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『ゲド戦記』をめぐって宮崎駿と宮崎吾朗が泥沼のバトル!?


本日、金曜ロードSHOWにて宮崎吾朗監督作品『ゲド戦記』が放映されます。公開当時は、「ストーリー展開が単調でひたすら退屈」「声優がヘタ」「作画の粗さが目に余る」「キャラクターに魅力が無い」「背景美術が手抜きだ」など、ひたすら批判された本作ですが、劇場で観た印象としては「そこまで酷い映画じゃないけどなあ」という感じでそれなりに楽しめました。

しかし、『ゲド戦記』に対する本当の興味は「宮崎駿の息子が初めて作った映画」という部分であり、内容は二の次だったりするわけです。そして、実は映画本編よりもスタジオジブリの”お家事情”の方がずっと面白い!」という話題で当時のアニメファンは大いに盛り上がっていたのですよ。

宮崎駿宮崎吾朗が大喧嘩した」「”息子が父親を殺す”というストーリーは宮崎吾朗の深層心理だった」などの都市伝説は果たしてどこまで本当なのか?本日は映画『ゲド戦記』のそんな知られざる制作秘話についてあれこれ書いてみます。



宮崎駿監督は『ルパン三世 カリオストロの城』を制作した後(1980年〜83年頃)、次回作のための新たな方向性を模索していました。オリジナル・ストーリーのイメージボードを大量に描きまくり、その中には『もののけ姫』や『となりのトトロ』などの原案もありましたが、残念ながら実現には至らず。

さらに81年頃からは日米合作の超大作『リトル・ニモ』の企画が始動しますが、なかなか話が進まず宮崎駿さんのストレスはどんどん溜まっていきました。ちなみに『リトル・ニモ』は宮崎駿の他に高畑勲大塚康生・近藤嘉文・友永和秀・山本二三―ら錚々たるメンバーが集まった超大作アニメで、もし完成していれば歴史に残る傑作になっていたかもしれません(その当時のエピソードをまとめた本がこちら↓)

やがて全然進展しない『リトル・ニモ』に嫌気がさした宮崎さんは、他の企画に手を出します。一つは『戦国魔城』というタイトルで、SF的要素が加味された新感覚時代劇。そしてもう一つは、アメリカの漫画家リチャード・コーベンが書いたファンタジー『ロルフ』の長編アニメ化です。しかし、どちらの企画も検討の結果ボツになってしまいました(『戦国魔城』はその後、漫画版として執筆)。

このように「いくら企画を出しても通らない」という失意のどん底の時代、宮崎監督の目に止まった小説がアーシュラ・K・ル=グウィン作『ゲド戦記』だったのです。

このファンタジー小説を一読した宮崎監督はその緻密な世界観に心酔し、「是非これを映画化したい!」と日本語版原作の版元である岩波書店に映画化権の許諾を打診しました。

しかし、原作者からの返事は「NO!」。その後も宮崎さんは何度も何度も手紙を書いて映画化のお願いをしますが、どうしても許可を得る事はできません。それでとうとう諦めて、『ゲド戦記』の要素をバレないように取り入れた『風の谷のナウシカ』を製作することになりました。

つまり鈴木プロデューサーと宮崎駿は、もともとは『ゲド戦記』を映画化したかったのですがそれが叶わなかったので、仕方なく代わりに『ナウシカ』を作ったのですよ。

ところがそれから20年後、アースシー・シリーズの日本語訳者の清水真砂子さんから鈴木氏に「『ゲド戦記』を映画化してみませんか?」という提案が舞い込んで来たのです。

どうやら原作者のアーシュラ・K・ル=グウィンが最近『となりのトトロ』を観て、「素晴らしいアニメだ!ミヤザキはクロサワやフェリーニと同じ天才だ!もし映像化するとしたら、この人をおいて他にいないだろう!」と非常に感激したとのこと。

