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エリック・ストルツを襲った悲劇!なぜ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を降板させられたのか?

バック・トゥ・ザ・フューチャー

バック・トゥ・ザ・フューチャー


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて本日、「土曜プレミアム」にてバック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』が放送されます。

ご存知、製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、監督:ロバート・ゼメキスによる人気シリーズの完結編で、1990年に公開され世界中で大ヒットを記録。日本でも多くの観客が劇場へ押し寄せ、82億円の興行収入を叩き出しました。

そんな『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、「最初はエリック・ストルツが主人公だった」というのは割と有名な話ですよね。

もともとゼメキス監督はマイケル・J・フォックスを希望していたんですが、スケジュールの都合で起用できず、不本意ながら第二候補のエリック・ストルツで撮影を開始。

しかし6週間にわたって撮影を続けたにもかかわらず、監督は「どうしても自分のイメージに合わない」「やはりマイケルでなければダメだ」と訴え、エリックを降板させマイケルで最初から撮り直す…という状況になったのです(詳しくはこちらの記事をご覧ください↓)。

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これは極めて珍しいケースではあるんですけど、「撮影を開始してから主役(もしくは準主役級)が降板させられる」という事例が他に全くないわけではありません。

 

例えば、フランシス・フォード・コッポラ監督の地獄の黙示録で主人公のウィラード大尉を演じていたのは、元々は『タクシードライバー』や『レザボア・ドッグス』などのハーヴェイ・カイテルでした。

地獄の黙示録』といえば、ベトナム戦争を描いた名作映画としてカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルム・ドールを筆頭に、アカデミー賞ゴールデングローブ賞など数多くの賞を受賞していますが、「トラブルの多さ」でも知られています。

なんせ当初は17週間の予定だった撮影スケジュールが、台風の影響や脚本の変更などで61週間に延び、1200万ドルの予定だった製作費も最終的には3100万ドルもかかってしまったのですから尋常ではありません。

そんな中、1976年3月20日からロケ地のフィリピンで撮影を開始したコッポラ監督は、ハーヴェイ・カイテルの演技に納得できなかったらしく、4月16日にプロデューサーやスタッフたちを集めてカイテルの映像をチェックするために試写会を開きました。

そしてフィルムを観終わった後、「皆はどう思う?」と確認したのです。その結果、主役の降板が決定し、翌日コッポラ監督は別の役者をキャスティングするためにロサンゼルスへ旅立ったという。

これだけなら「監督の意向で主役が降ろされた」ように思えますが、実際は現場でコッポラ監督とハーヴェイ・カイテルの意見が衝突したらしく、カイテルの方が「俳優の都合による契約違反」と見なされ、この件の後、しばらくハリウッドから干されてしまったのですよ(90年代までは主にヨーロッパを拠点として地道に活動していた模様)。

なお、代わりにウィラード大尉役に起用されたマーティン・シーンも、過酷な撮影の連続で持病が悪化し、とうとう心臓発作を起こして6週間も入院。生死の境を彷徨ようほどの深刻な状況に陥ったそうです(その後なんとか回復し、現在に至るまで『アメイジングスパイダーマン』など様々な映画で活躍中)。

地獄の黙示録

地獄の黙示録

また、ジェームズ・キャメロン監督のエイリアン2の場合、最初に海兵隊のヒックス伍長を演じていたのは『ウォリアーズ』や『48時間』などのジェームズ・レマーでした。

当時、ウォルター・ヒル監督の作品によく出演していたジェームズ・レマーは、ウォルター・ヒルが製作総指揮を務めた『エイリアン2』でもヒックス役に抜擢されたのです。

ところが、当時のレマーは重度の薬物依存症を患っており、なんと撮影開始から2週間後にドラッグ所持の容疑で逮捕されてしまったのですよ。当然、現場は大慌て!ヒックスは重要なキャラなので、このままでは撮影が続けられません。

