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藤本タツキの『さよなら絵梨』はクソ映画?(ネタバレ考察)

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて先日、藤本タツキ先生の新作読み切り漫画『さよなら絵梨』が「ジャンプ+」にて公開されました(現在は見れません)。

shonenjumpplus.com

藤本先生といえば『チェンソーマン』の作者として知られていますが、2021年に「ジャンプ+」で読み切り漫画『ルックバック』を公開したところ、なんと一晩で閲覧数が120万回を突破!

読者の反響も凄まじく、さらに『このマンガがすごい!2022』のオトコ編第1位を獲得するなど、大変な注目を集めました。

そして今回も、わずか1日足らずで閲覧数は220万回を超え、「前作を上回る200ページの特大ボリューム!」など、様々な面で話題になっているようです。

しかし作品の評価は賛否両論で、「さすが藤本タツキ先生だ!」と絶賛の声がある一方、「何だかよく分からない」「『ルックバック』の方が良かった」など批判的な意見もチラホラと…

 

※以下、ネタバレしてます

 

『さよなら絵梨』の内容は、「主人公の伊藤優太が余命わずかの母親が亡くなるまでの様子をスマホで撮影し、それを学校で上映したら酷評され、ショックのあまり自殺を考えていると一人の少女(絵梨)に出会い、映画を撮影することになるのだが…」というものです。

ただし、この物語は「作中作構造」になっていて、どういう映画を撮ればいいのか分からない優太が、絵梨に相談したり一緒に映画を観たりしてるんだけど、実はそれ自体も映画のワンシーンだった…とか。

さらに優太が大人になってからもストーリーは続き、最終的には絵梨の正体が”本物の吸血鬼”だったことが判明するなど、事実と創作を曖昧に描いているため「どこから現実でどこまでが虚構なのか分からない!」と混乱する人が続出した模様。

終盤で「絵梨は本当はメガネをかけて歯の矯正もしていた」と判明し、「最初に出会ったシーンからすでに映画の撮影だった」ということが分かるものの、それでも謎は残るんですよねぇ。

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より

また、「同じコマの使い回しが多すぎて飽きてくる」「コピペしてるだけじゃん」「手抜きだろ!」など、独特の表現に戸惑っている人も見受けられました。

確かに、この漫画はほとんどが「横長のコマを1ページに4つ並べる」という形式で描かれているので、「画面の変化に乏しい」「つまらない」と感じた人もいるでしょう。

しかも、最大では8ページ(32コマ)にも渡って全く同じアングルの絵が続くわけですから、変形コマや場面転換の多い派手な漫画を好む人は、なおさら退屈に感じてしまうかもしれません。

では、この表現は何なのか?本当にただの手抜きなのか?というと、もちろんそんなことはないわけで、タイトルページに「スマホで撮影している手」が映っていることからも分かるように、横長のコマは”映画のフレーム”を表しているのです。

つまり漫画のコマそれ自体が”スクリーンに投影された映像”であり、「同じコマの連続」はカメラ(スマホ)を固定して同じアングルで長回し撮影をしているという意味なのですよ。

漫画で「ワンシーン・ワンカット長回し撮影」を再現する場合、見開きの大きなコマにいっぱいセリフを書き込むという方法もありますが、藤本タツキ先生は同じコマを連続させることによって「時間の経過」を表現してるんですね。

ちなみに「なぜこんなに長回しが多いのか?」というと、もともと優太は病気の母親の”記録映像”として動画を撮り始めているので、「カットを割る」という概念がなく、ドキュメンタリー的な感覚で撮影していたからでしょう。

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より

あと、この漫画に関しては「クソ映画」というワードも重要な要素のひとつだと思います(なにしろ公開直後からツイッターで「クソ映画」がトレンド入りするぐらいなのでw)。

「クソ映画」っていうのは、優太が撮ったドキュメンタリー映画『デッドエクスプローション・マザー』を学校で上映した際、皆からクソ映画呼ばわりされたこと。つまり優太の映画に対する評価なんですが、その原因は最後の「爆発オチ」です。

「母親が死ぬ瞬間まで撮って欲しい」と言われた優太は、それを拒否して病院から逃亡。すると背後でいきなり大爆発が起こり、「さよなら、母さァーん!」と叫びながら終了というオチなんですけど…。

まぁ普通に考えたらワケが分からないですよね(笑)。当然、観客からは「ラストが胸くそ悪い」「倫理観を疑う」「お母さんの気持ちを考えなよ」「最悪」などと非難轟々で、先生にも「母親の死を冒涜している」と怒られてしまいました。

そして「ラスト…なんで爆発させた?」と先生に問い詰められた優太は「最高だったでしょ?」と答えて再び怒られるんですが、この「爆発オチ」がなぜそんなにダメだったのか?というと…

