんですが、微妙な感じですよねえ。

というわけで、賛否両論真っ二つに意見が分かれている『ブレードランナー2049』。果たして面白いのか?それとも面白くないのか?友人の江須田君(仮名)と対談形式で検証してみたいと思います(なお、僕も江須田君も前作の『ブレードランナー』は鑑賞済み)。


■あらすじ『西暦2049年。LA市警のブレードランナー”K”(ライアン・ゴズリング)は、ある事件の捜査中に、レプリカント開発に力を注ぐウォレス社の陰謀を知ると共に、その闇を暴くカギとなる男:デッカードハリソン・フォード)に辿り着く。いったい彼は何を知ってしまったのか?人間とレプリカント、2つの世界の秩序を崩壊させ、人類存亡に関わる衝撃の真実が今、明かされようとしている…』


※以下、ネタバレしているのでご注意ください!


管理人:さて、江須田君も前作の『ブレードランナー』を観てると思うけど、今回の『ブレードランナー2049』はどうだった?

江須田:どうもこうもないよ!最悪だよ!

管理人:お〜、荒ぶってるねえ。いきなり全否定とは(笑)。具体的にどの辺が?

江須田:言いたいことは色々あるけどさ、一番ガッカリしたのは「世界観に魅力がない」ってところだよ。前作の何が素晴らしかったかと言えば、「リアルかつ魅力的な近未来の映像」じゃんか?空中を飛び交うスピナーや巨大な飛行船。ビルの壁面に映し出される”強力わかもと”の広告。雨が降りそそぐネオン街をアジア人や欧米人が歩き回るカオスな空間。それらが混然一体となって描き出す前代未聞の映像美!

管理人:今まで観たこともない斬新なビジュアルに驚いたよね。後の映画や漫画に与えた影響も凄まじかったし。

江須田:それに比べて今回はどうよ?確かにスピナーが空を飛んでるシーンを見ると「ああブレランの続きなんだな」って分かるけどさ。街の映像にしても「前作より魅力的になった」とは全然感じられないし、スピナー自体もせいぜい「モデルチェンジしました」程度の変化しかないし、何の驚きもないんだよ。

管理人:あくまでも前作の延長線上にある世界だから、あまり大きく変化させすぎると、それはそれで「ブレランじゃない!」みたいな批判が出るかもしれない…と考え、敢えて変化は最小限に止めたんじゃないかな?あ、スピナーの屋根からドローンが出て来て、周囲の状況を探索してたじゃん。あれ新しかったよ。

江須田:ドローンぐらい今だってあるだろ!珍しくも何ともないよ!あと、画面全体が常に霞んでて良く見えないのもどうにかして欲しかった。特にデッカードを探してるシーンは霧の濃度がすごすぎる。せっかく作ったビジュアルがはっきり見えないんじゃ意味ないだろ!

管理人:僕はあの幻想的なムードが良かったけどなあ。前回が”雨”だったから、今回は”霧”という具合に変化をつけたんじゃないの?

江須田:そんな変化はいらないよ!

管理人:まあ、言いたいことは分かる(笑)。確かに、1作目を初めて観た時ほどのインパクトはないよね。SF表現として良く出来ている場面もあるけれど、「『ブレードランナー2049』の影響を受けて今後の映画の表現が大きく変化するか?」と言われれば、そこまでの衝撃はないと思う。

江須田:だろ?1作目って、ゴチャゴチャしてるけど、その混沌とした空間が面白かったわけじゃん。アメリカ人の主人公がうどんを食いながら、屋台のオヤジに日本語で「二つで十分ですよ!」とか言われたり、変なゴチャゴチャ感が面白かったのに、続編ではスッキリ整理され過ぎて、妙に上品な映像になってるのが気に食わない。これじゃ全然面白くないよ!