そこでキャメロン監督は、急遽『ターミネーター』でカイル・リース役を演じたマイケル・ビーンに連絡をとり、「今すぐ来てくれ!」と撮影現場のイギリスまで呼び寄せたのです。

プロデューサーのゲイル・アン・ハードから詳しい事情を聞かされたマイケル・ビーンは、その頃ロサンゼルスで暮らしていたのですが、金曜日に電話を受けて月曜日の朝にはもうパインウッド・スタジオへ到着し、『エイリアン2』の撮影に参加していたとのこと(早い!)。

エイリアン2

エイリアン2

また、ロード・オブ・ザ・リングの人気キャラクター:アラゴルンは、当初はスチュアート・タウンゼントが演じていました。

しかし、ピーター・ジャクソン監督が「アラゴルン役には若すぎる」と撮影を始めてから気がつき、なんとクランクインからたったの4日で降板させられてしまったのですよ(もっと早く気付いていれば…)。

そこで代役を依頼されたのがヴィゴ・モーテンセンです。当時のヴィゴは『カリートへの道』や『クリムゾン・タイド』など様々な映画に出演していたものの、まだそこまで注目されていませんでした。

なので、ついに巡ってきたチャンスに喜んだ…かと思いきや、なんと撮影が長期間に及ぶことを聞いて「家族と離れて暮らすのは嫌だ」と一旦は断ろうとしたそうです。しかし、たまたま『指輪物語』の大ファンだった息子が、「絶対にこの役を引き受けた方がいい!」と熱心に説得したことで、最終的に出演を決めたらしい。

ロード・オブ・ザ・リング

ロード・オブ・ザ・リング

さらに、日本映画でも「突然の主役交代劇」は起きています。角川春樹監督が製作費50億円を投入した超大作天と地との主役に抜擢されたのは渡辺謙で、最大の見どころとなる川中島の合戦シーンを撮るためにカナダのカルガリーにて大規模なロケを敢行。

ところが、そのロケ中に渡辺謙急性骨髄性白血病に倒れるというまさかの事態が勃発!病状の深刻さから「撮影続行は不可能」と判断、降板に至りました。

大変なのはその後で、製作費50億円の映画の主役が急にいなくなったわけですから現場は大混乱!

角川春樹監督は急きょ東京へ戻り、成田空港近くのホテルで記者会見を開いて渡辺謙の降板を発表。同時に、その場で「代役の緊急オーディション」を行い、榎木孝明を抜擢し、どうにか最後まで撮影をやり切ったのです。

天と地と

天と地と

また黒澤明監督の『影武者』も、当初は勝新太郎が主演を務める予定でしたが、撮影開始直後のリハーサルの時から早くも互いの意見が衝突して険悪なムードに…。そして翌日、「自分の演技を確認したい」と撮影現場へビデオカメラを持ち込もうとした勝新太郎に対して、ついに黒澤監督が激怒!

勝新太郎も怒って現場を飛び出し、自分のワゴン車に閉じこもってしまいました。その後、黒澤監督が説得を試みたものの話し合いは決裂し、最終的に「辞めてもらうしかない」と降板が決定。代役として仲代達矢が起用されることになったのです。

実は、クランクインの前から勝新太郎はやる気満々で、「ああしたい」「こうしたい」と自分の演技プランを黒澤監督に何度も提案し、それを見ていた周りのスタッフも「あんなことを黒澤監督に言って大丈夫かな…」と心配していたらしい(その不安がまさに的中してしまったという…)。

ちなみに映画が完成した後、代役を務めた仲代達矢は奥さんから「やっぱりあの役は勝新太郎の方が良かった」と言われてガッカリしたそうです(笑)。

『探検バクモン』より

探検バクモン』より

このように、「撮影を開始してから主役が降板させられる」というケースはいくつかあるんですけど、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が特殊なのは「監督が最初からマイケル・J・フォックスを希望していた」という点なんですよね。

他の事例が”病気”や”逮捕”や”監督とのトラブル等”で降板を余儀なくされたのに対し、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の場合は「どうしてもマイケルでなければダメだ!」という理由で降板させられたわけですから、エリック・ストルツとしては「理不尽」としか言いようがないでしょう。

もともと脚本家のボブ・ゲイルがマイケルをイメージしてシナリオを書いていたため、他の役者では雰囲気が合わなかったようですが、それにしても…

一体なぜ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はこんなことになってしまったのか?

