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『シン・ゴジラ』の庵野秀明が語る「実写映画とアニメ」について


どうも、管理人のタイプ・あ〜るです。

現在、大ヒット上映中の『シン・ゴジラ』の庵野秀明総監督は、元々『新世紀エヴァンゲリオン』等のアニメーション監督ですが、1998年に『ラブ&ポップ』を撮って以降、『式日』や『キューティーハニー』など、定期的に実写映画を制作するようになりました。

そして最新作の『シン・ゴジラ』は、『キューティーハニー』以来、12年ぶりの実写映画になるわけです。ではいったい、なぜ庵野秀明は実写映画を撮ることになったのか?今回、2004年にガイナックスで収録されたインタビューを久しぶりに読んだら色々と興味深い発言があったので、以下にその一部を抜粋してみます。



●実写とアニメの制作システムの違いみたいなものは感じましたか?

庵野:どこの会社も作り方はだいたい一緒だと思うんですよ。ただ、僕の場合だと実写とアニメでは業界からの見方が違ってますから。僕が「アニメ(エヴァ)をやる」と言ったらすぐに10億円以上のお金が集まると思います。けど、「実写をやる」と言ったらそこまでは出ないんですよ。実写だと「庵野さんは実績がないから作れない」と。そこが大きく違います。実写だとまだまだ予算がもらえないですね。


●でも、アニメではなく実写をやるという、それは何故ですか?

庵野:今は実写を作るのが面白いんですよ。あと、アニメは”頭の中”にあるイメージを絵にして作るものですけど、実写は”頭の外”の、現実空間にある素材を使って作るものなんですね。もちろん、アニメじゃないと作れない、内界を現実にしていく虚構の映像も面白いとは思うんですけど、今は外界の影響で変化する実写映像の方が面白いですね。


●絵コンテは監督自身が描いてるんですよね?”頭の中”を再現するプロセスは、アニメも実写も共有する部分があると思うのですが。

庵野:実写の場合も時間が無い時や合成がらみのシーンはコンテを描きますけど、現場ではできるだけコンテなしでやるようにしてるんです。実写は役者の動きやカメラの動きも含めて、現場で試しながら「せーの!」で作っていけますから。『式日』や『ガメラ1999』みたく、台本がなくても映像化が可能なんです。もちろん、頭の中には多少のイメージがありますが、必ずしもそれに沿うことはないですね。

だがしかし、アニメは初めに絵コンテありきです。最初に設計図がないと、システム上、現実的には何も進まないんですよ。しかも、基本的には設計図通りにいってしまうので、コンテができた時にだいたいの完成形が見えてしまう。途中でコンテと変わることもありますが、編集時に別アングルはありません。スタッフやキャストの力で思いもしなかったシーンになることもありますけど、実写ほどの振り幅はないんです。

それに対して、実写は外的要素が内容を大きく左右してしまうので、自分の絵は最初からイメージしたものにならない。それどころか、編集時にまるで別なものになったりもします。アニメとは違う形のその先が見えないところで、右往左往しながら作っていけるのが面白いですね。


●そもそも、実写を撮りたいという気持ちは、いつ頃、どのようにして芽生えたのでしょうか?

庵野:学生の頃は両方やってたんですよ。実写というよりは特撮なんですけど、8ミリフィルムでアニメと両方やっていて。ただ、当時はアニメ産業の方が大きく勢いがあったので、大学を放校された後はその流れのままアニメの世界に入って、実写はそれっきりでした。

けど、『The End of Evangelion』(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)を作っている時に、「もうこれは実写でなければダメだ」という結論に行き着いて、アニメだけじゃなくて特撮の現場もやっている樋口(真嗣)に相談したんです。その時に樋口から実写のスタッフを紹介してもらって、甘木プロデューサーと知り合ったのが良かったですね。シンちゃん(樋口真嗣)のおかげです。僕が実写をやれる環境をそこに用意してもらえましたから。

まあ、全ての始まりは『エヴァ』の実写(映画『まごころを君に』の中の実写パート)をやったことですね。実写を続けている理由も、『エヴァ』の時にぜんぜんうまくいかなかったことが大きいと思うんですよ。結局、撮ったものをみんな捨てちゃいましたから。その時の復讐をまだやってるんだと思います。


●「実写でなければダメだ」と仰いましたが、『エヴァ』という完結したアニメ世界の中で、なぜあのような実写映像パートを挿入しなければならなかったのでしょうか?