管理人:確かに、あの”ジャンクな感じ”が魅力だったのは間違いないよね。30年以上経っても、いまだにあのオヤジは覚えてるもんねえ(笑)。

江須田:それから、主人公の人物像もつまらなくてガッカリした。最初は無愛想で取っ付きにくいデッカードが、レイチェルと出会ったことで徐々に人間的な魅力を獲得していった前作に比べて、今作のKは何を考えているのか良く分からないんだよな。人工知能のバーチャル彼女に夢中になってる男って単純にキモいし、全然共感できない!

管理人:いやいや、「キャラクターが徐々に変化していく」という意味では、デッカードもKも同じだよ。普通にストーリーを追っていればKの心情の変化は感じられるはずだけど…。ちゃんと映画を観てた?

江須田:途中で寝てたかもしれん。

管理人:うお〜い!

江須田:そもそも上映時間が長すぎるんだよ、163分って!内容が詰まっててその長さならまだ分かるけど、1つ1つのシーンが冗長で退屈なんだよ。睡魔に襲われてもしょうがないだろ。

管理人:う〜ん、確かに長い映画だけど、そこまで退屈はしなかったけどなあ。

江須田:あと、ストーリーも面白みがないというか、良く分からない場面が多いんだよね。

管理人:例えばどの辺が?

江須田:Kに”木馬の記憶”を埋め込んだのはデッカードの娘(アナ・ステリン博士)だよな?何のためにそんなことをしたんだ?デッカードは「秘密を守るために子供は仲間に託し、その後は一切会っていない」と言ってたから、「敵の目を欺くため」みたいな理由なんだろうけど、だとしても全く誰も欺かれていないし、「もしかして俺ってデッカードの息子かも?」と思ってたのはKだけじゃん。何の意味があったんだろう?

管理人:一応、ストーリー上では、娘の存在を隠すために「2021年6月10日に生まれた男女のうち女児は死亡、男児だけ生き残った」と出生記録を改ざんしてるから、あくまでも”情報の撹乱”が目的だろうね。あと、”木馬の記憶”は前作の「デッカードが夢で見ていたユニコーン」を踏襲してるんだよ。ユニコーンの折り紙を折っていたガフも今回出てたよね?要はユニコーンから馬(木馬)に変わったわけ。

江須田:う〜ん、分かったような分からんような…。じゃあレジスタンス(レプリカント解放運動)の連中は何をやろうとしてたんだ?最後にチョロっと出て来ただけで特に何もしてないじゃん。

管理人:デッカードの娘は、レプリカントが出産できることを証明する最大の切り札なので、レジスタンスたちは彼女を利用して反乱を企てようとしてるんだよ。今回はほとんど出番が無かったけど、恐らく次回作でその辺が描かれるんじゃないかな。

江須田:ええ〜!?この後にまだ続編が作られるのかよ!?

管理人:だってウォレスとの決着が着いてないでしょ。あいつがラスボスなんだから、あいつを倒さなきゃ話が終わらないよ。

江須田:マジか〜。

管理人:まあ、アメリカでコケたから、実際に続編が作られるかどうかは分からないけどね。ただ、続編を意識した作りになっているのは間違いないよ。

江須田:「出番が少ない」と言えばさあ、出て来てすぐに殺されたレイチェル。あのシーンも何だかな〜。あんなにあっさり殺すなら最初から登場させるなよ!って言いたいわ。

管理人:あれは若い頃のショーン・ヤングをCGで再現しているので、あまり長く映すとバレちゃうからだと思う。『ローグ・ワン』にも若い頃のレイア姫が出てたけど出番は短かったろ?基本的に、どの映画でも「フルCGの俳優」はじっくり映せないんだよ。技術的な問題で。

江須田:そんな事情があったとは(笑)。まあ、どういう事情でも俺の評価は変わらないけどな!で、お前は『ブレードランナー2049』を観てどう思ったんだよ?