まず、生徒たちは優太の母親が死んだことを知っているため、「母親の死をネタにしている=不謹慎」と感じてしまったことが一つ。そしてもう一つは「オチに脈絡がない」ということでしょう。

確かに、母親との日常を延々見せられ、最後はいきなり爆発して終わり…では何のことやらサッパリ分かりません。

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より

しかしその後、実は主人公が母親から虐待を受けていたことが判明します。父親は「優太がお母さんに酷いことをされてるって気付いてた」「でも、そういうのを見ないフリして…」「ごめんなぁ…」と謝罪するなど、いろいろ複雑な家庭環境だったらしい。

こういう背景を知った上で考えてみると、主人公は母親からの虐待や母親の死という辛い現実を吹き飛ばすために、敢えてラストを大爆発で締め括ったのでは?と。つまり優太にとって、あの「爆発オチ」にはちゃんと必然性があったのですよ(まぁ、それを他の人に「察しろ」というのは無理な話かもしれませんがw)。

そして、この『さよなら絵梨』自体も「爆発オチ」で終わってるんですけど、これまた賛否両論なんですよねぇ…。

批判的な意見としては「完全にクソ映画のパロディやん」「途中までは感動してたのにオチで台無し」「いい話風のクソ映画」「爆発オチなんてサイテー!」など、『デッドエクスプローション・マザー』を観た生徒たちと似たような反応ですね(笑)。

ちなみに「爆発オチなんてサイテー!」の元ネタは、『Fate/stay night』というゲームのバッドエンド時に出てくるセリフです。

一方、肯定的な意見としては「爆発オチが好きと言ってくれた絵梨のために、作品を台無しにしてまで爆発オチで締めるのは青春すぎて泣いてしまう」「感動的な青春モノと思わせながら、敢えてクソ映画で終わらせるタツキ先生サイコー!」など。

気になったのは、賛否どちらの意見も「あのオチはクソ映画だ」と認めた上で、「だからイイ!」or「だからダメ!」と評価が分かれている点なんですよ。いや、本作のオチが「クソ映画」っていうのは確定なの?僕はそうは思わなかったけどなぁ。

最初の『デッドエクスプローション・マザー』がクソ映画呼ばわりされたのは、観客(生徒たち)が優太の意図や背景を何も知らず、そのため”爆発の意味”が理解できなかったからでしょう(脈絡が無いように見えてしまった)。

では、最後の爆発はどうなのか?

当然これにもちゃんと意味があり、優太は映画を完成させたにもかかわらず、大人になってからも何度も何度も再編集を繰り返していました。その理由は、「ずっと何か足りない気がして」いたから。

やがて事故で家族を失い、自殺を図るために”思い出の場所”を訪れた優太は、再会した絵梨から「足りないものはファンタジー」と教えられます。

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より

藤本タツキ著『さよなら絵梨』より

「私は本物の吸血鬼だから吸血鬼の設定はファンタジーじゃない」っていうのはなかなかトリッキーな理屈ですが(笑)、絵梨の「ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?」というセリフは、父親の「優太はちっちゃい頃から何にでもファンタジーをひとつまみ入れる」というセリフから来てるんですね。

では、優太にとって「ファンタジー」とは何なのか?

中盤のシーンを見ると、父親に「僕の映画と言えばナニ?」と訊ねたら「爆発かなあ」と答えていました。つまり、優太が自分を表現する手段が爆発(=ファンタジー)なんだと。こうして優太は「映画を何度も再編集していた理由がわかった」「足りなかったものは爆発だ!」と気付くわけです。

終盤の「絵梨と再会してからの展開」は、映画の続きなのか、本当に絵梨が生き返ったのか、それとも優太の妄想なのか、はっきりとは分かりません。

なぜなら、「どこまでが真実で創作かわからない所も、私には良い混乱だった」と絵梨が語っているように、この物語は意図的に読者を混乱させるような構成で描かれているからです(おそらく作者も明確な”正解”を決めていない)。

ただ、ラストの爆発オチは「優太の話を見たい」という絵梨の願いを叶えるために、そして優太自身が”家族の死”という辛い現実を乗り越えて前へ進むために必要不可欠なシーンであり、少なくとも彼にとって「これ以外は考えられない終わり方」だったことは間違いないでしょう。

それにしても藤本タツキ先生って、本当に映画が好きなんですねぇ。

 

ぼくのエリ 200歳の少女 (字幕版)

『さよなら絵梨』の元ネタ…というかオマージュ元
ファイト・クラブ (字幕版)

優太と絵梨が観ていた映画(これもラストで爆発する)
君の名前で僕を呼んで(字幕版)