一般的に「良い脚本と優れた監督と演技力のある役者が揃えばいい映画ができる」と思われがちですが(まぁ決して間違いではないんですけど)、実は「演じるキャラクターがその役者で本当に合っているのかどうか?」という部分も重要なんですよ。

実際、エリックの演技力には全く問題がなく、ゼメキス監督も「むしろ彼の役者としての能力は非常に優れていた」と認めているぐらいですから。

しかし、エリック・ストルツの優れた演技力をもってしてもマーティ・マクフライを演じ切ることはできなかったのです(恐らく他の誰がやってもダメだったでしょう)。

つまり、もはや「演技力云々」の問題じゃなくて、マイケル・J・フォックス自身がもともと持っていた”人間性”とか”面白そうな雰囲気”みたいなものが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の世界観には必要不可欠だった…ということなのかもしれません。

ちなみに昔、ブラッド・ピットが『マトリックス』の主人公(ネオ役)をオファーされた時、「これは絶対に僕がやるべき役じゃないよ。他にもっと相応しい人がいるはずだ」と言って断ったそうですが、そういうことを早い段階で見極められる感覚が大事なんでしょうね。

 

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『シン・ウルトラマン』と『大怪獣のあとしまつ』は似てる?(ネタバレ解説)

シン・ウルトラマン&大怪獣のあとしまつ

シン・ウルトラマン&大怪獣のあとしまつ


※今回の記事は『シン・ウルトラマン』と『大怪獣のあとしまつ』のネタバレが含まれているので未見の方はご注意ください。

 

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて現在、庵野秀明樋口真嗣『シン・ウルトラマンが大ヒット上映中ですが、数ヵ月前にも”とある怪獣映画”が話題になっていたことを皆さん覚えているでしょうか?

そう、『大怪獣のあとしまつ』です(もうほとんどの人が忘れてるかもw)。

公開直後から「こんな酷い映画は観たことがない」とか「クソ映画」などの酷評が相次ぎ、「令和のデビルマン」という衝撃的なワードがTwitterでトレンドになるほどネットで荒れまくった『大怪獣のあとしまつ』ですが、『シン・ウルトラマン』が公開されると「似てるんじゃね?」みたいな意見がチラホラと…

 

『大怪獣のあとしまつ』のストーリーをざっくり説明すると、「東京に現れた巨大な怪獣を倒した後、その死体処理をめぐって右往左往する人々の姿を描いた物語」です。

これのどこが『シン・ウルトラマン』に似ているのか?というと、オチがガボラのエピソード」とそっくりなんですよ。

『シン・ウルトラマン』では、放射性物質を撒き散らしながら移動する禍威獣第8号「ガボラ」の対応に禍特対が苦慮していると、ウルトラマンが現れてガボラを倒し、その死体を抱えたまま空高く消えていく…という展開でした。

 

一方、『大怪獣のあとしまつ』では怪獣の死体の処理方法について議論が交わされ、特務隊が様々な対応策を実行するものの上手くいかず、最終的に「光輝く謎の巨人」が現れ、死体を抱えたまま空高く消えていく…という終わり方でした。

 

ほとんど一緒じゃん!

