ひたすら映画を観まくるブログ

映画やアニメについて書いています

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は『エヴァンゲリオン』だった?※ネタバレあり

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』と『エヴァンゲリオン』

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』と『エヴァ

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて現在、劇場で公開中の3DCG映画ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が(色んな意味で)話題になっているようです。

ドラゴンクエスト』と言えば、いまさら説明の必要もないほどの超有名ゲームで、1986年に第1作目がファミコンで発売されて以来、大人から子供まで絶大な人気を獲得してきました。

そんな国民的RPGドラクエが「初の映画化」となれば、ファンの期待も大いに膨らんでいたことでしょう。だがしかし!

観た人の評価は賛否両論…というより、今のところは圧倒的に「否」の意見が多数を占めている模様。その理由は、本作のクライマックスに仕掛けられた”どんでん返し”です。

詳細は省きますが、映画終盤に突然「ゲームの『ドラゴンクエスト5 天空の花嫁』をベースにした物語だと思っていたら、実はゲームそのものだった」という衝撃の真相が明かされビックリ仰天!

さらにラスボスが「この世界は現実じゃない。単なるゲームなんだよ」「こんなものに夢中になってないで、早く大人になれ!」みたいなことを訴えてくるわけです。まさに観る者の意表を突きまくる超展開ですが、これを目の当たりにした多くのドラクエファンが「ふざけんな!」と激怒しているらしいのですよ。

で、映画の構造的に『LEGO ムービー』との類似性を指摘する人や、あるいは『レディ・プレイヤー1』のラスト(主人公が「ゲームばかりしてないで現実世界に目を向けろよ」と語りかける)に似ている等の意見が上がっているようですが、そんな中、「これって『新世紀エヴァンゲリオン』じゃね?」という声もチラホラと…。

知っている人も多いと思いますが、『新世紀エヴァンゲリオン』は「ついに数々の謎が解明されるのか!」というファンの期待を最終回でぶち壊し、さらに劇場版でも「お前らアニメばっかり見てないで現実を見ろ!」と言わんばかりに客席の映像を映すなど、アニメ史に残るような超絶展開が話題となりました。

そういうメタ構造は、確かに『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』と似ているかもしれません。しかし、そもそも庵野秀明監督はどういう意図であのオチを提示したのでしょうか?

というわけで当時の心境を知るために、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(夏エヴァ)の公開後に行われた対談から、庵野監督の発言を引用してみます。

庵野 やっぱり『夏エヴァ』の作業は苦痛でしたね。あれは、自分が終わるためのものだったし、あとは付き合ってくれたスタッフがいい顔してくれればそれでいいという。この2点だけですから、お客が存在しないんですね。だから、公開後の騒ぎとかも僕にとっては何の興味もないんです。

ー それは、第三者が見ても見なくても良かったと?

庵野 良かった。興行的には大丈夫だったし、そういうことは僕にはもう一切関係なかった。

ー つまり、終わらせるというだけで完成ではなかったということ?

庵野 いや、終わることが完成でもあるんですよ。終われば良かったんです。あとは、テレビのリテイク作業は要するに後片付け。皿を片付けて棚に戻すだけですね。メインディッシュはすでに出しちゃったから、それを食うも食わないも僕にとっては関係ないんですよ。お客の前に皿を出すというのは、出した皿に関しては持てるものを全て出し切っているから、それでいいんです。

ー 客がそこで「マズイ!」と言ってガッシャ~ンとテーブルひっくり返して帰っても構わなかったと?

庵野 構わなかった。「マズい!」と貶されても「うまい!これは最高だ!」と褒められても、僕の心はもう動かない。まあ、褒められれば付き合ってくれた人たちに対しては嬉しいですけどね。それはいいことだと思います。スタッフに対する評価だから。自分自身の評価よりも、そっちの方が重要なんです。

ー 自分自身への評価は、庵野さんの上をスルスルと通り抜けていく?

庵野 僕にとって唯一の客はスタッフだったんですね。だから、スタッフがいい思いをしてくれたら、それで良かった。そこから先は存在しないんです。すごいクローズですよね。

ー 庵野さんのそういう発言に対して「プロじゃない」と言う人もいるのでは?