庵野:あそこに欲しい映像が、セルのアニメーションでは表現できないものに行っちゃってたんですよ。もっと現実に近い感じのものが欲しい、じゃあ一番現実に近いフィルムは実写だと。もともと実写で入れようとしてたのは声優さんのドラマだったんですけど、撮影している時に「これは違う」と。結果として、風景と映画館の観客の映像を使うことになりました。

当時、色々な人たちが過剰にフィクションにのめり込んでいるのが嫌だったんです。他者が作った脳内世界に自身の存在を依存し過ぎているのが、見ていて怖い感じがしました。とにかく少しでも外界を認めて、自分の尺度で相対的な視野を持って欲しかった。

そこで、見ている人が自分の現実を意識する方法として、鏡を差し出すのもありだろうと。観客の映像は鏡のイメージでした。ビデオにする時は真っ黒の画面にしようと思ってました。画面が黒いと、ブラウン管に観ている自分の顔が映りますからね。


●『エヴァ』の後に撮った2作の実写映画『ラブ&ポップ』と『式日』は、人物造形や時代感がリアルなものだったと思うんですが、これはアニメ表現に対する反動からだったのでしょうか?

庵野:とにかく、アニメっぽいものを作りたくなかったんです。その手段としての実写映画だったし。でも実際に『ラブ&ポップ』を撮ってみたら、その逆になったんですよね。目の前に生身の人間がいるのに、無機質っぽく撮ろうとしている。結局、自分は被写体やその空間にないものを、ないものねだりで入れたがるんだと思うんです。アニメをやっている時は、セルで描いたキャラクターに生っぽさや、絵という虚構世界に現実っぽさを出したがっていましたから。

●以前、庵野監督が「日本映画はハリウッドに勝てない。ただし、日本のアニメは世界一だ」と仰っていたのが印象的だったのですが、”アニメ”という日本が持っている映像表現のアドバンテージを、実写映画の中に入れ込むことで、ハリウッドと闘えるものになるんじゃないかと思うのですが。

庵野:大事なのはお客さんにとっての、観た映画そのものの価値みたいなものだと思うんです。お客さんから見れば100億円かかっているハリウッドの映画も、5000万円で作っている日本の映画も、映画館で払うお金は同じ1800円なんですよ。そうである以上、5000万円で作る映画の面白さを、100億円の映画の面白さと一緒にしなきゃいけない。

でも、その「面白さ」という部分をハリウッドの大作と同じやり方で求めても、絶対に勝てないですから。だったら別のベクトルで「面白さ」を一緒にしなきゃならないだろうと。「面白さ」は制作費と必ずしも比例しませんから。ハリウッドメジャーの大作と同じ方法論ではとても勝てない。ワイヤーワークひとつにしても、ものすごい手間と時間と金がかかる割には、前に見たような絵にしかならないんですよ。

要は驚きが得られないんですね。あったとしても「日本でも同じことが出来るんだ」と思われるくらいのものです。日本でその方法論で得られる同等の映像を作るなら、アニメの方がはるかに可能性が高くていいです。今の日本映画の現状では、実現可能な独自の映像を見出していくしかないでしょうね。


●ハリウッド映画に対する競争心はお持ちなんですか?

庵野:そういうのは、あまりないです。面白さは1800円分にはしなければならないというだけです。他と争ってもしょうがないんです。映画である以上、お金を払うお客さんには楽しんで欲しい。そして、商業映画である以上、出資者には元をとって欲しい。その上で興行である以上、出来るだけ当たって欲しい。それだけです。そうしないと次の映画が撮れないですから。

映像としては、フィルムは完成しちゃえばそれでいいんですよ。完成することが目標というか目的みたいなものなので、完成してしまったら興味がなくなるし、たぶん観直すこともないと思います。ただ、その作品を見捨てるとかではなく、次に気持ちが移ってしまうだけなんですけどね。

(文藝別冊「庵野秀明 アニメと実写の映像革命」のインタビューより)

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