どうも、管理人のタイプ・あ~るです。
さて昨日、TOKYO MX(MX2)で『スネーキーモンキー 蛇拳』が放送されました。
本作はジャッキー・チェン主演のカンフー映画ですが、今でこそ世界的に有名なジャッキーも、この映画の公開当時(1979年)はまだまだ無名の存在でした。
1960年代から主にスタントマンとして活躍し始めたジャッキー・チェンは、ブルース・リー主演の『ドラゴン怒りの鉄拳』では「リーに蹴られて吹っ飛ばされる役」や、『燃えよドラゴン』では「リーに首を折られる役」などで映画に出演(ほぼエキストラ)。
そして1972年公開の『ファイティング・マスター』で、ついに俳優デビューを果たします。
ところが全くヒットせず、さらに73年にブルース・リーが急死したことでカンフー映画の制作本数が激減!その影響をモロに受けたジャッキーは全く仕事がなくなり、とうとう両親が住んでいたオーストラリアで暮らすことになってしまいました。
つまり、この時点でジャッキーは一度、俳優業を”引退”してるんですね。
しかし左官の仕事やレストランの厨房などで働いていたジャッキーですが、どうしても映画俳優の夢が諦め切れません。そんな時、ロー・ウェイ監督の事務所から「新作映画に出ないか?」との連絡がありました。
ロー・ウェイといえば、『ドラゴン危機一発』や『ドラゴン怒りの鉄拳』などブルース・リー主演のカンフー映画を大ヒットさせたベテラン監督であり、ブルース・リーの死後は「第2のブルース・リー」を捜していたようです。
どうやらロー・ウェイ監督には「ブルース・リーをスターに育てたのは俺だ!」との自負があったらしく、かつての栄光を取り戻すために『ドラゴン怒りの鉄拳』の続編となる『レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳』を企画したのです。
ところが肝心の主役がなかなか決まらず、ジャッキー・チェンのもとへオファーが来たのは、なんと撮影開始のわずか2週間前でした(キャスティングが難航した模様)。おまけに提示された出演料も非常に安く、オーストラリアで働いていた月給の半分にも満たない金額だったらしい。
そんな状況にもかかわらず、ジャッキーは「もう一度映画の仕事がやれる!」と喜び、再び香港へ舞い戻ることを決意しました(そしてロー・ウェイ監督の事務所と専属契約を結ぶ)。
しかし、満を持して制作された『レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳』はまさかの大惨敗!その後、『少林寺木人拳』や『成龍拳』や『蛇鶴八拳』など次々とジャッキー主演映画が公開されたものの全くヒットせず、ついにロー・ウェイ監督も「こいつはダメだ。スターの素質がない!」と見切りを付けてしまったのです。
厳しい現実を目の当たりにして失意のどん底に沈むジャッキー。なぜなら「2年以内に成功しなかったら、映画業界から完全に足を洗ってオーストラリアへ戻る」と両親と約束していたからです(再び”引退”の大ピンチ!)。
そんな時、ジャッキー・チェンの才能を見抜き、「主役に起用したい」という人物が現れました。それがユエン・ウーピンです。
ユエン・ウーピンと言えば、後にハリウッドへ招かれ『マトリックス』や『グリーン・デスティニー』、『キル・ビル』などで革新的なアクションを生み出す香港映画界のレジェンドですが、当時はまだ大勢いるアクション監督の一人に過ぎませんでした。
しかし、ジャッキーと同じく中国戯劇学院で京劇を学び(入学時期が違うので一緒に学んではいないが)、以前からジャッキーと交流があったユエン・ウーピンはいち早くその才能に目を付け、自身の監督作品を撮ることが決まった際に「主演は彼しかいない!」とプロデューサーに猛プッシュ。
そこでプロデューサーと共にロー・ウェイ監督を訪ね、「ジャッキーを貸して欲しい」と頼んだところ、ロー・ウェイ監督は「こいつの映画は赤字ばかりだ」「貸し出した方が儲かるだろう」と考えたらしく、なんと6万香港ドルのレンタル料でジャッキーの貸し出しを許可したのです。
こうしてジャッキー・チェンはユエン・ウーピンの初監督作品『スネーキーモンキー 蛇拳』に出演することが決定!この映画は、まさにジャッキーのターニングポイントとなった重要な作品なんですけど、では今までのカンフー映画と何が違ったのでしょうか?