庵野 言わせとけばいいんですよ。その程度でしか物事を計れない人たちなんだから。

ー でも、そういう発言を聞いて「怒るか・怒らないか」を決めるラインっていうのは、わざと俺たちにひどい飯を食わそうとしているのか否か?ということだと思うんですが。

庵野 ひどい飯を出した覚えはないです。人に出す以上は、毒を混ぜるようなことはしません。出すときには、今できる中で最高級のものを、もし卵と冷や飯しかなかったら、それでできる卵チャーハンの一番いいやつを出す。その時に、それまでずっと甘いデザートばっかり食ってた人には、ちょっと塩を強くしたものを出すとか。それぐらいです。

ー TV版の『エヴァ』の最終回を見て思ったのは、「毒を混ぜられたか」ということだったんですが。

庵野 あれは、毒というよりも「そういうのを食った方がいい」ということです。

ー それは、自分も含めて?

庵野 自分も含めて。あとは、どんな皿を出しても怒るんだったら、可能な限り怒らせた方がいい。それはあるんですよ。中途半端が一番良くない。あと、同情を買いたくなかったっていうのも結構でかい。あそこで同情を買うのが一番ラクなんですよ。でも、それだけは嫌だった。同情されるぐらいなら、怒られる方がいい。それも徹底した方がいい。だから、一番客が怒るのをやる。その方が、食った方もスッキリするんです。一口食って「マズい!」って言った方が、お客としては嬉しいわけでしょう。こんなマズい飯を食わされたって、人に話題を提供できるじゃないですか。

ー そこには情動があるから。

庵野 それはコントロールだと思うんですよ。そこも含めてのものだと僕は思う。客にものを出す以上は、そこまで計算しないと。少なくとも予測は必要。あとは、確率と”客筋”みたいなものを見極めること。TV版『エヴァ』の時の客筋というのは、あれぐらいでちょうどだと。それでも足りない部分というのは、さらにその後、塩をまいて帰す。それぐらいやらないと、僕の気も済まなかったし、客の気も済まないだろうと。

そういう意味では、常に無意識にそっちのほうへ行っちゃうんですよね。猛毒を混ぜているつもりはないです。少なくとも致死量には達していない。これ以上混ぜたらマズいというのを、ギリギリ自分の中で持っていると思うんですけど。

つまらなかったのは(そういうコントロールを)超える人があまりいなかったこと。でも、予測の範疇外という人はいたし、そういうことに対してわかってくれた人も少しいてくれました。そういう人がいてくれただけで嬉しかったですね。

ー 『夏エヴァ』に関しても?

庵野 いや、『夏エヴァ』にはそういうのすらない。それは、お客さんが「おいしいです」ってイイ顔してくれた方が、もちろん嬉しいですよ。嬉しいけど、根本はもっと関係のないところまで行っちゃってるんで。わかんないだろうなあ、こういう感覚って、他の人には。やっぱり難しい。わかんないと思いますよ。

先日お会いした藤井フミヤさんも、「自分が出したアルバムは、出した後はもう聞かない」って言ってました。そういう感覚だと思うんです。アルバムを出すまでは、本当にガーッとやるだろうけど、出した後というのは、それを聞いてくれるも聞いてくれないも…。少なくとも自分ではもう聞き返さないし。それに近いです。ただ、当たった方が次が作りやすくなる。だから、当たらないよりは当たった方がいい。あとは、元は取らなければいけない。それは、お金を出してくれた人に対する最低限の礼だと思う。『エヴァ』に関しては、もう十二分に元を取っているから、もういいです。

月刊アニメージュ 1998年2月号」のインタビューより

 この庵野さんの発言を読む限り、TV版の最終回は「観ている人を徹底的に怒らせる」という意図があり、そして劇場版の『夏エヴァ』に関しては「終わらせるためにやっただけ」「客の反応には一切興味がない」という、まあ改めて「この人、ヤベえな」としか思えないんですけど(笑)。