絵梨がレンタル屋へ行った時に並んでいた映画

劇場アニメ『クラッシャージョウ』はこうして作られた

クラッシャージョウ

クラッシャージョウ


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて先月、BS12(トゥエルビ)の「日曜アニメ劇場」で映画クラッシャージョウが放送されました。

クラッシャージョウ』といえば、作家の高千穂遙さんが手がけたSF小説が原作で、「壊し屋(クラッシャー)」と呼ばれる”何でも屋”たちの活躍を描いたスペースオペラです。

もともと高千穂遙さんは漫画家志望だったんですが、「ストーリー漫画を描きたかったのに、僕の絵のクセではどうしても4コマ漫画になってしまう」とのことで断念。

そこで、大学在学中に知り合った仲間(松崎健一宮武一貴)たちと共に有限会社「クリスタルアートスタジオ」を立ち上げ、SF作家活動を開始しました(1972年頃)。

やがて「クリスタルアートスタジオ」は、アニメのメカデザインやSF設定などを請け負うスタジオぬえへと移行していくわけですが、当時の高千穂さんの主な仕事は”マネージャー”だったそうです。

要はアニメの企画会議に参加してクライアントの意向を確認し、「このストーリーの中でメカをカッコよく見せるにはどうすればいいか?」などを検討しつつデザイナーたちと打ち合わせ…みたいなことをやっていたらしい。

当時のスタジオぬえは『ゼロテスター』、『勇者ライディーン』、『超電磁ロボ コン・バトラーV』、『宇宙戦艦ヤマト』などのメカデザインや設定に関わり、高千穂さん自身も様々なアイデアを提案していた模様。

例えばコン・バトラーVの打ち合せ中に、長浜忠夫監督から「何かいい武器はないか?」と聞かれて「『スケバン刑事』という漫画でヨーヨーを使ってましたよ」と答えたら、それが採用されて「超電磁ヨーヨー」になったとか(笑)。

しかしマネージャー業だけでは飽き足らず、仕事の合間にコツコツとSF小説を書いていたそうです。そんな頃、アメリカではあるSF映画が話題になっていました。ジョージ・ルーカス監督のスター・ウォーズです!

ご存知、ルーク・スカイウォーカーハン・ソロたちが大宇宙を舞台に様々な冒険を繰り広げるスペースオペラで、1977年5月の公開直後から凄まじい大ヒットを記録!

日本での公開は翌年ですが、早くも噂が伝わり日本でもSFブームが巻き起こり、『惑星大戦争』や『宇宙からのメッセージ』など色んな便乗映画が作られました。

その状況を見た高千穂遙さんは「ついにチャンスがやって来た!」とわずか2週間で1冊のスペースオペラを書き上げ、自ら出版社へ持ち込んだそうです(高千穂さん曰く「あの頃は早かった。今なら4年はかかる」とのことw)。

(※なお、この部分は最初は「出版社から執筆を依頼されて…」と書いてたんですが、記事を投稿した直後になんと高千穂遙さんご本人から「僕が自分で書いて出版社に持ち込んだんですよ」と間違いを指摘されたので訂正しました。ありがとうございます!)

それが、朝日ソノラマの「ソノラマ文庫」から出版された記念すべき第1作目『クラッシャージョウ 連帯惑星ピザンの危機』で(1977年発売)、本作により高千穂遙さんは念願の小説家デビューを果たしたのです。

当時はまだスペースオペラを題材にした小説が珍しかったこともあり、『クラッシャージョウ』は大評判になりましたが、高千穂遙さんは「やっぱり安彦さんの絵があったからでしょう」とコメント。

安彦良和さんといえば、現在では『機動戦士ガンダム』のキャラクター・デザイナーとして有名ですが、当時はまだ『勇者ライディーン』や『わんぱく大昔クムクム』など一部の作品で知られる程度でした。

でもスタジオぬえが『勇者ライディーン』に関わっていた縁で知り合いになった高千穂さんは、「なんてカッコいい絵だ!小説を書く時は絶対この人に挿絵を頼もう!」と早い段階から決めていたそうです。

 

ところが、いざ『クラッシャージョウ』を書くことが決まって安彦さんに依頼したら「自分はただのアニメーターなので、イラストみたいな絵は描けない」と断られてしまいました。

しかし高千穂さんも「この小説はあなたの絵を思い浮かべながら書いたものだから、他の人ではダメなんだ!」と簡単には諦めません(いや、それは高千穂さんの都合でしょうw)。

結局、高千穂さんに説得された安彦さんは「まぁ1回だけならいいか」と引き受けてしまうんですが、後に「まさかシリーズ化されて映画になるなんて全く想像もしてなかった」と語っています。