急いで鈴木さんがそのことを宮崎監督に伝えると、「これが20年前なら、喜んで飛びついたのに……」と複雑な表情を浮かべました。なぜなら、ちょうど時期的に『ハウルの動く城』を作っている最中だったからです。

そのため次回作を考える余裕など一切なく、しかも『風の谷のナウシカ』以降、宮崎作品に出てくる物語の要素やアイデアなどは『ゲド戦記』にインスパイアされたものが非常に多い。

なので、いまさら『ゲド戦記』を作るモチベーションもないし、やるにしても単純に原作を映画化すればいいというものではないだろう…と。そこでまず、映画化の可能性を探るために研究チームを立ち上げることになりました。

最初のメンバーは鈴木敏夫Pと若手アニメーター、プロデューサーの石井朋彦、そして宮崎吾朗。鈴木氏は当初、『ゲド戦記』のスタッフの一人として宮崎吾朗さんを起用したのですが、やがて打ち合わせを重ねていくうちに「これは吾朗君に監督をやってもらった方が良いのでは…」と考えるようになったらしい。

そしてある日、自分の考えに確信を持った鈴木氏は「宮崎さん、この映画は息子の吾朗君を中心にやらざるを得ません」と告白したのです。

それを聞いた宮崎監督は「どういう意味だ?それは吾朗が監督するということか?鈴木さんはどうかしている!吾朗がアドバイザーとして加わることはあると思っていた。しかし、吾朗が中心になってやるなんてことはありえない!」と大激怒。完全に息子の監督には反対だったのです。

そこで鈴木氏は、宮崎駿を説得するための画が必要だと感じ、吾朗さんを呼んで「画を描いてくれ」と頼みました。すぐに、竜と少年のイメージボードを描き始める宮崎吾朗。それは宮崎アニメにはない”斜めの構図”でした。

出来上がった画を宮崎駿に見せると、暫し沈黙。宮崎駿は真横や正面の構図でこういう画を描いたことはあるけれど、斜めの角度で描いたことがなかったのです。見た目はそっくりでも、アングルが違う。確かにイメージボードを見て宮崎さんは唸りました。でも決してOKとは言いません。 

その後、宮崎さんが鈴木氏のところにやって来て「どうしても吾朗でやるのか?」と聞くので「はい」と答えたら、宮崎家で家族会議が開かれたそうです。

その会議で吾朗さんは宮崎駿から「お前のような人間は、才能も無ければ監督としての力量も何も無い!お前ごときに『ゲド戦記』は絶対できない!」と散々罵倒され、家庭内は一気に険悪ムード。その日以来、二人は一切口をきかなくなったそうです。 

そんなこんなで結局、宮崎吾朗さんが『ゲド戦記』を監督することになったのですが、誰かが原作者のル=グウィンに事情を説明しに行かなければなりません。そこで鈴木氏は吾朗君を連れて渡米することに。

しかし、それを知った宮崎さんは烈火のごとく怒り出しました。「吾朗が監督をやると決めたじゃないか!それなら監督はスタジオで1枚でも多くの画を描くべきだ。原作者に会いにいくなんて冗談じゃない!原作者と交渉するのはプロデューサーの仕事だろう!」と。 

それを聞いて鈴木さん、「なるほど、すいませんでした。吾朗君をアメリカには行かせません。その代わり宮さん、一緒に行ってくれませんか?」。

いきなりそんなことを言われてパニックになった宮崎監督は「何で俺が!?」と驚くものの、「いいじゃないですか、原作のファンなんですから」という鈴木Pの言葉に乗せられて、結局一緒にアメリカへ行くことになってしまいました(笑)。

さて、渋々鈴木さんに同行してル=グウィンと会見することになった宮崎監督ですが、会っていきなり「自分はあなたの原作小説を片時も離したことはない。困ったときや悩んだとき、何度ひもといて読み直したか分からない。それぐらい読み込んで、あるときには助けられ、あるときには救われた。だから作品の細部まで理解しているし、映像化するなら自分をおいて他にはいません!」と熱弁を繰り広げたのです。