管理人:「映像」に関しては、だいたい君と同じ意見かな。従来のサイバーパンクの概念を大きく覆すような独自性やインパクトがなかったのはちょっと残念だった。ただ、ブレランの世界観はしっかり引き継いでいるので、これはこれでアリなんじゃないかと。

江須田:ふ〜ん。

管理人:「内容」に関しては……まあ、これは好みの問題かもしれないけど、僕は個人的にドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作風が好きなんだよね。過去に『灼熱の魂』『プリズナーズ』『複製された男』『ボーダーライン』『メッセージ』を観たんだけど、全部面白いんだよ。ハズレがない!

江須田:へ〜。

管理人:で、『2049』も見事にヴィルヌーヴ監督の作風なんだよ。例えば冒頭の、広大な太陽光発電施設を上空から俯瞰している映像とか「ああ、まさにドゥニ・ヴィルヌーヴ!」って感じでグッときたね。その後の、街から遠く離れた場所にある寂しい農場へ主人公がやって来るシーンも雰囲気があって良かった。

江須田:え〜?あの辺って全然SF映画っぽくないじゃん。「これのどこがブレランなんだよ!」って逆に冷めたけどなあ。

管理人:オイオイ、何バカなこと言ってんの(笑)。外に大きな木が1本生えていて、部屋に入った主人公が大柄なレプリカントと会話する…という一連の描写は、1作目の『ブレードランナー』の脚本に書かれていて最終的にカットされたシーンだよ。

江須田:えっ!?そうなの?

管理人:もっと言うと、誰かの瞳のドアップから始まるオープニングも、前作のブレランと全く一緒だよね。つまり、今回の『2049』は一見オリジナルのブレランとかけ離れているように見えるけど、実は忠実に1作目を踏まえた作りになってるんだよ。

江須田:う〜む、そうだったのか…。

管理人:もちろん君が「ブレランっぽくない」と感じた理由は、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作風がベースになっているからで、ついでに言うとアンドレイ・タルコフスキー監督の作風も混じってるからだよ。冒頭の「木が1本だけ生えているビジュアル」も、タルコフスキーの『サクリファイス』という映画に似たようなシーンが出て来るし。でも根底にあるものは、あくまでもオリジナルの『ブレードランナー』なんだよね。

江須田:なるほどなあ…。ただ、そうは言っても前作とは内容が違いすぎるじゃん?やっぱ違和感が拭い切れないというか…。

管理人:あの〜、君はずっと「前作は良かったのに…」みたいなことばかり言ってるけど、じゃあ前作のどんなシーンが一番印象に残ってる?

江須田:そりゃあ、やっぱりロイ・バティ(ルトガー・ハウアー)が「オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム。そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように…」のセリフを喋る辺りだよ。

管理人:レプリカントのロイが、ビルから落ちそうになっているデッカードを助けて、雨に打たれながら静かに死んでいく場面だよね?

江須田:そう、あそこは本当に名シーン!何度観てもグッとくるんだよなあ。

管理人:だったら『2049』も同じだよ。レプリカントのKが、敵に捕まったデッカードを助けて、最後に雪の中で静かに死んでいくわけだから。

江須田:ん?あ…

管理人:シチュエーション的には完全に一致してるよね?つまり『2049』はデッカードではなく、ロイ(レプリカント)の視点から見た『ブレードランナー』なんだよ。

江須田:う…。で、でも、それはたまたまそういう風に見えるだけなんじゃ…?

管理人:いや、Kが死ぬ時に流れるBGMは、ロイが死ぬ時に流れたBGMと全く一緒なんだよ。『2049』の音楽はヴァンゲリスじゃなくてハンス・ジマー(とベンジャミン・ウォルフィッシュ)なんだけど、このシーンだけはヴァンゲリスのオリジナル曲がそのまま使われてるんだよね。明らかに意図的にやってる。

江須田:ということは、やはり主人公をロイ・バティに重ね合わせているわけか…。

管理人:もっと詳しく言うと、前作は”SFハードボイルド”っていう扱いで、主人公のカッコ良さが際立つような作りになっていたよね?それに対して今作は「主人公が特別な存在ではない」、つまり「ヒーローじゃない」ってところがポイントなのよ。

江須田:どういうこと?