こうして『クラッシャージョウ』のイラストを担当することになった安彦さんは、その作業を通じて徐々に高千穂さんと交流を深めていきました。

ちなみに、「アニメの原画用紙に鉛筆で絵を描くやり方しか知らない」と言う安彦さんのために、スタジオぬえが鉛筆画をコピーして入稿用の絵に仕上げ、高千穂遙さんもスクリーントーンの使い方を指導したそうです。

※この部分も、記事の投降後に高千穂さんから「実際に安彦氏に指導したのは、ぬえ所属のめりこです」との指摘がありました(当時ぬえの漫画班に所属していた漫画家の瑞原芽理(みずはらめり)さんのこと)。

クラッシャージョウ

クラッシャージョウ

さて、『クラッシャージョウ』第1巻が発売されてから4年後の1981年。続編の『撃滅!宇宙海賊の罠』や『銀河系最後の秘宝』などが次々と出版されて人気を博していた頃に、劇場版『機動戦士ガンダムの第1作目が公開され、大ヒットを記録!

それを見た当時のサンライズの岸本社長が「TVの再編集版ではなく、完全新作のオリジナル劇場用長編アニメを作ろう」と言い出したのです。そこで選ばれたのが『クラッシャージョウ』でした。ところが、原作者にとっては全く予想外だったようで…

ある日、喫茶店に呼び出された高千穂遙さんは、「『クラッシャージョウ』をアニメ化したい」と岸本社長から告げられ、非常にビックリしたらしい。

アニメにするつもりなんて全然なかった。やっぱり自分がアニメの仕事をやってたから、小説の10万とか20万とか、その程度の読者でアニメの企画を計っちゃいかんわけですよ。

例えば漫画だったら、少年ジャンプは発行部数300万部とかあるから、TVの視聴率とか観客動員数はそこから予想がつくけど、小説などは無謀なことして高い金を使わせちゃいけないし、日本サンライズ(当時)もお金がなかったから、アニメ化なんて全く予想外でしたね。

(「キネマ旬報」1983年3月下旬号より)

どうやら高千穂さんは『クラッシャージョウ』のアニメ化に関して、当初はあまり乗り気ではなかったらしく、それどころか「本当にいいんですか?」と企画自体に懐疑的だった模様。

そこで、岸本社長に「安彦さんがOKしなきゃダメですよ」と言ったら「大丈夫、OKしたから」と言われてまたまたビックリしたそうです(なんと、先に安彦さんに声をかけていたとはw)。

 

一方、安彦良和さんは岸本社長から監督を打診された時、「まぁ、やれと言われたらやりますけど…」みたいな感じだったらしい。

監督に関しては、「やれと言われたらやります」というところはあったんだけど、ただサンライズ初のオリジナル長編ということであれば、先輩の演出家や監督、たとえば富野氏とか高橋良輔さんとかがいるわけですよ。そういう人にやって欲しいというのもあって。

ちょっと言いにくいのは、望んで作った作品ではなかったということだよね。俺自身がスペースオペラを作ることに自信があったわけでもないので、本当にスペオペが好きな人が「面白い」と言ってくれるかどうか、かなり不安だった。それこそ、お手伝いできることは何でもするから、誰か監督をやってくれないかと考えていたぐらいで。

ただ、高千穂にも「安彦さんしかいないでしょ」というようなことも言われていたし、やらざるを得ないというね。それは、こう言ってはあれだけど、計算外だった。

(「安彦良和 マイ・バック・ページズ」より)

どうやら安彦さんの方も、積極的に「監督をやりたい!」という感じではなかったみたいですねぇ。ともあれ、こうして『クラッシャージョウ』のアニメ制作がスタート!まず、高千穂さんと安彦さんの間で「どんなストーリーにするか」について話し合いが行われました。

普通、ヒットした小説を映画化する場合、原作の内容に従ってストーリーを構成するものですが、『クラッシャージョウ』はゼロから新しく話を作ることになったのです。

そこで高千穂さんが「どんな映画を作りたい?」と要望を聞いたところ、安彦さんは非常に困惑したらしい。

どんな映画を作りたいか具体的なイメージを聞かれたんだけど、出なかった。『フレンチ・コネクション』とか『大脱走』とか適当に言った気がするけど、全然スペースオペラとはシンクロしないものばっかり。自分は格別な映画好きではないし、なかなか映画を観ることができない田舎者だったから、その質問は高千穂に痛いところを突かれたなと思ったね。そこは本当に自分の弱い部分だったから。

(「安彦良和 マイ・バック・ページズ」より)