 

劇中ではその姿ははっきりと描かれていませんが、「光輝く謎の巨人」ってどう考えてもウルトラマンでしょう。

メガホンをとった三木聡監督によると「主人公の帯刀アラタという名前は、『ウルトラマン』のハヤタ隊員からイメージしたもので、新しいハヤタで”アラタ”にしました」とのこと。

また、舞台挨拶でも「『ウルトラマン』って怪獣を倒す時にスペシウム光線を出すじゃないですか?なんで最初から出さないんだろうって子どものころからずっと思ってた。だから最後のシーンは、それに対するオマージュやパロディなんです」などと証言。

 

つまり、『大怪獣のあとしまつ』は明確に『ウルトラマン』を意識して作られた映画なので、まぁ『シン・ウルトラマン』に似ているのも当たり前といえば当たり前なんですよね。

ただ残念ながら、劇中のギャグがことごとく滑りまくり、キツい下ネタ表現も満載だったため派手に炎上してしまったんですよねぇ。

シン・ウルトラマン&大怪獣のあとしまつ

シン・ウルトラマン&大怪獣のあとしまつ

では、「もし一切ギャグがなかったら面白い怪獣映画になったのか?」というと…可能性は高かったんじゃないでしょうか。なぜなら、物語の構造が『シン・ウルトラマン』とほぼ同じだからです。

 

例えば『シン・ウルトラマン』の冒頭シーンで「巨大不明生物ゴメス」が現れた際、自衛隊は自力でゴメスを倒しますが、その死体処理をめぐって『大怪獣のあとしまつ』みたいな議論があったはずなんですよ。

しかし、『シン・ウルトラマン』ではそういう場面は描かれていません。三木聡監督によると、『大怪獣のあとしまつ』はそのような「映画の中で描かれていない時間を映画にしてみたいという天邪鬼な考えが企画のスタートラインだった」とのこと。

例えばゴッドファーザーで歌手が朝起きると切断された馬の首がベッドに入ってるんだけど、あれ、夜中にどうやって気付かれぬまま入れたのか?とか、ストリート・オブ・ファイヤーではウィレム・デフォーが手持ちのホーンを鳴らすと背後からハーレーダビッドソンのバイカー軍団がぞろぞろ出て来ますよね。じゃあ、奴らは後ろでずーっとスタンバイしていたのか?…といったドーでもいい疑問を考えてみる企画だったんですよ。

(「キネマ旬報」2022年2月下旬号より)

このように、『大怪獣のあとしまつ』は『シン・ウルトラマン』の本編から省かれた場面を敢えて描いてみせた…という考え方もできるわけです。

まぁウルトラマン自体はラストまで全く登場しないものの、怪獣(の死体)を相手に困難なミッションに挑み続ける特務隊の姿を見ると、「ウルトラマンに出会う前の禍特対はこんな感じだったんじゃないか?」などと想像させられたり、妙にシンクロしてるんですよね。

 

また、庵野秀明さんが書いた『シン・ウルトラマン』の脚本には元々「神永(斎藤工)と浅見(長澤まさみ)のキスシーン」が描かれていて、二人の恋愛ドラマ的な要素も入ってたんですけど、諸事情でカットされてしまいました。

それに対して『大怪獣のあとしまつ』では、帯刀アラタ(山田涼介)と雨音ユキノ(土屋太鳳)の恋愛要素がしっかり描かれてるんですよ。

さらに『シン・ウルトラマン』のクライマックスで、ゼットンとの最終決戦に向かおうとしている神永に浅見が「行ってらっしゃい」と声をかけるシーンは、『大怪獣のあとしまつ』で帯刀に雨音が「ご武運を…」と声をかけるシーンにそっくりです。

シン・ウルトラマン&大怪獣のあとしまつ

シン・ウルトラマン&大怪獣のあとしまつ

このシーンはどちらも「もうこれで大切な人と会えないかもしれない」というヒロインの切ない気持ちが込められていて非常に感動的なんですが、『大怪獣のあとしまつ』の方がよりダイレクトに”恋愛ドラマ”として描かれている分、エモーショナルな雰囲気が強まってるんですよね(『シン・ウルトラマン』にはそこまで恋愛要素が入ってないので)。

そういう意味でも、『大怪獣のあとしまつ』は(あくまでも偶然ですけど)「『シン・ウルトラマン』で描かれなかったシチュエーションを補完した映画」とも言えるわけで、「しょーもないギャグなど入れずにもっと真面目な作劇を見せていれば…」とつくづく残念でなりません。

