ひたすら映画を観まくるブログ

映画やアニメについて書いています

『22年目の告白 ―私が殺人犯です―』の予告編(耳打ちシーン)がおかしい件

22年目の告白 ―私が殺人犯です―

22年目の告白 ―私が殺人犯です―


※今回の記事にはストーリーに関するネタバレがあるので、未見の人はご注意ください。

本日、金曜ロードショー『22年目の告白 ―私が殺人犯です―』が放送されます。

あらすじは「1995年に発生した連続絞殺事件が時効を迎え、事件から22年後に突然”犯人”が名乗り出て本を出版。その告発本が一躍ベストセラーになってしまった。いったい何の目的でこんなことを…?謎の行動に日本中が翻弄される中、驚愕の真相が明らかに…!」というもの。

本作で”犯人”の曾根崎雅人を演じたのは、エキセントリックな芝居で知られている藤原竜也さんです。

藤原竜也さんといえば、演出家:蜷川幸雄さんに才能を認められ、15歳で俳優デビュー。『ハムレット』や『ロミオとジュリエット』などの舞台に出演しつつ、2000年には映画『バトル・ロワイヤル』で主役を演じ、一躍注目を集めました。

しかし「気合いが入り過ぎな演技」はお笑い芸人のネタにされるほど個性的で、しかも近年は『デスノート』の夜神月や『カイジ』の伊藤開司、『藁の楯』の清丸国秀など、なぜか「人間性にかなり問題があるキャラクター」ばかりをオファーされ、本人も「クズの役しか来なくなった」と嘆いているらしい(笑)。

藤原竜也

藤原竜也

そして22年前の事件で最愛の妹を殺され、時効になっても執拗に犯人を追いかけ続ける刑事:牧村航を演じるのは、『海猿』シリーズで主演を務めて以降、すっかり”正義感の強い兄貴キャラ”が定着した伊藤英明さん

伊藤英明さんといえば、「第6回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリを受賞するも、事務所の方針が合わず芸能活動を停止。2年後に別の事務所で俳優として再始動し、2004年に公開された『海猿 -ウミザル-』が大ヒット。計4本の続編が作られました。

三池崇史監督の『悪の教典』では極悪非道なサイコパスを演じていましたが、基本的なイメージは今でも「海猿的な熱血ヒーロー」らしく、『悪の教典』の舞台挨拶で「伊藤英明は嫌いになっても、『海猿』のことは嫌いにならないでください!」とコメントしたそうです(笑)。

22年目の告白 ―私が殺人犯です―

22年目の告白 ―私が殺人犯です―

『22年目の告白』は主にこの二人(曾根崎と牧村刑事)を中心として、22年前に起きた連続殺人事件の謎に迫る猟奇ミステリーなんですが、映画を観る前の予想としては「曾根崎がわざわざ出て来た理由は事件の真相を解明するため。つまり、真犯人は他の人間に違いない!」と考えていました。

まあ、こう予想していた人も多いだろうし、実際、真犯人はニュースキャスターの仙堂(仲村トオル)だったんですけど、驚いたのは牧村刑事もグルだったこと。

これには正直ビックリしました。なぜなら、事前に公開された予告編では全く印象が違っていたからです。いったいなぜでしょう?

当時の予告編(金ローの番宣予告も同じ)を見ると、曾根崎が牧村刑事に「あんたがどんくさいから5人も死んだんだよ」と耳打ちするシーンが出てきます(48秒辺り)。

直後に牧村刑事は「テメェこの野郎!」と叫んで殴りかかってるんですが、実際に本編を観てみると、このシーンではセリフが聞こえないんですよ。

本編では曾根崎が口元を隠して牧村刑事に何かを話しかけ、怒って殴りかかる場面が映るのみで「何か激怒するようなことを言ったのだろう」ぐらいしか判断できません。

なので僕は予告編を見て、「曾根崎と牧村は敵同士」と思い込んでいたのですが実はそうではなく、この時、曾根崎は牧村刑事の耳元で「(自分を)殴ってください」と頼んでたんですね。

後で分かることですが、曾根崎の正体は牧村の妹の婚約者で、彼女を殺した真犯人を何としても捕まえようと整形手術で顔を変え、自ら”犯人”として名乗り出ることを計画。そして世間の注目を集めるために、マスコミが大勢いる前でわざと牧村刑事に自分を殴らせたのです。

22年目の告白 ―私が殺人犯です―

22年目の告白 ―私が殺人犯です―

では、「あんたがどんくさいから5人も死んだんだよ」というセリフは何なのか?というと、全く別のシーン(仙堂のテレビ番組に出演している場面)で喋ったセリフを切り取って使っていたのです。

つまり、こうすることによって「こいつは牧村刑事と敵対してるんだな」と予告編を見た人に勘違いさせていたんですね。う~む…

コレ、微妙なところですが「予告編の作り方としてどうなのか?」っていう疑念が残るんですよ。なんせ、製作側が意図的に”ミスリード”しているわけだから。

このシーンの”本来の意図”は、「曾根崎は牧村刑事と組んでいる」ということを周囲に知られたくないために口元を手で隠して「殴ってください」と耳打ちしている、そういうシーンですよね。

ところが、予告編では「あんたがどんくさいから…」というセリフに変更したせいで明らかに「牧村刑事を怒らせる目的」で話しかけていることになり、本来の意図とは真逆の描写になっているのです。

そこまで劇中の意図を改変したものを予告編として流していいのか?と。そこが引っ掛かるんですよ。本編と同じく「セリフなし」でもいいはずなのに、わざわざ別のシーンから違うセリフを切り取って貼り付けているあたりにちょっと”アンフェア”なものを感じてしまいました。

22年目の告白 ―私が殺人犯です―

22年目の告白 ―私が殺人犯です―

なぜなら映画の予告編というものは、見せ方次第でいくらでも本編と異なる印象を与えることができるからです。編集を変えたり、音楽を変えたり、または「本編に出て来ないカット」を敢えて使ったり…。

そうすることによって観客の興味や好奇心を煽り、一人でも多くの人に劇場へ来てもらえるようアピールすることが目的なのですが、あまりにも本編とかけ離れた予告編は批判の対象になりやすく、クレームが発生する可能性も少なくありません。

つまり、「こういう改変はどこまで許容されるのか?」みたいな基準がないため、ハッタリの効きすぎた予告編が作られやすいんですよね。

『22年目の告白』の場合は、一応劇中のセリフを使っているし、そこまで悪質性はないような気もします。ただ、「わざわざこんなことをする必要があるのかな?」と、その辺がちょっとモヤモヤしましたねぇ。

 

22年目の告白-私が殺人犯です-

プライム会員は追加料金なしで視聴可
悪の教典

プライム会員は追加料金なしで視聴可