安彦さんによると「自分は映画作りを志してこの業界に来た人間ではないから、積極的にどんな映画を作りたいかなんて考えたことがなかった」とのこと。

そこで高千穂さんは、まず安彦さんに「描きたい場面のイメージ画」を作ってもらい、その場面に関わるエピソードを高千穂さんが考え、それを元に安彦さんがシナリオの第1稿を書き、さらに高千穂さんがSF考証や設定などに手を加え…

という具合に、二人の間で何度もやり取りを繰り返しながらストーリーを固めていったらしい(※この部分も高千穂さんから「初稿は丸まる安彦さんが書き、それを元に私が第2稿を入れて、さらに安彦さんが絵コンテで手直しした」と教えていただきました)。

なお、「二人で考えたものだから」ということでクレジットは「脚本:高千穂遙 安彦良和」となっています。

クラッシャージョウ

クラッシャージョウ

そして作画に関しては、劇場版『機動戦士ガンダムII 哀・戦士』や『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』と同じく、安彦さんが作ったアニメスタジオ「九月社」が担当することになりました。

「九月社」はもともと安彦さんの個人事務所で、『アリオン』など出版物の印税を管理する目的で作られたんですが、劇場版ガンダムを制作する際、新規カットの作画を「九月社」でやるから新人のアニメーターを入れよう、という流れでスタジオ化したらしい。

さらに、この時の若手アニメーターたちは『哀・戦士』と『めぐりあい宇宙』で安彦さんに鍛えられた後、ほぼそのまま『クラッシャージョウ』へ移行しています(そのため、『クラッシャージョウ』の作画レベルは非常に高くなっている)。

しかも驚くべきことに、なんと安彦さんは本作のレイアウトと第1原画を全部一人で描いていたのですよ。えええええ!?

これがどれほど凄いかというと、『クラッシャージョウ』に参加したアニメーターは約30人いるんですが、最初に安彦さんがラフな原画を描き、それを各アニメーターに渡してクリンナップさせる…という工程になっていたらしい。

つまり、安彦さんは監督をやりながら毎週30カットのレイアウトと第1原画を描きまくり、さらに作画監督としてアニメーターから上がってきた第2原画にも修正を加えていたのです!

 

この作業によって圧倒的な精度で作画の統一が図られ、全てのカットに安彦さんの意図が反映されることになったわけですが、それにしてもまさか(ラフとはいえ)劇場アニメの原画を全て一人で描いてしまうとは…すごすぎる!

後に、安彦さんと対談したアニメーターの井上俊之さん(『ヴィナス戦記』に参加)も「凄まじい仕事量だ!」「劇場水準のレイアウトを毎週30カットも上げていたなんて信じられない!」と衝撃を受けていました(「月刊ニュータイプ 2021年6月号」より)。

なお、安彦さんによると「さすがに修正は全カットには入れてないけど、レイアウトと第1原画は全部描いた」「それぐらいのスピードでやらないと、現場に手空きが出てしまうから」とのことですが、普通はできませんよ(苦笑)。

クラッシャージョウ

クラッシャージョウ

ちなみに、劇場アニメ『クラッシャージョウ』には二人の重要なスタッフが参加していました。

一人は、後に『超時空要塞マクロス』で可変戦闘機バルキリーを生み出す河森正治さん。そしてもう一人は、TV版ガンダムの頃からアニメーターとして参加し、『哀・戦士』や『めぐりあい宇宙』でも活躍した板野一郎さんです。

河森さんは当時スタジオぬえに所属し、『クラッシャージョウ』ではメカデザインを担当。ジョウたちが乗る宇宙船「ミネルバ」や、小型戦闘機「ファイター」などをデザインしましたが、予期せぬ事態が起きたようで…

クラッシャージョウ』の時は安彦さんの隣で作業してたんです。その時は「どんなに線を増やしてもいいよ」と言われて宇宙巡洋艦コルドバをデザインしたんですが、「それ、原画も動画もキミが描くんだからね」って言われて「だまされた!」と思いましたよ(笑)。

(「河森正治 ビジョンクリエイターの視点」より)

通常、アニメのメカは動かす際の手間を考え、「なるべく線が少ないシンプルなデザイン」が基本なんですけど、河森さんは安彦さんの指示に従い、コルドバの線を思い切り増やしてしまったのです。その結果、自分で自分の首を絞めることに…(笑)。

なお、有名なコルドバが90度回頭するシーン」を描いたのはアニメーターの佐藤元さんで、巨大な宇宙巡洋艦がゆっくり回頭する作画に多くのアニメファンが度肝を抜かれました。しかし、あまりにも線が多すぎるメカに四苦八苦!