なお、ラストに”続編を匂わせるようなシーン”もありましたが、実現する可能性は極めて低いでしょうねぇ…。

 

シン・ウルトラマン デザインワークス

『シン・ウルトラマン』はなぜ成功したのか?(ネタバレ解説)

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて5月13日に公開されて以来、順調に成績を伸ばし続けている『シン・ウルトラマンですが、6月26日までの45日間で観客動員数が269万人、興行収入はついに40億円を突破しました。

一般的に映画の成績は「10億円を超えればヒット」と言われているので、これはもう(商業的には)”大成功”と言っていいでしょう。

しかも、ウルトラマンの劇場映画で10億円を越えた作品は前例がなく、これまでは2008年に公開された『大決戦!超ウルトラ8兄弟』の興行収入8億3800万円が最高でした。

つまり『シン・ウルトラマン』は、過去のウルトラマン映画の歴代記録まで大幅に塗り替えてしまったのですよ。

一体、なぜここまで大ヒットしたのか?というと、やはり庵野秀明が脚本や総監修などで作品に深く関わっている」ということが理由の一つではないでしょうか。

シン・ゴジラ』や『シン・エヴァンゲリオン』で日本中を熱狂させた庵野さんですから、「今度もきっとすごい作品を見せてくれるに違いない!」と期待して観に行ったファンが大勢いたことは想像に難くありません(まぁ監督は樋口さんなんですけどねw)。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

さらに、『シン・ウルトラマン』の企画書に書かれた庵野さんの文章も、さすが「大好きなウルトラマンの映画化」だけあって非常に気合いが入っています(↓)

子供向けではなく、当時観ていた世代をコアターゲットとした、大人になった今こそ観たいウルトラマンの世界を目指す。

違和感なく現代に即した大人向けエンターテインメント、特撮映像だからこそ描ける「夢と現実の共存」を目指す。

そのためには、カタストロフィよりも侵略テーマSF作品としての質と感性を(CP的にも)重視した面白さを目指す。

リアルハード路線、硬質で外連味のある美しい画面で描かれる世界観を描く。

実感のない侵略に対して漫然とした不安を抱える現代の日本人の世相を描く。

そして皆が望み、未だ誰も観たことがない「ウルトラマン」の存在する世界の体験を目指す。

(「シン・ウルトラマン デザインワークス」より)

これを読むと、庵野さんが明らかに「大人の鑑賞に耐えうる優れたSF作品」として『シン・ウルトラマン』を作ろうとしていたことが分かります。では、なぜこれほど「大人向けの特撮映画」にこだわっていたのでしょうか?

今から10年以上前、庵野さんがとある雑誌で対談した際、「海外のヒーロー映画やモンスター映画は大人向けの一般映画として成立しているが、日本の特撮映画はほとんどが子供向け」「そろそろ大人向けのエポックな特撮ものを作りたい」などとコメント。

そして樋口真嗣さんも『ガメラ3 邪神覚醒』の公開直後、キネマ旬報のインタビューで以下のように語っていました。

今回の『ガメラ3』で目指したものは”当たる映画”です。今まで怪獣映画に興味を持っていなかった女の子たちが観に来るような映画にしようと。『タイタニック』を観た時に感じてしまったんです。個人的にはパニック映画じゃなかったという辺りが不満だったんだけど、そういう不満な要素が実はお客さんを集めていた。オレは納得いかないけど、「みんな観に来てるじゃん」っていう。

極論しちゃうと、キネ旬を読んでるような映画好きの人たちだけが劇場に集まっても大ヒットにならないんですよ。この雑誌を読んでも何がなんだかさっぱり分からない(映画に興味がない)ような人たちが映画館に集まってこそ、映画はヒットするんです。映画的記憶というものがない、年に1回か2回しか映画館に行かないような人たちでさえ観に行きたいと思うような映画を作らないと、商業としての映画は成功と言えない。