じゃあ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はどうなのか?っていうと、全く違うと思うんですよ。

少なくとも山崎貴監督の方は「観客を怒らせる意図」なんて無かったはずだし、「観客の反応に興味はない」などと考えてもいなかったでしょう。むしろ問題は、「そういう意図がないのに多くの観客を怒らせてしまった」という点にあるのではないかと。

山崎監督はあのオチを映画の中で肯定的に描いています。つまり、「これを観たドラクエファンはきっと喜んでくれるに違いない」「感動してくれるに違いない」と信じてるんですよね。でも、現実は全然違った。その”感覚のズレ方”が問題なんじゃないかと。

例えば、「この映画を公開したらファンからもの凄い批判が来るかもしれない」「しかし、それでもやるんだ!」という”クリエイターとしての覚悟”や”信念”を持ってやったのならまだわかるんですが、そうじゃないってところに、庵野監督とはまた違う意味での「ヤバさ」を感じてしまいました(^^;)

 

片渕須直監督が『この世界の片隅に』で挑戦した作画表現について

この世界の片隅に

映画『この世界の片隅に

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

昨日、NHKで劇場アニメこの世界の片隅にが地上波初放送されました。2016年に公開された本作は、小規模上映ながらも口コミで評判が広まり、全国で異例のロングランヒットを記録。

『第40回日本アカデミー賞』で最優秀アニメーション作品賞、『第41回アヌシー国際アニメーション映画祭』では長編部門審査員賞を受賞するなど、国内外で非常に高い評価を獲得したのです。

女優の能年玲奈が ”のん” に改名して初めてアニメの声優を演じたことや、製作費が足りずに監督の片渕須直さんが自腹で準備を進め、クラウドファンディングで3900万円を集めたことでも話題になった本作ですが、とにかく内容が素晴らしい!

第二次世界大戦中の広島・呉を舞台に、主人公のすずさんとその周辺の人々の日常生活を丁寧に描いた点や、片渕須直監督が徹底的に当時の状況を調べ上げ、それらを忠実に再現した風景なども高く評価されました。

この世界の片隅に

映画『この世界の片隅に

そんな『この世界の片隅に』ですが、意外と「作画」については語られることが少ないんですよね。理由は恐らく、見た目が”地味”だからでしょう。

例えば、京都アニメーションの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』や『響け!ユーフォニアム』のキャラクター、あるいは新海誠監督の『君の名は。』や『天気の子』などの美しい背景など、近年のアニメファンは「ディテールが緻密で綺麗な作画」を好む傾向にあります。

それに対して『この世界の片隅に』は、素朴でマンガチックなキャラクター(原作通り)や、比較的あっさり描かれた背景など、”作画好き”が食いつきそうな要素はあまり見当たりません。

美術監督の林孝輔さんによると、「本作の背景は淡くふんわりと、やさしい雰囲気になるよう心掛けました。肩の力を抜いて、あまり描き込まないように意識して。情報量が多すぎると画面がうるさくなってしまうんですよ。だから背景を描く時は、それっぽく見えるディテールだけを活かすなど、情報量は引き算しつつ、ちゃんと調べて描いてあることが伝わるような方向でまとめました」とのこと。

つまり、原作の世界観を再現するために意図的に画面の情報量をコントロールしていたらしいのですが、では『この世界の片隅に』の作画は大したことがないのか?っていうと、決してそんなことはありません。

むしろ、一見しただけでは分からないような部分に”作画的な凄さ”が盛り込まれているのですよ。その一つが「ショートレンジの仮現運動」です。

「ショートレンジの仮現運動」とはいったい何か?