今ならCGで動かすんでしょうけど、当時は1枚1枚手で描いてますから、その苦労は計り知れません(佐藤さん曰く「あの当時は断れる状況じゃなかったのでガムシャラに描いた」「どんどんメカが嫌いになっていった」とのことw)。

クラッシャージョウ

クラッシャージョウ

そして板野一郎さんは、TV版『機動戦士ガンダム』の頃はまだ新人でしたが、第26話から原画になり、爆発シーンやフラミンゴの群れが飛ぶシーンなど大変な場面ばかりを描いていたら、安彦さんに「面倒くさいカットのスペシャリスト」として認められ(笑)、徐々に重要なシーンを任されるようになりました。

ガンダムの後に参加した『伝説巨神イデオン』では、「縦横無尽に飛び回る大量のミサイルがカッコいい!」とファンの間で話題になり、それらの作画を指して板野サーカスという名称まで誕生。

哀・戦士』と『めぐりあい宇宙』の時にはもう「板野くんはアイコンタクトだけで意図を汲み取って直してくれるんで、説明がいらない」「他の原画マンはタイミングが甘いから、終盤のカットも全部”板野行き”で」など、全面的に信頼されていたようです。

 

ところが、『クラッシャージョウ』をやっている時に河森さんと出会い、「今度『超時空要塞マクロス』ってアニメをやるんだけど…」とバルキリーのデザインを見せられた瞬間、「これは他のアニメーターでは絶対に動かせない!」と思ったらしい。

当時、河森さんがデザインしたバルキリーは、その変形プロセスも含めて画期的でしたが、複雑な構造や線の多いメカは作画をする方にとっては難物でした。しかも、マクロスの制作現場は若手ばかりでベテランがほとんどいません。

そこで板野さんは「安彦さんの作品は安彦さんさえいれば成立する」「でも向こうにはそういう人がいない」「ならば自分が行くしかない!」と考え、クラッシャージョウ』を途中で離脱し、『マクロス』の現場へ行ってしまったのです。

後に安彦さんは、「あれは当時けっこうショックな出来事だった」と振り返り、「僕が全部の第1原画を描けばクオリティは保てるけど、そうすると板野くんみたいな個性派は、やっぱり収まりが悪くなっちゃうってことなんだろうね」「もっと羽ばたきたい、弾けたいと思っている人を縛ることになるわけだから」と語っています。

この件に対して板野さんは「若さゆえのことで、本当に申し訳ない」「ちょうど自分なりに何かやってみたいと思い始めた時期にチャンスがやって来て…」「安彦さんに対しては、僕は自分を”脱走兵”だと思っています」とコメント。こうして板野さんは『クラッシャージョウ』の現場を去って行きました。

クラッシャージョウ

クラッシャージョウ

なお当時、板野さんの途中降板をめぐって安彦さんと高千穂さんの間でちょっとしたトラブルが起きていたようです。

映画公開キャンペーンの時、高千穂遙とマジでケンカになったんだよね(笑)。「板野くんのようなスタッフを使いこなせないのは、あなたのやり方に問題があるからだ」とか言われて、ちょっとムカッときて、「彼の方から出て行ったんだ。それに今やってるのはお前さんところのマクロスだろ。スタジオぬえが引っこ抜いたのも同じじゃないか!」って言い返して(笑)。

「月刊ガンダムエース 2011年5月号」より

このように色んなことがありつつも、アニメの制作は順調に進んでいきました。そしていよいよアフレコの段階になり、「主役のジョウとアルフィンの声は新人でいきたい」という高千穂さんの意向で最適な人を捜してたんですけど…

 

アルフィン役の佐々木るんさんはすぐに決まったものの、ジョウ役の方がなかなか決まらず、高千穂さんは大量のデモテープを聞きながら「これも違う、あれも違う」と焦っていたらしい。

そんな時、たまたま紛れ込んでいた2年前のテープを聞いたら「この声いいよ!この人でやりたい!」とイメージにピッタリの人を発見。それが竹村拓さんでした。ところが、「やっと主役が見つかった」と思いきや、大変な問題が待ち受けていたのです。

この声の主はもともと劇団「薔薇座」にいたんだけど、当時は役者を辞めて新宿の割烹料理屋で店長をやってたの。それで音響制作の千田啓子さんは、僕が「この人でいきたい」と言ったら、夜中に東京中のマネージャーに全部電話して、「竹村拓を捜してくれ」ってね。

そして夜の11時すぎにどうやって突き止めたか教えてくれないんだけど、千葉のアパートに住んでいることが分かったんです。それで夜中の12時、寝入りばなに電話をかけて、千田さんが「突然ですけど『クラッシャージョウ』の主役にノミネートされてますんで、声をとらせてもらえませんか?」と(笑)。

竹村が「何じゃ、イタズラ電話か」と叩きつけようとしたら「ちょっと待ってください!」と千田さんが絶妙のタイミングでね。竹村は「もう役者は辞めました」と何度も断るんだけど、千田さんが「あのね」って…。それでもうヤケになって、どうせイタズラ電話だろうって、オーディションは受けてもいいですよって、その晩は終わったの。