(「キネマ旬報 1999年3月下旬号」より)

このように、当時の庵野さんと樋口さんは日本の怪獣映画や特撮映画が置かれている状況に不満を感じ、「この状況を打破するには、一般の人たちが観に来てくれるような面白い怪獣映画を作るしかない」と考えていたようです。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

そして、2016年に『シン・ゴジラ』が誕生!長谷川博己竹野内豊石原さとみ高橋一生ら豪華なキャストが集結し、従来の怪獣映画とは一線を画したリアリティ溢れる描写の数々も話題となり、82億円を超える大ヒットを記録しました。これぞまさに「大人の鑑賞に耐えうる怪獣映画」と言えるでしょう。

そんな『シン・ゴジラ』と同様に、「一般映画」としての枠組みを目指して企画されたヒーロー映画が『シン・ウルトラマン』だったのですよ(以下、庵野さんのコメントから引用↓)。

企画としては、『シン・ゴジラ』と同じく「一般映画」としての枠組みを目指しました。「ウルトラマン」シリーズの劇場映画はこれまで興収10億を超えた前例がなく、今までの路線の範疇だと、製作規模が通常枠を超えないと成立が難しい本作のような企画だとリクープの可能性がかなり低く、厳しいと思います。なので非常に高いハードルですが、ウルトラマンにさほど興味がなく、名前を知っているだけの人にも興行的に届く可能性を上げた企画内容と脚本を目指しました。

(「シン・ウルトラマン デザインワークス」より)

ここで庵野さんが述べているのは、「ウルトラマンのような映画を作るには通常よりも巨額の制作費が必要だ」「しかし今まで通りの子供向け路線では回収(リクープ)が難しい」「なので、ウルトラマンに興味がない一般の人たちも観に来るような映画を目指した」ということです。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

ただし問題なのは、『ゴジラ』って元々1954年に公開されたオリジナル版の時からすでに「一般の人たちを対象にした映画」だったんですよね(作り手側も「リアリズムを追求し、反戦反核のメッセージを込めた」などと証言)。

だから『シン・ゴジラ』を作る際は、内容を現代的にブラッシュアップしつつ、ポリティカル・フィクションの要素を強化していけばよかったわけです(実際はもっと複雑な手順で企画・制作していますが)。

しかし『ウルトラマン』の場合は、元々がテレビで放映していた子供向けの特撮ヒーロー番組なので、そのイメージを引き継ぎながら内容をリアルに作り変えること自体が非常に難しいんですよ。

そこで庵野さんはどうしたか?なんとウルトラマンの世界観を守るために、敢えてリアリティのレベルを下げたのです。

例えば、映画序盤の「ネロンガ戦」において、逃げ遅れた子供を発見した神永(斎藤工)は、「速やかに自分が保護します」と言って急に対策本部から出て行ってしまいますが、普通に考えるとおかしいんですよね。

その直前のシーンで「現時点をもって指揮権は我々に移行しました」と田村班長西島秀俊)が言っているように、禍特対の仕事は作戦立案や現況分析を行いつつ自衛隊へ適切な指示を出すことですから、神永が自ら救助に向かう必要はないはずです。

先日、公式が『シン・ウルトラマン』の本編冒頭映像10分33秒を期間限定で公開した際も、「なんで神永が行くんだよ?」「自衛隊に行かせりゃいいじゃん」みたいな意見が散見されたので、あのシーンに違和感を感じた人も大勢いたんじゃないでしょうか?