その前に、アニメーションがどんな風に作られているか簡単に説明すると、まずアニメーターが動きのキーポイントになる絵を描きます(これを”原画”と呼ぶ)。

次に原画と原画の間に動きを補完する絵を描きます(これを”動画”または”中割り”と呼ぶ)。原画だけでも一応は動いて見えますが、動画を入れることでよりスムーズな動きになるため、基本的にアニメは「原画」と「動画」で構成されています。

「原画」と「動画」

「原画」と「動画」

そこで、片渕須直監督は考えました。「原画と原画の間に動画を入れれば動きがなめらかになる」「じゃあ、動画の枚数を増やせばもっと自然な動きになるのではないか?」と(以下、片淵監督の発言から引用)。

ここ何年か映像学会やアニメーション学会で「アニメーションはなぜ動いて見えるのか?」をテーマに、色んなディスカッションを重ねてきました。その結果わかってきたのは、「ショートレンジの仮現運動」と「ロングレンジの仮現運動」があるということ。

普通の日本のアニメは、中抜き(原画と原画の間に中間ポーズを描いた”中割り”を入れないこと)でパパッと動かすカッコよさがあるんですけど、それはロングレンジの仮現運動なんです。

それに対して、動き幅をもっと小さくしたショートレンジの仮現運動にすると、ロングレンジの時とは”脳の違う部位”が反応するのか、本当に動いているように見えるんですよ。

たとえば蛍光灯って100Hzから120Hzでチラついていますが、人間の目には動きがコマ送りのようには見えず、ちゃんと一連の動きとして見えますよね。それと同じことが、動き幅を小さく(ショートレンジに)していくと起きるのではないかと。

ショートレンジの仮現運動は、『マイマイ新子と千年の魔法』の時に一部で試して、PV『花は咲く』や『これから先、何度あなたと。』でも挑戦してみた手法です。本当に動いているように見えれば、すずさんたちキャラクターの存在感はとても大きなものになるし、そこからすずさんたちの生活感も生まれてくるだろうと。

なので今回は、今までだったら中なしで動かすようなところでも、執拗に中割りを入れるようにしました。その結果、カット袋の厚さとかがちょっと半端じゃなくなりました(笑)。家族全員で食事をしているカットなんて、1カットの動画枚数がすぐ300枚ぐらいになっちゃいました。

「『この世界の片隅に』公式ガイドブック」より

 「仮現運動」について補足すると、踏切の警報器のように、わずかの時差で明滅する二つの光がある時、人間は目の錯覚で光が左右に動いているように感じる場合があり、これを仮現運動といいます。

アニメのキャラが動いて見えるのは、こうした錯覚を利用しているからなのですが(実際は止まった絵を連続で表示しているだけ)、片淵監督は「絵と絵の間のレンジを詰めていけば、本当に動いて見えるに違いない」と考えたのです。

実際、『この世界の片隅に』を観てみると、多くのキャラクターが実在感を持って生き生きと動いていることがわかるでしょう。片淵監督はこの”ゆったりとした動き”を通じて、すずさんたちに実在感を与えようとしていたんですね。

そしてもう一つ、監督がこだわった点が自然主義的な動作」です。

通常、アニメで日常の動きを描く場合、効率よく作画するために、ある程度「簡略化(記号化)された動き」になりがちなんですが、この映画ではそういう日常動作を省くことなく丁寧に描写してるんですよ。

例えば、家族で食事するシーンをよく見ると、「お父さんが右手で箸を掴み、お茶碗を持っている方の手で一旦箸を支えてから指で使いやすい位置に持ち替える」という細かい仕草を作画で全て再現しているのです。

実際にやってみると分かりますが、確かにこうしないと箸が正しく使えないんですよね。ただ、普通のアニメでここまで細かく描くことはまずありません。アニメーターに負担がかかるし、そもそも「無くても成立するから」です。

しかし、片淵監督は敢えて日常動作を丁寧に描くことを決断。また、「作画監督松原秀典さんが、もともと自然主義的な発想の人だったので…」と言っているように、周りのアニメーターの理解があったからこそ、ここまで緻密な作画を実現できたのでしょう。

というわけで、『この世界の片隅に』は一見すると「ほのぼのとしたマンガチックな作画」に見えますが、その裏では「ショートレンジの仮現運動」や「自然主義的な動作」など、キャラキターに実在感を与えるための様々な工夫が盛り込まれていたのです。なので本作を観る際は、ぜひこういう部分にも注目しながらご覧ください(^.^)

 

庵野秀明監督の『シン・ウルトラマン』は実現するのか? → 実現した!