管理人:主人公のKはレプリカントで、街には彼のような人造人間がいっぱいいる。要は、工場で大量生産された商品の一つなわけ。それは本人も自覚していて、そのこと自体は特に気にしていなかった。ところがある日、自分の記憶が造られたものではない、ということに気付いてしまい、「もしかして俺は特別な存在なのかも…?」と思い始める。

江須田:うん。

管理人:でも、調べていくうちに記憶の”正体”が分かって、やっぱり自分は特別じゃない、普通の量産品なんだ…という事実が判明する。これ、すごく悲しい話じゃん?最終的に「あ、やっぱ違うんだ…」ってことがわかっちゃうわけで。

江須田:うん、うん。

管理人:すごく切ないシチュエーションなんだけど、それでも主人公は「デッカードを殺せ」という指示に逆らって彼を助けようとするんだよ、命懸けで。つまりこの物語は、「ヒーローではない単なる既製品の人造人間が、そのことを自覚しつつ、それでも最後は人間らしく行動しようと誰かを助けるために死んでいく」という、そういう話なんだよね。じゃあ、なぜKはそんなことをしたのか?誰かのために戦って死ぬことで、自分がこの世に生まれてきた意味を示そうとしたんだよ。これは泣けるでしょ?

江須田:おお…。確かに、それ聞いたら急に「ええ話」に思えてきた。ただ…

管理人:まだ何かあるの?

江須田:最後、主人公が死んで終わるじゃんか?ああいう暗いラストはどうも…。エンタメ好きな俺としては、やっぱ娯楽映画はハッピーエンドで終わって欲しいんだよねえ。

管理人:「ハッピーエンド」ってもしかして、前作のラストのことを言ってる?

江須田:そう、最後に二人で車に乗って旅立っていくあの…

管理人:それ勘違いしてるよ。

江須田:は?

管理人:日本公開版の「デッカードとレイチェルが車に乗って去っていくラストシーン」は後から付け加えられたもので、もともとリドリー・スコット監督が編集したバージョンには入ってなかったんだよ。ところが、完成前にテスト試写を実施したら、「ストーリーが分かり難い」「ラストが暗い」などの否定的な意見が多かったんだって。それを知った映画会社が慌てて「作り直せ!」と命じて、あの”逃避行シーン”が追加撮影されたんだよ。でもリドリー・スコットはそのことをずっと不満に思っていたので、その後(1992年)、元の”暗いラスト”に戻すために自ら編集し直して『ディレクターズカット/最終版』を作ったわけ。つまり、本来の『ブレードランナー』は全然ハッピーエンドじゃないんだよ(後に高画質プリントを使用した『ファイナルカット版』も作られ、これまたハッピーエンドではないもののリドリー・スコット自身は「最も好きなバージョンだ」とコメントしている)。

江須田:ウソやろ!?

管理人:いや本当。だから結局、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はブレランから遠ざかっているようで、実はブレランの本来の姿に近づけようとしていたんじゃないかな?本人も『ブレードランナー』の大ファンだって言ってるし。そして『2049』を絶賛している人たちも、そういう部分に魅力を感じたんじゃないかなあ。

江須田:そ…そーだったのか…

管理人:まあ「『2049』はSF映画史に残る大傑作!」とか、そこまで褒めるつもりはないけれど、個人的には今言ったような理由で「悪くない」と思ったし、”レプリカント側から見たブレランの物語”としては切なくていい話だと思うよ。

江須田:なるほど〜、ちょっと見方が変わってきたかも…。もう一度観てこようかなあ。いや実は、ところどころ記憶が抜けててさ、良く覚えてないシーンがあるんだよね。なんでだろ?

管理人:そりゃ途中で寝てたからだよ!


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