たぶん、序盤の禍特対のシーンで「専門的なセリフを早口で喋る」「細かいカット割り」「多用される実相寺アングル」などを見て、「これは『シン・ゴジラ』みたいな映画だな」と勘違いした人が多かったのでしょう。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

その直後に神永の「リアルに考えたらおかしい行動」が出て来たため、「オイちょっと待て!」となったのかもしれません。

まぁ「あの時、自衛隊ネロンガの対応で忙しかったから、手の空いていた神永が行ったのでは?」などと解釈する人もいたようですが、だとしても”段取り”がおかしいんですよ。

仮に自衛隊ネロンガの対応で動けなかったとしても、禍特対のリーダーは田村班長なのでイレギュラーな任務を行う際はまず班長に確認し、班長から神永に「行ってくれ」と指示を出す…という流れが組織のリアルな描き方でしょう。

にもかかわらず、神永は真っ先に「自分が行きます!」と言って子供の救助に向かい、班長も彼の行動を全く咎めようとしません(そもそも「自衛隊が動けない」ということを示すような描写も全く無い)。一体なぜ?

実はこれ、オリジナルのウルトラマンを踏襲してるんですね。「科特隊(科学特捜隊)」は今の基準で考えると非常に緩~い組織で、イデ隊員が突拍子もない作戦を思い付いても「よし、やってみよう」とあっさり隊長が許可したり、ハヤタ隊員は任務中に勝手に現場を離れてウルトラマンに変身したり(これはしょうがないけどw)、とにかくメチャクチャ緩い組織なんですよ。

まぁ1966年当時の特撮テレビドラマではこれが普通だったのでしょうが、庵野さんはこのような”緩めの世界観”を『シン・ウルトラマン』で再現したかったらしく、「政府系組織内外の設定等も『シン・ゴジラ』に比べてかなりフィクション寄りにしている」と説明していました。

これこそが、まさに『シン・ウルトラマン』の大きな特徴だと思います。

もし『シン・ゴジラ』みたいなガチガチのポリティカル・フィクション路線でウルトラマンを描いていたら、禍特対や自衛隊や政府の対応をリアルに描写しすぎて、肝心のウルトラマンの活躍がスポイルされていたかもしれません(それはそれで面白い映画になった可能性もありますが…)。

でも、それは庵野さんが望んだウルトラマンじゃないんですよね。あくまでもウルトラマンはこうであって欲しい」という庵野さんの理想を形にしたものが『シン・ウルトラマン』なので。

シン・ウルトラマン

シン・ウルトラマン

だから、子供を見つけた神永が「自分が行きます!」と言って真っ先に飛び出して行ったのも、ウルトラマン的には正しい描写なんですよ(とは言え「作戦立案担当のお前が直接動くなよ!」というツッコミが観客から出るぐらい不自然な行動であることも否定できません)。

結果、オリジナル版の”緩い雰囲気”やヒーローのカッコよさを再現したいが、あまりやりすぎるとリアリティがなくなってしまうというジレンマに…。この辺のバランス調整には庵野さんもかなり悩んでいたようで、以下のように語っていました。

映画の世界観に制作側が嘘をつく範囲というか、フィクションをどこまで描くかということも含まれていると思います。そこのバランス感覚が重要なのかなと。そこの判断をするのも監督の仕事なのかなと。意図してリアルから離している描写が基本ですが、間違ってしまっている箇所もあるかと思います。

(「シン・ウルトラマン デザインワークス」より)

つまり、「基本的にはオリジナルのウルトラマンに準じてわざとリアリティを逸脱しているが、そのバランスを間違えている箇所もある」と認めちゃってるんですよね(他にも『シン・ゴジラ』に比べてフィクションの度合いを強めに設定しているシーンがいくつか見受けられ、そういう部分が賛否両論の一因なのかもしれません)。

しかしながら、オリジナルの雰囲気やカッコよさを再現しつつ、現代風のアレンジも加えるというアプローチの仕方はヒーロー映画を作る上で必要不可欠と思われ、その上でリアルとフィクションのバランス配分をギリギリまで見極めたからこそ、『シン・ウルトラマン』は多くのファンから高く評価されたのではないでしょうか。

特に「子供たちも喜んで観ていた」という話を聞くと、「ヒーローがヒーローらしく活躍する描写を何よりも優先し、必要以上にリアルにはしない」という庵野さんの判断は正しかったと思います。

 

シン・ウルトラマン デザインワークス


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