庵野秀明監督とウルトラマン

庵野秀明監督とウルトラマン

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

先日、「庵野秀明監督が『シン・ゴジラ』に続いて『シン・ウルトラマン』を制作するらしい」という記事がネットに流れてファンがザワつきました。

庵野さんと言えば、大学生の頃に「自分自身がウルトラマンに扮して怪獣と戦うウルトラマン映画」を自主制作で作ってしまうほどのウルトラマン好きとして知られ、『シン・ゴジラ』が大ヒットしている時から(期待も込めて)「次は『シン・ウルトラマン』だ!」などと言われていたそうです。

なので、全くあり得ない話ではないんでしょうけど、ただ「どこまでこの記事に信憑性があるのか?」という点ではいささか懐疑的だったんですよね(多くの人も「単なる飛ばし記事」として見ているようだし)。

 

ところが…

 

あることをきっかけに「あれ?コレってもしかしてマジなのでは…」と思うようになったんですよ。

そのきっかけとは、氷川竜介さんがこの『シン・ウルトラマン』の記事をリツイートしたこと。そして、「間違えました」と慌てて削除したことです。

氷川竜介さんと言えば、アニメや特撮作品などの研究家であり、当然ながらゴジラウルトラマン関連の情報に詳しく、さらに庵野監督との親交も長きに渡り、過去には対談や『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』のロングインタビューなども担当しているのです。

そんな氷川さんが、一般人みたいに「うっかりして」真偽不明の怪しい記事をリツイートしたりするでしょうか?氷川さんならすぐ関係者に確認を取れる立場にあるわけだし、そもそも庵野さんに直接聞けば済む話でしょう?なんか不自然なんですよねえ。

 

で、ここからは僕の推測になりますが…

 

もしかして氷川さんは『シン・ウルトラマン』の企画が水面下で密かに進行しているという情報を以前から知ってたんじゃないか?と。

知っていたからこそ、この記事を目にした瞬間、「あの企画がついに決まったのか!」と勘違いして(関係者に確認も取らずに)うっかりリツイートしてしまったのではないかと。

そして、直後に「あっ、マズい!まだ公式に発表されてなかった!」と気付いて慌ててツイ消しし、「うっかりしてました」と取り繕ったのではないか…と。コレ可能性としては結構あり得ると思います。

なぜなら氷川さんは、『シン・ゴジラ』の時も情報が解禁されるずっと前から神山健治さんが書いた「初期プロット版の脚本」を渡され、それを読んで庵野さんに様々な意見を出していたからです。なので今回も『シン・ウルトラマン』の検討用シナリオぐらいは読んでるんじゃないのかな?と。

これに対して「だとしても、極秘で進めている映画の企画内容が、そう簡単に流出したりしないだろ」と思う人がいるかもしれません。しかし、意外とこういうのって珍しくないんですよね。

例えば、数年前に週刊文春が「大人気コミック『ジョジョの奇妙な冒険』がついに実写化決定!」という記事をスッパ抜いたら、映画会社も集英社も「知りません」と否定したのに、その後「実写化決定!」と公式発表されました。

つまり、正式に決定するまでは公にできないけれど、水面下では常に多くの企画が動いていて、そういう「関係者だけが知っている情報」がうっかり外部に漏れてしまう…というパターンは実際にあるんですよ。

もし今回の件がそうだとすれば、少なくとも庵野秀明監督が『シン・ウルトラマン』を撮るという企画」自体は、何らかの形で検討されているのかもしれません。

ただ、「じゃあこの企画は実現するのか?しないのか?」っていうと現時点ではまだ分からないし、実現しなかった場合は「やはりあの記事はガセネタだったんだな」などと言われてしまうんでしょうねえ(^^;)

 

※追記
円谷プロと(株)カラーから「『シン・ウルトラマン』の制作決定」「2021年に公開予定」と正式にアナウンスされました。やっぱ氷川さん知ってたんだね(あのリツイートは”フライング”だったわけかw)。

 

シン・ゴジラ

※プライム会員の方は無料で視聴できます