それで後日、千田さんが彼を連れて来たら、何だかキョロキョロしてるんだって。本人にいわせると、「いつドッキリカメラの看板が出るか」って探してたんだって(笑)。

(「キネマ旬報」1983年3月下旬号より)

こうして無事に主役も決まり、竹村拓さんは『クラッシャージョウ』で主演声優として本格的にデビューを果たしました(当時30歳)。

クラッシャージョウ

クラッシャージョウ

さて、制作も終盤に差し掛かり、そろそろ宣伝活動の時期になったのですが、ここでまたしても新たな問題が勃発。なんと公開の4カ月前に宣伝予算が無くなってしまったのです!

もともと『クラッシャージョウ』は(規模の割には)低予算で作られており、安彦さんによると「同時期の『幻魔大戦』とは、宣伝費や音楽予算、現場の製作費が倍ぐらい違うにもかかわらず、上映時間は同じで8万枚のセル数もほぼ同じだった」とのこと。

だからこそ、安彦さんは「低予算で少人数でも質の高いアニメは作れる」ということを実証したかったのでしょう。

劇場映画でお金がかかる理由は、人件費とスケジュール。スケジュールが滅茶苦茶になると作業の単価が崩壊するんです。背に腹は代えられなくなるから、制作があちこち飛び回って「これだけの金額を出すから、作画作業をやってくれ」と作業代金の相場がすごいことになる。そういう現場も見てきたから、ああいうやり方はしちゃいけないと。

この程度の予算と人数でも、これぐらいの作品ができるんだぞというのを見せたかった。リーズナブルな作品というのは、そういう意味で言ってるんです。劇場版『ガンダム』の新作映像を作っている時に、このやり方だったら自分のコントロールできる状態で劇場クオリティのものも作れると分かっていたので、そのやり方をそのまま導入して制作したんです。

(「安彦良和 マイ・バック・ページズ」より)

劇場アニメ『クラッシャージョウ』は、このような安彦良和監督の”信念”に基づいて作られていたんですねぇ。

 

とはいえ、宣伝費が無くなってしまったら宣伝できません。そこで高千穂さんはどうしたか?なんと知り合いの漫画家に電話して、「漫画の中に『クラッシャージョウ』のことを描いてくれ!」と頼んだらしい(笑)。

すると、和田慎二さんや猫十字社さんなどが本当に『クラッシャージョウ』のことを描いて宣伝してくれたそうです(高千穂さん曰く、「製作費が5000万円オーバーして予算が底をついた」「もうこういう方法しかなかった」とのこと)。

クラッシャージョウ

クラッシャージョウ

こうして、ようやく『クラッシャージョウ』が完成!パンフレット等によると「制作期間は1年半」となっていますが、実際は2年以上かかったらしい。

1983年当時、角川映画初の長編アニメーション作品幻魔大戦と、シリーズ最終作として製作された宇宙戦艦ヤマト 完結編』が同時期に公開され、「1983年春のアニメ映画興行戦争」と呼ばれました。

結果、興行成績は『幻魔大戦』に軍配が上がったものの、ハイレベルな作画がアニメファンから高く評価され、2016年には4Kリマスター版が制作されるなど、いまだに根強い人気を誇っています。

今年の3月で『クラッシャージョウ』が公開されてから39周年。もう40年近く経ったんですね、早いなぁ…

 

さて最後に余談ですが、安彦さんが旭川の劇場で『クラッシャージョウ』のトークイベントに登壇した際、「何か質問ありませんか?」とお客さんに尋ねると、一人の学生が手を上げて「絵を描く時はどこから描きますか?」と質問したそうです。

それで安彦さんが「目からですね。目を最初に描けば、目線が決まって体の向きも決まるので」と答えたんですが、なんとその子は当時高校3年生の藤田和日郎さんだったのですよ!

安彦さんと同じく北海道出身の藤田さんは、ちょうど絵の描き方について試行錯誤している時期でした。そんな時、安彦さんからこの言葉を聞いて凄く納得し、”目”にこだわって描くようになったらしい。

それから数年後、藤田さんは漫画家としてデビューし、『うしおととら』や『からくりサーカス』など数々のヒット作を生み出しますが、プロになった今でも「人物はまず目から描く」という安彦さんの教えをずっと守り続けているそうです。

 

※追記

この記事をアップした後、原作者の高千穂遙氏ご本人から「よく調べてありますが、いくつか誤りもあるようです」と正しい情報を教えていただいたので訂正しました(「小説出版の経緯」「安彦氏に絵を教えた件」「シナリオ作りに関する役割」の3ヵ所)。

高千穂遙さん、ご指摘ありがとうございました!