ワンマンで何でも自分で決めたがるロー・ウェイ監督とは異なり、ユエン・ウーピン監督は他人の意見をよく聞くタイプでした。そこでジャッキーは打ち合わせの席で、ずっと温めていたアイデアを次々と提案したのです。
まず、ロー・ウェイ監督はジャッキーを「第2のブルース・リー」にしようとしていましたが、あまりにもジャッキーのキャラと違いすぎるし、「そんな映画ばかり作ってもダメだ」と否定。
そして、「むしろブルース・リーとは正反対のことをするべきだ」「無敵のスーパーヒーローではなく、観客が共感できるような等身大の親しみやすい主人公を描くべきだ」と強く主張したのです。
その結果、これまでの定番だった”シリアスな復讐劇”ではなく、ジャッキーのキャラクターを存分に活かした”コミカルな活劇”を目指すことに決まりました。
ストーリーも「カンフーの技に長けた強い主人公が次から次へと敵をなぎ倒していく」という従来のパターンから脱却し、「弱い主人公が修行を通して心身ともに強くなる」という王道の成長ドラマに。
しかも、主人公を導く師匠が「一見するとホームレスっぽい老人だが実はカンフーの達人」という非常にユニークなキャラクターとして描かれ、それまでのカンフー映画における”厳格な師匠”のイメージを一変させたのです。
この師匠役を演じたのが、ユエン・ウーピンの父親のユエン・シャオティエン。1940年代から映画界で活躍し、俳優や武術指導として300本以上の作品に関わった大ベテランです。
京劇出身なので劇中でも見事なアクションを披露していますが、『蛇拳』の撮影時はなんと65歳!さすがにバク宙とか、難易度の高い動きはスタントマンが演じているものの、素早い身のこなし方はとても65歳に見えません。
なお、ジャッキーが中国戯劇学院で京劇を学んでいた時の教官がユエン・シャオティエンだったため、厳しく指導された当時の記憶がよみがえり、撮影現場では怖くてあまり会話できなかったらしい(でも劇中では実に息の合ったコンビネーションを見せています)。
また、アクションに関してもより高いレベルを目指し、ジャッキーが得意とする”京劇的な動き”を取り入れ、リアルよりもエンターテインメント性を重視したアクションにシフトし、飛んだり跳ねたりのアクロバット的な要素も加わりました。
さらにジャッキーを苦しめる強敵を演じているのが、韓国人俳優でテコンドーの達人:ウォン・チェンリー。
この人は本物の格闘家なので実際にメチャクチャ強いんですが、どうしても格闘家のクセが出てしまうのか、撮影で本当にキックを当ててジャッキーの前歯を折ってしまったのですよ(ラストシーンのジャッキーの顔をよく見ると前歯がないw)。
しかし、そんなウォン・チェンリーの強烈な攻撃がバトルシーンに凄まじい迫力を与え、ジャッキーやユエン・ウーピンの「今までにない新しいカンフー映画を作ってやる!」という揺るぎない信念と相まって作品のクオリティを大きく押し上げたことは間違いないでしょう。
こうして完成した『スネーキーモンキー 蛇拳』は、シリアス一辺倒だった従来のカンフー映画の常識を覆す”コミック・カンフー”という新ジャンルを生み出し、公開後わずか3日で100万香港ドルを叩き出す大ヒットを記録しました。
そして、本作をきっかけにジャッキー・チェンの知名度も急激に上がり始め、以降、香港映画の興行記録を次々と塗り替えていくわけですが、その話はまた別の機会に書きたいと思います。
ちなみに日本では『ドランクモンキー 酔拳』が先に公開されたんですけど、撮影は『蛇拳』の方が早く、しかも監督・キャスト・スタッフがほぼそのまま継続する形で『酔拳』が作られたため、実質的な「姉妹編」になってるんですね(ストーリー上の繋がりは全くありませんがw)。