さらに、「あなたは僕の映画を観てくれたそうですが、『風の谷のナウシカ』に始まって『ハウルの動く城』に至るまで、僕はいろんな作品を作ってきたけれども、すべて『ゲド戦記』の影響を受けています」と元ネタとして引用したことを自ら暴露。

そして宮崎さんは、「今回のありがたいお話ですが、これが20年前ならすぐに自分がやりたかった。しかし残念ながら、今の自分は年をとりすぎている。どうしようかと困っていると、息子とスタッフがやると言い出した。彼らならこの本から新しい魅力を発見して、いい映画を作ってくれるかもしれない。脚本に関しては自分が責任を持ちますから、どうか映像化を許諾してもらえませんか?」と、非常に感動的に語ったそうです。

それを隣で聞いていた鈴木プロデューサーは「宮崎さん、本当は吾朗君のことを気にかけていたんだな…」とちょっとウルっときたらしいのですが、「宮崎吾朗が描いた絵がこちらです」と鈴木さんが例のイメージボードを取り出したとたん、宮崎駿の態度が豹変。

「なんだこの絵は!?こいつはダメです!『ゲド戦記』のことを全くわかっていません!」「ドラゴンと少年が目を合わせている構図を選ぶ時点で、こいつはなにより『ゲド戦記』を理解していない証拠ですよ!」と物凄い勢いで喋りまくる宮崎監督。その隣で呆気にとられる鈴木さん。

挙句の果てには、「それに比べて私が描いてきた『ゲド戦記』の絵は…」と言いながら自分のカバンから今まで描きためた『ゲド戦記』の設定イラストを山ほど出して、「どうです?私の絵の方が原作に忠実でしょう?」と自慢げに見せる有様。

その様子を見た原作者のル=グウィンさんは「あなたはいったい何をしに来たんですか?」と呆れ果てていたそうです(そりゃそうだw)。その場は、とりあえずル=グウィンさんの息子が間に入ってくれたおかげで何とか話はまとまったのですが、後日、当時の心境を鈴木敏夫プロデューサーは次のように答えていました。

「長い間あの人と付き合ってきたが、本気で殴りたいと思ったのはあの時が初めてだった」

ちなみに、『ゲド戦記』は7月29日に公開されましたが、全く同じ日にもうひとつのジブリ提供作品王と鳥が公開されていたのをご存じでしょうか?『王と鳥』は宮崎駿に多大な影響を与えたと言われているフランスのアニメーション映画で、宮崎アニメの原点を知る上でも貴重な作品です。

ジブリはこの翻訳版の公開を請け負ったわけですが、担当者はなんと『火垂るの墓』の高畑勲監督

ご存じの通り、宮崎駿高畑勲は長年アニメ業界でタッグを組んできた盟友同士であり最大のライバルです。しかも、高畑監督は過去に何度も宮崎アニメを批判するような発言を繰り返してきた要注意人物(?)でもありました。

当日は都内でイベントが開かれたのですが、案の定、高畑さんは「まあ『カリオストロの城』なんて、半分以上この映画のパクリみたいなもんですよ(笑)」と爆弾発言を連発したそうです。高畑さん、ヒドすぎるw

さらに、「わざわざ『ゲド戦記』と同じ日に『王と鳥』を公開したのはなぜですか?狙いは”宮崎アニメ潰し”じゃないんですか?」と司会者から鋭いツッコミを入れられた高畑監督は慌てて、「いやいやそうじゃなくて、お互いの相乗効果を狙ったというか…」と必死でフォローする有様。本当はどうなのかなあ(笑)。


※ちなみに、こちらは高畑さんと大塚さんが『王と鳥』について解説した本です(宮崎駿監督がどれほどこの映画に影響を受けたのかが詳しく説明されていて面白い↓)

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