 

『大怪獣のあとしまつ』のプロデューサーが作品の意図を解説 → え?そうだったの!?

大怪獣のあとしまつ

大怪獣のあとしまつ


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて、色んな意味で話題を集めた怪獣映画『大怪獣のあとしまつ』が公開されてから約1ヵ月が経ちました。

公開直後は「こんなひどい映画は観たことがない」「令和の実写デビルマン」などと批判が殺到した本作ですが、怪獣映画好きの僕はそんな声にもめげず観に行ってきたわけですよ。

その結果…

確かにギャグはすべり散らしてるし怪獣映画としての評価もアレだけど、設定自体は非常に魅力があって、役者の演技も映像的にも頑張ってる”惜しい作品”だなという印象でした(詳しい感想はこちらの記事をどうぞ↓)。

type-r.hatenablog.com

で、そろそろ騒ぎも沈静化してきたかなぁ…と思っていた頃に、『大怪獣のあとしまつ』のプロデューサーから驚きのコメントが飛び出したんですよ(参照元はこちら↓)。

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企画・プロデュースを務めた須藤泰司さんとプロデューサーの中居雄太さんによると、『大怪獣のあとしまつ』で伝えたかったのは以下のような内容だそうです。

・正体を明かせない主人公が、元恋人の協力と、彼女の夫による妨害の狭間で葛藤する三角関係の物語

・本格的なSF映画のスケール感と、愚かな権力者たちの会話劇による社会風刺

・エンディングでは元恋人が「ご武運を」と涙ながらに主人公を見送る、ビターで切ないラストシーンを作ったつもり

いやいやいや!一体どこが!?

僕は本作の”三角関係”について、「描き方が中途半端だし余計なエピソードだよな~」「邪魔だから全部カットすりゃいいのに」などと思いながら観てたんですが、まさかそっちがメインだったとは…

しかし、だとすればもっとキャラクターの心情を深く掘り下げるとか、当事者同士が感情をぶつけ合うシーンなどを入れなきゃダメでしょ!

特に濱田岳さん演じる雨音正彦の内面描写が全然足りなくて、三角関係が最終的にどうなったのか、それすらもよく分かりません。

中居プロデューサーは「特撮部分やギャグ要素に反応が偏っている印象を受け、伝えたかった三角関係の部分が伝わっておらず、そこが予想外だった」と言ってますが、伝わるわけないでしょーが!

それから「愚かな権力者たちの会話劇による社会風刺」っていうのは「たぶん社会風刺なんだろうな…」という程度には伝わりましたが、実際は下品なギャグが下品すぎてそれどころじゃなかったです。

あと、物議を醸したラストシーンも「変身できるなら最初からやれよ!」というツッコミありきのオチかと思ったら、プロデューサーは「切ないラストシーンを作り上げられたつもり」って…まさかあれで観客を感動させられると本気で考えてたの!?

ええええ…

正直、プロデューサーのこの発言にはガッカリしました。てっきり「巨大怪獣の死体処理をめぐって右往左往する人々の姿を面白おかしく描いたコメディ映画」だと思っていたのに、伝えたかったものは”三角関係”だったなんて…

そもそも、映画の公開後にプロデューサーが自らこういうことを告白するってどうなんですかね?

監督が「くそ~、俺の伝えたかったことが全然伝わってない!悔しい!」とか言うのなら、百歩譲ってまだ分かるんですよ。

でもプロデューサーは監督に対して「このシーンは伝わりにくいかもしれません。もっと分かりやすくなるように変えましょう」と指示する立場じゃないですか?

そういう自分たちの立場を顧みず、「観客には伝わると思っていたが予想以上に伝わらなかった」とか、「ごく単純な政治風刺なのに、ほとんど通じてなくて驚いた」とか…

まるで観客側に責任があるかのような言い方がすごく気になるんですよね。「いや、それはあなたたちの責任じゃないですか?」と。

予告編を見て「思ってたのと違う!」と言われたら宣伝展開等の問題かもしれないけれど、本作の場合はもう「映画の作り方が悪い」としか言いようがないでしょう。そういう部分も含めて「非常に残念」という印象でした。

つーか、このプロデューサーの発言がなければ『大怪獣のあとしまつ』に対する批判はとっくに収まっていたはずなのに、なんでわざわざ自分で炎上しそうなネタを投下するかなぁ?

 

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※ちなみに二人のプロデューサーのうち、中居雄太さんは『一度死んでみた』『決算!忠臣蔵など、須藤泰司さんは探偵はBARにいる』シリーズ『スキャナー 記憶のカケラをよむ男』などを過去に手掛けているようです。

 

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